ライフさせぼ創刊者、石木ダムを語る

これは、ライフ企画が発行する月刊誌「99」(NINETY NINE VIEW) の8月号(8/11発行)の表紙です。

あれー?どこかで見た景色だけど…
もしかして…あそこ?

そう!あそこです。「こうばる」です。

佐世保市にあるライフ企画さんは、週刊誌や月刊誌を発行し、食やショップ、イベント等、佐世保のあらゆる情報を提供してくれる、市民に愛され頼りにされている情報発信基地です。

とはいえ、新聞やテレビ、ラジオとは違って政治に関わるテーマはほとんど掲載されません。そんなタウン情報誌に、なんと石木ダムについて4ページも!書かれていました。もうビックリ!です。

何が起きたの??
と、思いますよね~

佐世保市外の人たちのために、ここに掲載させて頂きます。この情報誌は販売物ではないし、ライフさんは包容力のある会社なので、許してくださるでしょう。

ハハーン、なんとなく読めてきましたゾ。

ライフさんもそう言えば数年前、佐世保市民に石木ダムについて誌上アンケート調査をなさってましたっけ。石木ダムは必要?or不要?と。でも、ほとんど反応がなかったんですよねー

で、今回、パタゴニアさんがおこなった県民アンケートの結果を見て、もう一度佐世保市民に問いかけたくなったのでしょうね。

「石木ダム建設は市民の願い」という標語を市内各所で目にするけれどが、あなたは本当に願っていますか?と。

そして、次のページでは、「ライフさせぼ」創刊者の小川照郷氏とパタゴニア日本支社長の辻井隆行氏の対談。

うーん。聞きごたえ、ではなく読みごたえがありますねー。
世代も、育った環境も、取り組んできた仕事も全く異なるお二人ですが、とても共感し合えているように感じます。おそらく、大切にしていることや目指す未来が似ているのでしょう。

お二人の会話の最後の部分を佐世保市長や市議の皆さんに、ぜひ読んで頂きたい。

小川「僕が山を楽しむのも行政に期待していないからかも。個人の楽しさから豊かさが生まれ、それが家族や地域を豊かにすることだと思っています」

辻井「もし佐世保市が石木ダム建設を見直したら、これも行政代執行と同じく日本のダム史上初になります」

小川「その方が素晴らしいじゃないですか!」

辻井「一回決めたことより、もっといいものがあれば、話し合える自由な空気がある街として、佐世保は魅力的な地方のローカルモデルになるのではないでしょうか」

市民「そうなってほしいな~」(陰の声)

NHK WORLD で石木ダム発信!

みなさん、NHK WORLD ってご存知ですか?

NHK国際放送局が世界と日本を繋ぐニュースの窓口です。https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/

をクリックしてみてください。アジアや欧米はじめ世界中のラジオやテレビやビデオが視聴でき、また、日本のニュースもNHK NEWSLINE で見ることができます。(もちろん英語で)

8月10日の朝8時のニュースで、なんと石木ダムの現状がここで放送されたのです。


世界に向けて、日本政府や地方自治体は、ダム建設のために13世帯の家を水の底に沈め、暮らしを破壊しようとしていることが発信されたのです。

このニュースを見た世界の人は驚くでしょうね~

日本って、そんな国だったのー!?と。

映像だけでも大体理解できますが、英語のヒアリングOKの方は特に見てみてください。そして、ご感想など頂けたら嬉しいです。

県と佐世保市、請求棄却

昨日の裁判について長崎新聞は社会面に大きく掲載。

見出しは「請求棄却」です。

私たち608名が求めた工事差止について、長崎県も佐世保市も請求棄却を求める答弁書を出した(全面的に争う)とのこと。

もちろんその対応はわかっていたことですが、その理由に唖然!です。

「工事は既に用地取得した土地で進めており、原告らの権利侵害はない」と。

あのねー、私たちの訴状読みました?

私たちは石木ダムに係るすべての工事の差止を求めているのですよ。付替え道路工事だけじゃないんですよ。地権者の家を水の底に沈めなきゃダムはできないんでしょ?それで権利侵害がないなんて、よく言えるものですねー

その上、付替え道路だって、全部が買収済みではないでしょ?
いまやってる工区だけでしょ?買収済みなのは。
道路が貫通するには結局地権者の所有する田畑や森を奪わなければできないんでしょ?

長崎県は目先のことしか見えないんでしょうか?
月単位でしか計画を立てられないんでしょうか?
そんな県政なんて、県民としては不安でしかたありません。

だからイサカンのような失政を犯したのでしょうが、
二度と同じ轍は踏まないでください!

 

他紙も地域版で全紙掲載されました。

 

溝をさらに深くしないために…

昨夕のNBCニュースの特集「石木ダム計画さらに深まる溝」は、石木ダムをめぐる近況が、とてもわかりやすくまとめられていました。

 

まず紹介されたのはこちら。

上映会の様子です。

石木ダム建設予定地こうばるの日常を描いたドキュメンタリー。

本編を短くしたパタゴニアバージョン。

東田トモヒロさんのライブとセットなので、観客のほとんどは若者たち。


皆さん、無関心だった自分を正直に語り、驚きや戸惑いや涙する人も…

 

一方こちらは推進派の集会。

 

川棚町で開催されたダムによる地域おこしの講演会。

地域おこしの目玉は「ダムカレー」とか…

講演会後に開かれたのは「石木ダム建設促進川棚町民の会」総会。

同会会長の西坂氏は収用手続きが進めば、ダム建設も大きく動き出すとコメント。

収用手続きと同時並行で県が進めているのが付替え道路工事。県の河川課は「急ぎたい」とコメント。

 

しかし、地権者にとっては、本体工事に繋がる道路工事を許すわけにはいかない。

 

このような現状を遠くから見守っていたパタゴニア日本支社長が、長崎県庁で記者会見をおこないました。

県民2500人に聞いたアンケート結果を公表。

賛成よりも反対がやや多く、それよりもずっと「わからない」が多く、

それは行政の説明が不十分だから、というのが現実。

こんなに支持が得られていない事業を強行していいのだろうか?

いったん工事は中断して、公開の場でしっかり議論することが大事。その実施を求めるための署名活動をスタートしたことも公表。

 

このような一連の動きを改めて確認することができました。

私たちにとっては既知のことばかりですが、県民の多くは初耳のことが多かったことでしょう。まずは知ってほしい。現状を。

そして少しだけ考えてほしい。石木ダムについて。

「少しだけ」が集まって世論になっていき、

その世論がきっと溝を埋めてくれる…

 

僕らの無知と無関心が一番危険

6月15日のこのブログで紹介した東田トモヒロさんについて、ネット上にこんなニュースが掲載されていました。

「やっぱり電気ってありがたい」からの「反原発」「反ダム」 熊本のシンガーソングライター投げかけた問い

http://news.livedoor.com/article/detail/13214241/

 

熊本市在住のシンガーソングライターが、隣県長崎の「ダムに沈むかもしれない里山」に思いをはせたミニアルバムを制作したのはなぜか?
その里山を舞台にした映画「ほたるの川のまもりびと」(パタゴニア特別限定版)の上映会とセットでミニライブを長崎県内8カ所で展開(6月23日まで)しているのはなぜか?

疑問に思った記者の問いに返ってきた答えは…
その歌声と同じように誠実で柔らかく、心にしみるものでした。

新曲「ひだまり」は、「ふる里を奪われ、住めなくなる。震災を受けたフクシマと熊本、ダム建設に向けた工事が進み、住民が立ち退かされるかもしれない長崎県川棚町の川原(こうばる)。この三つが僕の中でつながり、この曲を書いたのです」と。

東日本大震災の原発事故で「一つの文明社会が終わった」との意識を強くしたが、熊本地震では「人のつながりのありがたみを感じた」

身近で起きた震災で、大事なものが何か分かった

WTKに参加して川原で歌っている時、「よみがえった感があった」
「自分の心の中にある、さみしいところにちゃんと手をあてて、ちゃんと向き合った感じがあった。温かい感じがよみがえった感があり、満足しています」

石木ダム建設計画は「大洪水が起きるという不安と恐怖をあおって、地域住民にダムは絶対に必要だと迫っているように映ります。川原のことから目をそらすことは、権力の暴走から目をそらすことになると思う

僕らの無知と無関心が一番危険を呼ぶから、恐ろしい
自分で感じて考え、何がより自然で、何がより平和で、子どもたちの世代、さらにその先に残せるものは何なのか。僕は国境的な考え方じゃなく、大きな地球意識、地球人としてのスタンスでいきたい

ほたるの里の抵抗

少し前、日本外国特派員協会の機関紙「NUMBER 1 SHIMBUN」の6月号に石木ダム関連記事が掲載されたとお知らせしました。https://ishikigawa.jp/blog/cat17/2608/ 

「NUMBER 1 SHIMBUN」の記事はこちらです。http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/946-rebellion-in-the-valley-of-the-fireflies.html

 この記事の日本語訳がボランティアによってなされ送られてきましたので、ここに掲載させて頂きます。

 

Rebellion in the Valley of the Fireflies

ほたるの里の抵抗

Wednesday, May 31, 2017

In a small village in southern Japan, a dam project has been dividing the local community for over five decades. Most residents have left, but a few households continue the fight against the dam – and they’ve been successful so far.

日本の南の小さな村で、50年以上前のダム計画が地域コミュニティを分断している。住民の多くはここを去ったが、まだいくつかの世帯がダム反対の闘いを続け、その闘いはいまのところ成功している

by Sonja Blaschke

ソニア・ブラシュケ

On a Monday morning in June two years ago, a dozen women gathered in front of a construction site in Koharu Valley in Nagasaki Prefecture. The atmosphere was tense. They hid their faces behind scarves, masks and under wide-brimmed hats with fly nets, and wore long, blue jackets from the local firefly festival to demonstrate their unity. They held signs reading: “We are against the dam” or “Stop forced expropriation.” They had been protesting there almost every single day for several months. What was at stake were their very homes.

Cars pulled up. Several men in work overalls, rubber boots and helmets got out and walked towards the small crowd, which huddled close together. Some of the men worked for a local construction firm, some were Nagasaki prefectural staff.

2年前の6月、月曜の朝、長崎県川原の建設現場の前に数十人の女性が集まっていた。空気ははりつめ、顔をスカーフやマスク、虫除けネットのついたつば広の帽子で隠し、団結を示すための地元のほたる祭りの青いはっぴを着ていた。手に持ったプラカードには、「ダム反対」、「強制収用やめろ」と書かれていた。この場所で、数ヶ月にわたり休みなく毎日反対運動をしている。かれらの故郷の何が危険にさらされているのか。

For over 50 years now, the prefectural government has been trying to build a huge dam – 234 meters wide and 55 meters tall. When completed, the Ishiki Dam would leave what is now the small Kobaru community submerged deep under countless cubic meters of lake water. Disappearing with the town would be its pristine natural surroundings, the habitat of several endemic species, say the protesters.

50年以上にわたり、長崎県は幅234メートル、高さ55メートルの巨大なダムを建設しようと試みてきた。それが完成すると、石木ダムはいまの川原地区を深いダム湖の大量の水の底に沈めることになり、手付かずの自然環境や数種の固有種の生息場所も失われる、と反対者らは言う。

Disappearing with the town would be its pristine natural surroundings, the habitat of several endemic species, say the protesters.

町とともに消えるのは、手付かずの自然環境と数種の固有種の生息場所、と反対者らは言う

 

Yet, even after all this time, the dam is far from completion; even the foundations have yet to be laid. All that’s visible are a few barriers and some construction machines. The prefecture recently revised the completion date from March 2017 to March 2022.

今でも、ダムは完成には程遠い。その基礎すらも完成してはいない。目に見えるのはいくつかの柵と数機の建設重機。県は最近、建設完了日を2017年3月から2022年3月へと変更した。

Though the officials and construction company managers kept appealing to the women to let the workers pass, the protesters remained silent. “If we start talking, we only get worked up,” Sumiko Iwashita explained later. The women felt that any discussion would lead to offers of compensation, but little in the way of a real exchange of opinions.

行政や建設会社のマネージャーらは女性たちに作業員のために道をあけるよう再三伝えるが、反対者らは沈黙を保つ。「話し始めると、感情的になってしまいます。」と岩下すみ子さんは後に語った。話を始めると、真の意味での意見の交換ではなく補償の提示につながる、と女性らは感じている。

THE AUTHORITIES CONSIDER THE dam necessary to prevent flooding of the nearby Kawatana River and to supply water to the city of Sasebo, located about 40 minutes from Kobaru by car. Some decades ago, the city had experienced a water shortage and had to ration water for a while. However, Kobaru residents find reports about a supposed lack of water in Sasebo exaggerated. They argue that actual water use has been dropping with the introduction of new technology, and a predicted rise in population in Sasebo has failed to materialize. The dam opponents suspect some influence from Tokyo: the Liberal Democratic Party, which has dominated the country for decades, traditionally falls back on infrastructure projects to boost the economy.

行政は、川原から車で40分の場所にある佐世保市に水を供給している近隣の川棚川の氾濫を防ぐにはダムが必要だと考えている。数十年前、佐世保市は水不足を経験し、しばらく水の配給を行わなければならなかったことがある。しかし川原住民は、佐世保市の水が不足するといわれているのは大げさだとする報告を見つけた。その報告では新技術の導入とともに実際の水使用量は減少し続けており、佐世保市人口の増加予想は現実とはなっていない。ダム反対者は政府からの影響を疑っている:日本を数十年にわたり支配してきた自民党は、伝統的に経済対策のためにインフラに頼っている。

Two years on, the protesters have refused to let themselves be intimidated. They are aware that once they give in, the 60 residents that remain in 13 of what were once close to 70 households will have to leave their hometown forever, thereby abandoning land which, in some cases, their ancestors have inhabited for generations. Six days a week, from morning to evening, the women, flanked by non-resident supporters, continue to block access to the site. Most of them are retirees. It once was the men, the household heads, who led the protest, but they were charged with obstruction of construction. If they actively take part in the protest, they can be fined, an activist explained. That was another reason why the women did not want to reveal their identity while protesting.

2年にわたり、抗議者たちは自分たちを鼓舞してきた。ここで降参してしまうと。もともと70世帯が暮らしていたうちの残りの13世帯、60人の住民が故郷を永久に離れなければならなくなり、中には数世代にわたり先祖が住み続けてきた土地を見棄てなければならなくなる。週に6日、朝から夜まで、住民ではない支援者に囲まれダム現場への立ち入りを防ぎ続けている。彼女らの多くは定年退職者である。以前は男性、世帯主が反対運動を指揮していたが、彼らは工事を妨害したことで罪に問われた。反対運動に積極的に参加すれば、罰金を科せられる、と活動家は説明した。こういった理由もあり、女性らは抗議中に身元を明かしたくないと考えている。

 

It once was the men, the household heads, who led the protest, but they were charged with obstruction of construction.

以前は男性、世帯主が反対運動を指揮していたが、工事を妨害したことで罪に問われた。

 

“There are not so many of us, so we cannot take turns. That is why we bring our lunches and some water, rain coats and umbrellas,” Iwashita explained. The youthful 66-year-old is one of 60 people who after decades of fighting against the dam continue to live in Kobaru. With her husband and one of her sons she lives in a big house set a little above the fields. “I love nature,” she said with a smile. “Birds always sing here.” People who drive through Kobaru can see big signs reflecting the residents’ attitude on the roadside: “If your hometown was going to disappear – how would you feel?”

「人数がそういるわけでもないので、交代はできません。だから水とお弁当、レインコートと傘を持ってきます。」と岩下さんは言います。若々しい66歳は、ダム建設に何十年も立ち向かいながら川原に住み続けている60人のうちのひとり。ご主人と息子の一人と一緒に、やや高台にある大きな家に住んでいる。「私は自然が好き」、と岩下さんはにっこりと笑います。「ここはいつも鳥が鳴いています。」川原を車で通り抜けると、道沿いに大きな看板があり、それは住民たちの気持ちを代弁している。「あなたの故郷が消えるとしたら、どう思いますか?」

 

OFFICIALS FROM NAGASAKI PREFECTURE insist they have done much to garner the understanding of the residents. In fact, construction work was paused for 30 years until, in 2009, the authorities decided to make use of the expropriation law, a highly unusual step. Generally, authorities try to “convince” people affected by a construction project, if necessary with pressure – and money, as dam opponents believe.

長崎県職員らは住民の理解を得るためにさまざまなことをしてきた、と強調する。実際のところ、工事は2009年に役人が強制収用法を活用するという非常に珍しい手順を踏むまで30年間休止されていた。一般的に行政は、必要があれば圧力と金銭を使い、建設計画により影響を受ける人々の“説得”をしようとするとダム反対者は信じている。

The protesters took their case to court, but in December 2016 their suit to stop construction was dismissed. Only a few weeks later, on an early Sunday morning in January – the only day of the week on which women did not gather – workers brought heavy machinery to the construction site. Since then, confrontations along the site fence have been resumed with renewed vigour. At the same time, authorities have kept pushing expropriation efforts: for the past three years, a commission has been working on assessing the value of the remaining residents’ land to determine compensation payments.

反対者はこの件を裁判所へと上げたが、2016年12月、建設を止めるための彼らの訴訟は棄却された。そのたった数週間後の1月、女性たちが唯一集まらない日である日曜の早朝、作業者らは重機を建設現場へと運び込んだ。それ以来、新たな心持ちで現場のフェンス沿いでの攻防が再開された。それと同時に、行政は収容に向けた動きを推し進め続けてきた:この3年間、委員会は賠償支払い金額の算定のために、残りの住宅地の価値査定を進めている。

Despite the image of the protesters as being of advanced age, there are also many young people living in Kobaru. One man, 43-year-old Shinya Kawahara, dressed in a striped T-shirt and beige pants, sat in the local community house, its walls decorated with black-and-white photos from protests, handwritten posters and banners from supporters from all over Japan. Born and raised in Kobaru, Kawahara, a shift worker at a local ceramic parts factory, said he could not imagine living elsewhere. He loved playing with his teenage daughters at the river, observing fireflies in early summer, watching birds or collecting bugs. “This is the only home we have. I think it is natural for us to want to protect it.”

 

反対者は年齢の高い人だという印象があるが、川原には多くの若者も住んでいる。その一人がストライプのTシャツとベージュのパンツを着た43歳のかわはらしんやさんは、抗議活動の白黒写真、日本全国の支援者からの手書きのポスターやバナーの貼られた公民館に座っていた。川原で生まれ育ったかわはらさんは、地元の陶器パーツの工場でシフト勤務をしており、ここ以外に住むことが想像できないという。川で10代の娘と遊んだり、夏の初めには蛍を観察したり、鳥を眺めたり虫を集めることが好きだと言う。「私たちの家はここにしかありません。それを守ろうと思うのは自然なことです。」

He saw policemen lifting grandmothers who were sitting on the ground and hauling them away.

彼は警察が地面に座る祖母たちを持ち上げ、引きずっていくのを見た

He was witness to an event that marked the beginning of this long-running battle of wills. He was 11 in 1982, when he watched officials come to the valley to measure the land in preparation for the dam, accompanied by riot police. He saw policemen lifting grandmothers who were sitting on the ground and hauling them away. Crying children were carried off or thrown to the side, he remembered. Kawahara himself tried to punch a policeman in the stomach, but the man was wearing a metal plate under his shirt.

彼はこの長く続くことになる意思の戦いの始まりとなった出来事の証人でもある。1982年、彼が11歳のとき、ダムの準備に向けた土地の測量のために役人たちが機動隊を連れて来たのを見た。彼は警察が地面に座る祖母たちを持ち上げ、引きずっていくのを見た。泣いている子供たちは連れていかれるか、脇に投げられたのも覚えている。かわはらさんも警察官の腹を殴ろうとしたが、シャツの下には金属のプレートを着込んでいた。

THE REMAINING RESIDENTS POINT to the brutal police operation in 1982 as the reason they lost trust in the prefectural administration. In fact, the authority itself acknowledges that the incident inflicted “deep wounds to the hearts of the residents,” and the governor at the time attempted to make amends by sending apology letters and trying to meet with Kobaru residents.

今も残る住人たちは、1982年のこの残虐な警察の動きを、県政への信頼を失った理由としてあげる。実際、県行政自身がその事件により「住人の心に深い傷」を残したと認めている。また当時の知事は謝罪の手紙を送り、川原の住人に会おうとするなど傷を埋めようと試みている。

However, four kanji – 面会拒否 – on a sign at the door of 66-year-old Isamu Ishimaru’s house are a token of the failure of those attempts of reconciliation. They read menkai kyohi or “refusal to meet,” and they refer to his deep disappointment in politicians, including the former governor, who broke his promise not to build the dam if just one person was against it.

しかし、石丸勇さん(66歳)の家のドアに貼られた4文字の漢字、面会拒否こそが、和解の試みの失敗の証である。この4文字には、ひとりでも反対の人がいればダムは建設しないと約束した前知事を含む政治家に対する深い失望が現れている。

Although Ishimaru only arrived in 1978 from the nearby Amakusa islands with his parents, he considers the little Kobaru Valley home. “This is where traditional Japanese society still remains intact,” he said. Ishimaru walked slowly on a small road leading up to his house where he lives with his wife and daughter, gazing across the light-green rice fields. Dragonflies were flitting through the air. Between the rice plants one could hear frogs croak.

石丸さんは両親とともに近隣の天草諸島から1978年に川原に来たのだが、川原の里を故郷と考えている。「ここは伝統的な日本社会がまだしっかりと残っているところ。」と石丸さんは妻と娘と住む自宅に向かう小道をゆっくりと歩きながら、時折薄い緑色の田んぼに目をやりながら語った。トンボが空を切る。稲の苗の間からは、かえるの合唱が聞こえる。

Isamu Ishimaru
Sumiko Iwashita

“If we start talking, we only get worked up.”

「口を開いたら、熱くなってしまう。」

 

Isshin Taguchi
Shinya Kawahara

 

Ishimaru talked about his defiance while pointing to a small street skirting some of his rice fields. That would be where the new main road would to go through, he explained, as the current one would be submerged. Some of his fields were already expropriated on paper, but he continued to plant rice on them anyway. The former public servant considers the expropriation a violation of the Japanese Constitution, which guarantees the right to life, freedom and pursuit of happiness.

石丸さんは、自身の田んぼに向かう小道を指差しながら果敢な抵抗について語った。もし今の道が水の底に沈むことになれば、その道が通り抜けるメインの道になると彼は説明した。彼の田んぼの一部は、書類上ではすでに収容されたことになっている。しかし彼はそこでの稲作を続けている。元公務員の彼は、収容は生きる権利、自由と幸福の追求を保証する日本国憲法の侵害と考えている。

But there are those who have accepted the government’s plans and moved out. Over the past decades, more than 50 households have given up and left. A new housing estate for those who left the valley stands in nearby Kawatana, the village of 14,000 people of which Kobaru is a part. Although it’s only a few kilometers down the road, the emotional distance is enormous; the people who moved here from Kobaru, especially the elderly generation in their sixties, do not speak with their former neighbors anymore. Both sides feel betrayed.

県の計画を受け入れ、家を出たものもいる。過去数十年の間に、50世帯以上があきらめ、この地を去った。川原を去った人の家屋は今、近隣の川棚という川原も含む人口14,000人の町に建っている。その距離は数キロしかないものの、感情的な距離は非常に遠く、川原から川棚に引っ越した人々、とくに60代の年配の世代は元ご近所さんとは話すこともない。どちらもが、裏切られたと感じている・・・

While there is some support from outside the valley, it seems that most of their immediate neighbors do not feel like getting involved in the struggle. The family of Isshin Taguchi has been living in Kawatana village, downstream from the dam and therefore unaffected by the project, for over a hundred years. In fact, the unaffiliated, conservative local politician and former ministerial bureaucrat who heads up the dam construction committee argues that the dam is important as a measure to prevent floods. In the nineties, part of Kawatana was severely damaged by flooding after strong rainfall. “I am not exactly eager for the dam to be built – but it is just necessary,” he says. Nagasaki Prefecture emphasizes that the Ishiki Dam would protect the area from severe floods that occur with a statistical frequency of once in a hundred years.

川原ではない場所から支援もいくらかあるものの、すぐ近くの隣人たちはこの争いに関りを感じていないように見える。田口一信の家族は川棚町に100年以上住み続けており、ダム下流にあるためダム計画の影響は受けていない。無所属、保守的な地元出身の政治家であり元省職員でダム建設委員会を率いる田口さんは、ダムは洪水を防ぐための大事な方策だと語る。90年代、川棚の一部は強い雨の後の洪水により多大な被害を受けた。「ダムの建設に熱心というわけではない。」と彼は言う。統計的には100年に1度の頻度でおこる重大な洪水から、石木ダムはこの地区を守ることになる、と県は強調する。

 

Thanks to young, dedicated residents like Shinya Kawahara, there seems to be little chance of the resistance in Kobaru fading.

カワハラシンヤのような若く熱心な住民のおかげで、川原の抵抗行動が尻すぼみになる可能性は小さい

 

Despite all of the setbacks the Kobaru residents try to stay positive. What encourages them is that the authorities still have not managed to move the project visibly forward. In fact, there are many major construction projects throughout the country, from dams to nuclear power plants, which have been stalled or prevented by local resistance. There was also the local resistance to the Arase Dam in Kumamoto Prefecture that led to its being completely torn down, in the only such case in Japan. Thanks to young, dedicated residents like Shinya Kawahara, who feel called to continue the protest, there seems to be little chance of the resistance in Kobaru fading.

さまざまな障害がありながらも、川原の住民は前向きでいようと心がけている。行政がこのプロジェクトを目に見える形で前進させることができていないことが、彼らを勇気付けている。実際、日本全国にはダムから原子力発電所といった大きな建築計画があるが、地元の抵抗により行き詰まり、回避されたものが多くある。熊本県の荒瀬ダムでも地元の抵抗があり、その結果完全に撤去されることとなった。これは日本で唯一のケースである。若く熱心で、抗議を続けようと声をかけ続けるカワハラシンヤのような住民のおかげで、川原の抵抗行動が尻すぼみになっていく可能性は小さい。

 

At the protest site, the soft-spoken yet feisty Iwashita revealed how she managed to keep her balance and persevere through the exhausting fight: She did not think ahead much, she said. To relax she likes to rip out weeds in her garden. She emphasized that the women tried to keep up their good spirits by enjoying delicious food and by laughing together a lot, “because you cannot fight if you are depressed.”

反対活動の現場で、口調は柔らかだが気骨のある岩下さんが、疲れる闘いの中どのようにバランスをとりのりこえているのかを話してくれた。あまり先のことは考えないのだ、と彼女は言った。リラックスするのに、庭の雑草を抜くのが好きだと。女性たちの気持ちを明るく保つには、おいしいものを一緒に楽しみ、一緒に笑うことだ、と彼女は強調する。「沈んでいたら闘えないからね。」

Kawahara, the local-born ceramic maker employee, said he suppressed thoughts about the fact that he might have to move away some day. “I will get old in Kobaru,” he stated decisively. ❶

Sonja Blaschke is a freelance East Asia and Australasia correspondent for German print media and a TV producer. She divides her time between Japan and Australia.

地元生まれで陶器メーカー社員のカワハラは、いつかここから引っ越さなければならないかもしれないという思いにふたをしているという。「私は、川原で年をとるのだ」と彼は断固とした口調で語った。

 

ソニア・ブラシュケはドイツの印刷メディアの東アジア・オーストララジア特派員でTVプロデューサー。日本とオーストラリアの半々で暮らしている。

 

負の歴史、繰り返すな

6月6日の長崎新聞『記者の目』は、〝負の歴史〟繰り返すな でした。

「負の歴史」とは?

1982年、機動隊を導入し、住民を排除して実施した石木ダム強制測量のことです。

最近、工事を強行しようとする県&業者と、抗議行動を続ける反対派の対立が先鋭化してきて、警察が何度も出動している。その状況を危惧した心ある新聞記者の警告です。

あのような「負の歴史」を繰り返してはいけない。その責任は当然、県にある。と。

しかし、起業者のトップである長崎県知事や佐世保市長は、「負の歴史」をすっかりお忘れのようです。

市長は「石木ダム…など県の協力で進めたい」と要望し、知事は「石木ダム建設は必要不可欠」「確実な事業推進に全力を注いでいきたい」と語ったとか。

この二人のご意向忖度して、県職員も作業員も「やり方がちょっと強引かも…やりにくいな~」と思っても、工事を強行せざるを得ない状況なのかもしれません。

トップが我が意のままにふるまえば、迷惑するのは部下や民。トランプを大統領にしてしまったアメリカや、安倍首相を戴く日本政府の現状と似ていますね~

違うのは議会。アメリカ議会はかなりトランプ大統領に反発しているし、日本の国会も、圧倒的に力不足ではあるけれど連日野党が追及の声をあげている。しかし、長崎県議会では、県政の横暴を見て見ぬふり。いえ、問題視する議員すらほとんどいないのが現状です。

今から45年前、当時の知事と交わした覚書を反故にして、住民の同意無しに工事に着手していることも、5年前、当時の国交大臣から「地元の理解」を得る努力をするよう付帯意見を記されたことも全てお構いなし。傍若無人の県政がまかり通っています。

これじゃあね~行政はやりたい放題できますね~

しかし、地元こうばるの皆さんは強い!諦めません。
あの手この手で抗議します。一歩も引きません。

警察の方も言ってました。

抗議をするのは皆さんに与えられた権利。

それを奪うつもりはありません。

しかし、傷害行為、危険な行為はしないように。

プラカードも用法を間違ったら凶器になります。

相手が公務員なら公務執行妨害になります。

感情的になるなと言うのは無理かもしれないが、

私はどちらにも被害者を出したくないのです。

と。

うーん。

長崎県では、市民の味方はもしかしたら、議員よりも警察???

 

ナンバーワン新聞に石木ダム?

皆さんはご存知ですか?ナンバーワン新聞って。

ヘンな名前。そんなの聞いたこともないよ。

ですよね。でも、あるんですよ。
正式には、「NUMBER 1 SHIMBUN 」と表示。

何?それ、英語圏の新聞?でも、NEWSPAPER じゃないしね…

と思いますよね。
ウフフ…そろそろ種明かししましょうかね~

NUMBER 1 SHIMBUN、それは、日本外国特派員協会の機関紙です。
FCCJ journalists report Japan to the world.

良きライバルであり仲間である各国ジャーナリストたちが、それぞれどんなことを本国に伝えているのか。
政治・経済・事件・事故など大きなニュースは皆さんほぼ同じでしょうが、それ以外の小さなニュースやネタなど、他人が書いたものを見るのは、きっととても興味があるし、勉強になるでしょうね。
自分の知らなかった日本を発見することにも繋がるでしょう。
                                   でも、月に1回の発行です。
全ての会員の全ての記事を載せるわけにはいかないので、
きっとここには選りすぐりの記事が掲載されているのでしょうね~
そんなNUMBER 1 SHIMBUNの6月号に掲載されていたのが、
ドイツ人ジャーナリストのソニアさんがスイスの新聞NZZに発信した石木ダムの記事でした!
以前、NZZに掲載された時も、このサイトでお伝えしましたね。
 でも、ドイツ語の記事を見ても、内容は「???」でしたね。
                                  今回は英語なのである程度理解できる方も多いでしょう。
                                  そして今回は正式に翻訳を依頼していますので、日本語訳が届いたら、またこの場でアップしますね。
お楽しみに~

スイスでも報じられた!石木ダム問題

4月30日、スイスの一流紙NZZが、ついに石木ダム問題を報じました!

 

同紙の日本特派員パトリック・ゾルさんと同行したドイツ人フリージャーナリストのソニア・ブラシュケさんの熱意の賜物です。

二人は2015年春、 外国特派員協会での記者会見に参加、石木ダム問題に関心を持ち、6月現地まで取材にやってきました。

スイスから見れば、遠いアジアの島国の小さなダム問題など掲載すべき記事の対象にはならなかったことでしょう。

でも、お二人は諦めず、2年後にやっと記事化できたと報告してくださいました。

ただ1つ残念なことには…
私たちにはドイツ語が理解できません。(>_<)
とりあえず写真や動画の部分などを見て、書かれてあることを想像してみてくださいね。
日本語訳が入手できたらお知らせします~

 

 

東京新聞が再び石木ダムに注目

熊本地震から1年を経た今も、約48,000もの人々が未だに避難生活を強いられています。
避難者の方々が一日も早く住み慣れた我が家で、あるいは新しい家で落ち着いた生活を再開されることを祈ります。
と共に、こうばるの方々が、自然災害ではなく無駄な公共事業の犠牲になってふる里を追われることの無いよう、あらためてこの裁判に勝利したいとの思いを強くしました。

二度目の震度7を記録した4月16日からちょうど1年のこの日、東京新聞「こちら特報部」では石木ダム問題を大きく報じました。

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2017041602000145.html

【特報】長崎・石木ダム 広がる反対の輪 著名人ら賛同 計画から半世紀「必要か」

記者は、約半世紀にわたって「石木ダム」建設計画に反対し続けている長崎県川棚町の水没予定地に暮らす13世帯約60人の住民らを支援するアーティストや、環境問題に取り組むアウトドア用品メーカーの「パタゴニア」などの活動を紹介するとともに、住民の率直な想いも伝えています。

「佐世保という都会の水のために田舎は立ち退きなさい、犠牲になりなさいというのは、東京の電力のために犠牲になった福島と構図は同じ。自分たちの闘いを通じ、地方を犠牲にすることについて都会の人たちが少しでも考えるきっかけになればいい」

Sさんのコメントが、佐世保市民の私にはとても堪えますが、だからこそ、私も頑張らねばという気持ちになるのです。