【Aさんのレポート】
私は去る4月24日に、市民街頭運動「長崎県の3大悪政をSTOP!」を見学してきた。この市民運動はタイトルにもある通り長崎県の3つの悪政といわれる「石木ダム建設」と「諫早湾の干拓事業」、「ハウステンボスへのカジノの誘致」について反対の意思を示し、署名を集め、県民により知ってもらうための運動であった。
私自身このような政治に関する市民運動は正直なところ煙たがっている部分があった。なぜなら、県政に異を唱える人々の話が主観的すぎると思い込んでしまっていたからだ。しかし、今回の街頭集会を見て、実際にそこで活動する方々にお話を伺ってみて、この人たちは自分たちが住むこの長崎県をよりよい場所にしたい一心で活動しているのだと思い知らされた。
私が特に興味を持ったのは石木ダムの建設についてだ。そもそもダム建設には広大な土地が必要であり、住める場所が少ないこの長崎にとって居住可能な場所を減らされてしまうのはとても手痛い問題だと思う。街頭集会に参加していた県議会の女性に話を伺ったところによると、ハウステンボスの建設などが始まり、一時的に労働力が必要となって人口が増え、水の需要が大きくなったことは確かにあったという。しかし現在では長崎県の人口は水の需要が高かった当時より減少し、ダム建設の必要がなくなったということだ。
私はその街頭集会において手渡された資料の中に具体的なデータが載っていないことに少し疑問を感じることはあったが、この問題の中に日本の政治の欠点を垣間見た気がした。
日本でダム建設のような巨大な事業を執り行うには膨大な手続きと金と時間がかかる。その間に問題が解決してしまった場合の柔軟な対処とでもいうべきものがこの国には足りないと感じた。
今回の経験を通して国の意見、県民の意見を聞き、自分の頭で考えていくことができたので、これからも様々な問題に対して自分で情報を集め、自分で悩み続けていきたいと思った。
Aさんのように、「市民運動をやる人たちの話は主観的すぎる」という先入観を持っている若者は少なくないのではないかと思います。
私たち世代からすると、なぜそのように見られるのか・・悲しいと言うよりも不思議な気がします。今の若い人たちは、今の暮らしや社会に全て満足しているのだろうか?このままでいいと思っているのだろうか?と。
でも、Aさんは実際に活動している人の話を直接聴いて、その考えが変わったという。
そこが大事ですね。じっくり耳を傾けてみるとか、対話してみるとか。1歩近づいてみると印象が変わったり、実像が見えてきたりするものです。互いに、思い込みを横に置いて、まずは話してみる、その大切さを改めて感じました。
また、Aさんは、特に興味を持ったという石木ダム問題については、こう述べています。
「この問題の中に日本の政治の欠点を垣間見た気がした」それは、「ダム建設のような巨大な事業を執り行うには膨大な手続きと金と時間がかかる。その間に問題が解決してしまった場合の柔軟な対処とでもいうべきものがこの国には足りない」と。(同感!)
そして最後には「これからも様々な問題に対して自分で情報を集め、自分で悩み続けていきたいと思った」と結ばれていました。
最後の言葉に感銘を受けながら、他の学生さんたちはどうなんだろう?Aさんのような考え方は少数派なのか?それともけっこう多いのか?興味が湧いてきました。
実は、石木ダム問題について学び、レポートを提出した学生さんはAさんだけでないのです。
そのレポート集がこちら。石木ダムレポート
石木ダム問題に対する長大生104人のレポートが詰まっています。
「氏名その他の情報は一切伏せ、本文だけならネット上でも公開OK!」として送られてきた貴重な資料。感謝を込めて公開させていただきます。
ファイルを開いて読まれた皆さん、どうでしたか?
予想通り?意外?それぞれの感想を持たれたことでしょう。
私が感じたのは、意外にも世代間のギャップを感じなかったということ。
多くの学生が、利水面でも治水面でも、石木ダムの必要性に疑問を感じ、人権を無視した県の強権的なやり方を批判していますが、中にはダム必要論を説く学生ももちろんいます。それでも、対話が必要であり、説明を尽くすべきという観点では一致しています。例えば・・
【Bさんのレポート】
石木ダムで一番の問題は、1882年の県が県警機動隊を導入し、住民を排除しつつ強制測量を行ったことだと思う。「地元の了解なしではダムを作らない」とする覚書を無視している上、強制的に排除されたことにより、住民に心の傷を負わせたこの行動は正当化できないと思う。県は、行動に移す前に住民が反対している理由を考えるべきではないか。私は、住民が反対する大きな理由として石木ダムの必要性があると言えないことがあげられると考えている。まず、石木ダムの建設の目的の一つである佐世保市の水の確保だが、県がその根拠としている将来水需要の過大予測は、実績は全体的に見ると減少しているのに、予測は急激に増加していることから、明らかに不自然な予測であると言える。実際、予測は外れ、佐世保市の水の需要は、急激な増加はなく、減少しているため、この目的は石木ダムの建設の目的として納得することはできない。また、川棚川の洪水の防止という目的だが、石木ダムの建設予定地は、川棚川の中で、狭い範囲しかせき止めることができないため、洪水対策ができるかというと厳しいという判断できるので、この目的もまた石木ダムの建設の目的として納得することはできない。このような納得できない目的で作られる石木ダムの建設費の538億円は、税金の使い道として、はたして適しているのだろうか。県は考え直すべきではないか。覚書にも記載されている通り、住民を、県民を、納得させる目的を提示しない限り、県は石木ダムの建設を進めるべきではない。
【Cさんのレポート】
石木ダム問題が未だに解決しないのは行政と住民との対話が不十分であるからだと思った。ダム建設は公共の利益のためにそこに住む人々の居住地だけでなく、地域のつながりや思い出などを奪う原因にもなる。しかし、国家規模で考えると、犠牲を出してでもダムを建設する必要があるのだと思う。ビデオの中で、住民の方々が雨の日も毎日バリケードを形成しているのを見て、自分の故郷を奪われるということは耐え難いものであるということを想起させられた。しかし、石木ダム問題はいつか解決しなければならず、住民と行政の間でうまく折り合いをつけなければならないのであろうが、私自身その方法を考え付くことができず、非常に難しい問題であるように感じた。
【Dさんのレポート】
ダムを作ろうとすること自体は悪いとは思わない。しかし、住民からこれだけの反対意見が出ている以上耳を傾ける必要は大いにあるだろう。そもそもこの計画が立てられてからかなり多くの年数が経過しているため、それをそのまま実行しようとするのは技術的な面などもあわせて現実的ではない。技術的面での見直し、地域住民への理解、そもそもの計画の必要性の検討しなおしが必要だと思われる。
若者だろうが高齢者だろうが、石木ダムについてきちんと学んだ人の考えは、1点において共通しています。ダムの賛否にかかわらず、「住民の声に耳を傾けよ」「対話を尽くせ」ということです。
そう言えば、去年こうばるに社会科見学に来た小学生たちの感想文も同じ内容でした!
ということは・・・
石木ダムはとにかく造るべし!
対話も説明ももう要らない。
決められた通り前に進めるべし!
と言っているのは、石木ダムのことをきちんと勉強していない人たち?
ってことになりそうですね~
でも、それって、佐世保市長の議会答弁とよく似ていますが・・・
・石木ダムの必要性については既に説明を尽くしている。
・最高裁の判断も示されている。
・情にとらわれることなく、法のルールに従って執行していくことが法治国家としての行政の務めである。
(2021年6月24日:佐世保市議会本会議で小田市議の一般質問に対する答弁要旨)