今日は、3月12日。
こうばるでは、一年に一度の大切な「団結大会」の当日です。
その日の朝、長崎新聞を開くと、こーんなビッグな記事が・・・
あまりにも大きくて・・このままでは字が小さくて読めません。
分割して、見てみましょう。
まず、右上の部分。
こうばるには古里を大切に思う人たちが暮らしている。
その一人、炭谷猛さん(3人の孫と息子夫婦と妻と暮らしている)は言う。
ここから見えるもの全てが俺の古里。
なぜ、この地を奪われなければならないのか。
生まれ育った地で幸せに暮らすことは、憲法でも保障されているはず。
炭谷さんにとっての幸せな暮らしとは?
ダムのない暮らし。普通の暮らし。
石木ダムのおかげで、仲間を失った、地域は分断された。
それでも工事差し止めの仮処分は却下された。
本当に「権利侵害はない」のか?
「平穏に生きる権利」を求めて、炭谷さんたちは本訴訟で訴え続ける。
古里に住み続けたいという個人の権利は、どこまで尊重されるべきか。
大阪市立大学大学院教授の除本理史教授は言う。
建設予定地の住民が古里に住み続けることは、直接的に誰の人権も侵害しない。
県が主張する公益(利水、治水面でダムが必要)のため、住民に特別の犠牲を強いることが妥当なのか。
自然豊かな場所で生きるという非貨幣的な価値が見直されてきている中、司法はどうかじを切るのか、試金石の一つになるだろう。
とのことで、司法の判断も分かれるところなのでしょうか。
それにしても、13条の条文が自民党改憲草案のように変われば、
「公共の福祉」は「公益及び公の秩序」となり、
それに反しないかどうかは権力者が判断するのですから、
住民の権利など「公益に反する」の一言でバッサリ切られてしまう・・?