激動の2ヶ月

激動の2ヶ月(1982.4.2~6.3)反対同盟闘争日誌より


4月2日(金) 長崎県、土地収用法第11条による強制立入公告

-1982年4月9日午前9時から1983年3月31日午後5時まで現地に立入る旨-。
4月3日(土) 県より知事名(公印無なし)にて石木ダム関係地権者宛「石木ダム建設計画に伴う測量調査の実施について(お知らせ)」文書送付さる。

町長名にて、石木ダム建設絶対反対同盟加入地権者宛へ「石木ダム建設計画に伴う測量調査の話し合いについて」の文書送付さる。この文書は、宛名及び内容がおかしいことを指摘し、回収されることになった(口約束)が町は回収しなかった。

今後の対策について打合せ(川原公民館)-反対同盟と東彼地区労及び地区労政治局員、町田添収入役来郷

「4月6日川原公民館で会う。ただし、強制立入の公告を取り下げてから応じる」 ことを申し合わせ。
4月5日(月) 川棚町臨時議会で「土地収用法第11条による強制立入調査測量に対する意見書の提出について」14対6で否決さる。

反対同盟員、対策協員、その他多数傍聴。

県より湯浅昭県北振興局長名にて地権者宛「測量及び調査同意の話し合いについて」の文書持配り。

役場玄関に抗議の座り込み開始、8日迄、連日約30名、延べ150名参加。

東彼地区労議長名にて川棚町長へ「石木ダム建設のための強制立入調査実施に対する抗議」提出。同時に、石木ダム強制測量阻止に伴う動員を(133名)を指示。
4月6日(火) 東彼地区労駅前集会。

反対同盟一同名にて竹村町長宛「通知書」、高田知事宛「要求書」送付。

河川湖沼と海を守る全国会議第4回全国大会、九州大会案内状送付。

川原路上及び公民館にて反対同盟と県との会合。県側が「測量調査の同意のお願い」を譲らず、「ダム問題の必要性からまず話し合いたい」とする反対同盟の意向が折り合わず、実質的協議なし。この間、同盟は県に「地権者対象でなく同盟全員と話し合う」また「測量調査の公告を取り下げよ」と主張、県は聞き入れず。

20時50分、双方が川原公民館に入り、当初の話し合いとは別の形で同盟側が岡林土木部長他に、これまでの県の態度を追求、県が9日に予定している強制立入に抗議して終わった。
4月7日(水) 県宣伝カー現地到着。
4月8日(木) 午前2時までバス内で9日の準備打合せ。
4月9日(金) 県、石木ダム強制立入調査。阻止行動により測量中止。-レポート参照-
4月10日(土) 東彼地区労、12日の動員指示。県労評、三村副知事と交渉。

町内PR用ビラ作成。
4月11日(日) 県評宣伝カーによる町内宣伝、「支援参加のお願い」全世帯にびら配付。

町収入役より12日予定の強制測量中止の連絡。

川原公民館にて反省会。
4月12日(月) 川原公民館にて反対同盟と県との話し合いのため事前打ち合わせ、流会。

反対同盟は19時30分から川原公民館で県を待ったが、県は何の連絡もせず拒否。反対同盟は有川助役、田添収入役を呼び事情を質す。両氏ともはっきりとした事情を知らず、県の誠意のなさを追求してもらうことをお願いする。

事前協議をするにあたり、県は次のことを申し入れていた。
  1. 支援団体を話し合いの場に入れないこと
  2. 代表者を10名ほどにしてほしいこと
  3. 鉢巻、ゼッケンなどは着用しないこと
4月13日(火) ニュースで、県は「支援者を入れない話し合いの調整がつかなければ、来週にも強制測量を行なう考え」と報道。
4月14日(水) 三村副知事川棚町役場へ。

町助役、収入役来郷し事前協議(岩下宅)持ち帰り。

16日反対同盟会合し、17日に返答。県との話し合いは19日以降行なうが「強制執行の取り下げをマスコミで報道すること」が条件と申し入れる。
4月15日(木) 田添収入役、川原夜警地へ。
4月16日(金) 川原公民館にて反対同盟会合。田添収入役途中から同席。

「4月10日の時点に戻して、条件なしで4月20日19時30分から川原公民館で会う」と収入役を介して県へ伝えることとする。
4月17日(土) 三村副知事、岩屋公民館で行われた対策協会合へ出席。「強制測量は撤回せぬ」と説明。
4月19日(月) 石木ダム闘争実情報告のため原稿作成。
4月20日(火) 川原公民館にて反対同盟と県との会合(話し合いの前の準備会)

県は「話し合いをしながら測量をしたい」と譲らず平行線。反対同盟は2項目を要求し、後日知事名で文書回答してもらうことを約束する。
  1. 資料の提出を行なう
  2. 話し合いをしている間は強制測量は行わない
4月23日(金) 「県が今週中に回答できないので4月26日、三村副知事が文書を持参する」伝言。
4月25日(日) 全国大会準備。
4月26日(月) 川原公民館にて反対同盟と県会合、三村副知事出席。

県の文書回答に要求事項が外れていたので、改めて
  1. 一方的に話し合いを打ち切るな
  2. 話し合い中は測量をするな
の2項目を要求。回答を待つことになった。
4月27日(火) 県と対策協会合(岩屋公民館)

県は反対同盟へ回答する文書を事前に対策協に示して、了解をとってから反対同盟へ持参するという誠意のなさを示したため受け取りを拒否。しかも、約束した21時までに持参しなかった。
4月28日(水) 県(高橋石木ダム調査事務所長)、回答書と資料持参。

4月27日に対策協に回答文書を見せてから同盟に持参したいきさつがあったため受取り拒否、資料のみ受取る。

メーデー参加準備。ビラ、室原王国旗作成。

県が長崎新聞に「石木ダムの建設にご理解を・・・」の広告。

第6回県労評評議員会で「石木ダム建設反対闘争について」支援体制決定。
4月29日(木) ビラ印刷。エビネラン採取。
4月30日(金) メーデー参加準備。室原王国旗作成。
5月1日(土) 第53回メーデー。長崎、諫早、島原、大村、佐世保、東彼の各メーデーに反対同盟から約10名ずつ参加。
5月3日(月) 中島川まつりにエビネラン等販売の参加。
5月6日(木) NHK「話題の窓」で石木ダム特集。対策協、石木ダム建設に賛成93、中立7、反対37と報道。

反対同盟、石木ダム調査事務所へ県の回答を受取るため5月14日に会うことを通告。
5月9日(日) 反対同盟、室原知幸老の墓参り、星野村視察。
5月10日(月) 川原公民館にて三里塚農民と交流会。三里塚農民石井武氏の「三里塚闘争の経過について」、8ミリによる「抵抗の大地」、「石木ダム反対闘争」の上映。
5月11日(火) KTN(テレビ長崎)で石木ダム特集、14日まで。
5月12日(水) 読売新聞、石木ダム取材「この人に聞く」(岩下和雄)=記事となる。
5月13日(木) NHKニュース、地権者の増加(165名になったと)を報ず。
5月14日(金) 川原公民館にて県と準備のため話し合い、高田知事参加。県、要求の2項目のまず平行線。
5月17日(月) 要求書作成。
5月18日(火) 高田知事、20日までドック入り。
5月20日(水) 反核対馬(つしま)集会のため県労評関係対馬へ。

夕方、各局ニュース「県は数日中に強制測量に乗り出す」ことを報道する。NHK中継車、旭砕石山上に配置。反対同盟家族総出の態勢を連絡。
5月21日(金) 石木ダム強制測量第1日目(10時~12時30分)

石木ダム建設絶対反対同盟家族総出の阻止行動。

8時30分、東彼地区労動員指示。

阻止隊約250名(うち小・中学生37名)、測量調査班57名(うち業者22名)、機動隊140名(4個小隊)、私服刑事役20名。

中石木の石丸留一さん宅で第一次阻止線。約30分で阻止線が破られ、後退りしながら座り込み阻止の繰り返すが、中石木-上石木繁ノ谷-川原、川原入口で突破される。

測量班は機動隊に守られて町道木場線に、川原入口から中木場まで34本の鋲を打ち込んだ。
5月22日(土) 石木ダム強制測量第2日目(9時30分~13時30分)

県及び機動隊前日に同じ。阻止隊約300名(うち小・中学生25名)。

川原入口繁ノ谷に第一次阻止線を張るが、後退路のことを考え団結小屋まで後退して阻止線を張り直す。その直後、機動隊の強行突破とぶつかり、三岳一夫さんが倒れ、機動隊に踏まれて救急車で入院。団結小屋から三岳浅男さんの下まで約300mを3時間阻止したが、機動隊の強行突破で12時30分ころ松本マツさんも倒れ救急車で入院。

測量班は12時40分から13時22分、町道中ノ川内線と木場農道に23本の鋲を打って終了。

支援参加ビラ配布準備。
5月23日(日) 支援参加街頭宣伝ビラを町内全域に配布(反対同盟、東彼地区労)。

木場郷会-部落二部問題。小・中学生の強制測量阻止行動は24日まで行なう。県教委の出方待つ。
5月24日(月) 街頭宣伝。

川棚町教委、緊急委員会。県教委より白石春男学校教育課長派遣、父母の説得を指導。

石木ダム強制測量第3日目(12時30分~16時)

県及び機動隊22日に同じ。阻止隊約130名(小・中学生29名)、川原橋で阻止。測量班が岩屋郷へ向かったため静観。

測量班、町道岩屋線や浦ノ谷などに63本の鋲を打って終了。

阻止行動の参加の小・中学生、川原公民館で長崎大学教育学部学生が先生となり勉強。
5月25日(火) 強制測量中止(長尾さん葬儀のため)。

地区労執行委員会-石木ダム反対闘争今後の取組みについて。
5月26日(水) 反対同盟、県評、地区労動員者、町長へ抗議。

石木ダム強制測量第4日目(12時30分~16時)

県及び機動隊24日に同じ。阻止隊約200名。

機動隊とマイク合戦、団結小屋付近で阻止、機動隊導入で強行突破。小谷では農道に自動車を並べて「市道だ」と立入を阻止した。測量班はあきらめて狩集農道へ、はげしい阻止を繰り返したが機動隊に阻まれ突破。狩集から石木川を下って川原田原まで杭打ちを行なった。杭は計41本(うち私有地16本)を打ったという。

竹村町長、長崎県に「機動隊導入中止」を要請、三村副知事の要請を拒否。

街頭PR活動準備。

木場総会を開き、部落を二分することに決定。反対同盟37世帯、対策協11世帯(うち水没予定5世帯)。
5月27日(木) 川棚町長へ強制測量の中止の申入れ「県へ中止を申入れよ」と要求。

佐世保市長へ抗議。四ケ町にて市民へ協力訴え。川棚町にて街頭PR。

県労評、高田知事に抗議、強制測量中止を申し入れ、県労評「県が県警の都合で27日、28日の両日中止している強制測量を29日再び実施すれば、長期にわたって徹底抗議する」方針を決定。

反対同盟「石木ダム建設に伴う強制測量調査を直に中止することを要求する緊急署名」2万名分印刷。佐世保市民向けビラ作成。
5月28日(金) 反対同盟街頭PR。佐世保市役所、佐世保四ケ町へ、ビラ配布と署名活動。上五島CTS裁判傍聴。
5月29日(土) 県労評、石木ダム強制測量に抗議して県庁内で座り込み、20団体150名。

田口議長ら代表20名、高田知事に強制測量の中止を申し入れ、知事はこの申し入れを突っぱねた。

松永弁護士来郷。署名活動川棚地区開始。
5月30日(日) 全国自然大会志布志大会にて「長崎県の石木ダム建設計画即時撤回」決議全会一致で採択。
5月31日(月) 反対同盟、県労評、地区労、川棚町へ抗議行動、町長不在で有川助役応対、森林組合へ出かけ町長に抗議。

石木ダム強制測量第5日目

県及び機動隊26日に同じ。阻止隊約150名。

岩屋口で第一次阻止線を張ったが、機動隊による強行突破で破られた。小谷入口に第二次阻止線を張って阻止しようとしたが、測量班は町道木場線を中ノ川内へ向かった。このあと、二班に分かれて測量を続ける測量調査班を見つけて「帰れ」「私有地に無断で立ち入るな」と叫び、道路に車を並べて封鎖したり、ゲリラ戦法で抵抗を試みたが、機動隊の暑い壁に阻まれ、県の測量を中止させることはできなかった。測量班、5本の三角点測量を打って終わる。

県労評、県庁内に座り込み。

県庁にて石木ダム対策特別委員会(委員長兵庫文七・副議長ほか8名)及び副知事と交渉。

「強制測量でけが人も出ている。なんとか話し合いによる解決ができないか」と陳情、三村副知事は「これまでの方針どおりにやりたい」と答えた。
6月1日(火) 県、新聞折込で「川棚町の皆様へ」のビラ約4000枚を配布=石木ダムの必要性や地元の人たちへの補償案を盛り込んだチラシ

反対同盟、7名の負傷者と連名で測量中止や謝罪などについて、知事に通知書を弁護士を通じて郵送、3日以内に回答するよう求めた。
  1. 強制測量の際、負傷した7人に直ちに謝罪する気持があるか。
  2. 強制測量を中止する気持はあるか。
  3. かって蜂の巣城で国側がおかした過ちと同様、県も土地収用法第14条を適用して強制的に私有林を伐採するのか。
町長に強制測量中止を求める抗議行動。社会党県議団、知事交渉。県評動員者と反対同盟交流会。
6月2日(水) 町長に抗議。町長土下座の一幕も。

石木ダム強制測量第6日目(12時30分~17時30分)

県及び機動隊31日と同じ。阻止隊約80名。

団結小屋付近で阻止線を張ったが、機動隊導入で突破。測量班を追って山林内へ、県は繁ノ谷からと下木場からとに分けて測量を行ったが、阻止隊は下木場へ終結、山林内の付け替え道路測量に抵抗したが、約80本の杭を打たれる。

社会党県議団(江副茂次副団長ら4人)、佐世保市と川棚町に、県の強制測量中止を申し入れるよう求めた。佐世保市は「県の計画である」と拒否し、川棚町長は「強制測量の現況には頭を痛めている。田植え時期の測量中止については、すでに県に申し入れてあり、4日以後、測量が中止されるのは、申し入れを聞いてもらったためだと思う。この中断期間を利用し、県と反対住民が話し合いの場を持てるよう努力したい」と述べた。
6月3日(木) 町長に抗議行動。

石木ダム強制測量第7日目(12時30分~18時)

県及び機動隊2日と同じ。阻止隊120名。

三岳浅男さんの車庫前に第一次阻止線を張ったが機動隊に排除されて突破された。測量隊は、岩屋口で二班に分かれて現場へ。岩屋班は川口善次さん宅裏から入り、さらに二班に分かれて権現平の方へと瀬戸ノ尾の方へ向かった。木場班は、木場の松本さん宅付近から山林へ入り中ノ川内方面へ付け替え道路の杭打ちを行った。阻止隊は山林内でも抵抗を試みたが阻止はできなかった。この日、打たれた杭は約150本。

本日で第一次の強制測量は終了したが、約400本(補助杭を含む)の杭のうち、ほぼ半数が私有地内に打ち込まれた。

反対同盟は川原広場で慰労会を行った。

石木ダム対策特別委員会佐世保へ、石木ダムの強制測量などの諸問題について話し合い。

『佐世保環境を守る会』(川原紀美雄代表)の代表5人、佐世保市に水需要計画の見直しと石木ダム強制測量を中止させるよう求めた。