つい先日、こうばる住民のお一人から届いたメールを紹介します。
ある婦人がこう言った。「主人が生きている間に石木ダムが出来なかったら…死ぬにも死にきれない」
私がダム水没予定地の住人だと知りながら。
すでに4家の土地(田畑)が強制収用されようとしていることもニュースでやり始めた頃の話だ。
婦人によるとご主人は、当時役場の建設課のお偉いさんだったようで、町長さんにいろいろ言われながら過ごした。それも数年間も。
だから、ダムを造って欲しいのだそうだ。
涙まで流してみせた。それで…?
私は呆気に取られた。
元役場職員ならば、町民にとって何が大事なのか考えること。
今は役職考えずに正しいと思うことが言えるはず…。
それになんで婦人にお願いされなければならないのか?
私はきっぱり「それは残念ですね〜。私たちはずっとこうばるに住み続けるので…。」それだけは伝え、その他のいろんな想いは飲み込んでおいた。
なんのためにダムを造りたいのか…。
呆れてしまった。この問題についてどこまで知っているのか?(内容はさっぱり知らない様子だった)
こうばる住民は50年もの間ずっと付きまとうこの問題に悩まされているのに、たった数年辛かっただけで何を言っているのか?
私たちはいつまで続くかわからない闘いを続けているのに…。
こんな町民がまだまだいるのかと思うと、とても寂しい気持ちがした。
ずっと前に書き留めておいていたものです。
誰かに伝えたかったので…。
送ります。
このメールをくださったこうばる住民のXさんの心には、今も婦人の言葉がトゲのように刺さったままです。でも、婦人はそれを知らない。婦人に悪意はなかったので、きっと忘れていることでしょう。
こういうのを「悪意なきイジメ」というのでしょう。
悪意はないけれど、自分の視点のみで物事を考え、その考えを無邪気に口にする。相手の心情など想像することもなく。
今そんな人が増えているような気がします。
これだけ情報が溢れ、容易に入手できるにもかかわらず、客観的な情報など知ろうともせず、不利益を被る人の想いなど「忖度」しようともせず、自分たちにとって有益ならそれでいいと。
そして、悪意なきイジメが増えていくのを、悪意ある人々は利用します。
それを防ぐために、私たちにできることは何でしょう。
やはり事実を真実を、一人でも多くの人に伝えていくしかないのでしょう。
石木ダムが佐世保市民や川棚町民にとって、どれほど大きな不利益をもたらすかということを。
同じ町に住みながら、町内の住民を、敵・味方に二分化させた石木ダム建設問題。
時の政権に振り回される地元こうばる住民の方たちの思いを考えると、何十年経っても解決の糸口が見えない事に憤りしかありません。
地元で行われた一昨年の同窓会の2次会での出来事です。
普段から石木ダム建設に反対の私は、同じ空気、同じ景色を見て育ってきた、ある意味幼馴染にも近い友人達にざっくばらんに石木ダムについてどう思うか聞いてみました。
最初から「あんなもん絶対いらんやろ」という言葉を期待していた訳ではありませんが、
予想どおり、「うーん。。わからん」「難しかこと言わんでよかたい」
そこへ、小さな土木関係の会社を営む男性が割って入ってきて、お酒の勢いだけとは思いませんが、ある種、恫喝にも聞こえる大きな声で言いました。
「なんば良いよっとかっ、ダムは必要に決まっとろうもん。水は足りとらんとぞ!」
彼の仕事を思えば、ダム工事によって孫請け、そのまた下の孫々受けの仕事が回ってくるとでも思っているのでしょう。
・・・生活していく上での気持ちは分からなくもありません。
でも結局は、誰もダム問題をきちんと理解したり知ろうとしていないだけなんじゃないかな。
何故なら、町を元気にしたいと立候補した町会議員の男性すら「ダムは必要」と援護射撃をしていました。
どうしてダムが必要なのか聞いても、明確な答えを言えない町会議員。そんな人が町を廻しているのです。
同じ町に住みながら、すぐ傍で今現在苦しんでいる人たちがいることすら、「わからん」「難しいこと」と思っている人たちがいる事に虚しさのあまり、その場をものの20分程で退席しました。
支援者Kさん、コメントありがとうございます。
それが現実なんですね。佐世保も似たような感じです。
本当は私たち一人ひとりにとても関わりのある問題なのに、なぜそれが伝わらないのかな~と不思議でしたが、関わりになりたくないという潜在意識もあるのかもしれませんね。
ニーメラー牧師の言葉を思い出してしまいました。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
こんな社会にはしたくないから、
やはり、これからも、諦めずに伝え続けていくしかありませんね。
石木ダム問題は私たちや、私たちの子や孫にも大きく関わる問題なのだと。