石木川の最後のまもり人

大変嬉しいニュースです!

長崎県の石木ダム問題が、英語圏のみなさんに届くようにと外国人ジャーナリストのロジャー・オングさんがニュースとして取り上げてくれました!

ネット媒体での発信です、こちらから拝読いただけます。
「Zenbird」というサイトです。
https://zenbird.media/the-last-protectors-of-ishiki-river/

そのまま自動翻訳でも読むことができますが、こちらの石木川まもり隊ブログでは、さらに読みやすいよう正式な翻訳をプロに依頼いたしました。

以下、日本語訳を掲載いたしますので、みなさんご一読ください。

そして、英語圏のお知り合いがおられる方にはぜひ、Zenbirdの記事のシェア・拡散をよろしくお願い申し上げます。



石木川の最後のまもり人
ロジャー・オング

 長崎県佐世保市からわずか1時間の場所に、こうばるの田舎はある。生き生きとした野生動物と田んぼが美しい谷間(たにあい)の郷だ。その中を、澄みきった水に多種の川魚が泳ぐ、小さな石木川が流れる。

 だが、この美しさの影に、13世帯50人の故郷を守る、40年にも渡る長い闘いが隠れている。それは、ここに何世代にも渡って住み続ける人々を潤してきた豊かな環境を守る闘いでもある。2019年11月18日から、住民はダムのために立ち退くよう命令が下ったからだ。



<写真キャプション:遠くからも見える巨大なサイン。“ダム(建設)絶対反対”(写真:ロジャー・オング)>

 石木ダムの建設は、石木ダム上流を水没させ、自然環境を破壊し、この地域を居住不可能にする。ダム建設の理由は不十分で、専門家たちは必要性を疑問視し、住民たちは決して建設に同意してこなかったにもかかわらず、長崎県はダム建設に邁進している。

 住民に対する立ち退き命令とともに、(訳注:長崎県から受注した)建設業者はすでにこの地域での建設作業を開始している。実際、長崎県当局はダム建設計画を継続することを決めたのみならず、建設を加速させると発表した。

 「石木川まもり隊」のメンバーにガイドしていただいて、筆者はこうばるの郷を訪れ、現在の状況を確かめるとともに、この集落を包む雰囲気がどんなものか確かめてみた。



<写真キャプション:穏やかなこうばるの景色をバックに。石木川まもり隊・創設者の松本美智恵さん(白いジャケット)とメンバーの牛島万紀子さん>

■石木ダムの必要性の主張

 石木ダム建設事業はまず、1972年に長崎県知事によって提案された。当局関係者によれば、背景には主に2つの理由があるという。

1. 川棚川(石木川は川棚川の支流である)の氾濫防止 と
2. 佐世保市に供給する(訳注:水道原水として)必要最低限のを貯める必要性

で、灌漑や発電は含まれていない。

・氾濫制御

 ダム建設がゴリ押しされる最大の理由は、氾濫制御である。これは、川棚川流域住民のリアルな関心ごとだ。長崎県は、降り続く雨が越水し川棚町に氾濫する危険性を主張している。



<「日本の年間降水量偏差」グラフキャプション:緑の棒グラフは平均を超えた年間降水量(単位:ミリメートル)。長崎県は、降雨量の増加だけでなく、減少にも直面していると予測する(出典:気象庁)>



<「川棚川流域」図キャプション:縮尺が正確ではないが、川棚川とその支流の地図。黒い印が石木川に建設を予定しているダムの地点。赤い地域は川棚川の流域面積の11%にあたる(図:石木ダム債務問題を説明するパンフレット)>

 しかしながら、問題は降雨量の増加だけではない。「石木川まもり隊」の松本さんはこう説明する。「破局的洪水は100年に1度起こる(しかし、専門家の間でこれは1,000年に一度の確率であると指摘されている)とされています(直近の発生は1990年)。その脅威は、特に河口付近の住民にとってはリアルなものです。河口付近の岸を見てみれば、家がいかにギリギリまで建っているかがわかります」。高い防壁があってしかるべき川縁を見てみると、豪雨がいかに川縁に新しく建てられた家を脅かすかが分かる。



<写真キャプション:川棚川河口の住宅。堤防のある100m上流とは違い、川岸にあるこれらの新しい住宅を守る氾濫制御の方策は取られていないように見える>

・上水道供給の増加

 将来不足する水需要(訳注:という佐世保市の主張)が、ダムを正当化するもうひとつの理由だ。佐世保市の11の水源のうちの1つが川棚川に由来する。当局によると、佐世保市は水不足に直面している。人口減少にもかかわらず、佐世保市における水需要は大幅に増加すると推計している。水不足は以前にも起こっており、ダムによってより多くの水を供給することを期待しているのだ。



<写真キャプション:川棚川。対岸の青色のポンプ場は、佐世保市に1日最大20,000トンの水を供給している。(写真:ロジャー・オング)>

■たったひとつのダムがいかにして複合的な社会的・環境的課題をもたらすか

 しかしながら、こうばるの住民たちやNPOなどは、行政の主張を不十分だと指摘する。事実、時を経るごとに、ダム推進の主張に対するおかしさを指摘する日本人はどんどん増えている。それで、石木ダムが本当に必要なのか、疑問が呈されてきたのだ。

・佐世保市民による実際の水利用

 佐世保市の人口は減り続けている。この10年間で17,898人も減少し、今年1月1日時点で246,567人だ。だが、水源開発問題全国連絡会(水源連)による調査によれば、佐世保市において水需要の増加の兆候は見当たらない。(水源連は、ダム建設に批判的なメンバー間のネットワークで、日本におけるより有効な水資源開発を目指している。)



<「生活用水」折れ線グラフのキャプション:市民1人当たりの水の1日使用量の年平均値。●印でつながった青い折れ線は平均値を表し、◇印でつながった折れ線が最大値、□印でつながった折れ線が最小値を表す。オレンジの折れ線は佐世保市の楽観的推計。(出典:水源連)>

 ダム建設をめぐる、当初から現在に至る疑問は、佐世保市当局の推計が何に基づいているかだ。市民の1日あたりの水使用量は減り続け、人口も減っているにもかかわらず、ダムは古い推計のまま建設されようとしている。同じように異常な推計は工場用水使用量でも見られ、2024年までに6倍増加すると推計している。(参照1)

・市民は350億円の借金を背負う

 石木ダムとそれに関連する事業には、538億円(約4.9億USドル)の税金が必要とされている。このうち、353億円(約3億2100万USドル)が、佐世保市民の借金となる。

 いうまでもなく、これほど莫大な額の投資に対しては、金銭的及び非金銭的なコストを、享受する利益がはるかに上回らねばならない。さらに、その決定は、生活にも環境にもより小さな影響で済む他の選択肢が絶対にないと明言できるほど厳格な監視のもとに行われなければならない。

 しかし、石木川まもり隊や専門家たちは、石木ダムはそうなっていない、他の選択肢がきちんと議論されていないと主張する。ダムの時代遅れの必要性や環境に与える悪影響に関する専門家たちの抗弁に対しては、当局は耳を閉ざしたままである(デジャブを覚えた人?)



<写真キャプション:ブロックパターンが石木ダムの位置を示す。事前工事はすでに進められており、緑が土と金属に取って代わられている>

・ダムは単純に環境に悪い

 ダムを建設することは、本質的に、都市化のために自然(訳注:そこに居住する人間も含む)の一部を犠牲にすることである。そのため、ダム建設は絶対的必要性が求められるべきである。

 ダム建設は、そこに住むあらゆる生き物の生息地を破壊することである。それは、魚たちの産卵地や、エコシステムを成り立たせる食物資源を強制的に奪うことだ。ダムはまた、川の流れを澱ませ、魚の回遊失調を引き起こす。特に、石木川に生息する10種類以上の歴史的に重要な魚類に影響を与えるといわれる。希少な魚類であるヤマトシマドジョウもここで観察できる。





<イメージキャプション:これらの魚たちは、ドイツの分類学者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、日本の鎖国時代に長崎で活動していた時に初めて出会ったものである。彼が石木川で発見した(訳注:とされる)15種のうち、希少なヤマトシマドジョウを含む12種は石木川に生息している>

 その上、川の下流の維持に重要な砂利や岩などの川の堆積物はダムに阻まれ、ダム底に沈む既存のエコシステムを喪失させる。

 それゆえに、当局は、環境を犠牲にし、人類及び人類以外双方の、そこに住むすべての「住民」を立ち退かせるほどの必要性があると証明する責任があるのだ。

・氾濫制御に対案はないのか?

 川棚川河口を見ていると心配になる。川の越水を防ぐための堤防は、河口の手前数百メートルのところで終わる。河口付近の住民を洪水から守る他の手段は見当たらない。どうやら川の二ヶ所(訳注:ダムに沈めようとする上流と、洪水に脆弱に見える下流)の違いは、(訳注:管轄する)官僚組織の違いに起因している。



<写真キャプション:河口付近にて。氾濫危険区域について住民はどれくらい知らされているのだろうか?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、ダムが「怠惰な」策であるかもしれないことをほのめかしている。つまり、「造って終わり」というわけだ。しかしながら、ダムはベストの解決策ではない。

 京都の東に位置する滋賀県も、多くの川が琵琶湖に流れ込み、似たような洪水問題に直面している。滋賀は氾濫制御に関して多層構造の戦略を採っている。持続可能性とメンテナンスに重きを置き、インフラ整備は数多ある対応策のひとつに過ぎず、都市計画や水の封じ込め、市民のアクションが同様の重要性を持つ。これらの情報が市民に公開されることで、自治体行政当局と住民双方が洪水のリスクを軽減したり管理したりするために協働することが推進される。

 それに比べ、ダムを作るという長崎県の計画は川棚川流域の11%を制御するのみで、問題は下流に移るだけだ。これが、住民が「本当にダムは必要なのか?」と問うもうひとつの理由だ。

・こうばるの文化の喪失

 こうばるは田舎だといわれるが、実際は活発な集落だ。こうばるでは毎年ほたる祭りが開かれ、その度に500人以上が訪れる。毎年5月に開催され、みんなのお目当てはこうばるを有名にした蛍たちだ。実際、ついに訪問者数は1000人を超え、駐車場が足りなくなる有様である。



<写真キャプション:食べ物はこうばるほたる祭りのいちばんのお楽しみだ。(写真:石丸穂澄提供)>

 住民たちは訪問者を呼び寄せることにも関心を持っている。それは、日本における国を挙げた地域活性化策を反映している。こうばるはまた、WTK(“Witness To Kohbaru in Autumn”、つまり「秋のこうばるの目撃者」の略)という音楽フェスティバルの美しい舞台となった。これはこうばるの美しさを広めるものでもあり、小林武史、Caravan、Salyu、東田トモヒロなど大勢のアーティストが参加した。



<写真キャプション:音楽フェスは夜まで続いた。パタゴニアがイベント開催をサポートするなど大きなスポンサーとなった(写真提供:石丸穂澄)>

 加えてこうばるは、いかに自然と共生していくかについて、私たちに教えてくれる場所でもある。こうばるは、環境への影響を最小限にとどめつつ自給自足する農的コミュニティだ。この集落は、訪問者に自然環境の魅力を伝えるテコにもなりうる。

 少なくとも、こうばるは持続可能な方法論、実験、研究のたたき台となる可能性を秘めている。たとえば、持続可能な観光。持続可能なコミュニティ。しかしながら、そういった可能性はまもなく消えようとしている。



<写真キャプション:“石木川のほとりにて”写真提供:村山嘉昭>

■古い官僚主義と持続可能性を求める現代のムーブメントの間に横たわる隔たり

 では、いかにして故郷と自然環境をめぐる闘いは半世紀も続いたのだろうか?事態の展開は奇妙なものだった。1974年、久保勘一・長崎県知事(当時)は地質調査を実行したが、住民の許可なしにはダムを作らないと約束した。こうばるの住民は認めなかったにもかかわらず、計画は前に進められた。地元の反対をよそに、ダムは実現可能なものだという結論が出され、久保知事はダム建設計画を提出したのである。



<写真キャプション:1982年、土地収用法に基づく強制測量に対する抗議の写真。老いも若きも参加したが、140人の警察官が彼らを力づくで排除した(写真提供:こうばる公民館)>

 石木ダム問題は4人の知事に跨って続いたが、どの知事もこのプロジェクトを「決定事項」だとみなした。つまり、たとえ住民たちとあったとしてもそれは(訳注:知事側の、建設推進を前提とした)一方的なもので、こうばるの住民とのさらなる話し合いを避けようとし続けたのだ。住民たちによる適切な話し合いの要求に対して、40年間耳を塞ぎ続けてきたのだ。

 2013年、ついにこうばるに掲示板が掲げられた。そこには土地収用法の文言が刻まれ、当局(訳注:起業者である長崎県・佐世保市)は適切な補償と引き換えに、私有地を公共目的で収用できることが記されている。最後通帳が突きつけられたのだ。



<写真キャプション:この間に合わせの掘ったて小屋は、ダム建設反対の強烈なシンボルであり、まさにダムサイトが建設される予定地のど真ん中に建っている。左側の看板には「故郷を守る反対同盟」と書いてある(写真:ロジャー・オング)>

 こうばるの住民たちは、臆することなくダムの必要性に疑問を投げかけ続けている。だが、現知事である中村法道氏は、住民との話し合いの基軸はあくまで(水没予定地居住者の)移転問題という前提で話を進めている。両者のギャップが皆にフラストレーションをもたらし、住民たちの故郷を守る不屈の決意の火に油を注いでいる。



<写真キャプション:佐世保市内の通りに掲げられた看板のひとつ。「石木ダム建設は佐世保市民の願い」と書かれてある。佐世保市民をターゲットとしながら、佐世保市民の願いであるとはいかに?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、埋めるべき唯一のギャップではない。政治家の短い任期における優先順位と、長期間にわたる環境的ニーズの間にある食い違いもそうだ。ダム建設の決定は、持続可能性という概念がまだしっかりと世に根を張っていなかった時代に下されたものだった。だが、長崎県が政策の中でSDGsを採用した後ですら、40年前の一方的な決定にこだわり続け、SGDsという政策目標を裏切っている。

・次は誰だ?子どもたちに約束する未来のための闘い



<写真キャプション:住民たちは今日まで、自身をバリケードとして建設を阻止することで抗議を続けている。雨が降ろうが雪が降ろうが、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず、こうばる住民の40年揺るがない強さを表す一コマ。(写真:ロジャー・オング)>

「自分たちだけで闘っているように感じることもある」。岩下和雄さんは心痛を帯びた声色でそう語る。青春時代から40年間も、自分の家の喪失に立ち向かって闘ってきた気持ちを真に理解するのはそう簡単ではない。岩下さんの言葉が不意を突いたのはそのためだ。

 石木ダム問題は単にこうばるの住民と行政の間の紛争にとどまらない。長崎県内の他地域の市民からも批判の声が上がっている。メディアもこうばる住民のポジティブな面に光を当てることなく、その結果、むしろお上にたてつくトラブルメーカーという印象をしばしば与えてきた。松本さんはしかしながら、「その雰囲気も少しずつ変わってきています。石木ダムの問題に対する人びとの理解も高まってきています。長崎県外のメディアも、TV朝日がこうばるのとっておきのエピソードを流したように、報道を始めています。パタゴニアも、ダム反対を支援してくれています」

 にもかかわらず、住民たちは孤独感を覚えている。石木ダム問題は彼らにとって、行政という大きな潮流に自力のみで抗っているようにも感じられるのだ。他に誰もいない土地に立ち、自然の支配者然とした建設会社に対峙しているのである。

 しかしながら、彼らの闘いは彼らだけのものではない。こうばるの住民たちは先例を作ろうとしている。もしダムが建設されたら、石木川を囲む自然環境は失われる。もしまた都市化の必要性が叫ばれたら、当局は次に、特に近隣地域にどんなことをするだろうか。次に犠牲になるのは誰なのだろうか?



<写真キャプション:住民たちの結束を呼びかける、抵抗のシンボル。(写真:ロジャー・オング)>



<写真キャプション:「測量禁止」長い闘争の歴史を物語る、消えかかった文字。(写真:ロジャー・オング)>

■持続可能な将来に向かって動きさえすれば、未来はある

 こうばるの住民たちは、この40年に渡って「ダムは必要なのか?」と問い続けてきた。こうばるを直接見た筆者も、その必要性に疑問を感じた。確かに、こうばるは「死ぬまでに一度は訪れるべき」というほどの場所ではない。しかしながら、こうばるを実際に訪れる以前には思いつかなかった言葉が、筆者の口をついて出てくるのだ--汚れなき地という言葉が。



<写真キャプション:目を見張るほど素晴らしい旅行先というわけではないが、比類なき静寂な平和に包まれている。冬の間でさえ、訪れたいと思うような魅力がある>

 こうばるは、不必要な外的影響に侵されていない。そう、道も、電気インフラも、街に通うための乗り物も、至ってシンプルだ。だが、土地は豊かで満ち足りている。したがって、都市部でしばしば見られるように、過剰に束縛されることもない。この景色は何世紀も続いてきたものであり、こうばるに住み続けてきた何世代にもわたる人びとの営みは尊いものであるというのは、決して過言ではない。こうばるは、周囲の自然環境と共生してきた、自立的で持続可能なコミュニティでもある。農地、自由に歩き回る野生動物たち、石木川の夜を光の波の舞踏場へと変える蛍。ここには、将来世代へ手渡せる智恵がある。



<写真キャプション:「こうばるの四季いいところどり!」。住民が自分の故郷に捧げる一枚。(イラスト:石丸穂澄)>

 ダムを建設し、こうばるを消し去ることで、長崎県はどんな価値を生み出したいのか?住民とその子どもたちにどんな将来を創りたいのか?ダム問題は、佐世保市や長崎県がSDGsに真剣に取り組んでいるかどうかの問題である。すでに世の中に存在する、共生と循環経済による解決策を見据える代わりに、2020年においては意味をなさない、時代遅れの経済成長を優先している。もっといい方法があるはずだ。それは探さねばならないものであり、必ず見つかるものなのだ。

【参照1:石木ダム建設を断念させる全国集会における調査データ】
【ウェブサイト】いしきをかえよう
【ウェブサイト】石木川まもり隊
【その他参照】パタゴニア提供映画「ダムネーション」



翻訳:足立力也(コスタリカ研究家)