住民の命を守る治水とは…

昨日、宮本博司さんの講演会に行ってきました!

国土交通省の元キャリアで、今は家業の樽作りに勤しみつつも、その合間を縫って、真の治水を考える人々に乞われて、講演活動もなさっています。

今回は、長崎自治研定期総会の記念講演会だったのですが、一般市民も参加OKとのことで聴きに行きました。

宮本さんの話がナマで聴ける!ということで、録音だけでなく、写真も何枚も撮ったのですが、うっかりミスで、パソコンへの取り込みが終わらないうちに消去してしまいました!(>_<)

というわけで、上の写真は、石木川まもり隊の記録係IさんがYouTubeにアップしてくれた動画の中の1コマを切り取ったものです。

こんな優しい眼差しで、柔らかな京言葉で、しかし、国や県など行政のやり方のおかしいことはおかしいと、きっぱりと論じる歯切れの良さに1時間半があっという間に感じられました。

是非お聴きください!

約1時間半の講演なので、3回に分けてアップしています。

 

印象的な言葉を少しお伝えすると・・・

30代のころは全国のダム計画の策定をなさっていたという宮本さん、

● 霞が関のテーブルの上で、ダムの事業仕分けをするうちに、「自分はダムについてはすべてわかっている」という錯覚に陥っていた。

● その後、岡山県の苫田ダムに配属され、住民や地域の痛みを初めて知った。隣近所でいがみ合い、家族の中でも不信感、人間関係はドロドロになった。

● ダムがこれだけコミュニティーを破壊する様を目の当たりにして、「私はダムについて全く知らなかった」と思い知った。

● 次に転勤になった長良川河口堰ではあらゆる人々と公開の場で話し合ったが、ダメだった。何故か?それは結論ありきだったから。事業主体が結論を変えないと決めていたから。

● 今もあらゆる委員会は「うん」という人たちで作られている。委員会の意見も実は事務局が書いている。それではダメ。淀川水系流域委員会では委員を公開選定した。事務局も国から独立させた。お墨付き委員会にさせなかった。

● 様々な立場の委員が共に現場を見て情報を共有し、課題を共有する。その結果、委員自身の意見が変わっていった。「ダムのどこが悪いねん」と言っていた学者が「できるだけ造らないほうがいい」と言うようになった。

 

● どんなに偉い学者でも河川官僚でも、川を知り尽くすことは出来ない。だから河川事業は謙虚におずおずと、やり直しがきく範囲でやるしかない。

● 淀川水系流域委員会の委員長になった時、国交省の役人に「これだけは守って」と言ったこと=隠さない・ごまかさない・逃げない・ウソをつかない

● ダムの効果は想定の範囲内においてのみ効果があるが、自然現象はいつ、どこで、どのような規模でおこるかわからない。

● 異常気象?自然現象は常に異常。通常の自然現象などない。異常なことが起きるのが自然現象。

● 治水事業の目的は、住民の命を守ること。

● 洪水により命を失うのは、浸水によってではなく、堤防決壊によって。応急的堤防強化が必要。

 

● 越水しても破堤しないような対策=堤防強化をすればいい。何故しないのか?それはダムを造るため?

● 堤防の越水対策に最優先で取りくまないのは、行政の不作為であり、国の怠慢。

● どんな洪水が来ても防ごうと考えるのは人間の傲慢。「防ぐ」ではなく「凌ぐ」が大事。桂川のほとりに建つ桂離宮は洪水による氾濫を想定して造られている。床は高床式で、屋敷の周りには濁流の土砂やゴミをフィルターにかける笹の生垣を施している。だから400年間もってきた。

● 洪水のエネルギーをできるだけ分散するのが治水のあり方だと昔から言われてきたが、明治以降の近代治水事業では、降った雨を川に集めて閉じ込め下流に流すようになった。

● 住民の命は守るには、できるだけ洪水エネルギーを集中させないことが大事。山を整備して山の保水力を高め、水田に水を溜め、霞提や遊水地など水の逃げ場を造るなど穏やかに分散させることが大事。

● 膨大なコスト、自然破壊、住民の犠牲、それ無しにはできないダムが、本当に最優先の施策なのか?それを問うべき。

● 事業主体が、隠したりごまかしたり逃げたり嘘をついたりしたら、どんなに良い事業であっても中止すべき。それを勧告する評価機関が必要。しかし、現在そのようなものはない。それをするのは世論しかない。裁判所にもそれは期待できない。世論のうねり。それが大事。

 

そう。いつも言われるのです。

世論。大事なのは世論。政治家や行政を動かせるのは世論。

わかっちゃいるけど簡単なことではありません・・・ 

簡単なことではないけれど、諦めません・・・