「消える」のではなく、「消す」のです

3日前のブログで紹介した、長崎県議会環境生活委員会。

そこで、委員たちが口をそろえて言っていた「最近聞こえてくるのは反対派の声ばかり」について、

少し考えてみました。

確かに私たちは、公開質問状を出したり、署名を集めたり、申し入れをおこなったりしていますが、

それは最近始めたことではありません。

このブログもそう。もう6年も前からやってることだし・・・

では何故、今頃、委員はそんな風に感じたのかな?

 

そう思って、最近の新聞を見てみると、たしかに声の欄にも、石木ダムに関する投稿が増えてきたようです。

こちらは3日前の「こえのひろば」に寄せられた投稿文。

県民の理解が得られているとは思えない事業のために、「個人の財産を強制的に取り上げていいものでしょうか」

「中村知事は住民を説得できないのであれば、潔くダム建設は断念すべきです」と書かれていました。

とてもシンプルで、わかりやすい!

 

また、昨日の投稿欄には、こんな声が。

石木川とその流域の風景を目の当たりにして感じた率直な思いが綴られています。

「今の日本がどこかに置き忘れてきた風景と人々の絆」

それを「壊し、水没させていいのか」「人権侵害そのものではないか」として、再考をもとめています。

 

また、こちらはそれらの投稿記事の間に書かれた6月30日の「水や空」です。

 大好きだった向田邦子さんの名前があったので、目を止めて読み進んでいくうちに、ドキッとしました。

「壊れた」と「壊した」の違い。

小学生の邦子さんにその違いを気づかせ、責任の所在について自覚することの大切さを教えたお父さま。

その厳しさや潔さも、今の日本人が失ってきた美しいものの1つのような気がします。

 

智記者は、この話からダム計画のことを連想してくれました。

全く同感です。

ダム計画を進めるということは、ある地域を、誰かにとってのふる里を地図上から「消す」ことです。

ふる里は勝手に「消える」わけではないのだから、県が、市が、ではなく、

中村県知事や朝長市長が決断して「消す」のです。

 

「そうまでして進める事業なのか」と私たちも何度も問いかけてきましたが、

知事も市長も、馬耳東風、何ら見直そうとはしません。

筆立ては新しく買い替えることができますが、ふる里の代わりはないのに・・・

 

向田邦子のお父さま、中村知事の夢の中にでてきて、知事を叱ってくれないかな〜  

 

 

 

 

 

オンライン署名にぜひご協力ください!

石木ダム建設は説明不足。長崎県は一度立ち止まり、
公開討論会を開いてください。(Change.org)

ほかにも、こうばるを守るためやっていただけることがあります。

→あなたにできること

「「消える」のではなく、「消す」のです」への1件のフィードバック

  1. 原因は、佐世保市水道局の「再評価委員会」の決定です

    平成25年1月、2月に佐世保市水道局長が、「再評価委員会」を開催した時の佐世保重工業、sskの工業用水の水量が過大評価されて、その報告書が、後日、佐世保市長に提出していたことが、原因です。



    つまり、佐世保市水道局は、でっちあげの数字を委員会の委員に妄語を付き、賛成を得たことです。



    そういう間違いを、厚生労働省、また、国土交通省が認めた結果、採決申請となりました。



    つまり、この採決申請の前に、議会は、調査して、正さなければいけなかったのです。



    議会の議員は、騙された、と言うことです。



    騙された県民、市民が悪いのではなく、騙した人が悪いのですが、現に、そうなっていません。



    普通、人を騙せば、謝るのが常識です。



    今、現在は、そうなっていません。



    長崎県知事は、こういう不正のことを知っているから、それが解れば、行政のトップとして、認めざるを得なくなるので、反対地権者と話し合いをせず、強硬な態度で、いじめています。



    しかし、将来、「良心の呵責」に耐えられなくなります。



    それは、いじめたほうが、罪を背負い、いつまでも、深層心に重く残り、耐えきれなくなります。



    それは、論語や儒教や仏教で、説いてあります。



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