映画「ほたるの川のまもりびと」を観た学生さんたちの感想文をご紹介します。
長崎大学環境科学部の戸田清先生が、県立大学での講義の中で、この映画について取り上げられたのです。
「大学生の感性に満ちた感想文。可能なら石木川まもり隊で公開して下さい!」とのこと。
喜んで!
というわけで、以下に転載させて頂きます。
長崎県立大学佐世保校「環境社会学」経済学部4年 2018年8月24日
○川棚町こうばる地区の石木ダム建設問題について住民たちの普通の豊かな生活を守りたいという意志が伝わる映像であった。民主主義のあり方について考えさせられる。政治の利権だけを考え、ダムの必要性について話し合うのではなく強制収用に踏み切ろうとする行政の姿勢は税金(石木ダムのために働く職員さんの労働力や交通費)が無駄使いされているように感じた。住民たちが学び団結しているからこそ、今もなお守られているのだと思った。(女)
○石木ダムの必要性について議論が50年間続いているという事実がある。1962年当時の水資源と現在の水資源を比較すると建設の必要性に違いが出るのは当然である。裁判所の判決では建設を容認であるが、公共事業である以上、地域住民以外にも市民や県民の反対は免れない。強行工事ではなく説明と審議が必要である。(男)
○ダムには治水と利水の目的がある。人びとの生活に欠かせないものであるが、建設される土地の環境を壊し、その地で生活を営んでいる人びとの日常を奪うものであることもまた事実である。石木ダムの件のように、行政の都合だけでダムを造るのではなく、人びとの暮らしのことも考えなければならないと思った。男
○豊かな自然を守るために戦う地元住民の姿はすごく正しいものがある。絶対的に必要でもない場所にダムの建設を行うのは、役所も建設を任される業者も何も考えずに行っているのではないかと思うところがある。(男)
○物心ついた時から石木ダムについては知っているが、具体的に知ることができて良かった。高校が川棚高校だった。1962年から始まり、半世紀たつが、私は全く必要性を感じない。県は何をもって建設しようとしているのか、理解できない。行政は本来、人びとの暮らしを良くする存在なのに、どうして人びとの暮らしを奪おうとするのか、理解できない。改めて考え直してほしい。こうばる地区の伝統的な祭りや文化が、ダムの建設とともになくなると思うと、とても悲しく感じる。今の日本で忘れられそうな古き良き自然と共生している暮らしは、決してダム建設で壊されてはいけない。実際にもう一度現地を訪ねたい。(男)
○1962年という前々からこの計画が考えられていることに驚いた。佐世保ではバスや看板などで「実現しよう」というものしか見ていなかったため、反対者の声をニュース以外で初めて見た。様々なところで反対活動をされていることを知り、住人たちの意見を尊重したい気がした。(女)
○ダムにより地域の人びとが築いてきた生活がなくなるということは、生活共同体の崩壊につながると考えた。地域の人びとは長期にわたって抗議運動を行うため疲れ、苦悩し心を休めることができない日々が続くためとてもきついと感じた。そのためダムは作られる前から人びとに対して精神的にも身体的にも経済的にも深刻な影響を与えてしまうと考えた。(男)
○祖父母が同じようなところに住み、自給自足の生活を営んでいました。小さいころよく、稲刈りの手伝いや、山菜を問ったり、木の実で遊んだりしていたので、とてもなつかしく感じました。季節ごとに人びとの生活の営みがよく表れていて、その生活がおびやかされているということに胸がつまりました。(女)
○生まれ育った土地を奪われないように戦う人びとの姿に涙が出そうになりました。人びとの暮らしがあるのに無理やり測量をして、ふるさとを水の底に沈めるのは酷いです。めちゃくちゃな理論をあげてダムを造ろうとする県は、なぜ作るのですか? 住民が反対しているのに無理やり工事を行うのは犯罪になりませんか? ダム反対運動も祭りもみんなが団結しておこなっていて、すてきな町だと思いました。(女)
映画が伝える力の大きさと、若者が感じ取る力の大きさを実感しました。
山田監督と戸田先生に感謝!です。
若い方にもっともっと観てほしいですね。
あなたも自主上映会やってみませんか。
長崎県内に限り、9月より自主上映が解禁になります。
詳しいことは、こちら「ほたるの川のまもりびと」情報を見て下さいね。
Facebookページはこちらです。https://www.facebook.com/savekobaru/