昨日午前10:00、石木ダム建設促進特別委員会が始まりました。
私たち「石木川まもり隊」が提出した「石木ダム建設用地の強制収用反対を求める請願」についての趣旨説明をさせて頂くことになりました。
傍聴席には地権者の方々をはじめ20名以上の皆さんが集まって、無言のエールを送って下さいました。
私たち3人は、それぞれが思いを込めて書きあげた原稿を手に、心を込めて訴えました。
「石木ダム建設促進」の委員会であっても、そこに集まった委員であっても、
委員である前に市議である。
市民の声を聴く義務を負った市議である。
ならば、心を込めた訴えには、たとえ自分の考えと違っても耳を傾けて下さるはず…
などと期待した私たちが甘かったのか…
私たちの趣旨説明が終わり、さあこれから、
意地悪な質問やきつい意見が返ってくるかと準備していたのに、
誰一人質問はなく、意見もなく、無言・・・
そして、いったん閉会、15分後に再開してもう採決するのだという。
あまりにも早い。
いやな予感。
継続審議にするのか…?
委員会再開。
冒頭、委員長が継続の意思を確認するが皆さんNO。
討論に入る。
民主党の片渕議員がすぐに手をあげ、請願に反対の意見を述べた。
その内容のポイントは次の通り。
1.長崎県と佐世保市は、石木ダムの事業認定を申請しているが、これは強制収用を目的としているものではない。長年にわたって地元の一部の皆様からご理解をいただけないために、土地収用法第18条に基づいておこなったもので、事業の公益性を認めてもらうのが目的である。
2.石木ダム事業は、川棚川の治水と佐世保市の利水の、二つの大きな目的がある。26万人地域住民の安全と安心のために必要不可欠な百年の大計である。
3.事業認定庁は、公聴会で賛否両方の意見を聞き、第三者機関である社会資本整備委員会に認定の是非について意見を聴取し、民主的に公平公正な判断が下される。
4.過去の事例をみても、このような認定までの民主的な過程の手続きの中で話し合いがなされ、事業が進展した例も数多くあるので、石木ダムもそうなることを期待している。
5.強制執行を行うためには、土地収用法第39条第1項に基づく裁決の申請が必要で、現時点ではそのような手続きは行われておらず、また今後手続きを行うという考えも示されていない。
6.以上の観点から、今、強制収用について論じる段階ではないので、民主市民クラブ会派としては、本請願は不採択とすることに決した。
7.佐世保市民は長期渇水になった時、市民生活、経済活動、そして命にかかわる問題として、長く不安を持ってきた。これから佐世保市民が安心して暮らせるためには、どうしても石木ダムを作らせていただきたい。現地のみなさまには大変な御苦労とご負担をおかけして申し訳ないが、何とかこの佐世保市民の悲願である石木ダムを作らせていただきたい。
このような意味のことを、用意した原稿を読み上げての反対討論でした。
15分やそこらで書き上げたものではないのは明らかで、前もって準備されてたようです。
その証拠に、私たちの説明を全く無視した主張ばかりです。
まるで何も聴いていませんでしたと言わんばかり!
例えば、3.の中で、公聴会や社会資本整備委員会で意見を聴取し、その結果「民主的に公平公正な」判断が下されると言われたが、その前に私たちはこう述べました。
これから公聴会や社会資本整備審議会などで意見を聞き、公益性の有無を判断すると言われますが、それらは形式にすぎません。
なぜなら、公聴会で意見を言えるのは限られた人数で、しかも1人15分程度と制限されています。
社会資本整備審議会で審議されるのはあがってきた書類を見て、手続き上の瑕疵が無いかどうか判断するだけです。
だから、事業認定申請されたケースはほぼどれも認定されています。
ダム事業の場合、認定されなかったケースは聞いたことが無いとダム問題の専門家が言っていました。
私はデータを持っているわけではありませんので断言はできませんが、議員の皆さんには是非お調べ頂き、教えてほしいと思っています。
そして、この片渕委員以外は、一言の発言もせず、採決に入り、
「強制収用はしないでほしい」という請願を不採択としました。
年老いた地権者の前で。
すべて終わって、私たち「石木川まもり隊」の心も萎えていましたが、
傍聴者のお一人から、励ましのメールを頂き、中にはこのようなことが書かれていました。
諄々と説いていく内容でした。
私は、幾度か請願説明の経験がありますが、今日は粛然とした雰囲気を感じました。
不採択理由の中心は、「いまは強制収容を論議する時ではない」でした。
「強制収容」への賛否表明から逃げる態度です。
請願内容への「質問」はありませんでした。
採決では、「請願採択」への「賛成」を求める方法でした。
「不採択」なら黙っていればよいのです。
自らの態度表明を曖昧にやりすごす卑怯を許すものでした。
しかし、いずれ強制収容への賛否が問われる時期が来ます。
それは、「強制収用するなら、私を殺してからせよ」との地権者の覚悟に対する 議員の「覚悟」が求められる時です。
S・Yさん、ありがとうございました。