住民の命を守る治水とは…

昨日、宮本博司さんの講演会に行ってきました!

国土交通省の元キャリアで、今は家業の樽作りに勤しみつつも、その合間を縫って、真の治水を考える人々に乞われて、講演活動もなさっています。

今回は、長崎自治研定期総会の記念講演会だったのですが、一般市民も参加OKとのことで聴きに行きました。

宮本さんの話がナマで聴ける!ということで、録音だけでなく、写真も何枚も撮ったのですが、うっかりミスで、パソコンへの取り込みが終わらないうちに消去してしまいました!(>_<)

というわけで、上の写真は、石木川まもり隊の記録係IさんがYouTubeにアップしてくれた動画の中の1コマを切り取ったものです。

こんな優しい眼差しで、柔らかな京言葉で、しかし、国や県など行政のやり方のおかしいことはおかしいと、きっぱりと論じる歯切れの良さに1時間半があっという間に感じられました。

是非お聴きください!

約1時間半の講演なので、3回に分けてアップしています。

 

印象的な言葉を少しお伝えすると・・・

30代のころは全国のダム計画の策定をなさっていたという宮本さん、

● 霞が関のテーブルの上で、ダムの事業仕分けをするうちに、「自分はダムについてはすべてわかっている」という錯覚に陥っていた。

● その後、岡山県の苫田ダムに配属され、住民や地域の痛みを初めて知った。隣近所でいがみ合い、家族の中でも不信感、人間関係はドロドロになった。

● ダムがこれだけコミュニティーを破壊する様を目の当たりにして、「私はダムについて全く知らなかった」と思い知った。

● 次に転勤になった長良川河口堰ではあらゆる人々と公開の場で話し合ったが、ダメだった。何故か?それは結論ありきだったから。事業主体が結論を変えないと決めていたから。

● 今もあらゆる委員会は「うん」という人たちで作られている。委員会の意見も実は事務局が書いている。それではダメ。淀川水系流域委員会では委員を公開選定した。事務局も国から独立させた。お墨付き委員会にさせなかった。

● 様々な立場の委員が共に現場を見て情報を共有し、課題を共有する。その結果、委員自身の意見が変わっていった。「ダムのどこが悪いねん」と言っていた学者が「できるだけ造らないほうがいい」と言うようになった。

 

● どんなに偉い学者でも河川官僚でも、川を知り尽くすことは出来ない。だから河川事業は謙虚におずおずと、やり直しがきく範囲でやるしかない。

● 淀川水系流域委員会の委員長になった時、国交省の役人に「これだけは守って」と言ったこと=隠さない・ごまかさない・逃げない・ウソをつかない

● ダムの効果は想定の範囲内においてのみ効果があるが、自然現象はいつ、どこで、どのような規模でおこるかわからない。

● 異常気象?自然現象は常に異常。通常の自然現象などない。異常なことが起きるのが自然現象。

● 治水事業の目的は、住民の命を守ること。

● 洪水により命を失うのは、浸水によってではなく、堤防決壊によって。応急的堤防強化が必要。

 

● 越水しても破堤しないような対策=堤防強化をすればいい。何故しないのか?それはダムを造るため?

● 堤防の越水対策に最優先で取りくまないのは、行政の不作為であり、国の怠慢。

● どんな洪水が来ても防ごうと考えるのは人間の傲慢。「防ぐ」ではなく「凌ぐ」が大事。桂川のほとりに建つ桂離宮は洪水による氾濫を想定して造られている。床は高床式で、屋敷の周りには濁流の土砂やゴミをフィルターにかける笹の生垣を施している。だから400年間もってきた。

● 洪水のエネルギーをできるだけ分散するのが治水のあり方だと昔から言われてきたが、明治以降の近代治水事業では、降った雨を川に集めて閉じ込め下流に流すようになった。

● 住民の命は守るには、できるだけ洪水エネルギーを集中させないことが大事。山を整備して山の保水力を高め、水田に水を溜め、霞提や遊水地など水の逃げ場を造るなど穏やかに分散させることが大事。

● 膨大なコスト、自然破壊、住民の犠牲、それ無しにはできないダムが、本当に最優先の施策なのか?それを問うべき。

● 事業主体が、隠したりごまかしたり逃げたり嘘をついたりしたら、どんなに良い事業であっても中止すべき。それを勧告する評価機関が必要。しかし、現在そのようなものはない。それをするのは世論しかない。裁判所にもそれは期待できない。世論のうねり。それが大事。

 

そう。いつも言われるのです。

世論。大事なのは世論。政治家や行政を動かせるのは世論。

わかっちゃいるけど簡単なことではありません・・・ 

簡単なことではないけれど、諦めません・・・ 

 

オオカミと川

ダムには直接関係ありませんが、自然界の営みについて考えさせられる映像でした。

How Wolves Change Rivers

 

「オオカミってやっぱすごい!」

ほんの少数のオオカミの群れが自然に奇跡をもたらすまで
  (米イエローストーン国立公園)

 

ナレーションは英語ですが、この動画を紹介している「カラパイア」のサイトでは、日本語の解説があります。

 http://karapaia.livedoor.biz/archives/52202394.html
 
(画面を少し下に動かすと「オオカミってすごい!」が出てきます)

 

人間によってオオカミが絶滅した自然保護区イエローストーン国立公園、

ここにオオカミが戻ってきてから、公園内の生態系は劇的に変化します。

鹿やコヨーテの数は減ったけど、

鹿に食べられていた植物が芽吹き、森が生まれ、多くの鳥たちが棲息し始めました。

木が増えたので、ビーバーが住みつき、ダムを造り、魚や爬虫類、両生類なども増えていきます。

コヨーテに食べられていたウサギやネズミなどの小動物も増え、

その結果ワシ、イタチ、キツネなども増え・・・豊かな生態系が戻ってきました。

それだけではありません。

驚くことに、オオカミは川の形まで変えてしまったのです!

鹿たちに食尽された谷間の植物たちが再び生い茂り始めたことにより、土壌の浸食を抑えることにつながった。

曲がりくねっていた川は緩やかな蛇行流となり、浅瀬ができるようになった。

川岸はより安定し、崩れることも少なくなった。

そして、川は本来の強さを取り戻した!

ほんの小さなオオカミの群れが、生態系だけでなく、巨大な土地の自然地理学さえ変える力を持っていた!

 

タイトルには「ほんの少数のオオカミの群れが自然に奇跡をもたらすまで」と書かれていますが、

この映像を見た友人は、メールにこう書いています。

自然の中の美しいバランス、そこに生きる無数の生き物が、

それこそ「自然に」つくりあげる実例を見せつけられました。

自然から言わせれば、「奇跡」ではなく、

「これが私たちの自然な営みなんだよ」ということなのでしょう。

 

全く同感です。

まさに自ずから成り立っていく、あるがままの世界、自然界。

それを破壊し続けている私たちは、最も愚かで凶暴な、地上の侵略者。

 

ビーバーが造るダムは、いろんな生きものの住処になるけれど、

人間が造るダムは、生きものの住処を奪うものとなり、

川は、死の川となる・・・

 

オオカミの眼差しに身の縮む思いです。。。

 

無垢なるものを壊すな

田中優さんのメルマガに登録しました。

つい最近のNo.470の記事にこんなことが書かれていました。

 

無垢なるもの、穢れなきものを人間が壊してしまっている。

福ちゃんは、それが残念で仕方ないのだ。   

科学的に言えば、これは上流のダムや堰で水を止めてしまうせいだろう。

水は流れていなければ腐る。腐るというのは微生物が大量に発生することだ。

その微生物は瀬(流れの早い浅いところ)では暮らせないが、

少しでも水が緩やかになればそこに棲みつく。それが石のぬめりを作るのだろう。

今よりたくさんの人が住んでいても、かつての川は無垢なる流れを続けていたのだ。

 

無垢なるものを壊すな、これが優さんの願いです。

とても素敵なメッセージだったので、全文を転載させて頂きます。

あ、心配ご無用。

優さんのメルマガは「転送転載、大歓迎」なのです。

心の広〜い方なのです。

 

                優さんメルマガ 第470号  2015.9.28発行

 

『原点ってなんだろう?』   

   

■生き物の居場所   

 

ふと思った。ぼくの活動の動機は何なのだろうと。

 

理不尽なことがまかり通るのは許せない。そうした正義感はある。でもそれは正義感で

あって環境を守ろうとする活動の動機とは直接つながらない。    

 

なんでなのか、考えていくと自分の過去に遡っていく感じがする。ほんの幼い頃に味わ

った、不思議な匂いのする記憶だ。春先の森の中、なんだかうずうずするような匂い…

夏の森の甘ったるい匂いアゲハチョウの幼虫の発するいやな匂い…。それらが混然一体

となった記憶だ。   

 

ぼくはそこに生命を感じていた。だから自分が弱ってしまった時には森や川、山に入る

ことで自分の生命力を回復していた。

 

 

そこにいれば自分があるがままにいられる気がした。何が起ころうと自分はたった一つ

の生命に過ぎないし、だから自分のままで生きればいいと。観光地の写真になったよう

な風景は嫌いだ。看板通りで自由のない場所には生命を感じられないからかもしれない。

 

 

それとは逆に、誰も目を向けない風景に美しさを感じる。特に生き物たちの視点に立つ

と、その小さな場所に永遠を感じるほどの豊かさが見える。川の瀬と淵にはそれぞれ異

なった魚が集まり、石の下には小さなざざ虫たちが棲んでいる。森の木々は光を奪い合

い、より強い光を求めたり、弱い光に順応したりする。    

 

 

あるとき大人たちの釣りにつきあって川に行った。大人たちはちっとも釣れず、その日

最大の魚を採ったのはぼくの網だった。 「この子は魚の居場所がわかるんだな」と言わ

れた。当たり前のことなのに。

 

 

■色とりどりの石    

 

ぼくの生命は自然の一部だ。そう感じるから静かでいられる。   

 

それなのにその自然を壊そうとする人たちがたくさんいることがよくわからない。

大きくなってやっとおカネのためなのだと知った。

でも未だに自分の足元を掘り崩してしまうような行為を繰り返して平然としていられる

理由がわからない。もしかしたらそうした人たちは、自然の一部という感覚を持たない

のかもしれないなとは思う。    

 

 

でもなんでそうした人たちは生き続けられるのだろう。

意味のない生命になってしまうと危惧するのだ。     

 

 

今年も出かけた岐阜の板取川上流の川浦(かおれ)渓谷で、友人の福ちゃんが沢登りの

途中で言った。  

 

 

「キャンプ場のあるあたりだと、石はみんな苔がついてしまって茶色しとるやろ。

昔はこの沢みたいにみんな色とりどりで、

その中の白い石を拾って淵(深くなっているところ)に投げて、

潜水して拾って競ったんや。そうやって泳ぎを覚えたんや。

ここの石は全部色とりどりだけど、これが下流までずっとそうだったんや」    

 

 

その言葉は気持ちに突き刺さるようだった。無垢なるもの、穢れなきものを人間が壊し

てしまっている。福ちゃんは、それが残念で仕方ないのだ。   

 

科学的に言えば、これは上流のダムや堰で水を止めてしまうせいだろう。水は流れてい

なければ腐る。腐るというのは微生物が大量に発生することだ。その微生物は瀬(流れ

の早い浅いところ)では暮らせないが、少しでも水が緩やかになればそこに棲みつく。

それが石のぬめりを作るのだろう。今よりたくさんの人が住んでいても、かつての川は

無垢なる流れを続けていたのだ。

 

 

 

■無垢なるものを壊すな    

 

 

ぼくが活動する原点はここにあるのだと思う。無垢なるものを汚したり壊したりするの

が嫌なのだ。そうだとすると、この感触を味わったことのある人でなければ、この破壊

を止めようとはしないだろう。それに慄然とする。     

 

 

もう手遅れかもしれないからだ。

無垢なるものに対する畏敬の念がなければ、自分の生命が自然と一体化する感触がなけ

れば、自然はただのでくのぼうで、邪魔者に過ぎなくなってしまうかもしれない。そこ

に生きている生物たちの側から見なければ、全体でひとつになる生態系の美しさは知る

ことができない。   

 

「この子は魚の居場所がわかるんだな」と言った大人たちは、もしかしたら知らないの

かもしれない。生命がびっしり詰まった曼荼羅のようなこの世界を。

 

 

経済なんて意味がない。ましてカネなんか使い方次第で悪の根源になる。どんなにカネ

が儲かろうが、経済的利益があろうが、人間には壊してはいけないものがある。

 

ぼくにとって自然エネルギーの進展や省エネ技術の発展に期待する理由は、その問題を

解決できる方法のひとつだからだ。ぼくらがもう一度慎ましく生きれば、かつてたくさ

んの人が住んでいた地域なのに川も山も壊さずに生きられた時代に戻れるかもしれない。    

 

 

板取の山は一見豊かに見えるが、奥地以外の森は一度は壊された森で、戦後の拡大造林

計画で植林されたものばかりだ。植林以前をイメージしてみると、森はひどく破壊され

ていた時期があることがわかる。   

 

その証拠に森の中のマツが枯れ始めている。マツは火山噴火のあとのような荒れ地に真っ

先に生えてくる。そして豊かな土になって他の木が育つようになると枯れていくのだ。

そのマツの寿命は長くないし、育ち具合から見ても百年と経たないように見えるから、

その時期に荒れ地になった時期があったのだと思う。    

 

 

それは二つのことを教えてくれる。  

 

ひとつは敗戦からわずか70年で森はかなり回復するということだ。それなら今からでも

自然を回復させることはできるかもしれない。   

 

そしてもうひとつは、資源浪費の最たるものこそが戦争だったということだ。

戦時中にはマツからヤニを採取して、飛行機の燃料にしようとした時期すらあった。

実際には成功しなかったようだが、各地のマツにはマツヤニが採取された跡が残されて

いる。 

 

戦争は人にとって有害なだけでないのだ。 生命そのものを支える自然を、これ以上壊

さないでほしい。

 

この思いがぼくの原点にある。原点に忠実に生きたいと思う。    

それがぼくが生かされている理由でもあると思うからだ。

 

 

優さんが私たちを応援して下さる理由がわかりますね!

とってもわかりやすい「ダムはムダ」論

あの田中優さんが、Facebookで、石木ダムのことを大きく取り上げてくださいました!

https://www.facebook.com/tanakayupage/posts/935152703208050

「石木ダム・現地の人たちからSOS!」の見出しで、

先日の強制収用をしようとしている長崎県・石木ダム、現地の人たちからのSOSがあります。

ごめんなさい、出かけられなくて。

下の「石木川まもりたい」のブログに、不必要な理由が示されています。

と書かれ、私たちが発信している現地案内チラシも貼付されていました。

びっくりするやら、嬉しいやら・・・で、

どうして?どうして?と情報通の友人たちにメールすると、

「優さんはダムのこと詳しいのよ、しかもお話がすごくわかりやすくて・・」

と紹介してくれたのが、こちらの動画。

www.youtube.com/watch?v=5F09Zg9oKGQ

 

「ダムはムダ」編 未来バンク事業組合理事長 田中 優 氏ダイジェスト版

 

ほんとにわかりやすい、これまでダムに関心の無かった人にはきっと目から鱗のお話だと思います。

皆さん、ぜひ拡散して、たくさんの人に知ってもらえるよう、ご協力をお願いします! 

 

*田中優さんを知らない方のために、Wikipediaから抜粋。

田中 優(たなか ゆう、1957年- )は反原発の立場で活動を続ける文筆家。主な肩書きとして未来バンク事業組合理事長、天然住宅バンク理事長、非営利組織「ap bank」監事、一般社団天然住宅共同代表。その他、日本国際ボランティアセンター理事、足元から地球温暖化を考える市民ネット理事等、肩書き多数。 坂本龍一や桜井和寿ら、環境問題に取り組む音楽家との交流も多い。 立教大学大学院非常勤講師、和光大学非常勤講師。

1957年東京生まれ。長年、反原発運動に関わり、多数の著書を出版。その論ずる範囲は原発問題に留まらず、平和運動にも深く関わっている。例えば、『どうして郵貯がいけないの』では、「郵政民営化以前の郵便貯金に集められた資金が、回り回ってアメリカの軍事費に利用されている」という主張を行った。『非戦』(音楽家・坂本龍一との共著)では、同時多発テロを受けてブッシュ大統領(当時)の強硬政策を批判した。また、映画『ZERO:9/11の虚構』(陰謀論との批判もある作品)への寄稿を行ったこともある。
近年では六ヶ所村核燃料再処理施設の稼働反対運動に注力しており、各地で講演を行っている。

 

「ながさきたより」12月号の石木ダム特集に物申す!

「ながさきたより」12月号に掲載された記事をご紹介します。

6ページにわたるカラー刷りで「マナビさん」と「ハカセくん」がQ&A式で、わかりやすく説明しています。

まず石木ダムの概要が書かれています。

80%以上の地権者が同意して出て行ったんだよー、残り2割の住民のために進められないんだ!

と言いたいようですが、

事業着手から40年もの間、なぜ事業が進まなかったのか?

なぜ40年もの間、残り2割の人は反対を続けているのか?

そのことが何も書かれていません。

そして、40年間ダムがなくても私たちは普通に過ごしてきました。

 

「現在おこなっている河川の改修が終われば、戦後最大の雨には対応できる」と県も認めています。

でも、それだけでは心配だから「100年に1度の大雨に対応できるように石木ダムを造らねば」と言いますが、

石木川と合流地点より上流の川棚川流域では30年に1度の大雨に対応できる計画のままなんですよ。

同じ川棚町民なのに、おかしいですね、この差別。というより、

石木ダムの目的を産み出すために、わざとこのような差別的な計画をしているのでは?と勘ぐってしまいます。

 

危機管理は確かに大切です。

でも、自然の威力は人間の浅知恵をはるかに超えるものです。

100年に1回の大雨に対応できるダムを造っても、200年に1回の大雨が降れば、石木ダムでは対応できません。

同じ100年に1回の雨でも、石木川流域ではなく川棚川本流の上流に降れば、石木ダムは役に立ちません。

近年の豪雨はまさにピンポイントで、どこに降るかわかりません。

ダムができてから水害がひどくなったという話はよく聞きます。

想定以上の雨が降れば、溜まっているダム湖の水を放流しますから、一気にどっと流れ出ます。

それは、ダムがないときの徐々に流量が増えていく時の場合とはまるで違う勢いです。

しかも、ダム湖に溜まっていたヘドロのような泥も一緒に流れ出ますから、被害は甚大です。

いま話題の日本初のダム撤去、荒瀬ダムの場合、そんな水害被害が大きな要因になっているのです。

 

これが不思議なんですねー。

ダムの2倍ものコストがかかるなんて!

河川工学の専門家(今本博健 京都大学名誉教授)は、河道掘削なら石木ダムよりはるかに少ない経費ですむ、

と断言しています。

県が示した案では、掘削は1.2mで経費は161億円でしたが、

今本先生は「掘削は0.5m程度で大丈夫、パラペットを併用すればもっと少なくてすむ」とおっしゃいます。

そして、ある興味深い記事を教えてくださいました。

それは、2001年7月25日の日経 BPネットで、中部ダムを中止した片山善博鳥取県知事の話を報じたものです。

1999年4月に就任した片山善博知事が治水、利水両面で効果が期待できないとして中部ダム建設の中止を決断した。計画を精査した結果、下流域の自治体に水需要がなくなっていたうえ、治水に関しても河川改修の方がダム建設よりもはるかに安い費用で実現できることが分かったためだ。
これまで県は「ダム建設の方が費用は安い」と強調していたが、実際には河川改修費用を過大に見積もったうえ、ダム建設費用を100億円近く少なく説明していた。片山知事が「今ならば間違った説明をしたことに関して責任を追及しないが、将来、嘘が明らかになれば責任を問う」と担当職員に迫ったところ、こうした事実を認めた。

う〜ん、こんな現実がいたるところであるのでしょうね〜

石木ダムもその1つです。

 

そして利水に関しては

こんな表を使って「ほぼ2年に1度は渇水の危機!」と市民の不安を煽っています。

どうして過去39年間という変な振り返り方をするのでしょうか?

平成になってからの25年間(4半世紀)とか、過去20年間とか、キリのいい検証をしないのでしょうか?

それは、かつての渇水被害の多かった時代のデータを取り込むためです。

時代は変わり、人口減少と節水機器の普及に伴い近年ではほとんど渇水危機は訪れていません。

平成6年の大渇水から、断水は一度もありません。

平成17年と19年に減圧給水をやっていますが、市民生活への影響はほとんどありませんでした。

「渇水警戒」と言っても、どの時点で警戒するかは主観的なものです。

ダムの貯水率が80%を切ると大騒ぎする佐世保市水道局は、少し日照りが続くとすぐに警戒態勢に入ります。

平成6年の大渇水がよほどこたえて、羹に懲りて膾を吹く状態に陥っているのか、

はたまたこちらも石木ダムの必要性作りのためなのか…

 

問題はこちら!

現在不安定な水源が、0〜28,500㎥あると書かれていますが、0の日なんてありません。

平成19年の減圧給水したときも、この不安定水源と呼ばれる水を平均で21,000㎥取水していました。

最低でも15,000㎥ほど取っていました。

ということは、安定水源と合わせると、92,000〜98,000㎥あるってことですよね!

さて、それでは現在、佐世保地区ではどれだけ水が使われているかと言うと…、

平均で、71,085㎥/日

最大で、79,930㎥/日

なのです。これは昨年度、つまり2013年度の実績です。水道局から得たデータです。

どうですか?これでも足りないと言うのでしょうか?

そりゃあ何でも多いに越したことはないでしょう。

水でも電気でもお金でも・・

でも欲を言えばキリがない、限られた資源は大切に皆で分かち合っていくべきですよね。

 

ここでも大事な情報が隠されています。

佐世保市の隣、佐々町を流れる佐々川の水利権も実は一日5,000㎥持っています。

ただし、それは渇水で水不足になったときに佐々川から菰田ダムに導水してもよいという権利なのですが、

それが全く使われていません。

ということは?

そう、それほど水に困っていないということです。

他にも佐世保市内には大きな溜池がたくさんあって、長崎県内でもダントツの1位です。

この中のいくつかの溜池の管理者とも、渇水の時は緊急に使わせてくださいとの約束を交わしていますが、

こちらも、一度も実行されたことはありません。

やっぱり、それほどの水不足ではないということになります。

それなのに、

 「石木ダムの建設はなくてはならないもの」と結論づけるのは、どう考えても納得ができません。

これは、地元地権者の皆さんが一番強く感じているところです。

必要のないと思われるダムのために、どうしてもふる里を明け渡す気にはなれないのです。

だから納得のいく説明をしてくれと、何度も頼んでいるのに、

知事や佐世保市長がそれに応じたのはたった1回だけ、あとは部下任せ。

その部下(土木部長や水道局長)たちも、夏以降、話し合いには応じません。

 

なのに、「これからも、地権者の皆さんのご理解を得るため…最大限の努力を続けていきます」と結んでいます。

地権者の理解を得るための最大限の努力をする気があるなら、まず知事が出てきて、地権者と対話すべきです。

それ以外のどんな努力があると言うのでしょう。

知事が話したいのは「生活再建のための説明」であり、それは地権者がダム建設を納得してからの話です!

 

私たちの税金を使って、こんな手前勝手な記事を載せないでほしい! 

そんなに石木ダムの必要性を県民に訴えたいのなら、公開討論会に応じてください。

私たちは何度も要望してきました。

そのたびに、もう国の結論が出ている、その話をする段階は過ぎたと突っぱねたではありませんか。

それなのに、私たちが反論できないところで、都合のいい説明をして県民世論を納得させようなんて…

とてもフェアとはいえませんね。

よほど県は自信がないのでしょうか?  

 

兵庫県も導入 田んぼダム

一年以上前ですが、新潟県が「田んぼダム」に取り組んでいるという記事を紹介しました。

http://ishikigawa.jp/blog/cat11/542/

 

「田んぼダム」とは、大雨が降った時、田んぼに雨を溜めて、周囲への洪水被害を防ぐor軽減するシステムのこと。

自然破壊をもたらす巨大なコンクリートのダムとは異なる自然に優しいダムですが、

農家にとってはどうなのか、稲作にとってはどうなのか、研究・実践が進められています。

 

昨日、水源連のMLに、兵庫県も田んぼダムの導入を始めたという記事が紹介されましたので、転載します。



「田んぼダム」で豪雨被害減 県、本格導入

(読売新聞兵庫版 2014年04月16日) http://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20140415-OYTNT50404.html


大雨による洪水被害を減らそうと、県は今年度から、水田の保水機能を活用した「田んぼダム」事業を本格導入する。事業に取り組む集落約20か所を募集し、排水量を調整する木板を無償で配布する。

従来、治水事業は「雨水を河川に集めて早く流すこと」を基本にしていたが、局地的豪雨の浸水被害が拡大したため、県は2012年4月に総合治水条例を施行。雨水を地下に浸透させる工夫や、浸水時の被害軽減策にも乗り出した。

その一環として、水田の雨水をためる機能に着目。容量いっぱいまで水を蓄えることで雨水の河川への流入を遅らせ、下流部の洪水被害を減らすことができるようにする。

昨年度、赤穂市と佐用町で行った実証実験では、大雨時の排水路の水位が以前より約20センチ低下する効果を確認。県内の全ての水田で高さ10センチの雨水をためた場合、約4300万トンを貯留できるという。

今回の募集対象は、集落や水利組合単位で合意形成が図られており、稲刈り後のアンケートに協力できることが条件。排水量を調整するために、田んぼの落水口に設置する木板(必要枚数分と予備5枚)と、啓発用ののぼりを無償配布。田植え後から10月末まで設置してもらう。

県の土地改良センターなどで受け付ける。締め切りは今月30日。

問い合わせは県農地整備課農村計画班(代表078・341・7711)へ。

 

昨年度の実証実験で、効果が確認できたという。

こういう事例を他県も学んで研究し、各地で取り組みが広がればいいな〜

 

諫早湾開門不履行 抗議集会

昨日、12月21日、私たち石木ダムに反対する市民も、この集会に参加しました。

 

公共事業というのは公共の利益を生むはずのものなのに、

それどころか、海の生態系を破壊し、大きな漁業被害を与え続け、漁民を苦しめ続けている

公共に大きな害をもたらした諫早湾干拓事業。

有明海の再生には、開門しかない。

ということで、3年前の福岡高裁判決が確定し、国は2013年12月20日までに開門するよう

命じられたのに、その約束を破ってしまった。

謝罪もしない。

いついつまでに開門するとも言わない。

前代未聞の事態に、弁護団や漁民だけでなく、多くの市民が抗議の声をあげました。

詳細はこちらをご覧ください。

 

石木ダム建設絶対反対同盟の岩下さんも連帯のスピーチをされました。

中村知事は、私たちが話し合いに応じないから事業認定の手続きをしたと言いながら、

自分は諫早湾開門が前提の話し合いに応じて来なかった。

矛盾した知事の対応は許せない。

諫早湾開門の皆さんと共に、知事と闘っていきたい。

 

海の恵みを知る人たちと、川の恵みを知る人たちが手を繋げば、

きっと大きな力になるでしょう。

 

そして、私たち市民県民も当事者だってことを忘れないようにしなくっちゃ…ね。

イサカンと石木ダムに費やされる莫大な費用は、

国の補助金にしろ県の予算にしろ、私たちの税金ですから。

 

今現在の国の借金(日本政府の抱える国および地方の債務残高)は、

総額1267兆にまで膨らみ、一人当たり993万円という信じられない赤字財政の中で、

これ以上無駄な借金背負いたくないし、

もっと必要なこと(医療や教育や福祉)のために使ってほしいですよね〜

 

ダム周辺地域の荒廃〜水資源白書

国土交通省自身が認めたダム周辺の荒廃ぶり・・・

ダムで地域活性化ができるなんて話は、やっぱり信じちゃダメですね〜

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201307/2013073100770

 

ダム周辺の人口減少=山林荒廃、土砂崩れ増加も−水資源白書

 

 国土交通省は31日、2013年版「日本の水資源」(水資源白書)を公表した。

白書は、ダムの周辺地域の人口が減少していることを紹介。今後、管理の行き届かない

山林が荒れ、山の地盤が緩くなり、土砂崩れや水質汚濁の増加につながると警鐘を鳴ら

している。

 白書によると05年から10年にかけて、牧尾ダムのある長野県王滝村は人口が約14

%減少し、湯西川ダムのある栃木県日光市は約5%減少した。国交省はこれまで、ダム

周辺地域の活性化を目指し観光資源や特産品のPRを支援してきたが、これらの地域で

は人口減少に歯止めがかかっていない現状が浮き彫りになった。(2013/07/31-17:16)

 


よくぞ認めてくださった!

その通り。

ダムが観光資源になるなんて、過去のこと、あるいは特別なケース。

黒部ダムのような。

 

4年前のGW、県内のダムを見て回ったことがあるのですが、

いや〜、元親水公園のほとんどは、みごとなほど草ぼうぼうに荒れ果てていました。

http://www1.bbiq.jp/ishikigawa/dam-shuhen.html

 

川棚町の道路脇に、石木ダムで地域を活性化しよう!みたいな意味の標語が

掲げてありますが、

町民の皆さんは、本気でそう思っておられるのでしょうか・・・

 

新水道ビジョンが目指すもの

厚生労働省は3月29日、「新水道ビジョン」を発表しました。
 
 
 
そこには、このように書かれています。
 
 
第1章 はじめに
 
平成25年現在、水道をとりまく状況は、水道ビジョンを公表した9年前や改訂した5年前とは大きく変化しました。
その一つが、日本の総人口の減少です。
統計データによると、日本の総人口は平成22年頃、1億2806万人を最大値として、以後、減少傾向に転じています。
現在の年齢別の人口構成や出生率の状況を踏まえると今後の人口の減少傾向は確定的であり、このことは水道にとって給水人口や給水量も減少し続けることを意味します。
 水道ビジョンの改訂までの時代は、水道は拡張を前提に様々な施策を講じてきましたが、これからは、給水人口や給水量の減少を前提に、老朽化施設の更新需要に対応するために様々な施策を講じなければならないという、水道関係者が未だ経験したことのない時代が既に到来したといえます。
 
 
人口減少については「第4章 将来の事業環境」のところでも述べられています。
 
日本の人口の推移は、少子化傾向から減少の方向を辿り、2060年には8600万人程度と推計され、3割程度減るものと見込まれています。
また、水需要動向も減少傾向と見込まれ、2060年には現在よりも4割程度減少すると推計されています。
 
 
「第5章 取り組みの目指すべき方向性」の中では、このように指摘しています。
 
水道施設の管理・運営における課題の一つに老朽化施設への対応があります。
人口や給水量が漸減しつづける一方、老朽化施設の更新需要が増大する時代には、どの施設をいつ更新するのかという計画性をもった資産管理が水道事業の経営方針に求められます。
これまで水道事業者は将来の最大給水量を見込んで施設整備を行ってきました。
今後、水道事業者は、施設の更新時に、当該施設の余剰分を廃止して規模を縮小するのか、あるいは一定の目的のために更新して保有するのかという、難しい判断を迫られることになり、事業規模を段階的に縮小する場合の水道計画論の確立が必要といえます。
 
 
そして「第6章 方策の推進要素」の中では、このように謳っているのです。
 
将来の我が国の総人口が半数程度にまで減少した時代に、水道が理想の姿をもって、地域の利用者の信頼を得て水を供給し続けるためには、これまでの右肩上がりの常識を排し、新たな事業環境に順応し適応すべく、関係者が挑戦する意識・姿勢をもって取り組みを進める必要があります。
このため、新水道ビジョンでは、これまで経験してきた様々な事故、事件等の事例を教
訓に前向きな対応で調査研究を怠らず、水道関係者の「挑戦する意識・姿勢」を重要視し、これを「挑戦」として方策の推進要素に位置付けることとします。
 
 
 
これが本気なら、厚労省の水道課自体が素晴らしい意識改革を起こしたと言えます。
 
これまでのように、安心安全を謳い文句に、ダムなどの水源開発を良しとしてきた体制から脱皮して、
 
全国の水道事業者にも勇気を持って変化を受け入れ挑戦しろと呼びかけているかのようです。
 
 
だから、佐世保市水道局の諸君、
 
かつてのように水需要が右肩上がりで増加する時代は終わったんだよ。
 
その変化を受け入れなくちゃ・・それに適応しなくちゃ・・
 
石木ダムを造ってる場合じゃないんだよ。
 
需要が減ることを前提にした新しい施策を考え、
 
実現する勇気を持って欲しい。
 
それが君たちの生き残れる道なんだよ・・
 
 
私にはそう言ってるように聞こえますが、水道局長さんにはどのように聞こえるでしょうか?
 
 
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大村湾

ここ一週間のうちに2回も西海市に出かける用があり、西海橋を渡りました。

満開の桜と針尾瀬戸の渦潮と、両方を見に来た観光客でいっぱいでした。

私も橋を渡りながら車中から見下ろすと、たくさんの渦ができ、潮の流れはかなり激しいものでした。

でも・・・その流れが激しいのは、こんなに狭い場所だからです。

これが大村湾の衛生写真です。(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E6%B9%BE

まるで湖のようです。

が、上の方に1箇所、隣の佐世保湾と繋がった隙間が見えるでしょ?

ここが針尾瀬戸で、その上に西海橋がかかっているのです。

もう1つ、地図上部の真ん中辺りに川のように見える青い帯、これが早岐瀬戸と呼ばれるもので、

この2つの瀬戸によって、大村湾はかろうじて、海として存在しているのです。

しかし早岐瀬戸は狭いところで、幅10mほどしかありません。

まさに川のよう・・・。

 

Wikipediaによると、

繋がっている佐世保湾と比べて、干満の時間が約3時間も遅れる。

佐世保湾と同じ水位になる前に佐世保湾の水位が逆の変化を始めるため、

結果的に大村湾内は干満の差が小さくなってしまう。

佐世保湾の最大の干満差が3mほどあるのに対し、大村湾のそれは1mそこそこである。

水深は、激しい潮流によって抉られる針尾瀬戸で最深54mに達するが、平均水深は15mにすぎない。

潮の流れが緩いため、海底は細かい砂泥やヘドロが堆積し、ほとんどが砂泥底である。

湾口部の水質は悪くないが、湾奥部では排水による汚染が問題となっており、

1970年代から赤潮や貧酸素水塊が頻発するようになった。

沿岸地域の下水道の整備は始まったばかりで、環境改善が待たれる。

と書かれています。

 

本当に心配な大村湾です。

外海から大きく閉ざされたこの大村湾だからこそ、清流石木川の流れ込みが重要なのです。

石木ダムができると、新たに一日40,000トンの水が、佐世保に送水されます。

ということは、今まで大村湾に流れていた水が流れ込まなくなるということです。

その水量は、年間1,460万トンにもなります。

 

海の水の入れ替えも少なく、その上、川の水の流入まで減ってしまったら、

大村湾はどうなるのでしょう?

今でさえ瀕死の状態と言われているのに…

 

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