不要不急の工事は止めて!

ゴールデンウイークの始まり、始まりー!
と言っても、今年はあまり嬉しくありませんね。
子どもも大人も、連休前からずーっと家にいる生活が続いていますから。

新型コロナウイルスを早く封じ込めるためには、三密を避け、外出を自粛することが大事なので仕方ありません。

こうばるでも、現場での抗議行動はしばらくお休みです。

国や自治体は、お店や企業には休業要請をしていますが、自分たちがやっている工事は休止しようとはしません。

映画館、博物館、集会場、遊園地、カラオケ、ライブハウス等々、様々な施設やお店を対象とする一方、スーパー、コンビニ、食料品店、病院、官公庁、交通機関など、生活に必要な施設やお店は対象外です。当然ですよね。

ならば、公共工事も、その視点で線引きすべきでは?
例えば、台風で寸断された道路の復旧作業や、集中豪雨で決壊した川の堤防などはコロナでも続けるが、急いで進めなくても生活に困らない工事なら、いったん中断しましょうと。

石木ダム事業は、多くの県民にとって不要不急の事業です。
県や佐世保市は一日も早く造らねば…と言い続けていますが、現実のデータ(佐世保市給水量の実績値など)を見れば、その主張がお題目に過ぎないことがわかります。
また、計画から半世紀経ってもダムが完成していないどころか、まだ影も形もできていない、その事実が不要不急の証でもあります。

そして、いま、進行中の工事は、本体工事ではなく、付け替え道路工事です。ダムができたら、ダム湖に沈む県道を、ダム湖の外側に付け替える新たな道路の建設を先にやっているところです。

そして、この道は、県道から少し離れて、代替墓地に続く道です。この道がなくても、墓地へは行けるのですから、いま急いで造る必要はありません。せめてコロナが終息するまでは中断すべきです。

平成15年、県は移転に同意した方々のために代替墓地を完成させました。移転した方々は、自分たちの住居だけでなく、祖先のお墓まで、このように立派なものを新築されました。

ここには、個人のお墓だけでなく、納骨堂のようなものがあります。観音像の前の黒い墓石に「三界萬霊」(さんがいばんれい)と書かれているのが見えますか?

全ての霊を供養するという意味だそうです。観音像の後ろには、無縁仏の墓石のようなものもたくさん置かれていました。

また、この観音像の隣に、やはり黒い石に「身口意」と刻まれた碑があります。

一緒に行った4人全員、読み方も意味も分からず「???」でしたが、今は便利な世の中。スマホですぐに調べてみました。

「しんくい」と読み、その意味は、身=行動、口=発言、意=心で、この三つの業を一致させることを目指しなさいという仏教の教えを刻んだもののようです。

言行不一致などと言いますが、口ではいいことを言うけれど、行動が伴わない(身と口が一致しない)人は確かに信頼されないし、心にもないお世辞を並べたりする(口と意が一致しない)人は、信用もされません。なので、身口意を一致できるよう努力しなさいという教えだそうです。

なぜ、そのような教えがここに刻まれているのでしょう?
真意のほどはわかりませんが、勝手に想像してみました。

実は、こうばるの皆さんこそ、紛れもなく身口意が一致した方々です。

ふるさとを守りたい、ふるさとに住み続けたいという想い(意)と、それを県知事にも佐世保市長にも国会議員にも市民県民にも訴え続けてきた(口)と、それでも受け入れられず、工事を強行されると、体を張って座りこむ、抗議行動を毎日毎日ひたすら続ける(身)が全て合致している。それも数人ではなく、13世帯約50人の住民全てが身口意一致しているのですから、仏教的には手本にすべき人々の集まりと言えるのではないでしょうか?

代替墓地から「こうばる」を見下ろしたとき、こうばるを出て行った方々は、もしかしたら、身口意一致を貫いているかつての仲間への尊敬の念が湧いてきて、自分たちもこれからは身口意を一致させるような生き方をしたいものだと、その戒めとして刻まれたのではないでしょうか。

99%あり得ないよと笑い飛ばされるかもしれませんが、そうであってほしい…という願いをこめて、あえて記してみました。

オンライン署名にぜひご協力ください!

石木ダム建設は説明不足。長崎県は一度立ち止まり、
公開討論会を開いてください。(Change.org)

ほかにも、こうばるを守るためやっていただけることがあります。

→あなたにできること

「不要不急の工事は止めて!」への3件のフィードバック

  1. 「身口意」64歳の私も初めて聞きました。いい漢字ですね。ぼくもこうばるの皆さんのためにあると感じます。

  2. あの・・・人がいない場所での工事をなぜやめるのです?
    住宅街での工事はやっちゃいけないでしょ

    1. おっしゃる疑問は当然と思います。「身口意」を書かれた方とは少し違う視点になるかも知れませんが、私の思いを述べてみたいと思います。例えば漏水の時、コロナの怖れのある時でも、住宅街で緊急に工事をしなければならない時があるように思います。逆に人のいないところでも工事をやめてほしいと思うことがあります。いま石木ダム建設予定地ではダムができると石木・川原(こうばる)の住民が使っている県道の一部がダムの底に沈むので、それに代わるう回路(付替え道路)を建設中です。川原地区の住民はこれからもずっとこの地に住み続けたいと思い、農地や宅地の強制収用の手続きが取られた後も現地で石木ダム反対の座り込み活動を続けています。知事は県民に不要不急の外出を自粛するよう要請していますが、県が建設工事を中止しない限り、現地の人たちや支援者は座り込みをやめられません。現場では現地の人たち・支援者・県職員の間にさまざまな接触・交流が行われています。もし、そのようななかで万一現地の人たち(多くは高齢者です)の間に一人でも感染者・犠牲者が生じた場合、工事を継続させた知事の責任は極めて重いものがあると思います。いま本当に石木ダムが必要なのかについてこの感染症をきっかけに話し合いが進むことを私は期待しますが、もしそれができなくても、知事の英断でもって、少なくともこの感染症が終息するまでは工事を中断してほしいと願っております。県民の命を守ることこそ知事としての喫緊の任務だと思うからです。なお、現地の人たちは、このう回路が完成してしまったら、ダムの本体工事着工前から現在の道路に代わってう回路を使用させられるのではないか、子どもたちの通学にもこの遠回りの道を使うことを強いられるのではないかと不安に思っていると聞いたことがあります。

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