荒瀬ダムは、発電目的で熊本県八代市(旧坂本村)に造られたダムです。
1953年着工1955年竣工。
1年半ほどで完成したのに、撤去にはなんと6年もかかるそうです!
また総工費は26億円だったのに、撤去費は90億円だとか!?
それほどの費用をかけてもダム撤去が決まったのは、
水質汚濁、アユなど漁獲量の激減、悪臭、甚大な水害などなど、住民にとって耐えられない邪魔な存在になってしまったからです。
ダム撤去が決まった昨年からゲートは全開。
いまではこんなにきれいな水が流れていますが、以前は臭くて淀んだ水だったそうです。
さて、この日本初のダム撤去を記念して、3月31日と4月1日の2日間にわたってイベントが開催されたので参加してきました。
まず参加したのは、講演会「球磨川とアユの再生を考える」
河川生物調査事務所代表の高橋勇夫先生は、高知県奈半利川における天然アユ再生の事例を紹介しながら球磨川の場合の可能性や問題点について、わかりやすく話して下さったはずですが、球磨川についても、魚や釣りについて何の知識もない私には理解できないことも多々あり…。
それでも唯一分かったのは、ダムがいかにアユの生育を阻害しているか、でした。
ダムができたことによって、直後から半分は減少します。
川が分断され、水の流れが減少するからです。
その後、ダムの影響で河床が劣化したり水温が変化したりすることによって、さらに減少します。
魚道の問題も大きいようです。
参加者からは多くの質問が出され、真剣さや熱意が伝わってきました。
清流球磨川の恵みを受けて、漁業や釣り客相手の仕事を生業として生活してきた住民にとっては当然のことでしょう。
なんとかアユを球磨川にとりもどしたいという思いがひしひしと感じられました。
この強い思いが知事や国を動かしたのですね…
さて、夕方からは、「道の駅 坂本」横の河原で前夜祭です。
撤去を勝ち取った人々の顔には笑顔があふれていました。
こちらは元坂本村の村長さん。
村長さんも村議会も全会一致で荒瀬ダム撤去を可決し、住民と共に力を合わせてこられたんですね。
話を聴きながら女性たちが作っているのは今夜のご馳走。
シシ汁に、里芋・トーフ・こんにゃくの田楽、鹿の刺し身、などなどごちそうがいっぱい。
もちろんこれ、アユの塩焼きも!
かつては「石を投げるとアユに当たる」と言われたほどアユが捕れていたって?!
しかし今は激減、参加者全員に行きわたるほどはありません。
でも、私たち遠くからの参加者には優先的に権利が与えられ、有り難く頂きました。
とても美味しかったです。
地元の方のお話の中で心に残ったのは水害の話。
「昔は水害なんてなかった。洪水はあったが、水が引いて乾けば床の上にザラザラと砂が残っているので、それを掃き出して終わり。無精者はたまに掃除がでけて良かことじゃ言うとった」
「ところが荒瀬ダムができてからは、全く違う。押し寄せる速さが違う。畳を上げる間もない」
「水が引いてもヘドロがいっぱい残って、臭くてやりきれん。二度と水につからんように嵩上げしたり、他の土地に越して行ったもんも多い」
また、蛍の話も…
昔は蛍が乱舞していた。
時期になると蛍を見に来る特別列車も走った。
「今は?」と訊くと、「今はほとんどいなくなった。エサになるカワニナが激減したから」という。
「どうして?」と訊くと、「たぶん護岸工事のせいだろう」と。
いなくなってからでは遅いのですね。
石木川にはまだまだたくさんの蛍がいます。
まだ間に合う。
今気付けば間に合うはず…
遠くからありがとうございました。
遠くからの参加ありがとうございました。石木ダムの話もゆっくり聞く暇なくて申し訳けなかったです。でも、故郷の川を沈めたら、地元の人だけでなく、上流下流、そして海までの人がどんなに被害を被り、後悔するか、また、川が流れているという当たり前のことが、55年の苦節にもかかわらず、地域に喜びをもたらすか感じていただけたと思います。石木川流域や河口の漁業者の皆さんにも自分たちの問題として頑張ってほしいです。
お世話になりました
お忙しい中お気遣いありがとうございました。
行ってみて、実際に見たり聞いたりして、いろんなことを実感しました。
まさに「百聞は一見に如かず」です。
そして、皆さんの嬉しそうな笑顔が一番心に残りました。
またお会いできる機会を楽しみにしています。