こうばる探検隊 春の巻

5月6日、史上初の10連休!最終日、ようやく「こうばる探検隊 春の巻」の開催です。
春というにはチト遅い気もしますが、暑からず寒からず、ピーカンでもなく…野原や河原で遊ぶには最高の日和でした。

午前10時、こうばる広場には、佐世保や川棚、東彼杵からやってきた親子とスタッフ46名、そして、こうばるの子どもたちやお父さんなど7名が集まりました。

まず初めに、こうばるのお母さん代表のすみ子さんから歓迎の挨拶をいただきました。

続いて、スタッフのKさんとNさんから今日の探検コースの説明。

そして、昆虫博士の西澤先生から大切なお話が…。


ここには野原がある。川がある。ここの川は深過ぎない。子どもが遊べるいいところです。

でも、川があって、野原があって、田んぼがある。こういうところにはマムシがいます。危ないよ。勝手に先に進まない。あいつら弱虫なんだ。弱虫だから驚いて噛みつく。脅かしちゃダメだ。必ず大人の後についていくこと。いいな!
大人は子どもを守ってください。
一人が噛まれたら、今日の遊びは終わり。誰かが怪我したら遊びは終わり。
だからいいか、自分の身は自分で守る!危ないことはしない!

とたんに子どもの顔つきが変わる。真剣な表情。しかも怖がってはいない。
大人も変わる。私語がピタリと止み、背筋も空気もピンとなる。

さあ、出発です。

生い茂った草むらをかき分けて進みます。


お馴染みのテントウムシカタツムリさん、こんにちは!


西澤先生の合図で皆まぁるくなって、少しずつ前へ。

草の中に隠れている虫たちを追い込んでいきます。
そうして飛び出してきた虫たちを捕虫網で捕まえて透明のケースへ入れてじっくり観察。


見るだけでなく、手に載せて感触を得ることも大事。

触りたい人?ハイ!と元気な子どもたち。
先生の手から子どもたちの手へ次々と。

観察が終わったら野原に放します。


さあ、みんなも自分で捕まえてごらん!と言われ、大人も子どもも目を皿にして虫探し。

何が捕れたのかな?

分からない時は、自然観察指導員の方に尋ねたり、昆虫図鑑で調べたり。

そうやって捕獲した虫たちを子どもたちは得意げに先生の元へ。


ヒラタアブ、キリギリス、トノサマバッタ、オオカマキリ、ハムシ、ジョウカイボン、コメツキムシ等々たくさんの虫たちがいたようです。
(トイレ係の私、子どもたちを公民館へ案内していたので、写真が撮れなかった!残念!)

実はみんなが集まる前に、既に広場の隣の家のそばで見つけた虫もいましたよ。


ナナフシです。

この野原に、ポツンと1本の桜の木。


この木の幹の肌には髭のようなもじゃもじゃがたくさん…

近づいてよく見ると、ミミズのようでもあり…

これはミノムシの仲間でガの幼虫だそうです。
と言われても一般的なミノムシとは似ても似つかないですよねー。
先生の説明を聞きそびれたので、帰宅後ネットで調べた限りでは、ヒモミノガの幼虫のようです。
http://mushi-akashi.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-2d3f.html

でも、このヒモだかヒゲだかミミズだかわからない細長いものが蛾になって飛んでいくなんて信じられない…昆虫はまさに変化する生きものですねー

さて、そろそろお腹の虫も泣き始めたので、お昼にしましょう~
向かった先は…



川原公民館!

みんなお腹が空いていたんだね~食べるのに夢中で急に静かになりましたよ。手作りのお弁当が美味しそう!



食事が終わるとすぐにまた賑やかに!
お絵描きタイムです。
午前中観てきた虫たちを、思い出しながら、あるいは撮った写真を見ながら、または図鑑を参考にしながら張り切って描いています。


クワハムシ!上手ですねー
ハナムグリ!表と裏と両方を描いてくれました!
よく観察してる!
子どもたち、すごいなー


マツムシもいたんですね!
トノサマバッタ!横顔だけなのに、雰囲気でてますねー


一番人気はテントウムシでした。
描きやすいからかな?
絵画的なものあり、図鑑的なものあり、アニメっぽいものあり、楽しい~

お絵描きを終えると、朝と同じこうばる広場へ。
そこには、歌のお兄さんならぬ、歌のオジサンとオバサンがいて…

「さんぽ」や「小さな世界」「手のひらを太陽に」などなど、みんなで楽しく歌いました。

さて、いよいよ午後からの探検に出発でーす!


着いたのはここ。

石木川の河原です。まさに石がごろごろ。自然のままの河原です。

いつものように全員集合!

西澤先生から、どんなところに魚がいるか、虫がいるか、どうやって見つけるか、見つけたら捕まえてバケツに入れておいて、後でここに持ちよることなどが伝えられ、話が終わると同時にみんなバシャバシャ川の中へ。




おおー、捕れてる捕れてる。


再び全員集合。
集まったバケツの中身を白いバケットに入れて観察です。


大きいのはドンコで、小さいのはカワムツだそうです。


サワガニもいますね。

こちらは、カエルと水生昆虫の仲間。


「白い筋があるので、これはたぶんヌマガエル
左上の細いヤツはトンボの幼虫、ヤゴです。
イトトンボハグロトンボミヤマトンボか…?」

「それから、このクモみたいなヤツ、これもヤゴです。オオヤマトンボコヤマトンボかもしれません」


「これはオニヤンマの幼虫です」
「それから、すごいのを捕まえた人がいます。コオリヤンマの幼虫です」

(正直、この写真はどっちだったか覚えていません。トホホ)


これらはほとんどカゲロウで、
丸くて平べったいのは、ヒラタドロムシだそうです。

他にもトビケラだとか、ミヤマトンボサナエトンボなどなど・・・昆虫の幼虫がこんなにたくさん水の中で暮らしていたとは、全く知りませんでした。

みんなが協力したらこんなに捕れたね。
こんなにいろんな種類の生きものが川にはいます。
僕らが飲んでおいしい水のところには、生きものもたくさんいるんです。
ここの川の水はすごくきれいだってことです。
ここを残してほしいと僕は思う。


どうしたらいいんだ?
どうしてここにダムを造ろうとしているんだ?
水をみんなが欲しがるからだよ。
欲しくないってみんなが言えばいいんだ。
みんな水をいっぱい使い過ぎる!
ここをダムの底に沈めたくなかったら、水の無駄遣いをやめよう!
いっぱい石鹸を付けて、いっぱい水を流して洗うな。
自分に何ができるか、それを考えることが大事。
ひとに頼るな。大人に頼るな。
ここを残したかったら自分で行動するんだ。

「さあ、魚も少し弱ってきたね。そおーっと川に返そう!」




最後に、こうばるに住んでいるSさん(子どもと自然が大好きなお父さん)からご挨拶。


どんな話をされたのか、私はかなり離れたところで撮っていたので、聞こえませんでしたが、皆さんの背中から何となく伝わってくるものがありました。

こうばる探検隊は、まだまだ続きます。
こうばるの自然の本当の豊かさを、私たちはまだまだ知りません。
もっともっと知りたいです。
さぁて次回は、いつ、どんなことをやろうかな~
乞う、ご期待!

石木ダム建設絶対反対同盟 第40回団結大会

石木ダム建設絶対反対同盟が結成されて40周年の節目となる今年の団結大会。川原公民館は多くの参加者でギューギューです。

住民代表の挨拶。

この1年を振り返って、いつものように石丸さんが報告。

今回は、過去40回の決議文のコピーも配布され、歴史の重みを実感させられました。

その後いつものように来賓挨拶。弁護団の高橋先生に始まって、県内の各団体(石木ダムに反対する川棚町民の会、石木ダムの清流とホタルを守る市民の会、いしきを学ぶ会、石木川まもり隊)、川棚町議等の挨拶が続き…今年はこの方も!

映画監督で、絵本作家で、カメラマンの大西暢雄さん。

こうばるの人々、風景、闘いを追い続けて数十年。3.11以後は全国の被災地を飛び回り、多忙を極めながらも、時間を見つけては、ひょっこり現れます。大西さんの温もりと優しさは、お顔だけでなく作品にも滲み出ていますね~

こちらは金子サトシ監督。

今度あらたなドキュメンタリー作品を制作されます。「悠久よりの愛~ダム建設を阻止した人びと」(仮題)

その中に、この石木ダム問題も取り上げられるのです。ぜひ良い作品を生み出してほしいですね。完成が待たれます。



がんばろうー!の後は、



いつものように、美味しいご馳走(こうばるのお母さんたちの手作り「団結料理」です!)に舌鼓。笑顔と会話、ハーモニカの演奏など、会場は熱気ムンムンでした~

 

NHK NEWS WEB

長崎 NEWS WEB


石木ダム建設反対 40回目大会




川棚町に建設が進められている石木ダムの予定地の地権者らが建設に反対する40回目の大会を開き、ダムの白紙撤回を目指すことを改めて確認しました。

長崎県と佐世保市が川棚町に建設を進める石木ダムをめぐっては、13世帯の地権者でつくる「石木ダム建設絶対反対同盟」が毎年、この時期に大会を開いています。

ことしで40回目となった10日の大会は、川棚町の川原公民館で開かれ、地権者や支援者などおよそ80人が集まりました。

この中で、地権者の炭谷猛さんは「ダム建設に絶対反対を貫こうと決起し、私たちが40年間やってきたことは間違っていなかった。若い人たちと一緒になって継続していくことが大事です」と話しました。

このあと、別の地権者がダム建設に伴う道路工事に対する抗議の座り込みが、延べ590日にのぼっていることやダムの事業認定の取り消しを求めた裁判の状況などについて説明しました。

また、支援団体からは、学習会の開催や地権者の暮らしを追ったドキュメンタリー映画の上映などによって石木ダム建設の必要性を考えてもらう機会が増えたことが報告されました。

最後は、参加者全員でダムの建設計画の白紙撤回まで団結していくことを確認していました。

ネットショップでこうばる支援米販売開始

みなさん、こんにちは。

石木ダム水没予定地住民の石丸穂澄です。

今年のこうばる支援米の販売のお知らせは掲載したものの、ネットショップこうばるショップの方ではまだこうばる支援米を登録していませんでした。

大変お待たせしました!

先ほど、なんとか商品登録完了しました。

http://koubarushop.buyshop.jp/

こちらのサイトから気軽に購入できます。

しかし、ネットショップの管理会社への手数料支払い分300円が上乗せされています。

あと、購入されてもすぐにお米発送できません…

大変申し訳ありません。。

次の発送は、10月末か11月に入ってからになりそうです。

第一陣発送分(10/14発送)の方のお米はすでにご用意できていますが、第二陣の方(現在受付中!)はまだお米が収穫できていません。

今、頑張って収穫中です!







どうぞよろしくお願いします。

こうばるショップ管理人の石丸穂澄へ直接ご注文いただくと手数料いらずです。

ただいま絶賛受け付けております!ご希望の方は、

1ご注文内容
2郵便番号
3住所
4氏名
5電話番号
6メールアドレス

をご記入の上SNS(facebookのメッセンジャー、Twitterのメッセージ)か、ほーちゃんのGmailアドレスに、ご連絡をよろしくお願いします。

お問い合わせももちろんOKです。

ほーちゃんのメールアドレス
hozumix1982☆gmail.com(☆を@に変えてください)



あと、こうばるショップのチラシをこの前作りましたが、新たにこうばる支援米のチラシも作りました!





2,000部印刷しました!

これから、自主上映会でもどんどん配布したいと思います。

こうばるへ行こう!

素晴らしい夏空の下、子どもたちの歓声が響きます。



8月26日、夏休み最後の日曜日。こうばるで川遊びを楽しみたーい!とやってきたのは佐世保の親子連れ34人!

みんな初めて見る景色にワクワク。

案内する私もワクワクです。同じ佐世保市民として、佐世保の子どもたちに石木川の大切さを知ってほしかったから。言葉ではうまく説明できないので、ここで遊んでもらうのが一番!理屈は要りません。

こうばる公民館に荷物を置いて早速、秘密の避暑地へレッツゴー!

子どもたちは、すぐに水着になって、ものすごい勢いで川にジャブジャブ。
いつもは澄んだ川ですが、あっという間に泥水状態。底の泥がかき混ぜられたんですね。川の住人も驚いたことでしょう。



なーつになれば  わーらしこおよぎ
どじょっこだの  ふなっこだの おにっこきたなと おもうべなー


なんて歌を思い出してしまいました。

ここ中ノ川内川は石木川の支流で、とても浅い川ですが、おっかなびっくり、そろりそろりと進む慎重派?の女の子。それとも水の感触を楽しんでるのかな?





地元の子は慣れたもの。岩と岩の間の流れを滑り台のように滑ってみせます。

今日はこうばるの子どもたちも一緒に楽しみました。



3歳になったばかりのNちゃんを優しくエスコートする子どもたち。

こんな自然の中で遊ぶことが、怖さや勇気や思いやりを育てるのですね。



こちらでは魚やカニを捕まえるのに夢中です。



あっという間に、小さな魚10匹くらいとカニを3匹ゲット!

カニはサワガニでしょうね。魚はメダカ?ハヤの赤ちゃん?恥ずかしながら、私は何も知りません。トホホ。

見ているうちに、大きいカニが小さな魚をパクリ!

あー!殺し屋だ!たいへんだー!
というわけで、カニさんはすぐに川へ戻していました。

こちらには、午後のおやつがプカリプカリ・・・



 

そして、みんながやってくる少し前、地元こうばるのおじさんが、佐世保の子どもたちのために、そうめん流しの準備をしてくれていました。



竹竿をきれいに洗ったり、テーブルを置いてくれたり・・・感謝!です。

そうして、みんなが少しだけ遊び疲れた頃、お母さんたちが公民館で茹でたそうめんを運んできました。大きなざるに2杯!



おつゆのカップとお箸を手に、みんなスタンバイ!

まだかなぁ
あ、もう流れていっちゃったー







子どもたちのよく食べること!あっという間にそうめん完食!

公民館に移動して、お母さんたち手作りのカレーライスも食べました!



 

その後、子どもたちは栞作りのワークショップ。

おとなは石木川流域の自然の豊かさやダム計画などについて学びました。

 

そして、一休みしたら、もう一度川へ!



そう!スイカ割りです。ジャンケンで順番を決め、やる気満々で挑みます。

右、右! 違う 左、左! もっと前! 後ろ!
助言者が多すぎて、何が何やら・・・



見事命中しても、子どもの力ではなかなか割れません。



やっと割れたスイカは真っ赤でした。甘くて、とても美味しかった!

その後、ラムネ早飲み大会などもやったとか。
(私は片づけもあって、公民館の方へ一足先に戻っていました)

片づけの途中でいいものを見つけました!



ワークショップの作品です。
今日の体験を描いた栞。上手ですねー



みんなすごい!

川の涼しさ、楽しさ、面白さが伝わってきます。

しかもその後ろには感想文や日記のようなものが・・・



そうめん流しは、いっぱいとって食べたので、おなかがパンパンです。

って。そうでしょ、そうでしょ。



石木には自ぜんがいっぱいあったから、つれていってほしいです。

また、連れて行ってねと親にアピールしてるのかな?

お母さんやお父さんたちも、きっとそう思ってるよ。
また連れて行きたいな~って。

だって、この日の計画を立てたのは君たちのお母さんだもの。

1ヶ月も前から考えて、相談して、準備して。。

 

また来てね。

来年も来てね。

再来年も来てね。

中学生になったら友達同士で来てね。

君たちがずーっとここで遊べるように、私たち大人が石木川を守っていかなきゃ・・

と、あらためて思いましたよ。(‘◇’)

ある小学生の日記

ある小学生の日記です。

 私は今日石木ダム予定地の川原にいってきました。
 どこをみても緑でした。美しかったです。
 そこがダムになったら自然がきえるようなきがします。

子どもの感受性は本当に素晴らしいと思います!

その子のお母さんAさんはもっとこうばるのことや石木ダムのことを知りたいと思い、友人Bさんを誘って7月30日に再びこうばるにやってきました。
Bさんは小学1年生の娘さんのCちゃんと一緒でした。

森の木陰で抗議活動休憩中のお母さんたちとひとしきり語り合い、川原公民館では写真を見ながら、石木ダム反対運動のこれまでの闘いについて簡単に学びました。

この日はとても暑かったので、石木川の支流の秘密の避暑地に案内しました。
その涼しさに、みんな大歓声!


澄んだ流れは木漏れ日を映して黄緑色に見えますが、近くで見ると、もちろん透明です。

Cちゃんは、大はしゃぎ。
それまでは大人しい静かな子に見えたのに、こんなにお茶目な子に大変身!



自然は人の心を解きほぐし、自由な気分にしてくれるんですね。

翌々日、Bさんから頂いたメールには、こう書かれていました。

 Cは絵日記に石木の事を書きました。
 子どもの声は率直で、無視しがたいです。
 これからの世代に、きちんと自然を残して行きたいですね!

いしき手ぬぐい販売開始!



みなさん、こんにちは。

石木ダム水没予定地住民のいしまるほずみです。

明々後日5/26(土)は第31回こうばるほたる祭りが開催されます!

天気が心配です…雨の予報になっています。

でも、お祭りは雨天決行です!

雨が降ってもよろしくお願いします!

今年も、石木川まもり隊ブースと共にこうばるショップやパタゴニアブースが登場します。

パタゴニアブースでは「#いしきをかえよう」の署名アクションをやります!



村山義昭さんの「石木川のほとりにて」写真集やノーダムTシャツ、なにやら他にもお楽しみのコーナーがあるみたいですよ〜

すっごく楽しみ!みんな期待して!!

「石木川のほとりにて」価格:1,500円



こうばるショップのいしきグッズ販売では、映画「ほたるの川のまもりびと」パンフレットも売り出します。

価格:800円



パンフレットのPOPを新たに作りました!



なんと?今だけ!ほーちゃんのサインは0円です!!



そして、今回から新たに「いしき手ぬぐい」が売り出されます!

価格:1,500円



いしきグッズの最新商品、いしき手ぬぐいは二年越しの構想を経てついに完成です!

よく見て!

川魚の配置が「いしき」になっているんですよー!

色は2パターンあります。

いしき手ぬぐいにポストカードセット(15枚入り)+こうばるマップが付いたお得なセットもあります。

大変お買い得です、これから石木ダムの水没予定地について知りたい人向けにちょうど良い資料になっています。

こうばるほたる祭りのお土産にいかがですか?

いしき手ぬぐいセット価格:2,000円



今年のこうばるほたる祭りは、舞台の出演者も多いようです!

どんな天気でも盛り上がります!

盛り上がった後は、みなさん静かにこうばるのゲンジボタルの乱舞をお楽しみ下さい。

たくさん出ています!

来てよかったと思えます!

地元より、皆様のお越しをお待ちしております〜


中村知事、住民との対話を約束!

1月31日、ついに知事が約束しました!地権者との直接対話!

もちろん、知事選が終わってからですが、約束は約束。選挙遊説中のリップサービスだったとは言えないでしょう。このように報道人も目撃していたのですから。



この日は本当にラッキーでした。
その運を呼び込んだのは、地権者の機転と判断力。

実は前日から、明日は現場での抗議は早めに切り上げてダム事務所の前で抗議行動しようかね~なんて相談をしていたのですが、朝、現場に到着する直前に携帯電話が鳴り、「そのまま役場に向かって!知事が選挙カーでその辺を通るって情報が入ったから!ゼッケンと椅子は・・・に置いておくからねー」と。

公会堂の駐車場に車を停め役場前の交差点に行くと、既に石木ダム反対のゼッケンをつけた20名ほどが集結し、知事はどうせ車で通過するだけだろうが、せめて石木ダム反対の意思を伝えたい、アピールしたいとの思いで立っていました。

そのうち、いま知事は川棚警察方面にむかっているとの連絡が入り、地権者の皆さんはそちらに移動。
しばらくして戻ってきた炭谷さんの話で、地権者と会って話し合うことを知事が約束したと知りました。
それはすごい!

これまで何度も県と交渉してきましたが、土木部部長をはじめ次長も河川課企画監も「伝えます」と言うだけ。
ダム事務所の所長も知事に頼んでくれていたようですが、どなたが邪魔をしているのか、いっこうに実現の可能性は見えてきませんでした。

それが、ほんの小さなチャンスを逃さず、数人の地権者が車に駆け寄って直談判した結果、あっさり知事はOKしたのです。(NBCのTVカメラが証人です)

知事が出した話し合いの条件は
●第三者を入れないなら面会の形は個別でも集団でもよい
●前提(計画を白紙に戻すとか話し合い中は工事を止めるとか)は無くす
でした。

それでは地権者は譲り過ぎではないかとか、県側の策略ではないかなど見る向きもありますが、私はそうは思いません。
まずは会うことが大事。話し合ってみることが大事。本気で向き合うことが大事。
それで相手が無理難題、姑息な手段を取ろうとしたら、引けばいいだけのこと。
その場その場の軌道修正は、川原住民の得意技です。

この日の知事との対話実現も、その得意技によるもの。
実は初めは石木ダム絶対反対の横断幕と幟を持ってきていたのですが、止めた方がいいとの連絡が入り、地権者は即実行。
選挙期間だからとの理由に、このアピールは選挙運動でもなんでもないのに…と支援者の中には納得できない人もいたのですが、結果的には、それが良かったんですね。
横断幕や幟を持った集団だったら、きっと車は素通りしたことでしょう。
少なくとも知事が降りてくることはなかったはず。

なるほどな~と感心しているうちに、再び選挙カーが役場前にやってきました。
しかも信号はちょうど赤に!
またまた炭谷さんは知事と会話でき、その上今度は炭谷さんに取材中だった長崎新聞の本社記者もたまたまそこにいたりして・・・幸運はまだまだ続きました。

信号が変わると車は去っていき、私たちも現場へ戻ることに。
その途中、山道橋で知事の車を待っていたこうばるの女性たちに会い、選挙カーは駅前の方に向かったのでここは通らないはずと伝えると、では石木の交差点で待とう!ということになりました。

石木公民館に車を停め、交差点で待つこと数分。
もう通り過ぎたかもしれないね~あれからちょっと時間が経ってるしね~などと話し合ってるところへ「来たよ!来たよ!」の声。
急いで道路に向かって並びます。

残念ながら信号は青に変わったばかりで車は通過していきましたが、それでもみんな「石木ダム反対」のゼッケンを胸に、手を振ったり、お辞儀をしたり。中には土下座した人も。

車が波佐見方面に去って行ったのを見届け、工事現場へ。
いつもの抗議行動です。

見事なフットワークでした。
その場その場で、状況の変化に応じ即断し、すぐに動き出す。
あるときは頑固親父そのもので、あるときは優しいお袋さん、変幻自在な住民たち。

山城博治さんのモットー「しなやかに、したたかに」を地で行く人たちです。
中村法道さん、どーんとかかっていらっしゃい!

オーナー田の田植えが行われました

連日の騒動で報告が遅くなりましたが、6月18日(日)に川原地区オーナー田の田植えが行われました!



午前10時前、テント下に集合です。



まず、川原地区のおじちゃんから植え方を伝授ののち…



早速、二枚の田んぼのうち一枚目を横一列に並んで一斉に植えていきます。

水田の中に実際に入ってみると、ぬかるみにハマってかなり動きにくい…

一歩動かすのに足の筋肉をバッチリ使います!

ほとんどの人が素手で稲をちぎっていたので、爪も痛い…(手袋すべきでした…)



手植えの時は、この写真のように田んぼの両端に紐を引っ張る役の人がいます。(すごく重要な役!)

紐には一定の間隔ごとに丸い印が付いていて、その印のところに稲を植えていくのです。

なるほど〜みんなで息を合わせて協力して植えていくんですね!

一枚目の田んぼを植え終わったところで、休憩に入りました。



休憩所のテントに戻ると、嬉しい差し入れが待っていました!

川原地区のFさんが早起きして作ってくれた饅頭です。(中はこしあん)



この日はお天気が最高に良く、お茶の差し入れもありがたいです。

参加者の方の中には、県外から来られた方もおられました。

それに、子供連れの方もおられましたし、初めて川原地区に来られたという方もいて休憩時間も雑談で盛り上がりました。



さて、後半は下の段の二枚目を植えていきます。

今回の田植えでは、上の段はうるち米、下の段はもち米を植えました。

一枚目で残った稲は二枚目に持っていかないよう厳重に注意!混ざっちゃうと困るからね〜



さて、後半は参加者が増えたので、私はすでに機械で植え終わった他のオーナー田の様子を見に行きました。

去年から始まったオーナー田は、今年さらに作付けが増えました。上の写真の三枚の田んぼは3年以上農薬を使用していないのだそうです。

去年収穫したお米は、本当に無農薬だったんですね!



なので、田んぼの水路には様々な水生生物の姿を見ることができました。

まず、サワガニを見つけました。



アカハライモリもうじゃうじゃいます!



見てください〜この愛らしさ!



イボガエル(かな?)



もちろんオタマジャクシも…



今年のオーナー田の田植えの参加者は私の数えでは26名ほどでした。

人出が多かったおかげで、疲れたら代わりばんこ…ストレスなく予定通り午前中には無事終了いたしました。

お昼のお弁当は基本各自ということでしたが、テントの下でおっそわけを皆さんいただきつつ交流を深めました。

写真を撮り損ねましたが、この辺りにはビワ(ヒワ?)も生えていて、今年は鈴なりなのです!

おじちゃんが枝ごと収穫してきてくれたものを食べてみたところ、見かけはイマイチなのに甘くてハマってしまいました!

川原地区に住んでいて思うこと…ここにいる限り、のたれ死ぬことはない…と思います!

なお、今後は7~8月にかけて田んぼの草取りを行います。(体験無料!)

10月頃には稲刈り体験も行いますよ〜(もちろん体験無料!)

 

石木ダムの付替道路工事でなんだか慌ただしく物騒な地元川原地区ですが、故郷の景色は今も何一つ全く変わりません!

故郷こうばる地区を皆さん応援してください。

(報告:水没予定地住民、いしまるほずみ)

ほたるの里の抵抗

少し前、日本外国特派員協会の機関紙「NUMBER 1 SHIMBUN」の6月号に石木ダム関連記事が掲載されたとお知らせしました。https://ishikigawa.jp/blog/cat17/2608/ 

「NUMBER 1 SHIMBUN」の記事はこちらです。http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/946-rebellion-in-the-valley-of-the-fireflies.html

 この記事の日本語訳がボランティアによってなされ送られてきましたので、ここに掲載させて頂きます。
 

Rebellion in the Valley of the Fireflies

ほたるの里の抵抗

Wednesday, May 31, 2017



In a small village in southern Japan, a dam project has been dividing the local community for over five decades. Most residents have left, but a few households continue the fight against the dam – and they’ve been successful so far.

日本の南の小さな村で、50年以上前のダム計画が地域コミュニティを分断している。住民の多くはここを去ったが、まだいくつかの世帯がダム反対の闘いを続け、その闘いはいまのところ成功している

by Sonja Blaschke

ソニア・ブラシュケ

On a Monday morning in June two years ago, a dozen women gathered in front of a construction site in Koharu Valley in Nagasaki Prefecture. The atmosphere was tense. They hid their faces behind scarves, masks and under wide-brimmed hats with fly nets, and wore long, blue jackets from the local firefly festival to demonstrate their unity. They held signs reading: “We are against the dam” or “Stop forced expropriation.” They had been protesting there almost every single day for several months. What was at stake were their very homes.

Cars pulled up. Several men in work overalls, rubber boots and helmets got out and walked towards the small crowd, which huddled close together. Some of the men worked for a local construction firm, some were Nagasaki prefectural staff.

2年前の6月、月曜の朝、長崎県川原の建設現場の前に数十人の女性が集まっていた。空気ははりつめ、顔をスカーフやマスク、虫除けネットのついたつば広の帽子で隠し、団結を示すための地元のほたる祭りの青いはっぴを着ていた。手に持ったプラカードには、「ダム反対」、「強制収用やめろ」と書かれていた。この場所で、数ヶ月にわたり休みなく毎日反対運動をしている。かれらの故郷の何が危険にさらされているのか。

For over 50 years now, the prefectural government has been trying to build a huge dam – 234 meters wide and 55 meters tall. When completed, the Ishiki Dam would leave what is now the small Kobaru community submerged deep under countless cubic meters of lake water. Disappearing with the town would be its pristine natural surroundings, the habitat of several endemic species, say the protesters.

50年以上にわたり、長崎県は幅234メートル、高さ55メートルの巨大なダムを建設しようと試みてきた。それが完成すると、石木ダムはいまの川原地区を深いダム湖の大量の水の底に沈めることになり、手付かずの自然環境や数種の固有種の生息場所も失われる、と反対者らは言う。

Disappearing with the town would be its pristine natural surroundings, the habitat of several endemic species, say the protesters.

町とともに消えるのは、手付かずの自然環境と数種の固有種の生息場所、と反対者らは言う

 

Yet, even after all this time, the dam is far from completion; even the foundations have yet to be laid. All that’s visible are a few barriers and some construction machines. The prefecture recently revised the completion date from March 2017 to March 2022.

今でも、ダムは完成には程遠い。その基礎すらも完成してはいない。目に見えるのはいくつかの柵と数機の建設重機。県は最近、建設完了日を2017年3月から2022年3月へと変更した。

Though the officials and construction company managers kept appealing to the women to let the workers pass, the protesters remained silent. “If we start talking, we only get worked up,” Sumiko Iwashita explained later. The women felt that any discussion would lead to offers of compensation, but little in the way of a real exchange of opinions.

行政や建設会社のマネージャーらは女性たちに作業員のために道をあけるよう再三伝えるが、反対者らは沈黙を保つ。「話し始めると、感情的になってしまいます。」と岩下すみ子さんは後に語った。話を始めると、真の意味での意見の交換ではなく補償の提示につながる、と女性らは感じている。

THE AUTHORITIES CONSIDER THE dam necessary to prevent flooding of the nearby Kawatana River and to supply water to the city of Sasebo, located about 40 minutes from Kobaru by car. Some decades ago, the city had experienced a water shortage and had to ration water for a while. However, Kobaru residents find reports about a supposed lack of water in Sasebo exaggerated. They argue that actual water use has been dropping with the introduction of new technology, and a predicted rise in population in Sasebo has failed to materialize. The dam opponents suspect some influence from Tokyo: the Liberal Democratic Party, which has dominated the country for decades, traditionally falls back on infrastructure projects to boost the economy.

行政は、川原から車で40分の場所にある佐世保市に水を供給している近隣の川棚川の氾濫を防ぐにはダムが必要だと考えている。数十年前、佐世保市は水不足を経験し、しばらく水の配給を行わなければならなかったことがある。しかし川原住民は、佐世保市の水が不足するといわれているのは大げさだとする報告を見つけた。その報告では新技術の導入とともに実際の水使用量は減少し続けており、佐世保市人口の増加予想は現実とはなっていない。ダム反対者は政府からの影響を疑っている:日本を数十年にわたり支配してきた自民党は、伝統的に経済対策のためにインフラに頼っている。

Two years on, the protesters have refused to let themselves be intimidated. They are aware that once they give in, the 60 residents that remain in 13 of what were once close to 70 households will have to leave their hometown forever, thereby abandoning land which, in some cases, their ancestors have inhabited for generations. Six days a week, from morning to evening, the women, flanked by non-resident supporters, continue to block access to the site. Most of them are retirees. It once was the men, the household heads, who led the protest, but they were charged with obstruction of construction. If they actively take part in the protest, they can be fined, an activist explained. That was another reason why the women did not want to reveal their identity while protesting.

2年にわたり、抗議者たちは自分たちを鼓舞してきた。ここで降参してしまうと。もともと70世帯が暮らしていたうちの残りの13世帯、60人の住民が故郷を永久に離れなければならなくなり、中には数世代にわたり先祖が住み続けてきた土地を見棄てなければならなくなる。週に6日、朝から夜まで、住民ではない支援者に囲まれダム現場への立ち入りを防ぎ続けている。彼女らの多くは定年退職者である。以前は男性、世帯主が反対運動を指揮していたが、彼らは工事を妨害したことで罪に問われた。反対運動に積極的に参加すれば、罰金を科せられる、と活動家は説明した。こういった理由もあり、女性らは抗議中に身元を明かしたくないと考えている。

 

It once was the men, the household heads, who led the protest, but they were charged with obstruction of construction.

以前は男性、世帯主が反対運動を指揮していたが、工事を妨害したことで罪に問われた。

 

“There are not so many of us, so we cannot take turns. That is why we bring our lunches and some water, rain coats and umbrellas,” Iwashita explained. The youthful 66-year-old is one of 60 people who after decades of fighting against the dam continue to live in Kobaru. With her husband and one of her sons she lives in a big house set a little above the fields. “I love nature,” she said with a smile. “Birds always sing here.” People who drive through Kobaru can see big signs reflecting the residents’ attitude on the roadside: “If your hometown was going to disappear – how would you feel?”

「人数がそういるわけでもないので、交代はできません。だから水とお弁当、レインコートと傘を持ってきます。」と岩下さんは言います。若々しい66歳は、ダム建設に何十年も立ち向かいながら川原に住み続けている60人のうちのひとり。ご主人と息子の一人と一緒に、やや高台にある大きな家に住んでいる。「私は自然が好き」、と岩下さんはにっこりと笑います。「ここはいつも鳥が鳴いています。」川原を車で通り抜けると、道沿いに大きな看板があり、それは住民たちの気持ちを代弁している。「あなたの故郷が消えるとしたら、どう思いますか?」

 

OFFICIALS FROM NAGASAKI PREFECTURE insist they have done much to garner the understanding of the residents. In fact, construction work was paused for 30 years until, in 2009, the authorities decided to make use of the expropriation law, a highly unusual step. Generally, authorities try to “convince” people affected by a construction project, if necessary with pressure – and money, as dam opponents believe.

長崎県職員らは住民の理解を得るためにさまざまなことをしてきた、と強調する。実際のところ、工事は2009年に役人が強制収用法を活用するという非常に珍しい手順を踏むまで30年間休止されていた。一般的に行政は、必要があれば圧力と金銭を使い、建設計画により影響を受ける人々の“説得”をしようとするとダム反対者は信じている。

The protesters took their case to court, but in December 2016 their suit to stop construction was dismissed. Only a few weeks later, on an early Sunday morning in January – the only day of the week on which women did not gather – workers brought heavy machinery to the construction site. Since then, confrontations along the site fence have been resumed with renewed vigour. At the same time, authorities have kept pushing expropriation efforts: for the past three years, a commission has been working on assessing the value of the remaining residents’ land to determine compensation payments.

反対者はこの件を裁判所へと上げたが、2016年12月、建設を止めるための彼らの訴訟は棄却された。そのたった数週間後の1月、女性たちが唯一集まらない日である日曜の早朝、作業者らは重機を建設現場へと運び込んだ。それ以来、新たな心持ちで現場のフェンス沿いでの攻防が再開された。それと同時に、行政は収容に向けた動きを推し進め続けてきた:この3年間、委員会は賠償支払い金額の算定のために、残りの住宅地の価値査定を進めている。

Despite the image of the protesters as being of advanced age, there are also many young people living in Kobaru. One man, 43-year-old Shinya Kawahara, dressed in a striped T-shirt and beige pants, sat in the local community house, its walls decorated with black-and-white photos from protests, handwritten posters and banners from supporters from all over Japan. Born and raised in Kobaru, Kawahara, a shift worker at a local ceramic parts factory, said he could not imagine living elsewhere. He loved playing with his teenage daughters at the river, observing fireflies in early summer, watching birds or collecting bugs. “This is the only home we have. I think it is natural for us to want to protect it.”

 

反対者は年齢の高い人だという印象があるが、川原には多くの若者も住んでいる。その一人がストライプのTシャツとベージュのパンツを着た43歳のかわはらしんやさんは、抗議活動の白黒写真、日本全国の支援者からの手書きのポスターやバナーの貼られた公民館に座っていた。川原で生まれ育ったかわはらさんは、地元の陶器パーツの工場でシフト勤務をしており、ここ以外に住むことが想像できないという。川で10代の娘と遊んだり、夏の初めには蛍を観察したり、鳥を眺めたり虫を集めることが好きだと言う。「私たちの家はここにしかありません。それを守ろうと思うのは自然なことです。」

He saw policemen lifting grandmothers who were sitting on the ground and hauling them away.

彼は警察が地面に座る祖母たちを持ち上げ、引きずっていくのを見た

He was witness to an event that marked the beginning of this long-running battle of wills. He was 11 in 1982, when he watched officials come to the valley to measure the land in preparation for the dam, accompanied by riot police. He saw policemen lifting grandmothers who were sitting on the ground and hauling them away. Crying children were carried off or thrown to the side, he remembered. Kawahara himself tried to punch a policeman in the stomach, but the man was wearing a metal plate under his shirt.

彼はこの長く続くことになる意思の戦いの始まりとなった出来事の証人でもある。1982年、彼が11歳のとき、ダムの準備に向けた土地の測量のために役人たちが機動隊を連れて来たのを見た。彼は警察が地面に座る祖母たちを持ち上げ、引きずっていくのを見た。泣いている子供たちは連れていかれるか、脇に投げられたのも覚えている。かわはらさんも警察官の腹を殴ろうとしたが、シャツの下には金属のプレートを着込んでいた。

THE REMAINING RESIDENTS POINT to the brutal police operation in 1982 as the reason they lost trust in the prefectural administration. In fact, the authority itself acknowledges that the incident inflicted “deep wounds to the hearts of the residents,” and the governor at the time attempted to make amends by sending apology letters and trying to meet with Kobaru residents.

今も残る住人たちは、1982年のこの残虐な警察の動きを、県政への信頼を失った理由としてあげる。実際、県行政自身がその事件により「住人の心に深い傷」を残したと認めている。また当時の知事は謝罪の手紙を送り、川原の住人に会おうとするなど傷を埋めようと試みている。

However, four kanji – 面会拒否 – on a sign at the door of 66-year-old Isamu Ishimaru’s house are a token of the failure of those attempts of reconciliation. They read menkai kyohi or “refusal to meet,” and they refer to his deep disappointment in politicians, including the former governor, who broke his promise not to build the dam if just one person was against it.

しかし、石丸勇さん(66歳)の家のドアに貼られた4文字の漢字、面会拒否こそが、和解の試みの失敗の証である。この4文字には、ひとりでも反対の人がいればダムは建設しないと約束した前知事を含む政治家に対する深い失望が現れている。

Although Ishimaru only arrived in 1978 from the nearby Amakusa islands with his parents, he considers the little Kobaru Valley home. “This is where traditional Japanese society still remains intact,” he said. Ishimaru walked slowly on a small road leading up to his house where he lives with his wife and daughter, gazing across the light-green rice fields. Dragonflies were flitting through the air. Between the rice plants one could hear frogs croak.

石丸さんは両親とともに近隣の天草諸島から1978年に川原に来たのだが、川原の里を故郷と考えている。「ここは伝統的な日本社会がまだしっかりと残っているところ。」と石丸さんは妻と娘と住む自宅に向かう小道をゆっくりと歩きながら、時折薄い緑色の田んぼに目をやりながら語った。トンボが空を切る。稲の苗の間からは、かえるの合唱が聞こえる。

Isamu Ishimaru


Sumiko Iwashita


“If we start talking, we only get worked up.”

「口を開いたら、熱くなってしまう。」

 

Isshin Taguchi


Shinya Kawahara


 

Ishimaru talked about his defiance while pointing to a small street skirting some of his rice fields. That would be where the new main road would to go through, he explained, as the current one would be submerged. Some of his fields were already expropriated on paper, but he continued to plant rice on them anyway. The former public servant considers the expropriation a violation of the Japanese Constitution, which guarantees the right to life, freedom and pursuit of happiness.

石丸さんは、自身の田んぼに向かう小道を指差しながら果敢な抵抗について語った。もし今の道が水の底に沈むことになれば、その道が通り抜けるメインの道になると彼は説明した。彼の田んぼの一部は、書類上ではすでに収容されたことになっている。しかし彼はそこでの稲作を続けている。元公務員の彼は、収容は生きる権利、自由と幸福の追求を保証する日本国憲法の侵害と考えている。

But there are those who have accepted the government’s plans and moved out. Over the past decades, more than 50 households have given up and left. A new housing estate for those who left the valley stands in nearby Kawatana, the village of 14,000 people of which Kobaru is a part. Although it’s only a few kilometers down the road, the emotional distance is enormous; the people who moved here from Kobaru, especially the elderly generation in their sixties, do not speak with their former neighbors anymore. Both sides feel betrayed.

県の計画を受け入れ、家を出たものもいる。過去数十年の間に、50世帯以上があきらめ、この地を去った。川原を去った人の家屋は今、近隣の川棚という川原も含む人口14,000人の町に建っている。その距離は数キロしかないものの、感情的な距離は非常に遠く、川原から川棚に引っ越した人々、とくに60代の年配の世代は元ご近所さんとは話すこともない。どちらもが、裏切られたと感じている・・・

While there is some support from outside the valley, it seems that most of their immediate neighbors do not feel like getting involved in the struggle. The family of Isshin Taguchi has been living in Kawatana village, downstream from the dam and therefore unaffected by the project, for over a hundred years. In fact, the unaffiliated, conservative local politician and former ministerial bureaucrat who heads up the dam construction committee argues that the dam is important as a measure to prevent floods. In the nineties, part of Kawatana was severely damaged by flooding after strong rainfall. “I am not exactly eager for the dam to be built – but it is just necessary,” he says. Nagasaki Prefecture emphasizes that the Ishiki Dam would protect the area from severe floods that occur with a statistical frequency of once in a hundred years.

川原ではない場所から支援もいくらかあるものの、すぐ近くの隣人たちはこの争いに関りを感じていないように見える。田口一信の家族は川棚町に100年以上住み続けており、ダム下流にあるためダム計画の影響は受けていない。無所属、保守的な地元出身の政治家であり元省職員でダム建設委員会を率いる田口さんは、ダムは洪水を防ぐための大事な方策だと語る。90年代、川棚の一部は強い雨の後の洪水により多大な被害を受けた。「ダムの建設に熱心というわけではない。」と彼は言う。統計的には100年に1度の頻度でおこる重大な洪水から、石木ダムはこの地区を守ることになる、と県は強調する。

 

Thanks to young, dedicated residents like Shinya Kawahara, there seems to be little chance of the resistance in Kobaru fading.

カワハラシンヤのような若く熱心な住民のおかげで、川原の抵抗行動が尻すぼみになる可能性は小さい

 

Despite all of the setbacks the Kobaru residents try to stay positive. What encourages them is that the authorities still have not managed to move the project visibly forward. In fact, there are many major construction projects throughout the country, from dams to nuclear power plants, which have been stalled or prevented by local resistance. There was also the local resistance to the Arase Dam in Kumamoto Prefecture that led to its being completely torn down, in the only such case in Japan. Thanks to young, dedicated residents like Shinya Kawahara, who feel called to continue the protest, there seems to be little chance of the resistance in Kobaru fading.

さまざまな障害がありながらも、川原の住民は前向きでいようと心がけている。行政がこのプロジェクトを目に見える形で前進させることができていないことが、彼らを勇気付けている。実際、日本全国にはダムから原子力発電所といった大きな建築計画があるが、地元の抵抗により行き詰まり、回避されたものが多くある。熊本県の荒瀬ダムでも地元の抵抗があり、その結果完全に撤去されることとなった。これは日本で唯一のケースである。若く熱心で、抗議を続けようと声をかけ続けるカワハラシンヤのような住民のおかげで、川原の抵抗行動が尻すぼみになっていく可能性は小さい。

 

At the protest site, the soft-spoken yet feisty Iwashita revealed how she managed to keep her balance and persevere through the exhausting fight: She did not think ahead much, she said. To relax she likes to rip out weeds in her garden. She emphasized that the women tried to keep up their good spirits by enjoying delicious food and by laughing together a lot, “because you cannot fight if you are depressed.”

反対活動の現場で、口調は柔らかだが気骨のある岩下さんが、疲れる闘いの中どのようにバランスをとりのりこえているのかを話してくれた。あまり先のことは考えないのだ、と彼女は言った。リラックスするのに、庭の雑草を抜くのが好きだと。女性たちの気持ちを明るく保つには、おいしいものを一緒に楽しみ、一緒に笑うことだ、と彼女は強調する。「沈んでいたら闘えないからね。」

Kawahara, the local-born ceramic maker employee, said he suppressed thoughts about the fact that he might have to move away some day. “I will get old in Kobaru,” he stated decisively. ❶

Sonja Blaschke is a freelance East Asia and Australasia correspondent for German print media and a TV producer. She divides her time between Japan and Australia.

地元生まれで陶器メーカー社員のカワハラは、いつかここから引っ越さなければならないかもしれないという思いにふたをしているという。「私は、川原で年をとるのだ」と彼は断固とした口調で語った。

 

ソニア・ブラシュケはドイツの印刷メディアの東アジア・オーストララジア特派員でTVプロデューサー。日本とオーストラリアの半々で暮らしている。

 

「ほたる祭り」と子どもたち



田植え前の水田に映った、宝石のような帯は、こうばるほたる祭りの会場です。
(撮影者=西海市民のFさん)

5月最終土曜日。今年は天気に恵まれ、私たちは、こうばるのお母さんたちの指揮のもと、朝から大忙し。こちらはヨモギ餅を作っているところ。



他にも、白いお餅に、名物のほたる団子、山菜の煮物やシシ肉の煮物、山菜おこわにお赤飯、かき揚げ、にゅう麺、ぜんざい、焼き鳥、ヤキソバ、etc.

今年は、パタゴニア福岡ストアから13名もお手伝いに来て下さって大助かり!
若い皆さんのテキパキとした仕事ぶりで、例年よりも早く準備完了!

夕方には、ホタルと美味しいものを待つ人たちが、こうばる広場に大集結。



子どもたちは、ホタルもいいけど金魚もね!



Mさんが作ってくれるべっこう飴にも興味津々。



ホタル籠。難しいな~。どうしてあんなにきれいな籠ができるんだろう?
ただただ見とれるばかり…。



こちら、石木川まもり隊のブースにもお客様が次々とやってきます。



何か書いていますね。



そう。署名をして下さっています。
石木ダムは要りません。ダム建設は止めてください。という署名。



この子たちに残したいのは、美しい川や里山、自然です。



テントの下ではライブが始まりました。



波佐見ベンチャーズに続いて、いま歌っているのは、親子ユニット「南無」(なも)のお父さんと、今日は息子さんの代わりに、奥様が…



続いて、長崎のうたごえの皆さん。会場も一緒になって歌い、盛り上がります。

そして、始まったのは…



映画です。
「ほたるの川のまもりびと」のパタゴニアバージョン。20分弱のショート版。
皆さん、スクリーンの前に集まって釘付けです。



皆さんが今いるここ「こうばる」が舞台の映画です。
皆さんが今見てきた石木川に棲むホタルたちの命に関わる映画です。
石木川にダムが出来たらここのホタルたちは住処を失う。
ホタルや魚や虫たちの命溢れる石木川を守ろうと、ダム建設に反対を続けている「こうばる」の人々の暮らしがテーマの映画です。

映画の終了と同時に、たくさんの子どもたちが、私たちのブースに殺到!



署名するためにやってきたのです。
石木ダムは要らない!と。

中村知事、朝長市長、この子どもたちの姿を見て、どう思いますか?