9月10日、川棚町で開かれた「ダム問題を考える緊急集会」には、200名近い人々が集まりました。
石木ダム対策弁護団の平山博久弁護士は、石木ダム事業の概要と問題点、
そして裁判の状況について、わかりやすく解説。
「川原」地区総代の炭谷猛さんは、水没予定地に住み続ける思いを切々と吐露。
私たちは、ここに住み続けることを選択した。
ここで一生懸命生きている。
しかし、土地収用法に沿って、収用の手続きがどんどん進んでいる。
数年後には完了するだろう。
しかし、それは紙きれ上のこと。
強制収用されても私たちはここに住み、田んぼを作り続ける。
それは、私たちの生きる権利です。
続いて発言されたのは、荒瀬ダム撤去を実現した第一人者、つる詳子さん。
自然観察指導員として、様々な調査や聞き取りを実施する中で、ダムの環境破壊を痛感。
川棚町民にダムの真実を伝えたいと、熊本県八代市から来て下さいました。
参加者は、映し出されるたくさんの写真を見つめながら、つるさんの話に耳を傾けました。
要点を以下にまとめてみましたのでご覧ください。
つるさんが、その美しさに心奪われたという川辺川は球磨川の支流です。
そこにダム計画があることを知り、ダム問題への取り組みを開始します。
なぜなら、当時、球磨川流域には既に荒瀬ダム、瀬戸石ダム、市房ダムが有りましたが、それらのダムによって住民は大きな被害を被っていたからです。
1.それらは発電用のダムで、放流時の振動による被害が続出していました。
2.ダム建設後に大きくなった水害。
3.漁業への被害
魚貝類や海苔などがほとんど採れなくなったそうです。
ダムによって50年も苦しめられてきた流域住民は「ダムは百害あって一利なし!」
これ以上ダムを造るな!
球磨川を返してくれ!と動き始めます。
国交省を相手に9回も住民討論集会を開催。
これが大きな力となっていきます。
世論の8割がダム反対になった頃、
知事は川辺川ダムの中止を決断し、
その後、荒瀬ダムの撤去も決まりました。
2008年、荒瀬ダムのゲート全開。
2012年本体撤去開始。
半分撤去した頃。
現在は、この柱は全部なくなっています。
その結果、河口部には多くの貝類が復活し、
でも、それ以上に、
潮干狩りを楽しむ人が増え・・・魚貝類も生き抜くのがたいへん!(>_<)
ゲート全開前は30cmほどだった青のりが、今や4mにも!
最後のまとめはこちら。
そして、川棚町民へのメッセージ。
私は、実は2012年の春、荒瀬ダム撤去「前夜祭」に参加させて頂きました。
つるさんのお話も何回も聴きました。
そして、その度に感銘を受け、この真実を、つるさんのお話を、
ぜひ川棚町の皆さんに聴いてほしいと、ずっと願っていました。
それが実現して、本当に嬉しいです。
昨日参加された皆さん、是非このメッセージを周りの方に伝えていきましょう!
ダムができたら、川や海は必ず疲弊する。
ダムができるまでは水没予定地が苦しみ、完成後は流域住民が苦しむ。
荒瀬ダムの間違いを繰り返さないで!