2021年10月21日(木)の昼下がり。
石木ダム工事差止控訴審判決の1時間前。
福岡高裁門前には、こんなに多くの市民が駆けつけてくれました。
いざ高裁へ。
14時30分。開廷
森冨義明裁判長:では、判決を言い渡します。
主文
1 本件各控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
わずか数秒で終わり。
結果は予想通りとはいえ、
このようなやり方に私たちの落胆と悔しさは倍加する。
判決理由の説明もなく、
先月申請した弁論再開への返答もなく、
ただ機械的に主文の2行を読み上げただけ。
冷たい。冷た過ぎる。
コロナ禍の今、これで開廷する意味があったのか?
リモートで十分ではないか。
いや、判決文の送付だけでも事足りる。
傍聴席には、はるばる岐阜県から飛行機に乗ってやってきた原告もいるというのに・・
そんなことを思いながら福岡高裁を後にし、すぐ近くの報告集会会場に向かいました。
報告集会では、まず初めに弁護団事務局の平山弁護士から、判決内容についての説明がありました。
控訴審判決文(写真)
平山弁護士:まず、弁論再開の申し立てについては今日まで何の返答もなかったし、今日も触れられなかった。
判決について一言で言えば、内容の薄いものだった。
実質17ページの判決文で、しかもほとんどが事実の羅列であり、高裁の判断が示されたのはわずか4ページ。それも私たちが主張した平穏生活権に対しては、「主観的」「抽象的」「不明確」などと評価し、工事差止の根拠とはならないとした。これは一審の判決とほぼ同じ。
ただ、私が着目したのは最後の部分。覚書についてこう書かれている。
「3郷は長崎県知事を信頼し、川棚町長の協力を確信して、本件覚書に調印することを約束・・・そうであるにもかかわらず、未だ、本件事業につき地元関係者の理解が得られるには至っていない・・・県を始めとする本件事業の起業者には、今後も、本件事業につき地元関係者の理解を得るよう努力することが求められる」と。
覚書の存在が判決を左右するものではないと言いながらも、わざわざ判決文に記述されている。個人的には今回の判決で最も重要なところだと思う。
続いて、
馬奈木弁護団長:私が注目したのは受忍限度論。
受忍限度論とは、被害と公益を秤にかけ比較衡量する。
そしてまず我慢しなさい、その我慢が一定の限度を超えたら損害賠償しますよ、お金をもらっても我慢できないというところまできたら止めてあげます、という恐ろしい理論。その論理がこの判決で採用されている。
私たちは四大公害訴訟を通して、人が生存し生活する権利は秤にはかけられない守るべきものと考え、それを認めさせてきたと思っていた。しかし、それは私の幻想だったのかもしれない。原発訴訟では経済的効果と生活権を秤にかけるのが当たり前のようになってきた。このような流れをどう変えていくか。
また、仮に受忍限度論で裁くにしても、この裁判では肝心の公益性の大きさが示されていない。石木ダムでこんなに大きな利益が得られるよという説明もなく、被害は大したことではないので我慢しなさいという、論理破綻の判決である。
しかし、どんな判決が出ようと、社会通念こそが大事。こんなダムは要らないという県民の声、こんな事業はおかしいという国民の声、それが社会通念となるよう頑張っていきましょう。
続いて原告を代表して地元住民の方の感想です。
岩下和雄さん:私以外の住民は今日も現場で座り込みをしている。今日の判決に少しは期待していた(新たな証拠を提出していたので)が、この結果に腹立たしさを覚える。
裁判所はなぜ本当のことを審理しようとしないのか。行政の言いなりだ。
私たちは最高裁に上告する。そして、その結果がどうであれ、石木ダムは必要ないと県に訴えていく。今後とも皆さんのご協力をお願いします。
(会場から大きな拍手)
司会者
石木ダムは地元の方だけの問題ではありません。私たち長崎県民はもとより、ここにいらっしゃる福岡県民の方の税金も使われています。人口減少社会において無駄な公共事業を許し続けていいのかという全国的な課題だと思います。これからも共に闘っていきましょう。
このあと記者団からの質問に入りました。
六倉記者(長崎新聞)
・この判決は一審の長崎地裁佐世保支部の判決を支持したものと言えるのか?
・今回も利水・治水に対する判断はほとんど言及されなかったのか?
・そして、覚書に対する言及はこれまでの判決ではなかったのか?
以上3点について伺いたい。
平山弁護士
・人格権が工事差止の理由にならないという一審の判決を基本的に踏襲している。
・利水や治水の観点から石木ダムの必要性についての言及はない。それは事業認定取消訴訟で扱われるものとして区分している。
・過去の判決においては、事実経過の中で触れられることはあったが、裁判所の見解が示されることはなかった。
山口記者(西日本新聞・福岡):判決で覚書に言及されたことについて、岩下さんはどう思われたか?
岩下さん:話し合いをしろとは書かれていないが、地元の理解は得られていないと書かれているので、県はそれを真摯に受け止めて、必要性についての話し合いに応じてほしいと思う。
馬奈木弁護士:つまり、裁判所は県に対し「説明義務を尽くしていないよ」と言っている。以前私が関わったし尿処理場に関する裁判で、裁判所は違法との判決を出した。それは、いくら必要な公共事業であっても住民との合意形成が大事だ。そのためのアセスメントを実行し、その結果を説明すべきだったが、それをやっていないから違法だと。しかし、今の裁判所は違う。説明不足を認めながら、でも差止の理由にはならないと堂々と述べている。残念だ。
山口記者(NBC長崎放送):覚書は、いつ誰と誰が交わしたものか?
平山弁護士:昭和47年7月29日に、地元住民(川原郷・岩屋郷・木場郷の各総代)と長崎県知事が、川棚町長を立会人として交わしたもの。同時に川棚町長と3郷の間での覚書もある。これは、県が覚書を破ったときには川棚町は住民と共に県と闘うと書かれている。
山口記者:
それを効力があると裁判所は認めたのか?
平山弁護士:
効力があると思うからこそ、「理解を得るよう努力することが求められる」と記述されていると理解していいのではないか。
原口記者(朝日新聞):裁判所は人格権を認めているのか?認めた上で受忍限度の範囲内と言っているのか?
平山弁護士:控訴人としては人格権を主張しているが、裁判所は、その内容が抽象的なので差し止め請求の理由にはならないと言っている。
この後、会場からの質問や意見が出されました。
ほとんどの方が意見や情報提供で、質問はお1人だけでした。
福岡市民:今年8月豪雨の記録により県の治水計画が間違っていたことが明らかになったと思うが、それを最高裁への上告理由にすれば勝てるのでは?と素人なりに感じた。その見込みはどうなのか?
馬奈木弁護士:残念ながら、その観点でひっくり返せるとは思えない。
最高裁で唯一ひっくり返せるとしたら、地元の皆さんの要らないという声が目に見える形で出てくること。例えば県知事選で、石木ダムは要らないという人が勝てば民意が見えるし、その人が知事になれば、行政の裁量で石木ダムを止めることができる。
裁判で勝てばダムは止まると思ってはいけない。同時に負けたら終わりだとも思ってはいけない。裁判を通じて、行政がおかしいことをやっているよということを社会的に明らかにする、それが裁判の目的である。
以上、報告集会でのやりとりをまとめながら改めて実感したのは、覚書の力です。
今回の判決の最重要ポイントは、紛れもなく、覚書について初めて判決の中で裁判官の意見が述べられたことです。
覚書:久保知事と
覚書:竹村町長と
この2つの覚書の存在を知った誰もが驚きます。
① 知事は住民に対し、「今回はあくまでも調査だけ。ダム建設の必要が生じた時は協議の上、書面による同意を受けた後着手する」と約束し、
② そこに立ち会った川棚町長は、「県が約束を破った場合は、川棚町が全力を挙げて工事を阻止する」と約束していたのです。
住民はその約束を信じて調査に同意したのに、その約束は完全に反故にされたまま工事だけを推し進めているのが現実です。
こんなこと許されるの?と誰もが思いますよね。
約束は守らなくちゃ!
でも、これまでの裁判官は誰もその当たり前のことに言及しなかった。今回が初めてです。
やっと社会の常識が判決文の中で表明された!
判決結果を左右するには至らなかったけど、この事実は大きいと私は思います。
「住民の理解を得るよう努力すること」
これは実は今まで何度も目にしたフレーズなのです。
その1)2012年4月26日の「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」で、「石木ダムに関しては、事業に関して様々な意見があることに鑑み、地域の方々の理解が得られるよう努力することを希望する。」(議事要旨より)との付帯意見が付きました。
その2)2012年6月11日、国土交通相が石木ダム検証結果として事業の継続を認めましたが、同時に「地元の理解を得る努力を希望する」と県に通知しました。
その3)2015年10月14日、長崎県公共事業評価監視委員会が知事に提出した意見書には、石木ダムについて「反対地権者の疑問点について説明を継続し、円満な解決が図られるよう最大限努力することを求めたい」と書かれていました。
つまり、補助金を出している国からも、第三者委員会からも「住民の理解を得る努力」を既に求められてきていたのですが、ついに昨日、司法の場でも求められたということです。
それにしても、なぜ今回の判決で、このような、県への要望が出されたのでしょう?
それは裁判官に聞いてみないとわからないし、聞いても答えてはくれないでしょうが、もしかしたら・・・と、私は勝手に想像しています。
今回の判決前に日本中の支援者が声をあげてくれました。
北から南からたくさんの方が福岡高裁の担当裁判官宛てにハガキでメッセージを送ってくださいました。
少なくとも3000通以上。
私たちが印刷所に発注したハガキが3000枚で、欲しいという方にのみ配布したのですが、それが全て底をつき、自分で印刷して出した人もたくさんいましたから。
そして、個人だけでなく、団体としても、公正な判決を求める要請書が次々と送られました。そこには、心に残るメッセージがいくつもありました。(後日公開する予定です)
いただいたコピーを見ながら、どうかこの文書を裁判官が読んでくれますように!と願わずにはいられないようなものが・・
そして多くの方が、裁判官に、良心に沿った判決を!と訴えていました。
きっと読んでくださったのですね!
主文には反映されなかったけれど、判決文の中でそれを書いてくださったのだと信じたい。
良心に沿って考えると、やっぱり約束違反は見過ごせないな~
せめて一言触れておかねばと。
私たちも努力しましょう。
この事実を多くの人に伝えましょう。
そして、県に求めていきましょう。
石木ダムの必要性を住民にしっかり説明してください、と。
説明無くして理解は得られません。
理解とは一方的な説明では得られません。
相手の疑問にも丁寧に答えてやっと得られるものです。
丁寧に説明したつもりでも1回では理解できないことはたくさんあります。
2回でも3回でも相手が納得するまで説明する。
そうして初めて努力したことになるのです。
その努力もしないで強制収用など、本当はあってはならないことだったのです。
が、今からでも遅くないので、理解を得るための努力を始めてください。
弁護団と私たち7団体による声明文はこちらです。
控訴審判決声明