続く闘争 見通せぬ解決

収用から1年の特集記事の第2弾。https://this.kiji.is/680586847587992673

1面の大見出しは「続く闘争 見通せぬ解決」だった。


なぜ闘争が続いているのか、なぜ解決が長引いているのか、考えながら読んでほしい。

23面はほぼ全体が石木ダム特集記事で埋め尽くされ…https://this.kiji.is/680584265152087137?c=174761113988793844


これでは読み辛いので3つに分割して貼付ます。


治水面でも利水面でも、推進派と反対派の主張は平行線で噛み合わないことが書かれている。

こちらは裁判に関する経過のまとめ。


これまでの判決の全てが住民側すなわち反対派の敗訴となっている。この記事を見て、多くの人が、やはり行政側が正しかったんだね、と思うかもしれない。私も昔はそうだった。裁判官は正しいと思い込んでいた。だって、正しくない判決で、無実の人が死刑になったりしたら大変だから。たまには冤罪事件もおきるかもしれないけど、それはごく稀で、ほとんどの判決は正しいのだろうと単純に思っていた。

しかし、刑事事件と民事事件は違う。まして、行政訴訟というヤツに至っては、ほとんど住民側に勝ち目はないことを数年前に初めて知った。(勝率は1割以下)
国や県など行政を相手に住民が裁判に訴えても、裁判官は行政のプロの主張より素人の住民の主張の方が正しいなどという勇気はなかなかないだろうし、プロの間違いや誤魔化しを見抜くにはよほどの能力と努力が必要かもしれない。その上、国の怒りを買うような判決を出して飛ばされた事例をいくつも見聞きすれば、忖度感情が無意識に働いてしまうことも大いにありそうだ。

その結果、私たち原告にとって不当判決が出され続けているが、私たちは決して諦めない。却下されても控訴し、再び却下されても上告し…と挑戦を続けている。これは私たちの権利を守る闘いなのだから、諦めるわけにはいかない。

米国の人種差別抗議デモ、香港の民主化デモと本質的には同じ。国家や法律の不当性に気づいても泣き寝入りしていては状況は変わらない。何とか良い方向に変えようと必死に抗議する人々がいる国は健全だと思う。

来年の9月、新聞にはどのような見出しが躍っているだろう。
それは知事の決断次第。
賢明な判断で、こうばるの持続可能な未来への扉を、開いて頂けると信じたい。