要らな〜い!と言われ、困ってる当別ダムの水

他人事ではありませんぞ。

 

これは、北海道のダムの話ですが、無関係と笑っていられます?

当別ダムは昨年完成したばかり。

これでやっと安定水利権が得られ、水道用水が確保できたと万々歳の写真もありますが…

http://www.town.tobetsu.hokkaido.jp/sogo/kouho/kouho_tobetsu/2012/2012_11.data/24-11-2.pdf

 

実際は、企業はダムの水なんか欲しくなかった。

だって高すぎるから。

これまで通り安価な井戸水を使いたいと、今月から供用が開始されたダムの水は未使用。

このままでは料金収入が得られないとして、小樽市と石狩市は道に補填を求めているそうな。

 

いずこも同じでしょう。

佐世保の企業だって、コストはなるべく抑えたいはず。

こんなに急にジャブジャブ水道水を使おうなんて考えるはずがありません。

でも、その有り得ないことを平気で予測するのが、ダム村の方々なのでしょう。

造船業で修繕船が増えるからとか、

佐世保テクノパーク(工業団地)には井戸水を使用している企業があり、それを水道水に変換するとか、

いま造成中の工業団地のためにあらたな需要を確保する必要があるとか、

いろんな理由をつけて、こんな有り得ない推計値をはじき出しています。

 

県や市にいくら言っても、聞く耳を持たないので、

やっぱり、水道料金を払う私たち市民が聞く耳を持つしかないのですよね〜

 

当別ダムのこの現実を、他山の石としましょう〜

 

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守り続けたい 先人が守った板取

今日、水源連のMLで、素敵な文章に出会いました。

それは関市の「青年の主張大会」でグランプリを受賞した女子中学生の文章でした。

引っ越してきて、住んでみて感じた板取という地域の素晴らしさと、学校生活の楽しさなど、

素直にありのままに綴られています。

そして、美しい板取の自然が今も残っているのは、ダム建設に反対した先人のおかげだと感謝し、

その板取を自分も守っていきたいと述べられていました。

 

この「青年の主張」を聴いた板取の皆さんは、どんなに嬉しかったことでしょう。

特にダム建設と闘ってきた先人の方々は…

想像しただけで、私の顔もほころびます。

 

板取ダムに詳しい方によると、

板取は長良川の上流部で、山の奥のそのまた奥という秘境だったそうです。

その素晴らしい自然を生活の場にしていた村民がダム計画にこぞって反対し、

白紙撤回を勝ち取ったのだそうです。

それは1982年のことでした。

同じ年に、長崎県では石木ダムに反対する住民たちが体を張って闘ったのに、

機動隊を導入しての強制測量が実施されてしまいました。。

 

でも、こちらの住民の皆さんは今も闘い続けています。

そんな皆さんに、この「青年の主張」は、大きな勇気と温かい励ましを与えてくれるでしょう。

 

 

                        「守り続けたい」

 

                                         関市立板取中学校 市川 栞

 

 私は板取中学校の2年生です。みなさんは、板取に来たことがありますか?板取は山に囲まれ、空気がとてもきれいです。川は底まで見えるくらい透明で、水が澄んでいます。板取は、自然豊かなとても素晴らしいところです。

 私は、この板取に4月に引っ越してきました。転入当初、転入生は珍しいと、いろいろな人に驚かれました。私は今までにも転校をしたことがありましたが、こんなに珍しがられたことや貴重がられたことはありません。それは、板取から出ていく人は多いが、板取へ入ってくる人が少ないからです。私たちの学年でも板取を離れていった子が何人かいたそうです。今、2年生は10人です。もちろん一クラスです。全校生徒は26人、前の愛知県の学校の一クラスの人数より少ないです。人数は少ないけど、さみしくはありません。毎日がとっても楽しいです。学校では、男子も女子もみんな仲良しです。全員がまとまって一生懸命取り組みます。体育祭では私たち2年生が優勝しました。地域では、お祭りや行事などがあり、積極的に参加しています。また、家の前には、きれいな板取川が流れています。夏には友達や家族と川で遊びました。泳いでいると、魚がいっぱい見えます。バ一ベキューや花火もしました。板取に来て1年たっていないけど、大切な仲間とたくさんの思い出ができました。

 さらに、部活のバレーを通して、自分自身が変わることができました。前の学校では、周りの子が部活に行かないと、自分も行かなくてもいいやと思うことがありました。でも、今は自分がやらなくてはいけません。なぜなら、バレー部はぎりぎり6人だから責任重大です。バレーは、板取に来て初めてやりました。最初はまっすぐボールが飛ばないし、思うように体が動かなくて落ち込むこともありましたが、仲間が私のミスをカバーしてくれたり、的確にアドバイスをしてくれたりして支えてくれました。そんな仲間に応えるために、私は家で筋トレをして自分なりに努力をしました。すると、サーブが入るようになり、得点につながるプレーができるようになってきました。以前は楽な方へと人に流されてしまっていた自分が、今は苦しいことでも挑戦し、頑張ることができる自分になれたのです。板取に来て本当に良かったと思います。この板取は、私にとってかけがえのないふるさととなりました。

 しかし、さみしいと思うことがあります。総合の学習で、林業の衰退とともに板取の人口が減っていることや、少子高齢化が進んでいることが分かりました。しかも、若い人は働きに出ていってしまって少なくなっています。このままだと、人口がどんどん減少して、板取がなくなってしまうかもしれません。
 授業で、地域の方から、以前にもダム建設によって板取がなくなるかもしれないという危機があったと聞きました。実際にダム建設によってなくなった村があるそうです。私は板取がなくなってしまうのは絶対嫌だと思いました。板取にはダム反対の看板が残っています。その写素を見て、先人がずっと守り続けてきたからこそ今の板取があることが分かりました。
 では、人口減少を止めるためにどうしたらいいのでしょう。授業で話し合った時、板取に働く場所をつくることが必要だということがあがりました。あじさいまつりなど、板取の自然を生かした観光で地域を盛り上げていこうと地域の方も頑張っています。わたしも自分ができることで板取を支え、ここで暮らしたいと思いました。

 私は、職場体験学習でデイサービスセンターに行きました。最初は緊張してお年寄りとしゃべることができなかったけど、お年寄りの方から話してくれてとてもうれしかったです。ゲームや折り紙などを一緒にやって、笑顔いっぱいなお年寄りを見ると、わたしもうれしくなりました。お年寄りはできないことが多いけど、周りの人がサポートすれば生き生きと生活することができます云高齢化が進む板取ですが、私は介護士になって、お年寄りの役に立ちたいと思いました。そして、大好きなふるさと板取を守っていきたいと思います。

沙流川水害訴訟と平取ダム検証結果

毎日新聞北海道版 2012年10月06日によると、沙流川水害訴訟で国の敗訴が確定したそうです。

 

2003年の台風10号による豪雨災害を巡り、

札幌高裁が国の責任を認め、約3190万円を住民側に支払いを命じた沙流川水害訴訟について、

羽田雄一郎・国土交通相が5日、上告をしない意向を明らかにしたからです。

2003年8月10日、日高町の沙流川にある二風谷ダムが大雨で決壊しそうになったため、

道開発局がダムの水を放流したところ、下流の支流で逆流が起き、

約55ヘクタールが冠水し、床上浸水などの被害が出ました。

原告弁護団の市川守弘弁護士は

「9年間も待たせず、被害が発生してすぐに賠償すべきだった。

ダムが凶器になることは明らかで、国の対応は住民よりダム政策を優先させたもの

と批判しました。

 

国の上告断念を受け、

原告の一人、日高町の農業、矢野静雄さん(74)は

「長かったが国が誤りという判断が出てうれしい。国は国民の安全を守ることを第一に治水をして」

と語り、

小野有五・北大名誉教授(環境科学)は

「国は二風谷ダムを利水ダムとして造りながら治水にも利用。

治水用なら空にしておかなければならないのに、多目的に使ったため限界水位に達するのが早かった。

国はダム政策を見直す必要がある」と話しました。

 

原告弁護団は

「判決は、住民の安全を軽視した国の河川行政のあり方そのものに警鐘を鳴らすもの。

国はダムに依存しない治水政策への転換を」との声明を発表しました。

 

それなのに…

その同じ沙流川に、平取ダムの建設計画があり、

その検証結果が数日前に継続と決まり、まもなく有識者会議に報告されるようです。

 

同じ沙流川に1996年に完成した二風谷ダムは16年しかたっていないのに、

すでに総貯水容量の約45%が堆砂で埋まっています

その沙流川にもう一つダムを造るなんて、日本の河川行政は狂っています

と、水源連の嶋津さん。

 

反対する市民も、

泥水で死んだ川をつくり、堆砂に拍車をかける

世界遺産に匹敵する文化的景観とアイヌ民族伝統の祈りの場などを水没させてはならない

 

この声に耳を傾ける河川官僚はいないのでしょうか・・・

荒瀬ダム撤去開始!

現地の皆さんが待ちに待った荒瀬ダムの撤去が、いよいよ始まりました。

住民の方々はきっとワクワク、ドキドキでしょう。

なにしろ、日本発のダム撤去ですから。

嬉しい半面、何が起こるかわからない…そんな不安もあるでしょう。

でも、とにかく清流球磨川の復活を期待して、皆さん、万歳三唱なさったそうです。

 

毎日新聞の記事を貼り付けます。

http://mainichi.jp/select/news/20120901k0000e040167000c.html

 

荒瀬ダム:熊本で撤去工事始まる

毎日新聞 2012年09月01日 10時55分(最終更新 09月01日 12時01分)

 河川法で定義されたダム(高さ15メートル以上)では全国初となる熊本県営荒瀬ダム(同県八代市)の撤去工事が1日始まった。18年3月まで6年かけて撤去する。事業費は約88億円で、うち19億円の国負担を見込む。県はダムがある球磨川の清流復活を目指し、上下流9地点を中心に環境モニタリング調査も行う。

 撤去は、ダム湖にヘドロがたまり、悪臭などの環境が悪化したため地元が要請した。作業は1日午前8時、地域の生活道路でもあったダム管理橋の封鎖で始まった。施工業者の現場責任者の合図で、作業員が鉄パイプの柵を管理橋の両端に並べた。当面は資材置き場の整備など本格着工に備えた準備工事が続く。

 現場には清流復活を求め、長年ダム撤去を要望してきた地元住民らも訪れた。02年、合併前の旧坂本村議会に地元の請願を提出した元村議、元村順宣(よしのぶ)さん(75)は管理橋の欄干に酒をかけて別れを告げた。「発電用ダムとして県の発展に寄与してくれたのも事実。ありがとうと伝えた。工事が無事終わって昔の美しい川が戻ったらうれしい」と話した。【取違剛】

 

1954年に完成した荒瀬ダム。

総工事費は26.5億円。(http://kawabegawa.jp/tr/arase/gakusyuukai-arasekeii1.pdf

発電用として建設され、当時は経済成長に必要なダムだったのでしょう。

が、自然破壊のデメリットはあまりにも大きく、年々住民を苦しめるようになったようです。

水質悪化で、アユなどの魚がとれなくなり、観光客は激減、

大雨が降ると、以前よりも水害はひどくなり、

近年はダム湖に堆積したヘドロの悪臭に悩まされ…

村も村民も県に撤去を求め、

10年前に当時の瀬谷義子知事が撤去を決めたのでした。

蒲島知事になって様々な紆余曲折がありましたが、ようやく実現。

 

それにしても…

建設に要したのは26.5億円で撤去には88億円もかかるという意外な事実。

 

長崎県も他人事ではありません。よくよく考えて欲しい。

石木ダムも建設するときの事業費は、

県負担分の半分を国交省から、佐世保市負担分の3分の1を厚労省から補助してもらえるでしょうが、

撤去の時は国はアテにできないようですよ。

荒瀬ダムのように、造るときの3倍以上の費用がかかるとすると、

285億円の3倍以上だから…約900億円!?

そんなお金を国に頼らず、県や佐世保市だけで用意できるのでしょうか?

まあ、知事も市長もその頃はもうご存命ではないでしょうから、知ったこっちゃないとお思いでしょうが、

50年後100年後に、その処理をさせられる知事や県民のことを考えてください。

私たち県民市民も、ツケを未来に残すやり方は、そろそろ考え直しましょう。

そんな政治家に1票を投じるのは、そろそろ止めましょう。

 

荒瀬ダムと球磨川

荒瀬ダム撤去記念イベント“荒瀬で遊ぼう”当日。

前日に続きいい天気!

土手の上の桜も満開!

人々は何を見ているのでしょう?

河原でもみんな何かを見つめています。

その視線の先にあるものは…

カヌーレース?

いえいえ、河童レースです。

川面に浮かぶ黄色の小さな点々が見えますか?

あれは河童の人形。

これです。

河童レースのチケットを買うと、そこには番号が印字されていて、

この河童ちゃんたちの足の裏にも番号が貼ってあります。

ゴールインした順番にその番号が記録され、午後からの表彰式で発表。

たくさんの賞品が用意されていました。

河原には、こんな河童さんもいて、子どもたちの人気者。

会場の一角に展示された作品もお見事でした。

 

たくさんの河童たちが、ありがとう!と言ってます。

「荒瀬ダム」ではなく「荒瀬無駄」撤去工事が始まるのを歓迎しています。

一体一体、形も表情も違う河童たち…すごい!可愛い!面白い!

式典が終わると、昨夜に続いて、今日もあちこちから美味しそうな匂いが…

 

河童レース終了後、夫と私は車で上流へ向かいました。

初めて見る球磨川をもっと知りたくて…。

やはり、上流の球磨川は青かった!

それにしても大きいなぁ。佐世保の川とは大違い。

運良く、橋を渡るSLにも遭遇!

流域にはたくさんの桜が、春を謳歌するように咲いていました。

この辺は流れが速いな〜と思っていたら、急流下りの船がやってきました。

乗ってみたかったけど時間がなくて・・・残念!

 

急いで会場に戻り、熊本名物の「だご汁」の昼食を食べ、いよいよエコツアーに出発。

「自然観察くまもと」の皆さんのご案内で、瀬戸石ダムから球磨川を下って行きました。

 

これが瀬戸石ダム。

荒瀬ダムの上流7kmほどのところにあるダムで、やはり水力発電用のダムです。

魚がのぼりやすい魚道が整備されていると

「ダム便覧」には書かれていますが、

この魚道が親アユの降下を阻害していると

専門家は指摘しています。

 

 

 

こちらは荒瀬ダム。

ゲートは昨年から全開。水の色が瀬戸石ダムとは全然違います。

 

荒瀬ダムの魚道はこちら。

つづら折りのなんとも長い道のりです。

これらのダムができてから、アユが激減、当然釣り客も激減しました。

ダムができると観光客が増えますよ〜との説明を真に受け、

保証金でりっぱな旅館を建てたけれど、実際は真逆。

旅館業は成り立たず、ただの住居になってしまったというお宅です。

 

しばらく下流に向かうと見えてきたのが「遥拝堰」(ようはいぜき)

歴史のあるりっぱな堰ですが、高橋先生によると、ここの魚道は最悪だそうです。

魚が魚道に辿り着けない無意味な魚道だとか。

漁協の人もそう言ってました。

 

こちらは、さらにその下流にある「球磨川堰」

ここの魚道にはアユがたくさん遡上していました。

 

上段の右側黒い部分はアユの稚魚の群れです。

この稚魚をネットの中に誘導し、掬いあげ…

車に乗せて、球磨川上流へ放流するんだそうです。

詳しい作業の様子と、アユたちのその後については、こちらのサイトをご覧ください。

http://kumagawa-yatusirokai.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/1-1ebc.html

 

そういう努力の結果、なんとか今でも球磨川でアユ釣りができるのでしょうが…

でも、それでいいのでしょうか?

稚アユたちは、苦労せずに(楽しまずに)川の上流に辿り着いていいのでしょうか?

人間によって運ばれたり、孵化させられたり、そうして生きているアユが

「天然アユ」なのです。

 

高橋先生がおっしゃっていた「野生のアユ」の意味がやっと理解できました。

 

かつての美しい流れの中で、生まれ育ち、川と海を自力で行き来する…

そんな日が訪れたら、アユたちはどんなに幸せでしょう。

それはまた、人間の幸せにも繋がると思うのですが…

 

荒瀬ダム撤去〜前夜祭〜

荒瀬ダムは、発電目的で熊本県八代市(旧坂本村)に造られたダムです。

1953年着工1955年竣工。
1年半ほどで完成したのに、撤去にはなんと6年もかかるそうです!

また総工費は26億円だったのに、撤去費は90億円だとか!?

それほどの費用をかけてもダム撤去が決まったのは、

水質汚濁、アユなど漁獲量の激減、悪臭、甚大な水害などなど、住民にとって耐えられない邪魔な存在になってしまったからです。

ダム撤去が決まった昨年からゲートは全開。

いまではこんなにきれいな水が流れていますが、以前は臭くて淀んだ水だったそうです。

 

さて、この日本初のダム撤去を記念して、3月31日と4月1日の2日間にわたってイベントが開催されたので参加してきました。

 

まず参加したのは、講演会「球磨川とアユの再生を考える」

河川生物調査事務所代表の高橋勇夫先生は、高知県奈半利川における天然アユ再生の事例を紹介しながら球磨川の場合の可能性や問題点について、わかりやすく話して下さったはずですが、球磨川についても、魚や釣りについて何の知識もない私には理解できないことも多々あり…。

それでも唯一分かったのは、ダムがいかにアユの生育を阻害しているか、でした。

ダムができたことによって、直後から半分は減少します。

川が分断され、水の流れが減少するからです。

その後、ダムの影響で河床が劣化したり水温が変化したりすることによって、さらに減少します。

魚道の問題も大きいようです。

 

参加者からは多くの質問が出され、真剣さや熱意が伝わってきました。

清流球磨川の恵みを受けて、漁業や釣り客相手の仕事を生業として生活してきた住民にとっては当然のことでしょう。

なんとかアユを球磨川にとりもどしたいという思いがひしひしと感じられました。

この強い思いが知事や国を動かしたのですね…

 

さて、夕方からは、「道の駅 坂本」横の河原で前夜祭です。

撤去を勝ち取った人々の顔には笑顔があふれていました。

こちらは元坂本村の村長さん。

村長さんも村議会も全会一致で荒瀬ダム撤去を可決し、住民と共に力を合わせてこられたんですね。

話を聴きながら女性たちが作っているのは今夜のご馳走。

シシ汁に、里芋・トーフ・こんにゃくの田楽、鹿の刺し身、などなどごちそうがいっぱい。

もちろんこれ、アユの塩焼きも!

かつては「石を投げるとアユに当たる」と言われたほどアユが捕れていたって?!

しかし今は激減、参加者全員に行きわたるほどはありません。

でも、私たち遠くからの参加者には優先的に権利が与えられ、有り難く頂きました。

とても美味しかったです。

 

地元の方のお話の中で心に残ったのは水害の話。

「昔は水害なんてなかった。洪水はあったが、水が引いて乾けば床の上にザラザラと砂が残っているので、それを掃き出して終わり。無精者はたまに掃除がでけて良かことじゃ言うとった」

「ところが荒瀬ダムができてからは、全く違う。押し寄せる速さが違う。畳を上げる間もない」

「水が引いてもヘドロがいっぱい残って、臭くてやりきれん。二度と水につからんように嵩上げしたり、他の土地に越して行ったもんも多い」

 

また、蛍の話も…

昔は蛍が乱舞していた。

時期になると蛍を見に来る特別列車も走った。

「今は?」と訊くと、「今はほとんどいなくなった。エサになるカワニナが激減したから」という。

「どうして?」と訊くと、「たぶん護岸工事のせいだろう」と。

 

いなくなってからでは遅いのですね。

石木川にはまだまだたくさんの蛍がいます。

まだ間に合う。

今気付けば間に合うはず…

 

 

八ッ場ダム建設再開は許さない!

 

今日、八ッ場ダム建設再開に反対する抗議集会が衆議院第一議員会館大会議室で開かれ、300席が満席となったそうです。

また、それに先立ち、全国から集まったダム反対運動の仲間たちは、日比谷公園から国交省へデモ行進。

その様子がTVニュースでも放映されました。

 

「全国の公共事業反対の現場からのエールも頂いて、

八ッ場をスタートに絶対!巻き返す、との決意を新たにしました」

と、主催者のお一人は早速メールで発信して下さいました。

私たちは遠くて参加できませんでしたが、思いは同じ。

不要不急の公共事業、「ムダなダム」は一つでも多く止めたい。

その財源を震災復興、原発事故処理に充ててほしい。

八ッ場ダムも石木ダムも道は険しいけれど、

絶対あきらめない!みんなあきらめない!

そんな思いで今年も元気に歩いて行きましょう〜      

 

20年間、一度も取水していない安室ダム

 

信じられないけれど、ウソのようなホントの話です。

そのダムは20年前に完成したが、一度も取水していないという。

理由は・・人口が予測したほど増えなかったから。

その上、全く取水してないのに市や町は毎年事業費を負担してきた。

理由は・・ダムからの給水をしてないので、その料金収入が得られないため。

「当時は人口や企業誘致も成長路線で推移し、水源確保が自治体の生命線だった」

と語る町のお役人。その結果が・・・

 

以下はその記事(神戸新聞2012/01/06付)です。

佐世保市長や水道局長にも読んでほしいな〜


20年給水ゼロ、31億円負担 県営安室ダムで3市町

 兵庫県営安室(やすむろ)ダム(兵庫県上郡町)の完成から20年間、一度も取水していない相生市と赤穂市、上郡町が約31億5千万円を負担してきたことが、関係者への取材で分かった。将来の人口増を見越し、住民生活や工場操業などに必要な水を確保するためにダムの建設、運営に加わってきたが、人口は減少に転じ、既存の水源などで対応できている。3市町は2030年度までにさらに約13億8千万円を負担する見込み。

 同ダムは1975年、県が安室川の治水対策として予備調査を開始。3市町は82年当時、94年度にはダムから給水を受けるエリアの人口が約15万7千人に増えると見込み、ダムから1日2万トンを取水できるよう県に要望、利水機能が加わった。

 総事業費は約85億円。治水事業分を担う県が64%の約54億5千万円、3市町でつくる安室ダム水道用水供給企業団(事務局・上郡町)が利水事業分として36%の約30億5千万円を負担する協定を締結。利息などが加わるため、実質負担はさらに膨らんだ。

 当初は企業団が負担する事業費のうち、半分は国からの補助金を充て、10分の1を3市町からの出資金、残りは企業債を発行し徴収した水道料などで返済する計画だった。

 しかし、実際の給水人口は、85年の約13万5千人をピークに下がり続けたため、91年のダム完成後も、従来からの水源で対応できた。企業団は2002年度、ダムからの給水に伴う水道料収入が見込めないため、企業債の発行を停止。

 03年度から各市町は、住民らの税金でやりくりする一般会計で負担。相生、赤穂市は最大年約6千万円、上郡町も同約3千万円に達し、負担はこのまま30年度まで続く。

 事務局の上郡町は治水ダムとしては機能していると強調した上で、「当時は人口や企業誘致も成長路線で推移し、水源確保が自治体の生命線だった」と説明している。(小西隆久)

 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004724762.shtml

 

八ッ場ダム2012年度予算 135億円

今日、平成24年度予算案が閣議決定された。

八ッ場ダムは本体関連工事費が18億円、その他の事業費が117億円の計135億円

前田国交相は記者会見で「効果的な事業であることが検証されたので予算化した」と語った。

どこが?どこが効果的な事業なのか?

治水面でも利水面でも必要性は皆無。

それだけでなく災害誘発の危険性も高いとして、「ダム検証のあり方を問う科学者の会」から公開討論会を何度ももちかけられたが、すべて拒否。

それは、ダム建設の正当性が説明できなかったからだろう。

国交相のダム事業検証とは、所詮その程度の形ばかりのものだった。

有識者会議もお飾りに過ぎなかった。

 

安住淳財務相は、国債発行に依存した予算編成が「そろそろ限界に来た」として、「消費税率引き上げをぜひやらせていただきたい」と、記者会見で語っていたが、こんなムダな事業予算が切れないようなら、いつまでたっても赤字財政は変わらないだろう。

政治の無力のツケを国民にシワ寄せしないでもらいたい!

群馬選出の民主党の中島政希衆院議員は、八ツ場ダム建設再開は2009年の衆院選の「政権公約に明白に違反し、国民の信頼を裏切るもの。到底容認できるものではない」と述べ、これに抗議しての離党を表明した。

民主党の中もいろいろだ。

 

長崎県内の民主党議員の多くが、八ッ場ダム建設再開の知らせを朗報として受け止めただろう。

次は石木ダムにgoサインを出してくれと、期待に胸を躍らせているだろう。

しかし、そうは問屋がおろしません!

 

政権与党議員とは国民の声ではなく官僚の声に耳を傾けるものであり、

公共事業とは国民のためではなく利権のために行われるものであり、

有識者会議とは忌々しき御用学者の集まりであると、

鈍い私たちでも悟ってきた今、

もう、国交省の結論など全く期待していない。

この期に及んでも尚、八ッ場ダム建設の行方を見つめ続ける科学者がいる。

 こうした形で建設再開の方針が表明されたからと言って、私たち「科学者の会」が、これで八ッ場ダム問題と縁が切れるというわけではありません。これから私たちにはしなければならないさまざまな仕事が残されています。一つは事業が進む中で、すべての局面の監視と提言です。事業は必ず失敗するはずですから、その失敗をできるだけ未然に防ぐ手立てを講じなければなりません。
 たとえ本体着工に至り、また本体が完成したとしても、私たちはそれを続けるつもりです。そして八ッ場ダム事業の失敗が国民の誰の目にも明らかになった時、それはダム撤去へと向かうことになるはずです。私たちはその時まで、八ッ場ダムと関わり続けるつもりです。

また、市民団体「八ツ場あしたの会」は23日、前田武志国土交通相への抗議声明を発表した。

 今回の政府による決定は、官僚の暴走、政治の無力を私たち国民に強く印象づけるものでした。八ッ場あしたの会では、こうした状況を踏まえ、今後起こることが予想される様々な深刻な問題の追及に努め、さらに多くの人々に八ッ場ダム問題を伝え、八ッ場ダム事業の中止をめざす活動を続けていく所存です。 

私たちの思いも同じだ。同じ思いで石木ダムを見つめている。

私たちはもう官僚や政治家には期待しない。

私たちはただ真実を、市民県民に伝え、理解を広げ、民の力で石木川を守りたい!

 

八ッ場ダム 建設再開への抗議

前田武志国土交通相は今日午後の記者会見で、八ッ場ダム(群馬県)の本体工事経費を12年度予算案に計上し、建設を再開すると表明しました。

八ッ場ダムの建設中止は民主党が2009年衆院選マニフェストに明記した重要課題。

沖縄の基地移転問題の時同様、またも国民を裏切るのか。

期待を持たせて、挙句の果てに騙し打ちするのか…と言いたくなります。

 

この状況に対し、「ダム検証のあり方を問う科学者の会」が即座に、以下のような抗議声明を発表しました。


2011年12月22日

国土交通大臣 前田武志様

  
   八ッ場ダム本体工事費の予算案計上に関する抗議声明



今般、前田武志国土交通大臣が八ッ場ダム本体工事費の予算案計上を表明したことに対し、私たち「ダム検証のあり方を問う科学者の会」は、強い憤りを覚え、これに厳しく抗議するものです。

八ッ場ダム建設の根拠はすでに破綻しています。利水における水需要の減少、治水におけるダムの効果の過大評価、さらに災害誘発の危険性についての検証の不徹底など、私たちが提起した問題に、国交省側はまったく答えることができませんでした。二度にわたる有識者会議の公開討論会への参加拒否がそれを雄弁に物語っています。

1995年のダム事業等審議委員会における議論、1997年の河川法改正、2001年から始まった淀川水系流域委員会の活動を経て、日本の河川行政はダムに頼らない治水対策へと大きく方向転換する兆しが見え始めました。その動きの中で、事業に着手して以来、半世紀近くが経ち、多くの費用を投入した八ッ場ダムが事業の継続か中止か、いずれに決するかは、きわめて象徴的な意味を持っていたと言えます。そこに2009年、民主党政権が誕生し、新しい政治が始まるという予兆を感じさせて、私たちはダム問題も新たな方向が目指されるであろうことを確信して期待したのです。

当初、民主党政権は「コンクリートから人へ」を政策の根本に据え、ダム問題に限らず、公共事業全体を大転換させていくことを宣言しました。当時の前原誠司国土交通大臣が八ッ場ダム中止を言明した時、私たちはダム時代の終焉を予感したものです。しかしそうした期待はすぐに裏切られ、ダム行政の実権は徐々に政治家から官僚へと移っていきました。その結果がこの度の八ッ場ダム本体工事費の予算案計上になったと言えると思います。

冒頭に述べたように、八ッ場ダム建設の科学的根拠はすでに破綻しています。破綻した根拠によって、ダム事業を進める政策をとろうというのですから、この政策は必ず失敗します。もろもろの局面でその失敗が明らかになった時、いったい国交省はその責任を誰がどのようにとるのか、それを国民にはっきりさせるべきです。これまで日本の行政は、そうした責任のとり方がきわめて曖昧でした。

さて、こうした形で建設再開の方針が表明されたからと言って、私たち「科学者の会」が、これで八ッ場ダム問題と縁が切れるというわけではありません。これから私たちにはしなければならないさまざまな仕事が残されています。一つは事業が進む中で、すべての局面の監視と提言です。事業は必ず失敗するはずですから、その失敗をできるだけ未然に防ぐ手立てを講じなければなりません。

たとえ本体着工に至り、また本体が完成したとしても、私たちはそれを続けるつもりです。そして八ッ場ダム事業の失敗が国民の誰の目にも明らかになった時、それはダム撤去へと向かうことになるはずです。私たちはその時まで、八ッ場ダムと関わり続けるつもりです。

若山牧水が100年近く前に、土地の有志家でも群馬県の当局者でも誰でもいい、どうかこの美しい吾妻渓谷の永久の愛護者になってほしい、と願ったその群馬県の当局者が、国と関係都県と共に吾妻渓谷の破壊者になってしまうことを、私たちは心から憂慮するものです。そして、八ッ場ダム本体工事によって、吾妻渓谷の美観が次の世代の人たちに渡せなくなることに怒りを覚えざるをえません。

以上、憤りと悔恨をもって、この度の予算案計上に抗議します。


「ダム検証のあり方を問う科学者の会」

呼びかけ人:

今本博健(京都大学名誉教授)(代表)

川村晃生(慶応大学教授) (代表)

宇沢弘文(東京大学名誉教授)

牛山積(早稲田大学名誉教授)

大熊孝(新潟大学名誉教授)

奥西一夫(京都大学名誉教授)

関良基(拓殖大学准教授)(事務局)

冨永靖徳(お茶の水女子大学名誉教授)

西薗大実(群馬大学教授)

原科幸彦(東京工業大学教授)

湯浅欽史(元都立大学教授)


賛同者 127名