7月20日、大石知事は佐世保市の宮島市長とトップ会談。少子化対策をはじめ、医療提供、IR誘致、石木ダム等々の課題について非公開で意見を交わした。
その後の会見で判明したこととして、注目の石木ダムについて毎日新聞が詳しく報じている。 記事によると、両者の共通認識(石木ダムは必要不可欠)を踏まえた上で、大石知事から次のような提案が示された。
●建設予定地住民の生活再建に向けた基金を創設する。
●基金は県・佐世保市・川棚町が対象で、連携し協議する。
●建設反対住民については理解を求める努力を継続する。
宮島市長はこれまで通り「県と連携し取り組んでいく」と話したと書かれているので、知事の提案通り、基金創設に向かうのだろう。
ちょっと待った!これでは本末転倒ではないか。
住民の皆さんが求めているのは、お金ではない。ダムの必要性についての真摯な話し合いと公正な検証だ。
かけがえのない故郷への愛着と誇り、守り続けてきた先祖への感謝と継承責任。これらを乗り越える必要性を示して欲しいのだ。
それには応じないで、生活再建のためと称して目の前にお金をぶら下げるとは、住民を貶める発想だ。
長崎県や佐世保市の考える解決策とは所詮そんなものなのか…
住民の皆さんにとっての幸せはお金では買えない。だからこそ半世紀も闘い続けているのに、その想いが何故未だに理解できないのか不思議でならない。
今日の長崎新聞を知事や佐世保市長も読んだだろうか?
石木ダム工事のため、半分近くの田んぼが破壊されてしまったKさん。ショックと悔しさを乗り越え、子や孫や親戚の人と力を合わせ、残った田んぼに今年も稲を植えた。
その孫は「ばあちゃんがここを守っている。できるかぎり続けていきたい」と語り、Kさんは「秋の稲刈りもみんなで集まりたい」と願ったそうだ。
Kさんの幸せ、こうばるの皆さんの幸せを奪うほどの必要性が本当に石木ダムにあるのか。
まずはそれに向かい合うこと。
住民の皆さんの疑問に真摯に答え、説明責任を果たすこと。
その結果ダムの必要性が理解されたなら、その後で生活再建の話、お金の話などをするべきだ。順番が逆になると、お金が欲しくてダム建設を容認したと誤解する人々も少なくないだろう。
誇り高きこうばる住民にとっては、ますます容認し難くなる。
それが予想できないなら、半世紀に及ぶ闘いで県は何も学んでこなかったことになる。
予想できて、敢えて打ち出したのなら、その意図は何なのか…