昨日の長崎新聞にはこんな記事もありました。
海外記者が石木ダムを取材?Why?
と思った方も多いでしょうが、ここに書かれているように、
きっかけは4月6日、パタゴニアが外国特派員協会でダム問題についての記者会見をおこなったこと。
石木ダム建設予定地の住民お2人が出席して、ふる里が水の底に沈められようとしていると訴え、
そこにいたスイスの特派員記者パトリックさんの心を動かしたようです。
そして、通訳を兼ねて日本語が堪能なドイツ人フリージャーナリストのソニアさんと共に、
20日から現地入りなさっていたのです。
(余談ですがスイス語ってないそうです。スイスドイツ語、スイスフランス語、スイスイタリア語が公用語だそうで、お二人の会話はすべてドイツ語。な〜んにもわかりませんでした(*_*;)
20日は日曜日。
この日は、川原公民館で2人の若いお父さんにインタビュー。
その後、もう1人の男性には自宅でインタビュー。
室内でのインタビューが終わって、外でも続きを・・
田植えを終えたばかりの美しい水田の前で、ふる里への思いを熱く語って・・・
これは70年ほど前、この地域が海軍によって接収された時のもの。
ここはもう海軍のものですよと示すために、コンクリートのような棒に掘られた文字。
川原の皆さんにとっては、強制収用は経験済みのこと。
かつては国策により、今は県の都合で、二度も強制収用されるなんて…、
受け入れられるはずがありません。
22日。月曜日。
小雨降る中、いつものスタイルで並んでいる地権者や支援者。
そこに県の職員や業者がやってきて・・・
近づいて写真を撮るソニアさんやパトリックさん。
進入を諦めて帰って行く県の職員に、二人は突撃インタビュー。
二人の質問に答える石木ダム建設事務所長など。
どんなやりとりだったのか知りたいですよね〜
どうぞご覧ください。
いかがですか?
佐世保市の水需要がなぜ急激に伸びると予測するのか?
一生懸命説明する古川所長ですが・・・
これで二人は納得できたでしょうか?
県が帰った後は、S子さんのご自宅にお邪魔して、インタビュー。
強制測量の時の写真をたくさん見せてもらい、二人の記者は、
こんなに小さかった子どもたちが、いま親になって、
ここに住み、ここで働き、ここで子どもを育て、ダム反対運動を続けているなんて・・・
と、ただただ驚いていました。
お二人に同行した二日間の中で、印象的だったのは、ある質問に対する皆さんの答。
性別年代の違う4人の方に取材協力して頂きましたが、必ずどなたにも向けられた質問がありました。
「どんなに反対しても、もしもダムが来たら、それから先あなたはどうしますか?」
それに対する答は、皆さん、見事に一緒でした。
「そんなことは考えたこともない。絶対にダムは造らせない。できないと思っている。」
「その日までただ反対を続けていくだけ」
それぞれの言葉は違います。
即答した人もいるし、言葉を選ぶように考え考え話した人もいるし。
でも、出てきた答えの中身はみな同じでした。
川原がダムの底に沈むなんて、13世帯の皆さんは誰一人想像もしていない!
それが心から実感できた2日間でした。