今からでも遅くない!

雑誌の2ページにまたがる風景の写真。

野花が咲き乱れ、見慣れた看板「売って泣くより笑って団結 WE LOVE KOBARU」。

もちろん、ここは川原ですが、あらためて川原の美しさを実感しますねー

野の草花の生き生きとした姿に、見ているだけで元気をもらえそうです。

何を隠そう、この写真、私が撮ったのですゾー!

エヘン、エヘン。

アーサーさんのエッセイの挿絵に使って頂けるなんて・・・写真も私も幸せです。

この記事が掲載されている雑誌はこちら。

日々の暮らしの中にある季節感、祭や行事など、その土地ならではの風土や文化、伝統、

地域の人々が大切に伝えてきた知恵や技、かけがえのない自然…

そんな、大切に守り伝えたい「いいもの・いいこころ」を広島から発信する雑誌なんだそうです。

素敵ですね。

 

その雑誌に、7月下旬に川原にやってきたアーサー・ビナードさんが、

石木ダム問題のことをエッセイ風に、アーサーさんらしい言の葉で書き綴ってくださいました。

「今からでも遅くない」というタイトルで。

何が遅くないのか?

それはダムを止めること。

石木ダムを止めること。

この豊かな里山の生きものたちや人々の暮らしを葬り去ることの過ちにみんなが気付いて、

「とめなきゃ!」と本気で思えば止められる。今からでも遅くない。

 

70年前の原爆は止められなかった。

その歴史はどんなに悔やんでも、後から止めることはできない。

でも、石木ダムは、まだ何もできていない。

そう。これからでも遅くないんですよね!

そのことに、アーサーさんが気づかせてくれました。。

 

環境を劣化させる開発計画に警鐘

[ニッポンの風景]破壊計画がこっそり進んでいるようです。

日刊SPA!提供のアメーバニュースを紹介します。

 

環境を劣化させながらの経済成長はもはや持続不可能

(アメーバニュース2015年08月15日) http://yukan-news.ameba.jp/20150815-23/



景観・歴史・文化・環境・生態系などの破壊に目をつぶり、ひっそりと進行している開発計画は数多い。それは本当に必要な事業なのか? 地元住民はどれだけ情報を与えられているのか?

全国各地で進められている開発計画の現状に京都大学特任教授・谷口正次氏は警鐘鳴らす

◆「価格のつかないもの」の再認識が「持続可能な経済」への転換のカギ

資源を搾取し続け、環境を劣化させながらの経済成長、消費拡大を前提とする発展は、もはや持続不可能になったといえます。

世界はもうそのことに気づき始めていて、一部の先進的な金融機関は資源や環境に対してプラスの影響を与える企業に積極的に投資を始めています。

そんな時代に、工事による目先の“経済効果”ばかりにとらわれ、環境を破壊し、借金は後の世代に先送り……を続けていれば、将来必ず大きなマイナスとなって返ってくるでしょう。

18世紀、江戸時代の石田梅岩が提唱した「心学」に象徴されるように、日本人はもともと先進的な理念・哲学を持っていました。

目先の利益ばかりを考えず、何代も先の子孫のことを考える。自分だけが儲けようとせず、周りにお金を循環させる。こうした「持続可能な経営」が自然に行われていたのです。その理念や哲学が、グローバル経済のもと薄れてしまいました。

経済成長のマイナス要因といわれる「人口減少」は、日本の強みを発揮して「持続可能な経済」に転換するチャンスでもあります。

そのカギは、我々の祖先が残してくれた景観・歴史・文化・環境・生態系、あるいは人の繋がりといった、これまで「価格のつかないもの」とされてきたものの価値を再認識することにあるのです。

【谷口正次氏】

’38年生まれ。京都大学経済学研究科特任教授。自然を消耗する経済から、自然を経営する経済への転換を説く。著書に『自然資本経営のすすめ』(東洋経済新報社)など

アーサーさん、川原へ

昨日は午後から、素敵なお客様を川原へご案内!

中央の人物、誰だかわかります?

知ってる人はビックリ!ですよね。

そう。詩人でエッセイストで翻訳家のアーサー・ビナードさん

アメリカ人だけれど日本語ペラペラ。というより、日本人以上に日本語に詳しい不思議な人。

その知識と感性と表現力で、文筆活動だけでなく、ラジオ、テレビなどにも・・

最近はこんな素晴らしい番組を放送中。

BS11 「アーサー・ビナード 日本人探訪」

 

そんなアーサーさんが石木ダム問題に関心を持ってくださったのは、とても嬉しい!

埼玉にいる頃は彼の紡ぎ出す言葉に魅せられて、何回か講演会に足を運びましたが、

まさか、こんなところでこんな形で再会できるとは!

アーサーさんを連れてきてくれた坂田さんに感謝!

 

坂田さんは今では「国連生物多様性の10年市民ネットワーク」の代表として大忙しなのに、

埼玉にいるころ出会った「ケンジュウの会」坂田さんのまんま、少しも変わらない。

パワフルで温かい人。遠くからのSOSに答えて行動してくれる頼れる人です。

今回はアーサーさんの他にもお二人(TV番組編集者と坂田さんの仲間)の方が参加、

合計4人で、はるばるやってきてくれました〜

 

今日は朝から抗議行動を視察?ではなく、一緒に抗議。

4人とも皆と同じ法被を着て、横断幕を持っています。

アーサーさんは無理やり突入する県のやり方を嶮しい表情で見つめます。

業者が入り、県職員はダム事務所に引き揚げていき、4人の皆さんは、しばらく現場でインタビュー。

地権者や支援者の話を聞いた後、石木ダム建設事務所を訪ね、古川所長と1時間以上意見交換をおこないました。

 

ダム事務所には先客がいて、しばらく待たされることになったので、

その時間を利用して、近くにある海軍工廠の地下工場跡を見学。

入口は金網で塞がれていますが、奥行きが47mもあるので、声を発すると響く響く・・

話す言葉が全てこだまとなって返ってきました。

このようなトンネルが川原郷にも掘られました。

今はもう塞がれていますが、川原にも戦時中の爪痕が残っています。

ここは軍で使うからと追い出され、平和な時代になって戻ってきてしばらくしたら、

今度はダムを造るから出て行ってくれと言われたら…やりきれないですよね。

 

ダム事務所から戻ってテントでお昼を食べ、午後からは山の方へ。

県は付替え道路を造るために山の木々を伐採しています。

チェーンソーの音が、まるで樹木の悲鳴のように、遠くまで響いてきます。

その悲鳴を打ち消すように、スピーカーから流れているのはお経です。

信仰心の篤い川原の皆さんは、無駄な工事のために命を奪われる樹木をも悼んでいるのでしょうか。

アーサーさんは、その傍らに座り、禿山になっていく森をずっと見つめていました。

 

その背中を見ながら、私は、ダム事務所で語ったアーサーさんの言葉を思い出していました。

 

僕の国アメリカでは、たくさんのダムが造られて、いくつもの川が殺されていった。

もう造る時代は終わって、壊す時代になっている。

市民には、60年前に(ダムの環境への影響について)認識があったら…と、

猛烈な虚しい後悔がある。

 

日本はアメリカの真似をしてやってきたが、まだダムを造ろうとしている。

視野狭窄だ。世界を見ていない。

 

アメリカ人としての後ろめたさを含めて言いたい。

アメリカ人と同じように自殺しないで!

あなた達は崖の上にいるけれど、まだ止められる。

 

さっき、戦争中のトンネル工場を見て来た。

あれを造ろうと決めたのは1944年でしょ?

その頃、降伏を決断していれば、あれを造ることはなかったし、原爆の被害もなかった。

 

石木川をジオパークにしよう。

棚田を世界遺産にしちゃえ。

棚田は日本人の素晴らしい知恵。治水と利水の両方を兼ね備えている。

 

なのに、ダムを造って棚田を潰すの?

それって日本を潰してアメリカを造るみたいだよ。

広い視野で考えて!

 

アーサーさんの言葉を反芻するうちに、別の言葉が浮かんできました。

ダムを造って棚田を潰すの? 安保法案を創って憲法9条を潰すの?

それって日本を潰してアメリカを造るみたいだよ 平和な国を潰して戦争する国を創るみたいだよ。

 

アーサーさんはきっと母国への悲しい後悔があって、

その思いを第二の母国である日本には味わってほしくない

と思っていらっしゃるのではないでしょうか。

ダムも戦争も、そして原発もきっと同じ。。

こどもたちや地球の未来のためにも・・    

川原ファン増殖中・・

14日、日曜日の朝9:00、川棚駅で東京からのお客様5人と待ち合わせ、川原へご案内。

いつもの抗議行動ではなく、のんびり穏やかな里の風景と石木川を見て頂きながら散策していたら、

突然、お花畑からMさんちのおばあちゃんの笑顔に出会いびっくり〜

草取りしてたのかな〜

年々小さくなっていくおばあちゃんは、そばに来るまでお花に隠れて見えませんでした。

若いお客さんたちもおばあちゃんの笑顔に出会えて、とても嬉しそうでした。

いつもの公民館で一休み。

お菓子を食べながらいろんな質問を受けたり答えたり。

この日はいつもの中心メンバーは、佐世保での孫崎享氏の講演会を聞きに行って留守。

ほーちゃんやY君、Mちゃんなど若者が集まってくれました。

きさくにいろいろ語り合っていくうちに、皆さんの最大の関心事が見えてきました。

ダムの必要性とか自然破壊とかそんな問題以上に、

「今の日本社会において、強制収用なんていう人権侵害がおこなわれることが信じられない、

しかも13世帯も!」と、本当にびっくりなさってました。

 

その後、上流の木場地区に行き、

田植えが終わったばかりの田んぼや

田植え中の様子に見とれたり、虚空蔵の水を味わったり、

石木川流域がどんなところなのか、駆け足で、見ていただきました。

 

今日、Sさんから届いたメールには、

「自然はもちろん、蛍もとてもキレイで、なにより住民の方々の温かさが嬉しかったです」
 
とありました。
 

前日の夜、一度川原を訪れ、ホタルを見に来たそうです。

地元の方と出会い、一緒にホタルを楽しんだとか・・・

もうホタルの時期も終わりで、その前の夜は全然いなかったのに、

この夜は、少ないけれど、ホタルが飛んでいたそうで。。

ホタルもきっと歓迎したかったのですね〜

このホタルの里を守って!

ホタルの里を守り続けている川原の人を守って!

とお願いしたかったのかも・・ね 

 

「ツール会議」を振り返って

この美しい景色を一望するのは、山梨県北斗市の清里にある清泉寮。

そこで4日間におよぶ「草の根活動家のためのツール会議」に参加してきました。

パタゴニア主催、2年に1回開催されており、今回で4回目だそうです。

今回は、映画『ダムネーション』の上映会もあり、ダム関係者がかなり参加していました。

(通常の割合は知りませんが・・)

日本中の人が知っている八ッ場ダム、日本初のダム撤去で注目されている荒瀬ダムをはじめ、

設楽ダム、川上ダム、二風谷ダムなどなど・・・

そんな中、最も小さな石木ダムについて、多くの方が関心を示してくださったのは、

やはり、そこに人が住んでいるということ。

ダム建設予定地に何十年も住み続け反対し続け、自然を守り続けているということ。

それも数人ではなく、13世帯60人も住んでいるというかつてなかった事実に誰もが心を動かされたのだと思います。

様々な分野の人と出会い、様々な助言をいただきました。

それを今後にどう活かせるか…今は目の前の課題をこなすことで精一杯の状況ですが、

少し落ち着いたら、じっくり考え、とりくんでいきたいと思っています。

それが私たちに出来る「ツール会議」への唯一の恩返しですから。

 

それにしても「ツール会議」って、何?と思うでしょ?

私も初めは全く???でした。

ツールなので何か道具を使いこなすこと、例えばソーシャルネットワークの活用術とか・・

その程度の予測はしていましたが、もっと奥が深かった〜

 

ねー!

ムズカシイでしょう〜

なんとなくわかるけど、説明しろと言われたらできませーん。

特にこの言葉には、はじめ戸惑い、後で納得。

深く心に沁みました。

私たちは石木川流域の多様な生態系を守りたい、そのためにダム建設を阻止したい、と思いながら、

私たちの活動は多様性があるとは言えなかった、

違う考えの人たちや無関心な人たちとも繋がり合う努力が足りなかったな〜と実感。。

 

初めからそこを踏まえて地域のいろんな人たち(漁業者や農業者、自然観察会メンバー、

女性の会、アウトドア関係者など)と繋がり広がっていった熊本の事例は、素晴らしいお手本。

 

その熊本で大活躍、いえいえ、日本中のダム反対・ダム撤去の仲間から最も尊敬されているつるさんの基調講演もありました。

つるさんのお話はとってもわかりやすいのです。

写真中心だから、ほら!一目瞭然でしょ?

本流球磨川と支流川辺川の合流地点の水の違い。

上流にダムのある球磨川は濁っているけど、ダムのない川辺川はこんなに透明なブルー。

 

荒瀬ダムの撤去が決まりゲートを全開してしばらくすると、青のりがこんなに伸びたそうで・・

もちろん、撤去が始まった今はたくさんの魚介類が種類も数も増え、豊かな川と海が戻りつつあって・・

その現実を目の当たりにしている地域住民はみんな荒瀬ダム撤去という公共事業を大歓迎しているそうです。

つるさんは言います。

「荒瀬ダム撤去が他の公共事業と違う点は住民に喜ばれていること。

 工事業者も県の職員も住民も一緒になって工事の成功を祈り進めている」と。

 

でも、それって、ちょっとヘン。

公共事業って本来そんなものでなくてはならないのでは?

公共の事業ですもの、公益に資する事業、多くの住民のためにやるはずだけどなー。

 

石木ダムをはじめ、多くの公共事業は誰のためにやろうとしているのでしょう 

 

 

 

柳川の水を守ろうと立ちあがった、たった一人の勇気

長崎市在住の漫画家、西岡由香さんをご存知ですか?

反核平和や脱原発を目指し、作品を通してはもちろん、講演活動なども精力的になさっています。

その西岡さんが先日、キリシタン関係の取材で福岡県柳川市に行かれたとき、

取材とは関係のないある話に出会い、衝撃を受けたそうです。

「調べれば調べるほど感動し」レポートとしてまとめ、あるMLに発信されました。

それは、水郷・柳川の水を守ろう立ちあがった一人の市役所職員の話でした。

 

西岡さんの快諾を得ましたので、以下に転載させて頂きます。

 

 日本がひたすらに速さを求め、新幹線や高速道路建設に突進
した昭和の高度成長期、柳川の水路も失われかけたことがあった。

それまで飲み水や米とぎなどに使っていた水路が、上下水道の
普及によって人々の生活から遠ざかっていったのだ。「用済み」
になった水路は、いつしかゴミ捨て場となり、悪臭を放つヘドロ
がたまり、蚊が大発生して「ブン蚊都市」と呼ばれるありさま
だった。対策に苦慮した柳川市は、「臭いものにふた」とばかりに、
大きな水路だけを残してあとは埋めるか暗きょにする下水路計画を
たてた。昭和52年のことである。


 水郷・柳川から水路が消える——

おそらく多くの市民が暗然とした思いを抱きつつ、一度決まって
しまった計画に異論をはさめないでいた。市議会で議決され、
国の予算もつき、計画が現実化しようとしたその時、待ったを
かけたのは、一人の市役所職員だった。

 広松伝さん。

日本中で小川が消え、砂浜は埋められ、水辺が失われつつあった
時代、「柳川よ、おまえもか」という思いが広松さんをかりたてた
という。

「水路をなくしたら、柳川は水没してしまう」。広松さんは、
水路の持つ治水・利水の役割をとき、計画を撤回するよう市長に
直談判した。

水はいったん失われたら元には戻らない——広松さんの熱意を
受け止めた市長は、計画を中断して半年で代案をつくるよう
広松さんに指示した。そこから、広松さんの呼びかけが始まる。

 「郷土の川に清流を取り戻そう」。広松さんが書いた手書き
の冊子にはこう書かれている。

「正しい思想のない技術、思想のない文明は人間社会をも滅ぼす。

かつて日本人は自然を愛し、自然に対応して生きてきた民族で
あった。その精神は、常に自然であれ、自然に逆らうな、水は
有難いものであるという思想が、有史以来二千年間貫かれて、
今の日本の風土、文明が築き上げられてきた。文明とは、人間が
自然に手を加え、人間生活に都合の良いように自然を変えていく
ところから生まれてくるものであるが、その精神は常に自然に順応
する、自然をうるおすものでなければならない——」


 水路を暗きょにする下水道計画担当課の係長が、市長をときふせ、
町内会に百回以上足を運んで水路保存を訴える。その行動は「係長の
反乱」と報じられた。

水路が再生したらどんなに素晴らしいかを広松さんが町内会で語り、
会が終わったあと、残った地区の人たちが「私が子どもの頃の水路
は…」と思い出を話しはじめ、次に広松さんが訪れたときには、
地区の人たち自ら水路の清掃を始めていてびっくり、という逸話も
残っている。

 町内会や役所の人たちが首まで水につかりながら、藻のからまった
川を掃除していくのを見て、町の人たちは少しずつゴミを捨てなく
なった。ドブ川がきれいになると蚊も減り、一本の水路が見ちがえ
るようになると「私のところも」と次々に協力者が現れた。広松さん
が言う「川とのわずらわしいつきあいを復活させよう」という呼び
かけが実を結んだのだ。

 昔は、川を汚さないよう、家庭排水は庭に穴を掘って流し込んだり、
畑に引き込んでいた。川を汚さないための草取り、舟でのゴミ拾い、
合成洗剤でなく粉せっけんを使う——それは確かに「わずらわしいこと」
に違いない。けれど、そうじをすませて、お酒をくみかわす人々の
表情はキラキラしている。水をきれいにすることと、人の心はきっと
どこかでつながっているのだ。

 行政と市民協同で水路を守る体制ができあがった。費用は、元の
下水路計画の5分の1ですんだという。かくして、柳川を水郷たらしめ
る水路は守られたのだ。

 広松さんは2002年に逝去されたが、「市民みずから川をきれいにする
ようになれば、汚そうとはしなくなる」の言葉どおり、いま柳川の町には
ゴミひとつ落ちていない。

あー、サイヤサイヤ…柳川節とともに、どんこ舟が水路をゆく。

その風景は、先人の知恵と、たった一人の勇気と、「わずらわしい
生き方」を選んだ町の人々との結晶に違いなかった。


                           西岡由香

日弁連のニュースに石木ダム!

日弁連公害・環境委員会のニュースに、石木ダムについての記事を執筆しました。

とのメールをもらって、早速その記事にアクセスしました。

こちらです。

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/committee/list/data/enviroment/news_57.pdf

このニュースの正式名称は「日弁連公害対策・環境保全委員会ニュース」というようです。

その57号の5ページに、その記事はありました。

ご本人の許可を頂きましたので全文掲載させて頂きます。

 

 

長崎県に対し石木ダム事業の中止を求めていきます

              東京弁護士会 西島 和

 2013年12月19日、日弁連は「長崎県が計画中の石木
(いしき)ダム事業は、治水・利水の必要性に乏しく、
環境影響について適切な配慮がなされていない上、住民
との覚書による合意に反するもので、そのまま事業を継
続することは容認できないものであるから、中止すべき
である」とする「石木ダム事業の中止を求める意見書」
を公表し、長崎県へ提出しました。
1 ダム検証有識者会議による異例の要請
 「計画ができてから延々時間を要して、進んでいない。
平成28年完成というが、実現性はあるのか」「地権者
(土地所有者など)の協力の見通しはどうなのか」。ダ
ム事業検証にかかわる国の有識者会議における審議の際、
鈴木雅一委員はこのように述べ、石木ダムは事業継続の
要件をみたさないのではないかと指摘しました。有識者
会議は、事業継続は妥当としたものの、「事業に関して
様々な意見があることに鑑み、地域の方々の理解が得ら
れるよう努力することを希望する」との異例の要請を付
しました。当委員会はこれに着目し、「地域の方々の理
解」が得られる見通しはあるのか、現地を視察すること
にしました。
2 予定地・川原(こうばる)視察とヒアリング
 2013年2月、当委員会の委員と長崎県弁護士会の環境
委員が、ダム予定地の川原(こうばる)地区を視察しま
した。川原の風景は、石木川の流れる山あいに棚田が折
り重なって続く、のどかで美しい風景です。川原公民館
に、地権者13世帯の人たちが集まってくれました。地権
者らは口々に、先祖から受け継いできた農地、ふるさと
への愛着と、長崎県や利水事業者である佐世保市に対す
る不信を語られ、「これ以上いじめないでほしい」「早く
ダム(建設に脅かされる生活)から解放してほしい」と
訴えられました。その中で、県と地元住民が「地元の同
意なくダム建設をすすめない」という「覚書」を交わし
ていたことがわかりました。地権者らの不信感は、県が
この覚書を守らないということも影響しているようでし
た。
 同年7月には、ダムによって水害防止の恩恵を受ける
とされる川棚川下流住民の聞き取りをしましたが、聞き
取りをした範囲では、「ダムがなければ水害が防止でき
ない」と考える住民はいませんでした。また、長崎県・
佐世保市水道局にもヒアリングを行いましたが、ダムが
必要であることの十分な根拠は示されませんでした。
3 意見書の内容
 意見書では、ダムの目的とされている①佐世保市の水
道用水の確保(利水)、②川棚川の氾濫による水害の防
止(治水)、について、予測される人口減少や、節水
型機器の普及等で生活様式が変化したことにより、利水
の必要性は乏しくなっていること等、川棚川流域の水
害防止という目的を達成する方法として石木ダム建設は
適切でないこと等を指摘し、さらに、ダム建設による環
境影響への適切な配慮がなされていないことを指摘しま
した。
 また、長崎県は、1972年、予定地の地質調査をするた
めに「県が調査の結果、建設の必要が生じたときは、改
めて地元3部落と協議の上、書面による同意を受けた
後、着手するものとする」という内容の覚書を地元住民
とかわしています。意見書では、長崎県が「同意」を得
ないままダム建設へ向けた手続を進めることは契約違反
にあたり、地権者らに有形無形の苦痛を与えるもので、
行政への信頼性を損なうこと等を指摘しました。
4 意見書実現へ向けて
 長崎県は、地元13世帯の家や土地をとりあげる「収
用」に必要な「事業認定」を2013年9月に得ています。
今年3月にはダムの付け替え道路建設のための入札を実
施しました。ダム建設が強行されようとしています。
 2014年4月21日の朝には、中村法道(なかむら・ほう
どう)長崎県知事が突然、川原地区の地権者13世帯を戸
別訪問しました。予告なしの訪問に地権者らは「ダムは
絶対に造らせない」「死んでも立ち退かない」などと反
発し、地元の報道機関は「県は地権者との交渉を続ける
一方、着々と関連工事の準備を進めていて、両者の溝は
いっそう深まっています」(KTNテレビ長崎)などと県
の行為を批判的に報じました。中村知事は、報道機関の
取材に「(地権者の)ご理解を得たい」と話しましたが、
ダムが必要だとする根拠を示さず、契約に違反して権力
的な「収用」の手続を進める相手から「ご理解を」とい
われて理解できる人がいるでしょうか。
 長崎県が必要性の乏しいダムを中止し、川原の人たち
が平穏な生活を取り戻され、川原の豊かな自然環境がま
もられるよう、意見書の実現を求めていきます。

 

ここに書かれているように、日弁連の調査団の先生方がお見えになったのは昨年の2月のことでした。https://ishikigawa.jp/blog/cat16/653/

でも、その後どうなったのか、な〜んにもわからなかったので、

私たちもす〜っかり忘れていたら、12月19日、突如、長崎県と佐世保市に意見書提出!

とのニュースが舞い込んできて、みーんな驚くやら喜ぶやら・・

 

ちょうどこのころは、石木ダム対策弁護団が結成されたばかりでしたし、

弁護士の先生方って、やっぱり頼りになるな〜、正義の味方だな〜って感じで感動!

 

あれからまたまた月日が経って、約半年。

その意見書も忘れかかっていたところへニュースのお知らせでした〜

 

天災は忘れた頃にやってくる・・

日弁連も忘れた頃にやってくる・・

ただし、こちらは元気を連れてやってくる・・

 

あしなが族に感謝!

昨夜のことです。

現在「ダムのツボ展」を開催中のパタゴニア福岡店のスタッフIさんから、嬉しいメールが届きました。

 

5月4日にうれしい事がおきました。
なんと、1万円の寄付が届いてます。寄付箱あけてたまげたっ!

以下その方とたまたま話したスタッフの話によると、

年齢:60代男性(とても感じのいい方で腰が低い方でした)

名前:名乗るのは控えさせてくださいとのこと。したがって署名もいただいてません。

職業:以前は河川工事の受注など行っていた大手の建設会社か土木会社に勤めていたもよう。

経緯:ボランティア仲間に、パタゴニアの環境への取り組みと、ダムのツボ展のことを聞き
   来店。


思い:以前は造る側の人間だったが、今はボランティア活動の中で環境を守る側に立ち、
   過去の仕事に矛盾を感じている。
   官と民の関係のなかで、生きていくためにたくさんの公共事業に携わってきた。
   自分たちの行ってきたことへの誇りと不安などを語られました。

   石木ダムについては、その計画の無謀さ故に断固反対であるとして、
   皆さんに頑張ってほしいと1万円を寄付され、
   ブックレット「小さなダムの大きな闘い」も1冊買っていかれました。

 

しかもその1万円は、茶封筒に入れて、さりげなくカンパ箱に差し込まれていたそうです。

それに気づいたスタッフが声をかけ、きっと話が弾んだのでしょう。

結果的に、その方の今のお気持ちや、来店の経緯なども知ることができたようです。

 

そうなんだ〜

まるで、タイガーマスク?

いやいや、感じのいい腰の低い60代のおじさんだから・・

やっぱり「あしながおじさん」かな?

 

造る側だった方、自分たちは公共の福祉のためになる、意義のある仕事をしているんだ

という自負を持って頑張っていた、そういう現役時代だったのでしょうか。

今は、どんなボランティアをなさっているのでしょう?

いつ頃、どんなきっかけで矛盾を感じるようになられたのか…

もしかしたら、このような矛盾を感じている方も、世の中には案外いらっしゃるのかも…

だと嬉しい。

そして、そのような方の話を直接聴いてみたい。

どうすれば、マヤカシの公共事業をストップさせることができるのか。

ヒントになるようなお話が聴けるかもしれない。。

 

「原画展、企画できて本当によかった〜」

自分のことにように喜んで報告してくださったパタゴニアのスタッフIさん。 

そう!

パタゴニア福岡店には、たくさんの足長お兄さん足長お姉さがいます!

石木川とは無縁の地で、無関係のお客様に、石木ダム問題を伝えようとの熱い思い。

そして行動力。

それはお金以上に地権者や私たちの支えとなっています。

 

福岡あしなが族には、ただただ感謝。

長崎もがんばろう〜

今年こそ・・・

新年明けまして三日目ですが おめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。

 

昨年は私たちにとって良くも悪くも重大な年でした。

 

★悪かったこと

・6月、石木ダム検証の結果、国は事業の継続を認める

・9月、国は石木ダムの事業認定を告示

新政権になって、再び公共事業に火が付いた政府は、

無駄なダム事業もイケイケドンドン…その結果、石木ダムにもお墨付きが与えられ、

県は強制収用も視野に入れて動き出しました。

 

☆良かったこと

・3月と8月、「ダム検証のあり方を問う科学者の会」が意見書を提出

・8月、石木ダムの中止を求め、強制収用に反対する署名活動が始まる

・10月、事業認定を不服とする審査請求が全国から殺到

・12月、石木ダム対策弁護団結成

・12月、日弁連は「石木ダム事業の中止を求める意見書」を提出

国や県の道理を無視した動きに、市民だけでなく、

ダム問題を注視する科学者や法の専門家たちの心にも火が付きました。

 

今年はこの火がさらに大きく燃え広がり、

県や佐世保市を包囲し、

石木ダムを断念させることができますように…

皆さんと共に頑張っていきます!