追悼 岩永サカエさん

着信音が鳴りスマホを見ると、昨年11月「こうばる」を訪れたT・Kさんだった。
何だろう?

「ご無沙汰してます。朝日のオンライン版で岩永サカエさんのことを知って・・」

岩永サカエさんとは、この家の主で、先月突然他界された。
Tさんが見た朝日新聞の記事はこちら。
https://digital.asahi.com/articles/ASP516TSXP4WTOLB001.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

原口記者が心を込めて書いた追悼記事。
写真もたくさん掲載されている。
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20210501002284.html?iref=pc_photo_gallery_next_arrow

11月にTさんをを団結小屋に案内したときは、サカエさんは入院中で会えなかった。
マツさんが一人ポツンと座っていた。
「もうすぐ退院してくると思うので」と心待ちにしているようだった。

「あのサカエさんが亡くなられたのですね?私は会えなかったけど、なぜか居ても立っても居られなくなって・・・つい電話してしまいました。突然すみません」と詫びられた。

会ったこともない人の死にこんなに突き動かされたのは、原口記者のペンの力だけでなく、彼女自身が、離れていても心の中でいつもこうばるの人々に寄り添ってくれていたからだと思う。

嬉しかった。
同様の連絡が数本あった。
彼女たちに伝えたのは、サカエさんの明るさと強さ。

掲載記事のとおり、サカエさんは、いつも明るく笑っていた。
暗いニュースも笑い飛ばしていた。

「来るなら来い。何も怖くない」
「どうしてもダムを造りたいなら、うったちば殺してから造れ」
「こうばるは皆きょうだい。みんな家族みたいなもん」

それが口癖だったサカエさん。
ただ、一度、不安を口にしたことがあった。
2015年8月、初めて畑を強制収用された時。
それは、13世帯の中の4世帯の田畑だけだった。
工事の都合からか、住民の分断を狙ってのことか、その両方か、理由は定かではないが、その4世帯の1つがサカエさんだった。

「権力って強かね・・」
記者の取材にそのように答え、怒りと不安に震えていたそうだ。
当時は、あのサカエさんが?と一瞬ショックだったが、
それは事実だし、事実はありのままに受け止めねばならない。
しっかり受け止めた上で、どう行動するか、それが大切なのだと改めて教えられた気がした。

その教えを忘れないよう、パソコンに残っているサカエさんの写真を拾い集めてみた。
(残念ながら、ごくわずかしか残っていないが)

県が初めて付け替え道路工事に着手した2010年3月。
工事現場ゲート前で、地面に座布団を敷いて抗議の座り込み。
写真左がサカエさん。
その背には「長崎県知事は強制収用をやめろ」と書かれたゼッケン。

2014年7月の阻止行動。(左端がサカエさん)
この頃は団結小屋に集うおばあちゃんたちも阻止行動に参加。
皆さんお元気だったし、小屋からゲート前まで近かったから。
それでも猛暑の中の座り込みはキツかったと思う。
こうばるを守りたい!という一心か・・

珍しくお出かけ姿のサカエさん。(同じく2014年夏)
見違えちゃった!

2016年3月、団結大会の後の記念撮影。
川原公民館横の石段に集合して、みんなで「エイエイオー!」と叫んでいるところ。
右隣はいつも一緒だったマツさん。

2017年に完成した映画「ほたるの川のまもりびと」のワンシーン。
パンフレットにも掲載されたのでサカエさんは、「こがん足ば投げ出しとるところば・・」と恥ずかしがっていたが、自然体でとてもいい。

同じく足を投げ出しているが、笑顔が最高!
私が一番好きなサカエさんの写真。
少々凹む出来事があっても、この写真を見たら誰もが元気になれそう。
村山カメラマンだからこそ撮れた写真だと思う。

サカエさん、あなたの魂は、いつまでも、この大地に在り、

こうばるの人々を励まし見守り続けることでしょう。

オンライン署名にぜひご協力ください!

石木ダム建設は説明不足。長崎県は一度立ち止まり、
公開討論会を開いてください。(Change.org)

ほかにも、こうばるを守るためやっていただけることがあります。

→あなたにできること

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