11月18日には、長崎県収用委員会が開催され、2件の土地の収用について審理される予定ですが、
それに関して同委員会の事務局からこのようなお知らせが長崎県のサイトにアップされました。
(赤字は私の編集によるもの)
11月9日付
http://www.pref.nagasaki.jp/object/kenkaranooshirase/oshirase/217104.html
長崎県収用委員会の審理の傍聴に関する規則第3条の規定に基づき、長崎県収用委員会は、次の事件に関する審理について、審理の傍聴人を報道関係者のみに制限しますのでお知らせします。
27長収第1号乃至第7号
二級河川川棚川水系石木ダム建設工事並びにこれに伴う県道、町道及び農業用道路付替工事に係る土地収用事件
えっ!報道関係者だけしか傍聴できない?収用委員会は公開が原則のはずなのに・・・
と思っていたら、翌日、このような発表がありました。
11月10日付 報道機関向けのお知らせ
http://www.pref.nagasaki.jp/press-contents/217103/
なお、今回の審理については、公正かつ円滑な審理指揮を確保するため、傍聴人は報道関係者のみに限らせて頂くほか、下記2のとおり対応させて頂くことにしております。
取材に際しましては、下記3の事項にご留意下さるようお願いします。
と書かれており、下記3とはこのようなものでした。
3.留意事項
(1)審理の傍聴は報道関係者のみに制限させて頂いています。
(2)報道関係者には記者席を用意しておりますが、会場の関係上、数が限られますので、各社最小限の人数でお願いします。
(3)審理会場には報道関係者用の受付を準備しております。係員に腕章又は社員証を提示の上、受付名簿に記名(記名に代えて名刺の提出でも可)頂き、審理会場内にお進み下さい。
(4)審理会場内の撮影は、27長収第5号事件の審理開始前2分間に限り冒頭撮影を認めています。審理指揮者の指示に従って、撮影を開始し、又は終了して下さい。(27長収第6号事件は審理開始前の冒頭撮影はありません。)
なお、冒頭撮影に際しては、出席者のプライバシーについて十分ご配慮して下さい。
(5)上記(4)の冒頭撮影を除くほか、審理等の会場では、録音、録画、撮影及び放送は禁止されています。
(6)収用委員会は合議制の行政委員会でありますので、収用委員個人への取材はご遠慮願います。
つまり、収用委員をガードしつつ、報道人はしっかりチェックし、録音録画も禁止された、極めて非公開に近いやり方です。
なぜそのように神経質になるのかというと、「公正かつ円滑な審理指揮を確保するため」だそうです。
「公正な審理」は誰もが望むところです。私たちも同じです。
しかし、今の委員会メンバーではそれは望めません。
この記事は記憶に新しいところですが、
「事務局と一丸となってスクラム組んでやっていく」と言った新委員が更迭されたという話は聞きません。
このような非中立な、起業者に偏った委員による審理など認めるわけにはいきません。
委員を選任し直して、本当に公正中立なメンバーのもとで会議を開くべきです。
また、ブルドーザーか機動隊を導入してでも強制収用しろと言った前委員のもとで決められた収用裁決は無効であり、
前回の審理も、新メンバーのもとでやり直してほしいと私たちは思っています。
そのような当然の要望も聞き入れてもらえない今の長崎県政に、正義や民主主義はあるのでしょうか?
このまま事務局が描いた通りの委員会が開かれれば、「非公正かつ起業者の意に添った審理」に終わることでしょう。
そうすれば、強制収用すべき土地は増えて行き、行き着く先は行政代執行しかないのに・・
それを県は本気でやろうというのでしょうか?
呆れた。傲慢の一言。公平中立の立場の欠片もない委員たち
この採決申請の委員会は、おかしかやろ、と不思議に感じた。
これが、委員会の姿とは。委員たちは、情けない人たちばかり、と感じました。
委員は、中立で、公平であらねばならない人たちが、こんな傲慢では、長崎県知事の選任責任を問われる、と思います。
こんなことをしていたら、来年の参議院選挙で、敗北は、明らかになる、と感じます。
それは、石木ダム建設反対地権者を行政が、いじめているからです。
驕りの何物でもない態度では、国民、県民、市民等みんなが、苦しめられ、苦労させられるからです。
大村の市長選挙で、ハッキリしました。
長崎県を刷新しなければ、石木ダム建設問題の税金の無駄遣いは、解決しません。
石木ダム建設無用論を大きな声で、叫びましょう。
そして、苦しいけど、最後まで、あきらめないことです。
諦めなければ、必ず勝ちます。
今、地面を張いつくばって、行政のしっぽを探しているところです。
また、街頭演説で、反対署名活動をお願いします。
みなさんに、知らせなければ、意味がないからです。