10日ほど前の記事ですが、京都新聞に掲載されたダム関連の記事をご紹介します。
「官僚たちの八ッ場ダム」
文字が小さくて読み辛いと思います。こちらにpdf版もあります。
http://www.ookawaramasako.com/wp-content/uploads/2012/01/
筆者は、宮本博司さん。
元国交省官僚で河川行政一筋に取り組んできた方。
淀川水系流域委員会の委員長でもありました。
その宮本さんが、こう言っています。
官僚たちにとって八ッ場ダムは、
「何年かかろうが、どんなことをしてでも継続しなければならない」事業だったと。
だから、大臣が中止宣言をしても従うわけがない。
大臣の言葉は「とりあえず神棚に上げておいて」、官僚たちは粛々と準備を進めた。
水没住民に対して、
「ダム建設が中止になれば生活再建ができなくなる」と発信し、
住民を怒らせ、自治体首長に中止反対の声をあげさせる…
それは優秀な官僚たちにとって「お手の物」のことだと。
そして困った大臣の中止宣言を神棚から下ろす仕掛け、それが有識者会議だったのです。
<今後の治水のあり方に関する有識者会議>
「ダムに依らない治水を目指す」といいながら、大半をダム容認の御用学者で占め、
会議は非公開で行われ、まとめられた検証手続きは、目標とは正反対のもの。
この手続きに沿って、八ッ場ダムだけでなく検証対象となった全国各地のダムが、
検証の結果、「事業継続」「ダム案が最良」「やはりダムしかない」などとお墨付きをもらっている。
石木ダムもまさにその一つです。
長崎県は昨年7月、事業継続の方針を国に伝えました。
なぜかまだ有識者会議にはかけられていませんが、そのうち・・・
宮本氏はこう結んでいます。
その結果、住民の命を守るために優先的に実施されなければならない対策が後回しにされ、
無残に川の命が奪われていっている。
八ッ場の結末は、
八ッ場を超えた極めて深刻な問題であることを重く受け止めなければならない。
皮肉にもダム建設に批判的であった民主党の政権時代に、官僚の思うがままに、
ダム建設に強力なお墨付きを与える仕掛けをつくってしまった私たち世代は、
子供や孫に顔向けできない大きく、取り返しのつかない罪を犯した。
慙愧に耐えない。(樽徳商店代表取締役)
かつて官僚であった宮本氏の言葉だからこそ、深く強く胸に響きます。
ところで「樽徳商店」って?と思い調べて見ると・・
宮本氏が官僚を辞めて継いだ家業のお店の名前。
明治5年の創業、元々は酒樽のお店だったのですが、
時代の変遷と共に、ポリ容器や科学機器、包装資材を扱う商店に変わっていったようです。
で、宮本氏の夢は、本物の木の樽の復活だとか。。。