説明するしかないはずなのに…

今日の長崎新聞、コラム『記者の目』です。

東彼支局の宮崎記者の『目』が、とてもまっすぐで共感を覚えました。

 

阻止行動も収用も望まないのならば、地権者が納得するまで何度でも説明するしかないはずなのに。

 

まさにそうです。

その通りだと私も思います。

 

ここに書かれているように、

県が国に事業認定申請をした目的は、「強制収用ではなく、話し合うため」だったはず。

それは、何度も何度も、知事も佐世保市長も佐世保市水道局長も言ってきました。

 

ところが、実際は違いました。

事業認定の過程でも、認定後も、県は地権者と話し合おうとしませんでした。

「話し合いを拒んだのは地権者だ」と県は言いますが、

県の言う「話し合い」は補償交渉の話し合いです。

その前にまずやらなければならない話し合い、

地権者の土地を手に入れるためには、事業について理解してもらわなければならない、

そのための話し合い、これを県は拒み続けてきたのです。

これを無視して、いきなり補償交渉では、とても応じることはできないでしょう。

 

県は、事業認定申請前は、

「私たちは地権者との話し合いの場を設けるために事業認定するのです」と説明し、

事業認定申請後は、

「今は事業認定の手続き中なので、それを見守るべき」として話し合いに応じず、

事業認定後は、

「事業認定庁により認定されたので、事業の必要性・公益性が認められた」として、

「皆さんの疑問について、お答えは差し控えます」と繰り返しました。

 

この様子を見ていた報道関係者も、多くの皆さんが首をひねっていました。

 

3月5日の知事の定例記者会見で、読売新聞の記者は

「この事業については、いまだに地元の理解が得られていないと思います。ただ、地権者に対する県の対応を端から見ていると、質問状に明確に答えていないとか、…既に了解を諦めているのかなという印象さえ受けるんですが、…」

と質問しています。

 

長崎新聞や読売新聞の記者さんだけではありません。

県の方がお好きな「第三者」の目からみたら、そのように見えるのが自然だと思います。

 

私も県知事に聞きたいです。

知事は地権者の理解を得ることは、もう諦めたのですか?

諦めてないならば、逃げないで、地権者にきちんと説明するべきではありませんか?