18日本会議最終日、私たちが提出した請願について採決がおこなわれました。
17日の石特委員会で全員の反対で不採択になっていますから、
結果はわかっていましたが、やはり確認に行きました。
請願に賛成したのは、社民党3名+共産党1名=4名のみ。
あとは全員反対で、結果、不採択。
その後も、私は傍聴席に残っていました。
最後まで居るつもりでした。
それは、水道局長の退任挨拶を聴くためでした。
川久保水道局長が今月いっぱいで辞めるらしい!との情報を得たのは5日ほど前のこと。
なぜ?普通は3月末なのに…
体調の問題?それとも…
市議さんたちの間では、「あんたがあんまり苛めたからだよ」と、
石木ダム問題で水道局長を追及し続けてきたY市議が容疑者扱いされたり、
当のY市議は、「いやいや、彼は案外僕と同じ思いかもしれん」と想像したり、
それを聞いた市民は、また全然違う見方をしたり…
そんなこんなで大きな関心を持って拝聴しました。
要点をまとめると、
★ 4年前水道局長になった時、私は4つの水を課題とした。
「原水の確保」「漏水の防止」「簡水の統合」「下水の普及促進」の4つで、
この4年間で、ほぼ目標を達成したり道筋を付けたりできた。
(具体的な数字を入れながら説明)
★ 中でも、原水の確保、つまり石木ダムはたいへんだった。
着任した時すでに事業認定の申請が出されていて、その後、ダム検証や再評価など
高いハードルがあったが、それを乗り越え、9月6日、やっと事業認定の告示がなされた。
★ 水道局長に着任した最初の議会は22年6月議会だったが、その時以来15回連続で
石木ダムについての質問があった。一人の議員が一つのテーマで15回も続けるというのは
ギネスものではないか?(議場、爆笑)
しかし、そのような追及があったので、ダム検証など乗り越えられた。大変感謝している。
★ 何とか役目を果たした今、3月ではなく今の時点で次の管理者に引き継ぎたいと思う。
というのは、自分が水道局長になった時、予算も人事もすでに出来上がっていて、
自分の手では何もやれなかった。次の管理者にはそんな思いをさせたくない。
それが理由だ。重病説が飛び交っているようだがそうではない(議場、大爆笑)
★ 佐世保には未来がある。工業団地にはこれから工場が入ってくるだろう、港が整備され、
中国や韓国との交流が増えるだろう、ハウステンボスも元気だ、前畑弾薬庫跡地の開発、
等々、佐世保の発展の可能性は高い。
それを実現するのは議会と行政の連携、そして水が必要である。
結びに「川久保は最後まで水、水、水…と言っていたと語り草になるかもしれませんが」といい、
「新しい水道局長にも叱咤激励を。叱咤、叱咤、叱咤ではなく、叱咤、激励、激励くらいで…」
など、ユーモアたっぷりに、最後まで完璧なご挨拶でした。
さすが川久保局長、スマートな弁だったな〜と思いました。
しかし、残念です。
もしかしたら…との思いはみごとに裏切られました。
私のかってな誤解でした。
「強制収用も選択肢として有り得る」と言った県知事や、
それを支持しようとする市長の意思を確認し、
自分はその一員ではいたくない、地権者に鉈をふるう当事者にはなりたくない、
との思いで、職を辞していかれるのかも…
水道局長として、佐世保の水事情を知り尽くした結果、
流血の事態を招いてまで力尽くでダムを造る必要はないとの思いもあって…
などと、美しい誤解をしていました。。
実際はその反対で、
最後まで、水、水、水が必要(=ダムが必要)というお気持ちだったのですね〜
残念です。
宮仕えは、板ばさみで苦しいから
佐世保市水道局長が職を辞する、とありましたが、当然なことです。
本人の「良心の呵責に耐えられず辞任」と言うことでしょう。
可哀そうですが、仕方ありません。
佐世保市長、長崎県知事との板挟みに耐えられなかった、と言うことですが、本当は気の小さな、優しい人だった、と思います。
が、しかし、自分に嘘をついてまで、石木ダム建設を推進を反省し、責任を取った形です。
と言うことは、本当は、石木ダム建設を推進したくなかった、と言うことが、本音だったと思います。
宮仕えは、板ばさみに耐えられなかった、と言うことです。
でも、これからは、その苦しみが待っています。
法華経の経文に、「還着於本人」と言うことです。
間違ったことを、間違いだ、と言う人が人格、品格のある人です。
地位や名声や職責が、偉くもなく、何もありません。
人間の価値は、正しく考え、正しく思い、きれいな心を持つことです。
先日の市議会の石木ダム建設の委員会の委員の人たちは、全員委員を辞職すべきだ、と思います。
「恥を知れ」と。
佐世保市民に税金の負担を2倍以上を課す委員たちは、佐世保市民の為には、なりません。