12・5 石木ダム反対弁護団結成・決起集会

ついに弁護団が結成されることになりました。

昨日12月5日、いつもの川原公民館に大勢の地権者と支援者が集まり、

TVカメラも4台ほど?

みんなの眼差しの先には…

馬奈木弁護団長をはじめとする6人の侍じゃなくて弁護士の先生方。

 

馬奈木昭雄弁護士は、長崎ではイサカンの弁護団長としてあまりにも有名ですが、

他にも水俣病訴訟や産廃問題でもご活躍。

勝つまで闘う(馬奈木イズム)をモットーとなさっている、頼もしーい弁護士さんです。

こんなことを語ってくださいました。

 

石木ダムの被害者は誰か?

建設予定地に住む皆さんはもちろんだが、それだけではない。

石木ダムができなかったら、そのお金を他のことに使える。

(こどもの保育所を増やすとか、医療費の助成とか)

県民が必要とするお金が無駄な事業に使われていると考えれば、

被害者は県民全部

そのような視点に立って費用対効果を考えなければならない。

 

イサカンでは調整池の水を浄化するために、毎年30億円のお金が使われている。

あの排水門が造られなかったら、そのような無駄な予算はたてなくていいし、

そのお金は他の必要なところに使える。

 

な〜るほど!ですね。

 

副団長は、馬奈木弁護士と同じ久留米市の高橋謙一先生。

ずーっと長い間、馬奈木弁護士と組んで仕事をしてきたツーカーの間柄のよう…

公害、原発、産廃などに取り組んできた25年のベテラン弁護士さん。

 

事務局を担ってくださるのは、北九州市の平山博久弁護士。

全国集会の時も登壇して、力強く、しかも温かいメッセージを発信してくださいましたが、

あの時の約束通り、弁護団結成が実現しました。

若くて頼もしい弁護士さんです。

 

同じく北九州市の緒方剛弁護士は、

消費者問題や交通事故など一般的な事案に対応しておられるようですが、

いつのまにか失われていく自然への思いも語って下さいました。

 

福岡市から来られた毛利倫(とも)弁護士は、

薬害訴訟、労働事件、原発問題などをてがけている弁護士さん。

「ダム問題は初めてなので、皆さんと一緒に学びながらとりくんでいきたい」

と真摯なお人柄を感じるご挨拶でした。

 

そして、長崎市の魚住昭三弁護士。

「僕の事務所は一人なので、離婚でも借金でも何でも受け付けています」と言って、

みんなを笑わせていらっしゃいましたが、本当は笑いごとではありません。

ダムや原発、薬害など社会的な重要問題で、

行政と闘っている弱い立場の市民に寄り添ってくださる弁護士さんが、

長崎県内にはほとんどいないらしい。。

だから、イサカンや原発などの集会でお目にかかるのも、いつも魚住弁護士さん。

福岡や熊本にはこんなにいらっしゃるのに…

 

ところで、昨日はお忙しくて欠席でしたが、その熊本からは板井優弁護士もメンバーのお一人。

あの川辺川ダム訴訟で弁護団長を務められ、農水相も上告を断念したすごい方らしい。

板井弁護士の座右の銘は、「最も困難なところに最も良い仕事がある」と、ネットで見ました。

水俣病、じん肺、原爆症認定などなど、「住民こそが主人公」をモットーに行政と闘ってきた、

しかも負け知らずの弁護士さんだとか・・・これは弁護士仲間の方の評価です。

 

他にも、昨日来られなかった弁護士さんとしては、あと3人いらっしゃいます。

北九州の田篭亮博(たごもり あきひろ)弁護士、

福岡の堀良一弁護士と

同じく福岡の八木大和(ひろかず)弁護士です。

堀先生もイサカンでご活躍の先生で、集会などでよくお見かけします。

 

こんなすごい先生方を集めて下さった平山弁護士には、本当に感謝!です。

 

でも、馬奈木団長はおっしゃっていました。

私たちがやる気になったのは、イサカンの集会で岩下さんの訴えを聴いたから。

その場にいた弁護士たちは感動して、その気になった。

こんなに頑張っておられる、我々も一緒になって闘おう…と。

 

岩下さんのすごさを私たちもあらためて感じましたが、

それは物心ついた時から、このダム問題に関わり続けた人生そのものが、

彼の言葉を紡ぎだし、その眼差しにも声にも宿っているからだと思います。

そして、それは彼だけではなく、

13世帯皆さんに共通するものです。

 

これからも闘いはまだまだ続きますが、

昨夜は新たな船出といった印象を私は感じました。

今までは、小さな小舟で、やみくもに力いっぱい漕ぎながら、

目指す港は見えないし、羅針盤も壊れているし…そんな心細さを感じていましたが、

突如あらわれたベテラン航海士たちが乗り込んできてくれた!

これからは嵐がきても、目的地を見失わず、希望をもって漕ぎ続けることができる!

そんな嬉しさでいっぱいでした。