石木ダム問題で県議会への請願はたぶん初めてのこと。
その請願の内容は「石木ダムについて公開の場で議論すること」。
賛成・中立・反対、様々な立場の人、様々な世代の人が議論する場を設けてください、というもの。
この請願には209筆の署名が添えられました。
石木ダム建設予定地「こうばる」で開催された音楽イベント『WTK』に参加した人たちが署名した請願です。
その『WTK』を企画制作したプロデューサーの谷川氏は、209名の思いを代弁するために、ご多忙ななか時間をやりくりして駆けつけてくださいました。
谷川氏の趣旨説明をお聴きください。 じゃなくて、お読みください。
石木ダムについて、賛成、中立、反対の立場での公開議論を求めます。
その理由について説明いたします。
一言でいうと、ダム建設の必要性がわからないでいる市民、県民が多くいらっしゃるようだ。ということです。そして色々な立場・お考えを持った方々のお話、それぞれの主張を聞いてもっともっとよく知りたいと考える方々が急速に増えています。私もその一人です。
とりわけダム建設費用を負担していくことになる若者世代ほど理解が不十分である、それどころか建設の是非を考えたこともないというのが実情だと感じたため、あらゆる立場の方々が等しく参加した形で、透明性のある議論が開かれることが今まさに必要だと考えます。そういった活発な議論が生まれるきっかけになればと、気持ちを同じくしたミュージシャンやその他多くの有志の方々と共に、去る10/30 WTKというイベントをダム建設予定地にて開催するに至りました。
申し遅れましたが、私は8才から13才まで佐世保市民でした。そして20歳までは長崎県民でした。現在も本籍は長崎です。ですが、この石木ダム問題に関心を寄せている理由は、長崎県民だったからというだけではありません。
大分県湯布院にて自ら営んでいた小売店を今年4月に発生した熊本地震により失いました。突如として大切な場所を奪われた自身の体験と、かけがえのない故郷を失われるかもしれない状況にあるこうばるの方々の思いとが重なって感じられたからです。
私が体験した被災は、地震という形である時突然に起こりました。言うまでもなく抗いようもありません。ですが、こうばるの方々が奪われようとしているものは、佐世保市民や長崎県民の皆さんの判断如何によっては失われずに済むかもしれません。こうばるに流れる時間、人と自然が共生するそこにある営みは、日本の原風景と言っても過言ではありません。そんな貴重な原風景とも言える場所をダムの底に沈めてしまって本当に良いのか、その理解と議論が不十分であると感じた方々からの請願をここにお持ちいたしました。
イベントの準備、開催をする中で、石木ダム建設をよく知らなかった2つの異なる立場からの特に注目すべき声をご紹介します。
<今回のイベントに参加した、あるいは関心を寄せた佐世保市民・特に若い世代の声>
これまでダム建設は当たり前のことと捉えてきて特に問題とも感じでいなかったが、巨額のダム建設費を、今後自分たち若い世代の佐世保市民が負担していく以上、ダム建設の必要性を詳しく知りたい。仮にダム建設による「利水」「治水」の効果が期待できないとするならば、不要である望まないダム建設によって、誰かの大切な故郷を奪いたくなんてない。最も多かった声です。
<イベントに関心を寄せた長崎県外/国民視点の声>
こうばる地区という場所は長崎県だけのものではなく、日本の宝といっても過言ではない原風景のように思えます。だからこそ、そこが失われるかもしれないという問題は、長崎県の事業とはいえ、日本国民にも知る権利はあるはずだし、何より納得のいく建設根拠が、そこを故郷とする地権者や奪う側になるかもしれない佐世保市民にしっかりと示されることを望む。という声です。
こういった声の背景には、東日本大震災、熊本地震をはじめ、列島で起こった様々な大災害により、暮らしの根幹を突如として奪われた方々が、全国各地に数多くいらっしゃるということ。つまり、いま日本は「失われる」ということに大変敏感な時代に入っていることが挙げられると思います。日本のどこかで局地的に起こった痛みに対して、それを自分ごとと捉え、日本全体で寄り添い支援しようというこの素晴らしい波が、石木ダム建設にも注目をし始めています。
失うという体験は、それが愛する人の命であれ、かけがえのない故郷であれ、なんでもない日々の営みであれ、置き換えのきかない物事を失うという体験は、哀しみ、苦しみそのものであり、その後、生きていく希望を根こそぎ奪われるまさに失望であります。
石木ダム建設によって希望が生まれるのか、あるいは失望を生んでしまうのか。ダム建設の必要性がわからないでいる佐世保市民、知りたいと思っている長崎県民そして全国の方々に分かりやすく示していただきたいと思います。
以上の理由から、石木ダム建設について、賛成、中立、反対の立場での公開議論を求めます。
WTK実行委員会
谷川 義行
この至極真っ当な請願に対して、委員たちは全会一致で否決。
不採択となりました。
なぜ?
主な理由
・石木ダムについては利水治水両面から既に議論が尽くされている。
・県も十分説明してきたし、国も賛成反対両方の意見を聞いた上で事業認定をした。
・さらに事業認定取り消し訴訟が進行中でもあり、司法の場で議論されている。
しかし、
・現実問題として、多くの市民県民が納得していない。疑問を持っている。
・だから、国も公共事業評価監視委員会も、県に説明努力を求めたはず。
・しかし、県はその付帯意見を忘れてしまった?or無視?
そんな県に対し、事業者としての説明責任を思い起こさせ、説明や議論の場を促すのが議会の役目だと思うのですが、長崎県議会は真逆でした。
委員Aは、
・佐世保市は度々水不足に陥っている。そういう事情を知って請願しているのか?
と請願者の無知を問い詰めるような口調。
(実情を知らなかったのは委員の方なのに…)
そこで、もう一人の請願者B(佐世保市民)は、
・佐世保市が水不足で苦しんでいたのは20年も前の事。
・平成6〜7年の大渇水から20年以上、断水は一度も起きていない。
・今夏の猛暑続きの時も佐世保市のダムの平均貯水率は80%を超えていた。
・ここ20年、佐世保市の一日最大給水量は2万トンも減っている。
・これからも人口減少でさらに水の使用量が減るだろう。
と佐世保市の実情を伝えたのですが、
それを無視して、委員Aは新たな質問を土木部に向けました。
河川課企画監には、利水面での必要性を語らせ、
河川課長には、これまでに説明を尽くしたということを具体的に語らせ、
土木部次長には、事業認定取り消し訴訟を口実に今は議論できないと語らせた。
こんなふうに行政と議会のシナリオに沿って審査は進み、
副委員長による反対討論の後、全会一致で不採択となったのです。
その結果は予想通りでしたが…
県議会の有りようそのものには本当に驚きました。
県議会では請願者の趣旨説明は議事録に載りません。
形としては休憩時間にするのだそうです。
委員長:請願者の趣旨説明を認めますか?
委員:異議無し
委員長:では休憩に入ります。請願者どうぞ。
請願者:発言
委員長:委員会を再開します。質疑に入ります。
委員:質問
委員長:休憩に入ります。請願者どうぞ。
請願者:発言(質問への回答)
委員長:委員会を再開します。
といった具合。
請願者の発言の度に「休憩に入ります」と宣言。
委員の発言の前に「再開します」と言わねばなりません。
こんな面倒なことをしてまで、請願者の発言を議事録から消したいのでしょうか?
それはなぜ?
また、もう1つ、こんなことがありました。
紹介議員のY県議が発言を求めたとき、委員長はいったん発言を許可したのに、すぐに「却下します」と訂正しました。
自民党のベテラン議員が首を横に振ったからです。
唖然としました。
11人の委員会の中に委員長の権限を無視した力関係があるように、
議会全体も、県庁全体も、ルールや正義よりも力関係が大事で、
それによって物事が決まっていくのでしょうか?
だとすれば、石木ダムも、誰かの大きな力が全てを決めている?
必要性だの住民の思いだのどうでもいい?
それが長崎県政の実態なのでしょうか。