彼女は今年の夏、SDG’s 関連の授業の中で石木ダム問題について学ぶ機会があり、様々な資料や意見に接することができたのですが、その後も自分自身で長崎県や佐世保市に電話したり、地元住民の方に手紙を出したりして学び続けていました。
以前、佐世保市の水需要予測について手紙で説明したことがあったからでしょうか、直接オンラインで話をしたいとの連絡があり、喜んで応じました。
その授業を担当された先生がzoom会議を設定して下さり、彼女の後ろから見守るように座っておられました。
利水の問題だけでなく、治水や工事のこともいろいろ聞かれ、意見交換は2時間にも及びました。質問を聞きながら、最新の状況をよく知っていますね~と言うと、長崎新聞のオンライン記事を度々チェックしているとのこと。長崎県からは遠く離れた場所に住んでいるのに、県民以上に石木ダム問題を真剣に考えてくれていることに、驚くやら嬉しいやら・・。
しかし、彼女自身は、私と話したことによって、これまで石木ダム建設事務所や、佐世保市水道局、長崎県政策企画課に電話取材した際の認識とのズレや食い違い、立場の違いを再認識し、新たな疑問やモヤモヤした気持ちが生まれたようです。
それは当然です。
県民でさえ多くの人が、アンケートの度に、石木ダムの必要性については「よくわからない」と答えています。他県の高校生が、事業者である行政による説明と、反対している県民の話を聴いて、「どっちがホントなの?どっちを信じればいいの?」とモヤモヤするのは当たり前。どちらの話も鵜呑みにせず自分で判断しようとしている証であり、立派だと思います。
実は私の中にもモヤモヤが生じていました。
治水については分かる範囲で、利水についてはほぼ全ての疑問に答えたつもりですが、何回説明しても彼女が納得しない問題がありました。
それは、「話し合い」について。
彼女は、知事もこうばるの方も、どちらも話し合いたいと言っているのに、どうして実現しないのかが理解できないようでした。
私は、
・住民の皆さんは工事を中断すれば話し合いに応じると言っているけど、県はそれを受け入れない。本当に話し合いたいのなら工事を中断すべきだと思います。
・住民の皆さんが話し合いたいテーマはダムの必要性です。ダムが必要かどうか、それを話し合うのに、工事をしながらというのはおかしいでしょ?必要と決めつけていることになりませんか?
・他のダム問題の裁判で、ダムの必要性に疑問ありの判決が出たのだけど、その時すでにダムは完成してしまっていたということがありました。裁判をしながら工事は続けていたからです。それでは裁判をする意味がありませんね?
などと、いろいろ話してみたのですが、彼女が頷くことはありませんでした。
「話し合ってるうちにダムができてしまうのですか?」
「どちらかが先に受け入れないと、いつまでも話し合いはできないのでは?」
と問われ、私は少々困惑しました。
確かに、数週間や数ヶ月話し合いが続いたとしても、そんな短期間でダムができるわけはない。しかし、だからといって工事を続けながらでは落ち着いた話し合いはできないし、住民の方が妥協すべき問題でもない。
これは、大切な権利の問題なのです。
元々そこは先祖代々受け継いできたかけがえのない土地で、住民の方はそこに住み続ける権利を持っていたはず。その財産権や生活権は憲法でしっかり守られているもの。
しかし県はそこにダムを造りたくて出て行って欲しいと願っているのだから、そのダムの必要性をしっかり説明する責任は県の方にあるし、そのための話し合いなのだから、住民の方の要望や条件は受け入れて、県は話し合いのテーブルに着くべきだというようなことを縷々語ってみたのですが・・・
話し方が下手なせいか、内容が難しいのか、両方なのか、なかなか理解してもらえませんでした。
そこで、私もモヤモヤ考えていたのですが、高校生と私のような熟年世代の価値観が大きく異なっているのは当然だし、それを忘れて自分の物差しで語っていたことに気づきました。
今度話す機会があったら、もっと簡単な例えで話してみようと思いつきました。
二人三脚で目的地に向かっているAさんとBさんは、分かれ道に差し掛かりました。
Aさんは左を行くべきだと言い、Bさんは右だと言い、意見が分かれました。
そのとき二人はどうするでしょう?
当然、立ち止まって、どちらの道を選ぶべきか話し合いますよね。
例えば右の道を歩きながら、どっちにする?なんて話し合いませんよね。
だって、話し合った結果、左の道にすべきとの結論に達したら、いま来た道を引き返さねばなりません。時間と体力の無駄遣いです。
石木ダムを造る(右)か造らない(左)かを話し合う時も、立ち止まる=工事を止めることが必要です。
こんな例えを思いついたのは、今日テレビで、あるコメントを聞いたから。
コロナの水際対策についてです。
今年3月、欧州で感染が拡大しだしたことを受け、専門家会議は「要望書」という形で政府に水際対策の強化を求めたのに、政府はすぐに実施しなかった。実施すべきかどうかの判断を下すまで、様々な情報の入手や分析に10日ほどを要した。その間に新型コロナウイルスはどんどん国内に流入してしまった。あの時まず流れを止め、それから検討すれば良かった。その結果もしも大丈夫との判断が得られたら再開べきだったのだ。
過ちを防ぐには、立ち止まって考えることが大事だと、その専門家はおっしゃっていました。
何でも同じですね。
立ち止まる勇気を長崎県も身に着けて欲しいものです。