不要不急の工事は止めて!

ゴールデンウイークの始まり、始まりー!
と言っても、今年はあまり嬉しくありませんね。
子どもも大人も、連休前からずーっと家にいる生活が続いていますから。

新型コロナウイルスを早く封じ込めるためには、三密を避け、外出を自粛することが大事なので仕方ありません。

こうばるでも、現場での抗議行動はしばらくお休みです。

国や自治体は、お店や企業には休業要請をしていますが、自分たちがやっている工事は休止しようとはしません。

映画館、博物館、集会場、遊園地、カラオケ、ライブハウス等々、様々な施設やお店を対象とする一方、スーパー、コンビニ、食料品店、病院、官公庁、交通機関など、生活に必要な施設やお店は対象外です。当然ですよね。

ならば、公共工事も、その視点で線引きすべきでは?
例えば、台風で寸断された道路の復旧作業や、集中豪雨で決壊した川の堤防などはコロナでも続けるが、急いで進めなくても生活に困らない工事なら、いったん中断しましょうと。

石木ダム事業は、多くの県民にとって不要不急の事業です。
県や佐世保市は一日も早く造らねば…と言い続けていますが、現実のデータ(佐世保市給水量の実績値など)を見れば、その主張がお題目に過ぎないことがわかります。
また、計画から半世紀経ってもダムが完成していないどころか、まだ影も形もできていない、その事実が不要不急の証でもあります。

そして、いま、進行中の工事は、本体工事ではなく、付け替え道路工事です。ダムができたら、ダム湖に沈む県道を、ダム湖の外側に付け替える新たな道路の建設を先にやっているところです。




そして、この道は、県道から少し離れて、代替墓地に続く道です。この道がなくても、墓地へは行けるのですから、いま急いで造る必要はありません。せめてコロナが終息するまでは中断すべきです。

平成15年、県は移転に同意した方々のために代替墓地を完成させました。移転した方々は、自分たちの住居だけでなく、祖先のお墓まで、このように立派なものを新築されました。



ここには、個人のお墓だけでなく、納骨堂のようなものがあります。観音像の前の黒い墓石に「三界萬霊」(さんがいばんれい)と書かれているのが見えますか?

全ての霊を供養するという意味だそうです。観音像の後ろには、無縁仏の墓石のようなものもたくさん置かれていました。


また、この観音像の隣に、やはり黒い石に「身口意」と刻まれた碑があります。

一緒に行った4人全員、読み方も意味も分からず「???」でしたが、今は便利な世の中。スマホですぐに調べてみました。

「しんくい」と読み、その意味は、身=行動、口=発言、意=心で、この三つの業を一致させることを目指しなさいという仏教の教えを刻んだもののようです。

言行不一致などと言いますが、口ではいいことを言うけれど、行動が伴わない(身と口が一致しない)人は確かに信頼されないし、心にもないお世辞を並べたりする(口と意が一致しない)人は、信用もされません。なので、身口意を一致できるよう努力しなさいという教えだそうです。

なぜ、そのような教えがここに刻まれているのでしょう?
真意のほどはわかりませんが、勝手に想像してみました。

実は、こうばるの皆さんこそ、紛れもなく身口意が一致した方々です。

ふるさとを守りたい、ふるさとに住み続けたいという想い(意)と、それを県知事にも佐世保市長にも国会議員にも市民県民にも訴え続けてきた(口)と、それでも受け入れられず、工事を強行されると、体を張って座りこむ、抗議行動を毎日毎日ひたすら続ける(身)が全て合致している。それも数人ではなく、13世帯約50人の住民全てが身口意一致しているのですから、仏教的には手本にすべき人々の集まりと言えるのではないでしょうか?

代替墓地から「こうばる」を見下ろしたとき、こうばるを出て行った方々は、もしかしたら、身口意一致を貫いているかつての仲間への尊敬の念が湧いてきて、自分たちもこれからは身口意を一致させるような生き方をしたいものだと、その戒めとして刻まれたのではないでしょうか。

99%あり得ないよと笑い飛ばされるかもしれませんが、そうであってほしい…という願いをこめて、あえて記してみました。

ダム予定地に生まれて

告知です!

録画必須!!

テレビで30分の長崎県・石木ダム問題の報道特集です。

九州地区内での放送です。

九州のみなさん、よろしくお願いします。


長崎県内(NBC放送局)では放送時間が変更になっていますのでご注意ください!
26日(日)の25時45分〜(深夜1時45分〜)と表記されていましたが、
正しくは25時20分〜(深夜1時20分〜)に変更になりました。



JNN九州沖縄ドキュメント・ムーブ「MOVE」の告知ページはこちらです。
https://rkb.jp/move/move_next.htm





ダム予定地に生まれて

2020年第8回

制作:NBC長崎放送

ディレクター:山口 仁

春は桜や菜の花が咲き誇り、夏はホタルが乱舞するなど里山の原風景を残す長崎県川棚町川原地区。集落を流れる石木川にダム計画が持ち上がったのは半世紀前のこと。
以来、住民の根強い反対運動が続いている。
転機となったのは1982年に行われた「強制測量」。
警察にガードされた県職員が測量調査のため現地に入り、進入を拒む住民らと激しく衝突。
子供も老人も容赦なく機動隊に排除された。
当時小学校2年生だった松本好夫さん(45)は泣き叫びながら機動隊と対峙した。
高校卒業後、父が経営する鉄工所で働き地元に暮らしながら若者世代のリーダー格として反対運動を続けている。
子供を運動に巻き込みたくないと思っていたが、大きな局面となった去年の県庁行動で初めて娘・息子を矢面に立たせてしまい忸怩たる思いもある。
一方、県は着々とダム建設の準備を進め、去年9月土地収用法に基き、松本さんらの土地や家屋は強制的に収用されてしまった。
川原地区には今も13世帯・約50人が住んでいるが立ち退きを迫られていて、行政代執行により家屋の取り壊しも可能な状況となっている。
年配の住民は今も毎日ダム関連の工事現場に行き抗議の座り込みを続けている。
人生の大半を「ダム問題」に費やさざるを得なかった、松本さんらダム反対住民の苦悩の半生を描く





いいですか、みなさん、録画ですよ!

絶対録画!録画!

岐路に立つ石木ダム 

正確には「現場へ!岐路に立つ長崎・石木ダム」というタイトルで、朝日新聞の夕刊に5日間(4月6日~10日)連載されました。(長崎では、コロナの影響で、8日~12日の朝刊)

全国版です。だから「長崎・石木ダム」です。
まだ影も形も無い無名のダムですから。
万一できたとしても、日本列島の西の端の小さなダムです。
昨年完成したばかりで、何かと話題になった八ッ場ダムの1/20の貯水量。
かなり昔、映画にもなり日本中を感動させた黒部ダムの1/36です。
そして貯水量日本1と言われる徳山ダムに比べると、なんと、わずか1/120という小ささ!

そんな石木ダムが何故、全国版に掲載されたのか?
もちろん、私たちはもっと早く取り上げてほしかった。
全国の人に知ってほしい。
他県民にとっても決して無関係ではない、全国共通の重大な問題を孕んでいると言い続けてきました。
が、それが大手メディアにはなかなか通じないまま時が過ぎ・・・

ようやく、ようやく、実現しました。
何故いま実現したのか?
この連載で、原口記者は何を伝えようとしたのか?

この記事に出会えなかった人たちのためにも、ここに転載させていただきます。
すでに読まれた方も、もう一度いっしょに目を通してみませんか。

初日の記事は、こちらです。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14431993.html?iref=pc_rensai_article_long_401_prev

最後の一文「60年近く前の計画が推し進められようとしているいま、住民の闘いの意味を改めて考えたい」が、まさにこの連載記事の趣旨であり、目的なのだと思います。

そして、何故60年も闘いが続いているのか?
そこには「金銭に代えられないものの価値」が存在し、その大切さを知ってる人たちだけが残っているからでしょうか。

また、彼らは「戦後の民主教育を受けた世代」であり、「酒食」にも「12億円」という大金にもなびかない強さがあったからでしょう。

とは言え、全国のダム建設予定地にも、彼らのような正義感と行動力を持った団塊世代はたくさんいたはず。何故こうばるの人々だけが信念を貫き通せたのか・・との疑問は残ります。
その謎は、2回目に明かされます。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14433431.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

「土地は命。二度も取られるわけにはいかん」それが石木ダム建設予定地こうばるの特異性だったのですね。

戦時中、有無を言わさず軍に接収された豊かな農地は、カチンカチンのコンクリートに覆われて戻ってきた。それを元の水田に戻すまでどれほどの時間と労力が費やされたか・・そんな汗と愛がいっぱい詰まった大切な田畑を、今度は水に沈めると言う・・・「わかりました」と出て行けるわけがない!

土地への愛着などまるでなかった私(田畑を耕したこともなく、生まれてこのかた引っ越し回数は10回を超え今の住まいは12軒目)でも、こうばるの歴史を知れば、皆さんの想いは十分理解できます。

マツさんが「国に2度も土地を取られるとは、どこで目をつけられたもんか」と嘆いておられますが、そんなマツさん自身、一歩も引く気はありません。とても小柄で、いつも優しい笑顔のマツさんですが、10年前に工事が始まった頃は、県職員に「そんなにダムば造りたかなら、ウチば殺してから造りんさい!」と迫っていました。

そんな住民に、県はどう対応してきたのでしょう。
その答えは第3回に書かれています。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14434939.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

動かぬ住民に対し県がまず行ったのは力による北風政策。機動隊を導入し、力尽くで強制測量。測量そのものはできたが、マスコミや県民の反感を買ってしまった。石木ダム推進派にも「あの強制測量は失敗だった」と批判する人はたくさんいます。

それに懲りたのか、今度は太陽政策。移転受け入れ者には懇親会という名の接待に、視察という名の観光旅行。そして現金。

童話の通り、北風には負けない住民も太陽には弱いようです。飴の誘惑には勝てないのが普通かもしれません。

田村さんが明かしているように、推進派の会は住民から生まれたものではなく、県に頼まれて作ったもの。ダム推進が本心ではないようです。だから、新聞の投稿欄に載るのは、いつも反対派の声ばかり。ダムのお金で3人の子どもを大学に進学させられたと感謝する人でも、「反対住民を力で追い出すなんてしてほしくない」とおっしゃったそうで・・それが本心だろうと思います。きっと以前は仲の良かった住民同士だったのでしょう。ダム建設という公共事業は住民を幸せにするよりも、住民を分断し、苦しめ、悲しませることの方が大きいようです。

しかし、行政は、そのような横軸=隣人の分断はできても、縦軸=歴史の分断はできません。
その意味は第4回へ。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14436226.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

炭谷猛さんちの歴史は、こうばるに根を下ろしてから266年になるという。猛さんは紛れもなく祖先の命を引き継いできた。先祖を分断すれば猛さんの存在はない。だから縦軸の分断はできない。それは炭谷家だけでなく、13世帯みんな同じ思いで、こうばるというコミュニティそのものにもそのような魂を感じます。

だからこそ、お寺の住職も、全国のダムに沈む村を見つめてきたカメラマンも、13世帯を応援したくなるのでしょう。それは「仏の教えにかなう道」であり、「千年単位で続いてきた暮らしや笑顔」を永遠に水に沈めてしまってはいけないという確信からでしょう。

そして、こうばるを応援する人たちは、もっともっと、あちこちにいます。どんどん増えています。
その話は第5回で。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14437585.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

ここに登場したこうばるサポーターの皆さんの言葉は、どれも深くて大きい。

いとうせいこうさん:代々、土地の文化を受け継ぎ、誇りをもって生きてきた、まさに日本人。その倫理でダムに反対している。彼らを“切る”ことは『日本人』を“切る”こと」「戦後日本が抱える、ある種のでたらめさが、石木ではよく見えます。水俣・成田(空港)・福島・石木。石木を転換できれば、日本にもまだ光明がある

山田英治監督:長年のダム闘争でも失われていない住民の笑顔とユーモアに接して心が震えた」「『ダム反対』映画ではなく『里山の豊かな暮らし賛成』映画なら撮れる

前パタゴニア日本支社長辻井隆行さん:みんなが『勝つ』方法を考えたい。例えば河川改修中心に治水対策を転換すれば地元で受注でき、住民も住み続けられる可能性が広がる」「石木ダムのあり方を問うことは、民主主義を問い直すこと

「現場へ!」向かった原口記者は、いつしか現場から飛び出し、いろんな人に会いに行きました。そのインタビューから見えてきたものは、やはり、石木ダム問題は、長崎だけの問題ではないということ。公共事業のあり方はもちろん、日本の政治のあり方、民主主義の意味と現状などなど様々な課題と繋がっていることが、よーくわかりました。

皆さんは、どのように思われましたか?

石木川の最後のまもり人

大変嬉しいニュースです!

長崎県の石木ダム問題が、英語圏のみなさんに届くようにと外国人ジャーナリストのロジャー・オングさんがニュースとして取り上げてくれました!

ネット媒体での発信です、こちらから拝読いただけます。
「Zenbird」というサイトです。
https://zenbird.media/the-last-protectors-of-ishiki-river/

そのまま自動翻訳でも読むことができますが、こちらの石木川まもり隊ブログでは、さらに読みやすいよう正式な翻訳をプロに依頼いたしました。

以下、日本語訳を掲載いたしますので、みなさんご一読ください。

そして、英語圏のお知り合いがおられる方にはぜひ、Zenbirdの記事のシェア・拡散をよろしくお願い申し上げます。



石木川の最後のまもり人
ロジャー・オング

 長崎県佐世保市からわずか1時間の場所に、こうばるの田舎はある。生き生きとした野生動物と田んぼが美しい谷間(たにあい)の郷だ。その中を、澄みきった水に多種の川魚が泳ぐ、小さな石木川が流れる。

 だが、この美しさの影に、13世帯50人の故郷を守る、40年にも渡る長い闘いが隠れている。それは、ここに何世代にも渡って住み続ける人々を潤してきた豊かな環境を守る闘いでもある。2019年11月18日から、住民はダムのために立ち退くよう命令が下ったからだ。



<写真キャプション:遠くからも見える巨大なサイン。“ダム(建設)絶対反対”(写真:ロジャー・オング)>

 石木ダムの建設は、石木ダム上流を水没させ、自然環境を破壊し、この地域を居住不可能にする。ダム建設の理由は不十分で、専門家たちは必要性を疑問視し、住民たちは決して建設に同意してこなかったにもかかわらず、長崎県はダム建設に邁進している。

 住民に対する立ち退き命令とともに、(訳注:長崎県から受注した)建設業者はすでにこの地域での建設作業を開始している。実際、長崎県当局はダム建設計画を継続することを決めたのみならず、建設を加速させると発表した。

 「石木川まもり隊」のメンバーにガイドしていただいて、筆者はこうばるの郷を訪れ、現在の状況を確かめるとともに、この集落を包む雰囲気がどんなものか確かめてみた。



<写真キャプション:穏やかなこうばるの景色をバックに。石木川まもり隊・創設者の松本美智恵さん(白いジャケット)とメンバーの牛島万紀子さん>

■石木ダムの必要性の主張

 石木ダム建設事業はまず、1972年に長崎県知事によって提案された。当局関係者によれば、背景には主に2つの理由があるという。

1. 川棚川(石木川は川棚川の支流である)の氾濫防止 と
2. 佐世保市に供給する(訳注:水道原水として)必要最低限のを貯める必要性

で、灌漑や発電は含まれていない。

・氾濫制御

 ダム建設がゴリ押しされる最大の理由は、氾濫制御である。これは、川棚川流域住民のリアルな関心ごとだ。長崎県は、降り続く雨が越水し川棚町に氾濫する危険性を主張している。



<「日本の年間降水量偏差」グラフキャプション:緑の棒グラフは平均を超えた年間降水量(単位:ミリメートル)。長崎県は、降雨量の増加だけでなく、減少にも直面していると予測する(出典:気象庁)>



<「川棚川流域」図キャプション:縮尺が正確ではないが、川棚川とその支流の地図。黒い印が石木川に建設を予定しているダムの地点。赤い地域は川棚川の流域面積の11%にあたる(図:石木ダム債務問題を説明するパンフレット)>

 しかしながら、問題は降雨量の増加だけではない。「石木川まもり隊」の松本さんはこう説明する。「破局的洪水は100年に1度起こる(しかし、専門家の間でこれは1,000年に一度の確率であると指摘されている)とされています(直近の発生は1990年)。その脅威は、特に河口付近の住民にとってはリアルなものです。河口付近の岸を見てみれば、家がいかにギリギリまで建っているかがわかります」。高い防壁があってしかるべき川縁を見てみると、豪雨がいかに川縁に新しく建てられた家を脅かすかが分かる。



<写真キャプション:川棚川河口の住宅。堤防のある100m上流とは違い、川岸にあるこれらの新しい住宅を守る氾濫制御の方策は取られていないように見える>

・上水道供給の増加

 将来不足する水需要(訳注:という佐世保市の主張)が、ダムを正当化するもうひとつの理由だ。佐世保市の11の水源のうちの1つが川棚川に由来する。当局によると、佐世保市は水不足に直面している。人口減少にもかかわらず、佐世保市における水需要は大幅に増加すると推計している。水不足は以前にも起こっており、ダムによってより多くの水を供給することを期待しているのだ。



<写真キャプション:川棚川。対岸の青色のポンプ場は、佐世保市に1日最大20,000トンの水を供給している。(写真:ロジャー・オング)>

■たったひとつのダムがいかにして複合的な社会的・環境的課題をもたらすか

 しかしながら、こうばるの住民たちやNPOなどは、行政の主張を不十分だと指摘する。事実、時を経るごとに、ダム推進の主張に対するおかしさを指摘する日本人はどんどん増えている。それで、石木ダムが本当に必要なのか、疑問が呈されてきたのだ。

・佐世保市民による実際の水利用

 佐世保市の人口は減り続けている。この10年間で17,898人も減少し、今年1月1日時点で246,567人だ。だが、水源開発問題全国連絡会(水源連)による調査によれば、佐世保市において水需要の増加の兆候は見当たらない。(水源連は、ダム建設に批判的なメンバー間のネットワークで、日本におけるより有効な水資源開発を目指している。)



<「生活用水」折れ線グラフのキャプション:市民1人当たりの水の1日使用量の年平均値。●印でつながった青い折れ線は平均値を表し、◇印でつながった折れ線が最大値、□印でつながった折れ線が最小値を表す。オレンジの折れ線は佐世保市の楽観的推計。(出典:水源連)>

 ダム建設をめぐる、当初から現在に至る疑問は、佐世保市当局の推計が何に基づいているかだ。市民の1日あたりの水使用量は減り続け、人口も減っているにもかかわらず、ダムは古い推計のまま建設されようとしている。同じように異常な推計は工場用水使用量でも見られ、2024年までに6倍増加すると推計している。(参照1)

・市民は350億円の借金を背負う

 石木ダムとそれに関連する事業には、538億円(約4.9億USドル)の税金が必要とされている。このうち、353億円(約3億2100万USドル)が、佐世保市民の借金となる。

 いうまでもなく、これほど莫大な額の投資に対しては、金銭的及び非金銭的なコストを、享受する利益がはるかに上回らねばならない。さらに、その決定は、生活にも環境にもより小さな影響で済む他の選択肢が絶対にないと明言できるほど厳格な監視のもとに行われなければならない。

 しかし、石木川まもり隊や専門家たちは、石木ダムはそうなっていない、他の選択肢がきちんと議論されていないと主張する。ダムの時代遅れの必要性や環境に与える悪影響に関する専門家たちの抗弁に対しては、当局は耳を閉ざしたままである(デジャブを覚えた人?)



<写真キャプション:ブロックパターンが石木ダムの位置を示す。事前工事はすでに進められており、緑が土と金属に取って代わられている>

・ダムは単純に環境に悪い

 ダムを建設することは、本質的に、都市化のために自然(訳注:そこに居住する人間も含む)の一部を犠牲にすることである。そのため、ダム建設は絶対的必要性が求められるべきである。

 ダム建設は、そこに住むあらゆる生き物の生息地を破壊することである。それは、魚たちの産卵地や、エコシステムを成り立たせる食物資源を強制的に奪うことだ。ダムはまた、川の流れを澱ませ、魚の回遊失調を引き起こす。特に、石木川に生息する10種類以上の歴史的に重要な魚類に影響を与えるといわれる。希少な魚類であるヤマトシマドジョウもここで観察できる。





<イメージキャプション:これらの魚たちは、ドイツの分類学者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、日本の鎖国時代に長崎で活動していた時に初めて出会ったものである。彼が石木川で発見した(訳注:とされる)15種のうち、希少なヤマトシマドジョウを含む12種は石木川に生息している>

 その上、川の下流の維持に重要な砂利や岩などの川の堆積物はダムに阻まれ、ダム底に沈む既存のエコシステムを喪失させる。

 それゆえに、当局は、環境を犠牲にし、人類及び人類以外双方の、そこに住むすべての「住民」を立ち退かせるほどの必要性があると証明する責任があるのだ。

・氾濫制御に対案はないのか?

 川棚川河口を見ていると心配になる。川の越水を防ぐための堤防は、河口の手前数百メートルのところで終わる。河口付近の住民を洪水から守る他の手段は見当たらない。どうやら川の二ヶ所(訳注:ダムに沈めようとする上流と、洪水に脆弱に見える下流)の違いは、(訳注:管轄する)官僚組織の違いに起因している。



<写真キャプション:河口付近にて。氾濫危険区域について住民はどれくらい知らされているのだろうか?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、ダムが「怠惰な」策であるかもしれないことをほのめかしている。つまり、「造って終わり」というわけだ。しかしながら、ダムはベストの解決策ではない。

 京都の東に位置する滋賀県も、多くの川が琵琶湖に流れ込み、似たような洪水問題に直面している。滋賀は氾濫制御に関して多層構造の戦略を採っている。持続可能性とメンテナンスに重きを置き、インフラ整備は数多ある対応策のひとつに過ぎず、都市計画や水の封じ込め、市民のアクションが同様の重要性を持つ。これらの情報が市民に公開されることで、自治体行政当局と住民双方が洪水のリスクを軽減したり管理したりするために協働することが推進される。

 それに比べ、ダムを作るという長崎県の計画は川棚川流域の11%を制御するのみで、問題は下流に移るだけだ。これが、住民が「本当にダムは必要なのか?」と問うもうひとつの理由だ。

・こうばるの文化の喪失

 こうばるは田舎だといわれるが、実際は活発な集落だ。こうばるでは毎年ほたる祭りが開かれ、その度に500人以上が訪れる。毎年5月に開催され、みんなのお目当てはこうばるを有名にした蛍たちだ。実際、ついに訪問者数は1000人を超え、駐車場が足りなくなる有様である。



<写真キャプション:食べ物はこうばるほたる祭りのいちばんのお楽しみだ。(写真:石丸穂澄提供)>

 住民たちは訪問者を呼び寄せることにも関心を持っている。それは、日本における国を挙げた地域活性化策を反映している。こうばるはまた、WTK(“Witness To Kohbaru in Autumn”、つまり「秋のこうばるの目撃者」の略)という音楽フェスティバルの美しい舞台となった。これはこうばるの美しさを広めるものでもあり、小林武史、Caravan、Salyu、東田トモヒロなど大勢のアーティストが参加した。



<写真キャプション:音楽フェスは夜まで続いた。パタゴニアがイベント開催をサポートするなど大きなスポンサーとなった(写真提供:石丸穂澄)>

 加えてこうばるは、いかに自然と共生していくかについて、私たちに教えてくれる場所でもある。こうばるは、環境への影響を最小限にとどめつつ自給自足する農的コミュニティだ。この集落は、訪問者に自然環境の魅力を伝えるテコにもなりうる。

 少なくとも、こうばるは持続可能な方法論、実験、研究のたたき台となる可能性を秘めている。たとえば、持続可能な観光。持続可能なコミュニティ。しかしながら、そういった可能性はまもなく消えようとしている。



<写真キャプション:“石木川のほとりにて”写真提供:村山嘉昭>

■古い官僚主義と持続可能性を求める現代のムーブメントの間に横たわる隔たり

 では、いかにして故郷と自然環境をめぐる闘いは半世紀も続いたのだろうか?事態の展開は奇妙なものだった。1974年、久保勘一・長崎県知事(当時)は地質調査を実行したが、住民の許可なしにはダムを作らないと約束した。こうばるの住民は認めなかったにもかかわらず、計画は前に進められた。地元の反対をよそに、ダムは実現可能なものだという結論が出され、久保知事はダム建設計画を提出したのである。



<写真キャプション:1982年、土地収用法に基づく強制測量に対する抗議の写真。老いも若きも参加したが、140人の警察官が彼らを力づくで排除した(写真提供:こうばる公民館)>

 石木ダム問題は4人の知事に跨って続いたが、どの知事もこのプロジェクトを「決定事項」だとみなした。つまり、たとえ住民たちとあったとしてもそれは(訳注:知事側の、建設推進を前提とした)一方的なもので、こうばるの住民とのさらなる話し合いを避けようとし続けたのだ。住民たちによる適切な話し合いの要求に対して、40年間耳を塞ぎ続けてきたのだ。

 2013年、ついにこうばるに掲示板が掲げられた。そこには土地収用法の文言が刻まれ、当局(訳注:起業者である長崎県・佐世保市)は適切な補償と引き換えに、私有地を公共目的で収用できることが記されている。最後通帳が突きつけられたのだ。



<写真キャプション:この間に合わせの掘ったて小屋は、ダム建設反対の強烈なシンボルであり、まさにダムサイトが建設される予定地のど真ん中に建っている。左側の看板には「故郷を守る反対同盟」と書いてある(写真:ロジャー・オング)>

 こうばるの住民たちは、臆することなくダムの必要性に疑問を投げかけ続けている。だが、現知事である中村法道氏は、住民との話し合いの基軸はあくまで(水没予定地居住者の)移転問題という前提で話を進めている。両者のギャップが皆にフラストレーションをもたらし、住民たちの故郷を守る不屈の決意の火に油を注いでいる。



<写真キャプション:佐世保市内の通りに掲げられた看板のひとつ。「石木ダム建設は佐世保市民の願い」と書かれてある。佐世保市民をターゲットとしながら、佐世保市民の願いであるとはいかに?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、埋めるべき唯一のギャップではない。政治家の短い任期における優先順位と、長期間にわたる環境的ニーズの間にある食い違いもそうだ。ダム建設の決定は、持続可能性という概念がまだしっかりと世に根を張っていなかった時代に下されたものだった。だが、長崎県が政策の中でSDGsを採用した後ですら、40年前の一方的な決定にこだわり続け、SGDsという政策目標を裏切っている。

・次は誰だ?子どもたちに約束する未来のための闘い



<写真キャプション:住民たちは今日まで、自身をバリケードとして建設を阻止することで抗議を続けている。雨が降ろうが雪が降ろうが、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず、こうばる住民の40年揺るがない強さを表す一コマ。(写真:ロジャー・オング)>

「自分たちだけで闘っているように感じることもある」。岩下和雄さんは心痛を帯びた声色でそう語る。青春時代から40年間も、自分の家の喪失に立ち向かって闘ってきた気持ちを真に理解するのはそう簡単ではない。岩下さんの言葉が不意を突いたのはそのためだ。

 石木ダム問題は単にこうばるの住民と行政の間の紛争にとどまらない。長崎県内の他地域の市民からも批判の声が上がっている。メディアもこうばる住民のポジティブな面に光を当てることなく、その結果、むしろお上にたてつくトラブルメーカーという印象をしばしば与えてきた。松本さんはしかしながら、「その雰囲気も少しずつ変わってきています。石木ダムの問題に対する人びとの理解も高まってきています。長崎県外のメディアも、TV朝日がこうばるのとっておきのエピソードを流したように、報道を始めています。パタゴニアも、ダム反対を支援してくれています」

 にもかかわらず、住民たちは孤独感を覚えている。石木ダム問題は彼らにとって、行政という大きな潮流に自力のみで抗っているようにも感じられるのだ。他に誰もいない土地に立ち、自然の支配者然とした建設会社に対峙しているのである。

 しかしながら、彼らの闘いは彼らだけのものではない。こうばるの住民たちは先例を作ろうとしている。もしダムが建設されたら、石木川を囲む自然環境は失われる。もしまた都市化の必要性が叫ばれたら、当局は次に、特に近隣地域にどんなことをするだろうか。次に犠牲になるのは誰なのだろうか?



<写真キャプション:住民たちの結束を呼びかける、抵抗のシンボル。(写真:ロジャー・オング)>



<写真キャプション:「測量禁止」長い闘争の歴史を物語る、消えかかった文字。(写真:ロジャー・オング)>

■持続可能な将来に向かって動きさえすれば、未来はある

 こうばるの住民たちは、この40年に渡って「ダムは必要なのか?」と問い続けてきた。こうばるを直接見た筆者も、その必要性に疑問を感じた。確かに、こうばるは「死ぬまでに一度は訪れるべき」というほどの場所ではない。しかしながら、こうばるを実際に訪れる以前には思いつかなかった言葉が、筆者の口をついて出てくるのだ--汚れなき地という言葉が。



<写真キャプション:目を見張るほど素晴らしい旅行先というわけではないが、比類なき静寂な平和に包まれている。冬の間でさえ、訪れたいと思うような魅力がある>

 こうばるは、不必要な外的影響に侵されていない。そう、道も、電気インフラも、街に通うための乗り物も、至ってシンプルだ。だが、土地は豊かで満ち足りている。したがって、都市部でしばしば見られるように、過剰に束縛されることもない。この景色は何世紀も続いてきたものであり、こうばるに住み続けてきた何世代にもわたる人びとの営みは尊いものであるというのは、決して過言ではない。こうばるは、周囲の自然環境と共生してきた、自立的で持続可能なコミュニティでもある。農地、自由に歩き回る野生動物たち、石木川の夜を光の波の舞踏場へと変える蛍。ここには、将来世代へ手渡せる智恵がある。



<写真キャプション:「こうばるの四季いいところどり!」。住民が自分の故郷に捧げる一枚。(イラスト:石丸穂澄)>

 ダムを建設し、こうばるを消し去ることで、長崎県はどんな価値を生み出したいのか?住民とその子どもたちにどんな将来を創りたいのか?ダム問題は、佐世保市や長崎県がSDGsに真剣に取り組んでいるかどうかの問題である。すでに世の中に存在する、共生と循環経済による解決策を見据える代わりに、2020年においては意味をなさない、時代遅れの経済成長を優先している。もっといい方法があるはずだ。それは探さねばならないものであり、必ず見つかるものなのだ。

【参照1:石木ダム建設を断念させる全国集会における調査データ】
【ウェブサイト】いしきをかえよう
【ウェブサイト】石木川まもり隊
【その他参照】パタゴニア提供映画「ダムネーション」



翻訳:足立力也(コスタリカ研究家)

工事差止訴訟、控訴!

先日(3月24日)の長崎地裁佐世保支部の判決は不当であり、私たちは到底受け入れられないので、福岡高裁へ控訴しました。

もちろん、先の事業認定取消訴訟において、行政側の言い分を100%認めた福岡高裁なので、結果に期待はできないが、私たちは泣き寝入りはしない。諦めはしない。おかしいことはおかしいと言い続けていく…。
それが大事なことだと思っています。

石木ダムは市民の願い???メッセージ展

3月下旬、アルカスSASEBOで、ちょっとユニークな展示会が開催されました。

その名は「石木ダムは市民の願い???」メッセージ展!

石木ダムがテーマなのに、なんだかいつもとは違うイメージ!素敵ですね~

企画したのは、こちら。

昨年秋に誕生したグループ「#ダムより花を」です。これまで石木ダムといえば、関心が高いのは高齢者で、若者世代は無関心・・と言われていましたが、実はそうではありませんでした。

自然が大好きな若者や子育て世代のお母さんたちの中には、「自然豊かなこうばるを水底に沈めるなんてやめてほしい」「水道料金や税金の使われ方として石木ダムってどうなの?」というモヤモヤとした思いを抱いている人たちも、けっこういたようです。

そんな人たちが集まって生まれたのが、このグループ。昨年は2回ほど、仮装パレードをやって市民の関心を集めました。

今年に入って、アーケード街で2回、アンケート調査を実施。その結果発表も今回のイベントの目的の1つでした。

みんな以前から疑問だったそうです。水道局の建物等に掲げられた「石木ダムは市民の願い」って本当だろうか?と。だって、自分の周りではあまりそんな人いないので…。というおしゃべりから、じゃあ、実際にアンケートやってみない?ということになって、その結果がこちら。



石木ダムを願っている人(新たにダムが必要だと思っている人)は、なんと、わずか18%でした!過半数の市民は願っていなくて、約30%は必要かどうか「わからない」でした。

また、市はことあるごとに佐世保は慢性的水不足で、水源確保は喫緊の課題だとアピールしますが、市民の64%は「水不足だと思っていない」ようです。

そして、佐世保市が負担する石木ダム建設費と関連事業費の総額が353億円にのぼることを市民の65%が知らないなんて・・・これも大きな問題ですよね。

新しい家を建てるのに、その総額がいくらになるのかも知らずに、計画が進められ、毎年かかった費用が請求されているようなものです。

そこで聞きました。佐世保市民のために使えるお金が353億円あったら、どんなことに使ってほしいですか?と。



「保育料を無料にしてほしい」「広い公園があったらいいな」「小・中・高の教室にエアコンをつけてほしい」「バス料金安くして下さい」「漏水対策ちゃんとしてよ!」などなど。頷きたくなるご意見ばかり。

さて、こちらのコーナーは、新聞の投書欄。
石木ダム問題は、本当によく投稿されるので、これはそのほんの一部ですが。



こちらはお馴染み、ほーちゃんのイラストコーナー。
イラストの下に置いてある水槽の中に入っているのは、カスミサンショウウオの子どもたち!こちらも人気者になっていましたよ。

壁面には、絵画がずらり。全て、こうばるの風景を描いたものです。

こちらは、この展示会に絵画を出品しよう!と、仲間に呼びかけてくださった吉村さんの作品。虚空蔵山に抱かれた「こうばる」の美しい景色…作者の想いが伝わってきます。

もちろん、石木川まもり隊も出品しましたよ。
まずは、写真展のコーナー。

はじめは、強制測量の時の写真です。




その闘いは今も「抗議行動」として続いています。



ここまでして守りたいこうばるの暮らしとは・・





そして、こうばる最大のお祭り。ほたる祭り!




その隣は手芸(パッチワーク)の作品を展示しました。こうばるにお嫁に来た3人の義姉妹の作品です。(2人は実の姉妹)



パッチワークに寄せて




この三姉妹だけでなく、こうばるの女性たちは皆ほんとうの姉妹のよう。

常に相談し、助け合い、本物の姉妹以上かもしれない。
他所から嫁いだのに、いつのまにか「ここが私のふるさと」「いつまでもここに住み続けたい」と本気で願うようになった女同士、強い絆で結ばれています。

それはまるで、別々の生地を繋ぎ合わせて作りあげるパッチワークのよう。
生地は厚みを増し、強くなり、
そして、作る楽しさ、オンリーワンの素晴らしさ!

こんな女性たちが惚れ込んだ「こうばる」を、あなたも訪ねてみませんか。