「溜める」より「流す」対策を

熊本豪雨による死者は、7月11日22時現在で61人、その大半が球磨川の氾濫による。熊本県民ならずとも胸が痛みます。同時に、氾濫は防げなかったのか?対策は取られていたのか?との疑問がよぎります。

そして、中には、川辺川ダムができていたら被害をくい止められたのではないか?少なくとも軽減できたのではないか?との声もあちこちで囁かれています。

その疑問に河川行政問題に詳しい西島和弁護士が答えています。



たいへん分かりやすいので、ご紹介します。
ぜひ読んでみてください。

熊本・球磨川水害に専門家提言「ダムではなく流す対策を」
7月11日 日刊ゲンダイ
https://news.yahoo.co.jp/articles/b39b2372144146f51d54486c16d7dda2a9e09e06

この中で私が特になるほどと思ったのは、こちらです。

水害対策は、おおまかに、(水を)流す対策と(ダムなどで)貯める対策の2種類にわけられます。一般的には、川の上流にダムをつくるより、河道掘削などの流す対策(河道整備)の方がコストパフォーマンスがいい。ダムは雨の降る場所や雨の降り方によって役に立ったり立たなかったりするのに対し、河道整備は、雨の降る場所や降り方にかかわらず着実に安全度を上げることができるからです。

川辺川ダム計画があった当時、地元では流す対策をきっちりやってほしいと求めていました。とくに今回深刻な被害が出た人吉のあたりでは川に土砂が溜まっているので、これをどけて、川底を掘削して、よりたくさん水が流れるようにと要望していました。しかし、球磨川の管理をしている国は、理由にならない理由をつけて、土砂の除去や川底の掘削をやろうとしなかったときいています。まさかとは思いますが、国交省が川辺川ダムをつくりたいがために土砂の除去をせずに危険な状況を放置していたとすればそれは大問題でしょう。

一般的には、流す対策にお金をかけるほうが効率的に水害を防止・軽減できるはずです。ダムによって水害が防止できるかどうかは、不確実だからです。流す対策によって確実に氾濫量が減ります。熊本県知事が川辺川ダムを中止すると表明してから、いまだに具体的な計画がつくれていないんです。ダムをつくるかどうかにかかわらず、水害を確実に小さくできる河道整備をすすめなければいけないということに変わりはないはず。

水害の防止や軽減には、「溜めるより流す」ことの大切さがよく理解できるお話でしたね。

ところで、「球磨川の管理をしている国は、理由にならない理由をつけて、土砂の除去や川底の掘削をやろうとしなかったときいています」の部分が気になったので、専門家の方(水源開発問題全国連絡会共同代表=嶋津暉之氏)にお聞きしました。

「2007年に策定された球磨川水系河川整備基本方針では河床を掘削すると、軟岩が露出するという理由をつけて、人吉地点の計画高水流量(河道の流下能力の設定値)が4000㎥/秒に据え置かれ、川辺川ダム建設の理由をつくるため、恣意的な計画高水流量の設定が行われた。そのために、川辺川ダムなしの球磨川水系河川整備計画は策定されないまま、経過してきた」
「軟岩露出はほかの河川で起きていることであって、その問題を回避することは可能である。上流部では国交省の計算でも 1.3m程度の河床掘削を行えば、流下能力を 5,000m3/秒まで高めることができる」

とのことでした。軟岩露出という問題について、私自身は不勉強ですが、ダム起業者がダム計画を押し通すために、他の代替案をことごとく否定するのはよくある話です。

石木ダムの場合でも同様です。
私たちは➀堤防の嵩上げや➁河道掘削が現実的で低コストだと訴えましたが、県は➀については、用地買収、国やJRとの調整、破堤した場合の被害の大きさなどを強調し、➁については、用地買収、掘削時の水質汚濁、漁業関係者との調整などを問題にし、しかも、どちらもダムよりも費用がはるかにかかると主張しました。

しかし、これもよくある話で、ダム案を通すために他案のコストはめちゃくちゃ水増しされているようです。

鳥取県の中部ダムの事例が有名です。
当時の片山知事が「今なら間違った説明をしたことに関して責任を追及しないが、将来、嘘が明らかになれば責任を問う」と言ったら、部下が慌てて修正案を示したそうです。

それまでの見積もり:ダム案=140億円 河川改修案=147億円
その直後の見積もり:ダム案=230億円 河川改修案=78億円

治水対策にベストはないかもしれません。
それぞれの川や地形、町の大きさにあった対策を考えるべきでしょう。
共通して言えることは、よりベターな対策を、できるところから進めていくことです。
ダム計画がある地域には、別の対策をやるとダムの必要性が減じていくから実行しない、ぐずぐず放置していく傾向があり、その結果あちこちで被害が多発しているように思えてなりません。

河川管理者には、今あらためて自問してほしいと思います。
このままでいいのかと。