岐路に立つ石木ダム 

正確には「現場へ!岐路に立つ長崎・石木ダム」というタイトルで、朝日新聞の夕刊に5日間(4月6日~10日)連載されました。(長崎では、コロナの影響で、8日~12日の朝刊)

全国版です。だから「長崎・石木ダム」です。
まだ影も形も無い無名のダムですから。
万一できたとしても、日本列島の西の端の小さなダムです。
昨年完成したばかりで、何かと話題になった八ッ場ダムの1/20の貯水量。
かなり昔、映画にもなり日本中を感動させた黒部ダムの1/36です。
そして貯水量日本1と言われる徳山ダムに比べると、なんと、わずか1/120という小ささ!

そんな石木ダムが何故、全国版に掲載されたのか?
もちろん、私たちはもっと早く取り上げてほしかった。
全国の人に知ってほしい。
他県民にとっても決して無関係ではない、全国共通の重大な問題を孕んでいると言い続けてきました。
が、それが大手メディアにはなかなか通じないまま時が過ぎ・・・

ようやく、ようやく、実現しました。
何故いま実現したのか?
この連載で、原口記者は何を伝えようとしたのか?

この記事に出会えなかった人たちのためにも、ここに転載させていただきます。
すでに読まれた方も、もう一度いっしょに目を通してみませんか。

初日の記事は、こちらです。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14431993.html?iref=pc_rensai_article_long_401_prev

最後の一文「60年近く前の計画が推し進められようとしているいま、住民の闘いの意味を改めて考えたい」が、まさにこの連載記事の趣旨であり、目的なのだと思います。

そして、何故60年も闘いが続いているのか?
そこには「金銭に代えられないものの価値」が存在し、その大切さを知ってる人たちだけが残っているからでしょうか。

また、彼らは「戦後の民主教育を受けた世代」であり、「酒食」にも「12億円」という大金にもなびかない強さがあったからでしょう。

とは言え、全国のダム建設予定地にも、彼らのような正義感と行動力を持った団塊世代はたくさんいたはず。何故こうばるの人々だけが信念を貫き通せたのか・・との疑問は残ります。
その謎は、2回目に明かされます。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14433431.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

「土地は命。二度も取られるわけにはいかん」それが石木ダム建設予定地こうばるの特異性だったのですね。

戦時中、有無を言わさず軍に接収された豊かな農地は、カチンカチンのコンクリートに覆われて戻ってきた。それを元の水田に戻すまでどれほどの時間と労力が費やされたか・・そんな汗と愛がいっぱい詰まった大切な田畑を、今度は水に沈めると言う・・・「わかりました」と出て行けるわけがない!

土地への愛着などまるでなかった私(田畑を耕したこともなく、生まれてこのかた引っ越し回数は10回を超え今の住まいは12軒目)でも、こうばるの歴史を知れば、皆さんの想いは十分理解できます。

マツさんが「国に2度も土地を取られるとは、どこで目をつけられたもんか」と嘆いておられますが、そんなマツさん自身、一歩も引く気はありません。とても小柄で、いつも優しい笑顔のマツさんですが、10年前に工事が始まった頃は、県職員に「そんなにダムば造りたかなら、ウチば殺してから造りんさい!」と迫っていました。

そんな住民に、県はどう対応してきたのでしょう。
その答えは第3回に書かれています。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14434939.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

動かぬ住民に対し県がまず行ったのは力による北風政策。機動隊を導入し、力尽くで強制測量。測量そのものはできたが、マスコミや県民の反感を買ってしまった。石木ダム推進派にも「あの強制測量は失敗だった」と批判する人はたくさんいます。

それに懲りたのか、今度は太陽政策。移転受け入れ者には懇親会という名の接待に、視察という名の観光旅行。そして現金。

童話の通り、北風には負けない住民も太陽には弱いようです。飴の誘惑には勝てないのが普通かもしれません。

田村さんが明かしているように、推進派の会は住民から生まれたものではなく、県に頼まれて作ったもの。ダム推進が本心ではないようです。だから、新聞の投稿欄に載るのは、いつも反対派の声ばかり。ダムのお金で3人の子どもを大学に進学させられたと感謝する人でも、「反対住民を力で追い出すなんてしてほしくない」とおっしゃったそうで・・それが本心だろうと思います。きっと以前は仲の良かった住民同士だったのでしょう。ダム建設という公共事業は住民を幸せにするよりも、住民を分断し、苦しめ、悲しませることの方が大きいようです。

しかし、行政は、そのような横軸=隣人の分断はできても、縦軸=歴史の分断はできません。
その意味は第4回へ。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14436226.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

炭谷猛さんちの歴史は、こうばるに根を下ろしてから266年になるという。猛さんは紛れもなく祖先の命を引き継いできた。先祖を分断すれば猛さんの存在はない。だから縦軸の分断はできない。それは炭谷家だけでなく、13世帯みんな同じ思いで、こうばるというコミュニティそのものにもそのような魂を感じます。

だからこそ、お寺の住職も、全国のダムに沈む村を見つめてきたカメラマンも、13世帯を応援したくなるのでしょう。それは「仏の教えにかなう道」であり、「千年単位で続いてきた暮らしや笑顔」を永遠に水に沈めてしまってはいけないという確信からでしょう。

そして、こうばるを応援する人たちは、もっともっと、あちこちにいます。どんどん増えています。
その話は第5回で。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14437585.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

ここに登場したこうばるサポーターの皆さんの言葉は、どれも深くて大きい。

いとうせいこうさん:代々、土地の文化を受け継ぎ、誇りをもって生きてきた、まさに日本人。その倫理でダムに反対している。彼らを“切る”ことは『日本人』を“切る”こと」「戦後日本が抱える、ある種のでたらめさが、石木ではよく見えます。水俣・成田(空港)・福島・石木。石木を転換できれば、日本にもまだ光明がある

山田英治監督:長年のダム闘争でも失われていない住民の笑顔とユーモアに接して心が震えた」「『ダム反対』映画ではなく『里山の豊かな暮らし賛成』映画なら撮れる

前パタゴニア日本支社長辻井隆行さん:みんなが『勝つ』方法を考えたい。例えば河川改修中心に治水対策を転換すれば地元で受注でき、住民も住み続けられる可能性が広がる」「石木ダムのあり方を問うことは、民主主義を問い直すこと

「現場へ!」向かった原口記者は、いつしか現場から飛び出し、いろんな人に会いに行きました。そのインタビューから見えてきたものは、やはり、石木ダム問題は、長崎だけの問題ではないということ。公共事業のあり方はもちろん、日本の政治のあり方、民主主義の意味と現状などなど様々な課題と繋がっていることが、よーくわかりました。

皆さんは、どのように思われましたか?

オンライン署名にぜひご協力ください!

石木ダム建設は説明不足。長崎県は一度立ち止まり、
公開討論会を開いてください。(Change.org)

ほかにも、こうばるを守るためやっていただけることがあります。

→あなたにできること

「岐路に立つ石木ダム 」への1件のフィードバック

  1. 石木ダム建設事業は、長崎県の失敗を隠すため、名目を変え、未だに、48年間、継続しています。故高田勇知事が、佐世保市江上町にあった自衛隊演習場に、工業団地を造ることから、始まる。ここの自衛隊演習場を長崎県が、工業団地で、水が不足するため、石木ダム建設事業を、強制的に進める。が、この針尾工業団地を造ったが、4社しか入らなかった。つまり、失敗した。国の補助金の返済が、重く、代替えが必要となった。そこで、西彼町のオランダ村を移した。そして、ハウステンボスと名称を変えた。が、3社の企業が、次々と、倒産した。今、HISが、あとを引き継いだ。それより先、平成6年、佐世保市が渇水になったのを好機と捉え、更に、石木ダム建設事業を継続した。慢性的水不足、と長崎県と佐世保市が、唱えた。が、佐世保市の水は、今までに渇水になったことは無い。余っている。嘘を平気でついている。これが、行政のダメなところである。失敗を認めればよいのに、それを言い訳セールをしている。みっともない。本当に、長崎県民、佐世保市民の為になるのなら、良いが、そうではない。この石木ダム建設により、佐世保市民は、1世帯1年間5,000円の水道料金を30年間支払う、と佐世保市水道局長が、市議会で答弁した。また、長崎県が、メンテナンスを50年間186億円かかる、と試算した。その金額は、佐世保市が3.7億円となり、佐世保市民は、5,000円の住民税を支払うことになります。更に、佐世保市の人口は、昨年1,440人減少した。この先、25万人から20万人に減少することになっている。負担金が、増加する。また、石木ダム建設の代替え案を、長崎県は、隠している。それは、佐世保市南部水系下ノ原ダムかさ上げが、40m可能としているのに、現在36.5mだから、あと3.5m嵩上げがかのうなことです。また、佐々川からの取水が、毎日5,000トン出来ることです。水不足にはならない。長崎県北振興局建設部管理課の資料では、毎日0トン、毎年0トンであった。水は取水していないので、余っている。石木ダム建設は、必要としない。つまり、無駄な公共事業である。水が将来、余るので、その負担金を佐世保市民が、支払わなければならないから、その支払う金額の穴埋めをしなければ、いけなくなる。佐世保市は、大変な負担金を支払うことになる。中止が適当、と考える。

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