溝をさらに深くしないために…

昨夕のNBCニュースの特集「石木ダム計画さらに深まる溝」は、石木ダムをめぐる近況が、とてもわかりやすくまとめられていました。

 

まず紹介されたのはこちら。

上映会の様子です。

石木ダム建設予定地こうばるの日常を描いたドキュメンタリー。

本編を短くしたパタゴニアバージョン。

東田トモヒロさんのライブとセットなので、観客のほとんどは若者たち。


皆さん、無関心だった自分を正直に語り、驚きや戸惑いや涙する人も…

 

一方こちらは推進派の集会。

 

川棚町で開催されたダムによる地域おこしの講演会。

地域おこしの目玉は「ダムカレー」とか…

講演会後に開かれたのは「石木ダム建設促進川棚町民の会」総会。

同会会長の西坂氏は収用手続きが進めば、ダム建設も大きく動き出すとコメント。

収用手続きと同時並行で県が進めているのが付替え道路工事。県の河川課は「急ぎたい」とコメント。

 

しかし、地権者にとっては、本体工事に繋がる道路工事を許すわけにはいかない。

 

このような現状を遠くから見守っていたパタゴニア日本支社長が、長崎県庁で記者会見をおこないました。

県民2500人に聞いたアンケート結果を公表。

賛成よりも反対がやや多く、それよりもずっと「わからない」が多く、

それは行政の説明が不十分だから、というのが現実。

こんなに支持が得られていない事業を強行していいのだろうか?

いったん工事は中断して、公開の場でしっかり議論することが大事。その実施を求めるための署名活動をスタートしたことも公表。

 

このような一連の動きを改めて確認することができました。

私たちにとっては既知のことばかりですが、県民の多くは初耳のことが多かったことでしょう。まずは知ってほしい。現状を。

そして少しだけ考えてほしい。石木ダムについて。

「少しだけ」が集まって世論になっていき、

その世論がきっと溝を埋めてくれる…

 

オーナー田の田植えが行われました

連日の騒動で報告が遅くなりましたが、6月18日(日)に川原地区オーナー田の田植えが行われました!

午前10時前、テント下に集合です。

まず、川原地区のおじちゃんから植え方を伝授ののち…

早速、二枚の田んぼのうち一枚目を横一列に並んで一斉に植えていきます。

水田の中に実際に入ってみると、ぬかるみにハマってかなり動きにくい…

一歩動かすのに足の筋肉をバッチリ使います!

ほとんどの人が素手で稲をちぎっていたので、爪も痛い…(手袋すべきでした…)

手植えの時は、この写真のように田んぼの両端に紐を引っ張る役の人がいます。(すごく重要な役!)

紐には一定の間隔ごとに丸い印が付いていて、その印のところに稲を植えていくのです。

なるほど〜みんなで息を合わせて協力して植えていくんですね!

一枚目の田んぼを植え終わったところで、休憩に入りました。

休憩所のテントに戻ると、嬉しい差し入れが待っていました!

川原地区のFさんが早起きして作ってくれた饅頭です。(中はこしあん)

この日はお天気が最高に良く、お茶の差し入れもありがたいです。

参加者の方の中には、県外から来られた方もおられました。

それに、子供連れの方もおられましたし、初めて川原地区に来られたという方もいて休憩時間も雑談で盛り上がりました。

さて、後半は下の段の二枚目を植えていきます。

今回の田植えでは、上の段はうるち米、下の段はもち米を植えました。

一枚目で残った稲は二枚目に持っていかないよう厳重に注意!混ざっちゃうと困るからね〜

さて、後半は参加者が増えたので、私はすでに機械で植え終わった他のオーナー田の様子を見に行きました。

去年から始まったオーナー田は、今年さらに作付けが増えました。上の写真の三枚の田んぼは3年以上農薬を使用していないのだそうです。

去年収穫したお米は、本当に無農薬だったんですね!

なので、田んぼの水路には様々な水生生物の姿を見ることができました。

まず、サワガニを見つけました。

アカハライモリもうじゃうじゃいます!

見てください〜この愛らしさ!

イボガエル(かな?)

もちろんオタマジャクシも…

今年のオーナー田の田植えの参加者は私の数えでは26名ほどでした。

人出が多かったおかげで、疲れたら代わりばんこ…ストレスなく予定通り午前中には無事終了いたしました。

お昼のお弁当は基本各自ということでしたが、テントの下でおっそわけを皆さんいただきつつ交流を深めました。

写真を撮り損ねましたが、この辺りにはビワ(ヒワ?)も生えていて、今年は鈴なりなのです!

おじちゃんが枝ごと収穫してきてくれたものを食べてみたところ、見かけはイマイチなのに甘くてハマってしまいました!

川原地区に住んでいて思うこと…ここにいる限り、のたれ死ぬことはない…と思います!

なお、今後は7~8月にかけて田んぼの草取りを行います。(体験無料!)

10月頃には稲刈り体験も行いますよ〜(もちろん体験無料!)

 

石木ダムの付替道路工事でなんだか慌ただしく物騒な地元川原地区ですが、故郷の景色は今も何一つ全く変わりません!

故郷こうばる地区を皆さん応援してください。

(報告:水没予定地住民、いしまるほずみ)

拡幅工事は隠れ蓑だった?

今日の現場は県職員や作業員の姿もなく静かでした。

初めて見る現場は、なるほど、写真や動画で目にした通りの風景。鋼板の長い壁が続いていました。

壁に挟まれて、3つのプレハブ棟があります。
これが現場事務所ですね。

入り口にはロープと「立入禁止」の札が何枚も…

少し離れた高台から見下ろすと囲いの向こうにはたくさんの工事車両が並んでいました。

目の前を「川棚町」の車が通り過ぎ、現場事務所の前に停まりました。

なんだろう?と近づいてみると、中から降りてきた3人の男性。1人は町民の方で2人は町の職員。

町民の方は突然現れたこの建造物にたいへん迷惑していると、役場に駆け込まれたようです。

囲いに沿って下って行くと、

囲いが切れたところの左手に石木川が見えてきました。

川沿いの狭い歩道を、いま来た方向に戻る(Uターンする)と、

小さな堰があり、そこから田んぼに水を引いている。その水の管理をやっている町民の方の訴えでした。

今まで使っていたその歩道は、コンクリートでこんなに狭められ、

靴幅もないような細い所を通らねば、堰に辿りつけません。

なぜ、こんな工事をするのか?
しかも事前に何の説明もなく、あんまりではないか?

石木川の管理者は県ではあるけれど、地元利水者の迷惑も考えず、無断でこんな工事をしていたとは…と驚いて聞いていたのですが、もっと驚いたことには、

なんと、この現場事務所設置の話は川棚町も知らなかった!とのこと。

ほんとにビックリ!( ゚Д゚)です。

長崎県はあまりにもやりたい放題、ルール違反ではないですか?

そもそも、ここの道路工事は、この看板が示すように、「県道嬉野川棚線の交通安全のための工事でした。

採石場が2つもあるので大型ダンプが頻繁に行き交っており、通学児童の安全のため、道路の拡幅や、カーブの緩和、歩道の設置などの工事だと聞いていました。

ところが、そのために「マユミ」から買収した土地に、河川課がおこなうダム建設付替え道路工事のための現場事務所が建設され、長い囲いが設置されたため石木川に近づけなくなった。川棚町や地域住民に事前説明も一切無しに。

一般道の拡幅工事はダム用道路工事のための隠れ蓑だったのでしょうか?

県の土地だから、目的が違っても、担当する課が違っても、同じ土木部の工事だ、何とでもなるさと考えたのでしょうか?それとも「知事のご意向」だったとか?

目的のためには手段を選ばず…いつからそんな県政になってしまったのでしょう。
県民として悲しく、悔しく、恥ずかしい。

TVニュースでも放映、未明の事務所設置

昨日の現場事務所設置の情報はテレビニュースでも報道されました。
(NBCニュースより)

 

 

 

地権者の呟き…

住民からこれほどの反発、反感を受けながら作業する業者も職員も気の毒…

それでも県は、

少しでも工事を進めたい…?

何のために?

一日にして、景色がすっかり変わってしまいました。

景色が変わるほどの工事をするのに、周辺住民への告知や周知は要らないのでしょうか?

県の所有地or管理地であれば、何をやってもいいってこと?

そんなはずはありませんよね。(-_-)

速報!プレハブ建設

現地から届いた写真です。

夜が明けると、拡幅工事を終えたばかりの県道沿いに長いフェンスや衝立が設置されていて、

見守るしかできない状況の中で、どんどん工事が進められ、

あっという間にプレハブの現場事務所が建設されていきました。

旧道と新道の間に生まれた広いスペースが不思議な感じでしたが、こういうことだったのですね。

説明責任を果たさずに奇策を弄して共謀罪を通してしまった政府と同じように、住民に何の説明もなく一夜にして長い壁を築いてしまう長崎県。

住民のための事業であるべきダム建設を、住民の声に耳を塞いで強行してきた、その歴史を示すような壁ですね。

住民だけでなく県民の問いかけにも背を向けてきた、自らの姿勢を示すような壁ですね。

これはもう公共事業ではありませんね。

妨害禁止仮処分、審理終了

6月19日午後1時半、長崎地裁佐世保支部前。

2時からの石木ダム妨害禁止仮処分審尋の門前集会です。

通行妨害で訴えられた19名を代表して、地権者のS子さんが挨拶。

今こうばるでは、ほたる祭りも田植えも終わり、やっと日常が戻ってきましたが、それでも私たちの日常の中には、24時間体制の見張りと抗議行動があります。

だんだん暑くなってきたので午後からは大変ですが、みな頑張っています。

私たちは、自分たちの住む権利を求めて、勝つまで闘います。
皆さん、ご支援よろしくお願いします!

 

2時からの審尋は、10分ほどで終了。

その後、いつもの報告集会の会場へ。

5回目の審尋。仮処分としては異例の長さでしたが、いよいよこの日で審理は終了。弁護団によると、裁判長は「9月を目途に決定を出す」意向を示したそうです。

審尋だけでなく、審尋後から決定までの期間も長い。ということは、それだけ裁判所が丁寧に判断をしたいということではないだろうか。

高橋弁護士のコメント。
決定がいつになろうが現場の闘いは変わらず続けられるだろう。
皆さんを支えているのは世論。
これをより発展させていけるよう
頑張りましょう。

板井弁護士のコメント。
このような闘いが何十年も続けられていいのか?
チェックをするシステムが必要であり、
裁判所もその機能を果たす努力をすべきではないか?

大型公共事業は行政や企業が決めるのではなく、
そこにいる住民の意思で決められるべき。

そのためのルール作りが必要で、
そのためにも共に頑張っていきましょう。

 

の裁判は、7月10日(月)16:00~、同じ佐世保支部です。

この日は、石木ダム工事差止訴訟の第1回目です。ぜひ多くの方が傍聴に来て頂けますよう、よろしくお願いします。

 

僕らの無知と無関心が一番危険

6月15日のこのブログで紹介した東田トモヒロさんについて、ネット上にこんなニュースが掲載されていました。

「やっぱり電気ってありがたい」からの「反原発」「反ダム」 熊本のシンガーソングライター投げかけた問い

http://news.livedoor.com/article/detail/13214241/

 

熊本市在住のシンガーソングライターが、隣県長崎の「ダムに沈むかもしれない里山」に思いをはせたミニアルバムを制作したのはなぜか?
その里山を舞台にした映画「ほたるの川のまもりびと」(パタゴニア特別限定版)の上映会とセットでミニライブを長崎県内8カ所で展開(6月23日まで)しているのはなぜか?

疑問に思った記者の問いに返ってきた答えは…
その歌声と同じように誠実で柔らかく、心にしみるものでした。

新曲「ひだまり」は、「ふる里を奪われ、住めなくなる。震災を受けたフクシマと熊本、ダム建設に向けた工事が進み、住民が立ち退かされるかもしれない長崎県川棚町の川原(こうばる)。この三つが僕の中でつながり、この曲を書いたのです」と。

東日本大震災の原発事故で「一つの文明社会が終わった」との意識を強くしたが、熊本地震では「人のつながりのありがたみを感じた」

身近で起きた震災で、大事なものが何か分かった

WTKに参加して川原で歌っている時、「よみがえった感があった」
「自分の心の中にある、さみしいところにちゃんと手をあてて、ちゃんと向き合った感じがあった。温かい感じがよみがえった感があり、満足しています」

石木ダム建設計画は「大洪水が起きるという不安と恐怖をあおって、地域住民にダムは絶対に必要だと迫っているように映ります。川原のことから目をそらすことは、権力の暴走から目をそらすことになると思う

僕らの無知と無関心が一番危険を呼ぶから、恐ろしい
自分で感じて考え、何がより自然で、何がより平和で、子どもたちの世代、さらにその先に残せるものは何なのか。僕は国境的な考え方じゃなく、大きな地球意識、地球人としてのスタンスでいきたい

ほたるの里の抵抗

少し前、日本外国特派員協会の機関紙「NUMBER 1 SHIMBUN」の6月号に石木ダム関連記事が掲載されたとお知らせしました。https://ishikigawa.jp/blog/cat17/2608/ 

「NUMBER 1 SHIMBUN」の記事はこちらです。http://www.fccj.or.jp/number-1-shimbun/item/946-rebellion-in-the-valley-of-the-fireflies.html

 この記事の日本語訳がボランティアによってなされ送られてきましたので、ここに掲載させて頂きます。

 

Rebellion in the Valley of the Fireflies

ほたるの里の抵抗

Wednesday, May 31, 2017

In a small village in southern Japan, a dam project has been dividing the local community for over five decades. Most residents have left, but a few households continue the fight against the dam – and they’ve been successful so far.

日本の南の小さな村で、50年以上前のダム計画が地域コミュニティを分断している。住民の多くはここを去ったが、まだいくつかの世帯がダム反対の闘いを続け、その闘いはいまのところ成功している

by Sonja Blaschke

ソニア・ブラシュケ

On a Monday morning in June two years ago, a dozen women gathered in front of a construction site in Koharu Valley in Nagasaki Prefecture. The atmosphere was tense. They hid their faces behind scarves, masks and under wide-brimmed hats with fly nets, and wore long, blue jackets from the local firefly festival to demonstrate their unity. They held signs reading: “We are against the dam” or “Stop forced expropriation.” They had been protesting there almost every single day for several months. What was at stake were their very homes.

Cars pulled up. Several men in work overalls, rubber boots and helmets got out and walked towards the small crowd, which huddled close together. Some of the men worked for a local construction firm, some were Nagasaki prefectural staff.

2年前の6月、月曜の朝、長崎県川原の建設現場の前に数十人の女性が集まっていた。空気ははりつめ、顔をスカーフやマスク、虫除けネットのついたつば広の帽子で隠し、団結を示すための地元のほたる祭りの青いはっぴを着ていた。手に持ったプラカードには、「ダム反対」、「強制収用やめろ」と書かれていた。この場所で、数ヶ月にわたり休みなく毎日反対運動をしている。かれらの故郷の何が危険にさらされているのか。

For over 50 years now, the prefectural government has been trying to build a huge dam – 234 meters wide and 55 meters tall. When completed, the Ishiki Dam would leave what is now the small Kobaru community submerged deep under countless cubic meters of lake water. Disappearing with the town would be its pristine natural surroundings, the habitat of several endemic species, say the protesters.

50年以上にわたり、長崎県は幅234メートル、高さ55メートルの巨大なダムを建設しようと試みてきた。それが完成すると、石木ダムはいまの川原地区を深いダム湖の大量の水の底に沈めることになり、手付かずの自然環境や数種の固有種の生息場所も失われる、と反対者らは言う。

Disappearing with the town would be its pristine natural surroundings, the habitat of several endemic species, say the protesters.

町とともに消えるのは、手付かずの自然環境と数種の固有種の生息場所、と反対者らは言う

 

Yet, even after all this time, the dam is far from completion; even the foundations have yet to be laid. All that’s visible are a few barriers and some construction machines. The prefecture recently revised the completion date from March 2017 to March 2022.

今でも、ダムは完成には程遠い。その基礎すらも完成してはいない。目に見えるのはいくつかの柵と数機の建設重機。県は最近、建設完了日を2017年3月から2022年3月へと変更した。

Though the officials and construction company managers kept appealing to the women to let the workers pass, the protesters remained silent. “If we start talking, we only get worked up,” Sumiko Iwashita explained later. The women felt that any discussion would lead to offers of compensation, but little in the way of a real exchange of opinions.

行政や建設会社のマネージャーらは女性たちに作業員のために道をあけるよう再三伝えるが、反対者らは沈黙を保つ。「話し始めると、感情的になってしまいます。」と岩下すみ子さんは後に語った。話を始めると、真の意味での意見の交換ではなく補償の提示につながる、と女性らは感じている。

THE AUTHORITIES CONSIDER THE dam necessary to prevent flooding of the nearby Kawatana River and to supply water to the city of Sasebo, located about 40 minutes from Kobaru by car. Some decades ago, the city had experienced a water shortage and had to ration water for a while. However, Kobaru residents find reports about a supposed lack of water in Sasebo exaggerated. They argue that actual water use has been dropping with the introduction of new technology, and a predicted rise in population in Sasebo has failed to materialize. The dam opponents suspect some influence from Tokyo: the Liberal Democratic Party, which has dominated the country for decades, traditionally falls back on infrastructure projects to boost the economy.

行政は、川原から車で40分の場所にある佐世保市に水を供給している近隣の川棚川の氾濫を防ぐにはダムが必要だと考えている。数十年前、佐世保市は水不足を経験し、しばらく水の配給を行わなければならなかったことがある。しかし川原住民は、佐世保市の水が不足するといわれているのは大げさだとする報告を見つけた。その報告では新技術の導入とともに実際の水使用量は減少し続けており、佐世保市人口の増加予想は現実とはなっていない。ダム反対者は政府からの影響を疑っている:日本を数十年にわたり支配してきた自民党は、伝統的に経済対策のためにインフラに頼っている。

Two years on, the protesters have refused to let themselves be intimidated. They are aware that once they give in, the 60 residents that remain in 13 of what were once close to 70 households will have to leave their hometown forever, thereby abandoning land which, in some cases, their ancestors have inhabited for generations. Six days a week, from morning to evening, the women, flanked by non-resident supporters, continue to block access to the site. Most of them are retirees. It once was the men, the household heads, who led the protest, but they were charged with obstruction of construction. If they actively take part in the protest, they can be fined, an activist explained. That was another reason why the women did not want to reveal their identity while protesting.

2年にわたり、抗議者たちは自分たちを鼓舞してきた。ここで降参してしまうと。もともと70世帯が暮らしていたうちの残りの13世帯、60人の住民が故郷を永久に離れなければならなくなり、中には数世代にわたり先祖が住み続けてきた土地を見棄てなければならなくなる。週に6日、朝から夜まで、住民ではない支援者に囲まれダム現場への立ち入りを防ぎ続けている。彼女らの多くは定年退職者である。以前は男性、世帯主が反対運動を指揮していたが、彼らは工事を妨害したことで罪に問われた。反対運動に積極的に参加すれば、罰金を科せられる、と活動家は説明した。こういった理由もあり、女性らは抗議中に身元を明かしたくないと考えている。

 

It once was the men, the household heads, who led the protest, but they were charged with obstruction of construction.

以前は男性、世帯主が反対運動を指揮していたが、工事を妨害したことで罪に問われた。

 

“There are not so many of us, so we cannot take turns. That is why we bring our lunches and some water, rain coats and umbrellas,” Iwashita explained. The youthful 66-year-old is one of 60 people who after decades of fighting against the dam continue to live in Kobaru. With her husband and one of her sons she lives in a big house set a little above the fields. “I love nature,” she said with a smile. “Birds always sing here.” People who drive through Kobaru can see big signs reflecting the residents’ attitude on the roadside: “If your hometown was going to disappear – how would you feel?”

「人数がそういるわけでもないので、交代はできません。だから水とお弁当、レインコートと傘を持ってきます。」と岩下さんは言います。若々しい66歳は、ダム建設に何十年も立ち向かいながら川原に住み続けている60人のうちのひとり。ご主人と息子の一人と一緒に、やや高台にある大きな家に住んでいる。「私は自然が好き」、と岩下さんはにっこりと笑います。「ここはいつも鳥が鳴いています。」川原を車で通り抜けると、道沿いに大きな看板があり、それは住民たちの気持ちを代弁している。「あなたの故郷が消えるとしたら、どう思いますか?」

 

OFFICIALS FROM NAGASAKI PREFECTURE insist they have done much to garner the understanding of the residents. In fact, construction work was paused for 30 years until, in 2009, the authorities decided to make use of the expropriation law, a highly unusual step. Generally, authorities try to “convince” people affected by a construction project, if necessary with pressure – and money, as dam opponents believe.

長崎県職員らは住民の理解を得るためにさまざまなことをしてきた、と強調する。実際のところ、工事は2009年に役人が強制収用法を活用するという非常に珍しい手順を踏むまで30年間休止されていた。一般的に行政は、必要があれば圧力と金銭を使い、建設計画により影響を受ける人々の“説得”をしようとするとダム反対者は信じている。

The protesters took their case to court, but in December 2016 their suit to stop construction was dismissed. Only a few weeks later, on an early Sunday morning in January – the only day of the week on which women did not gather – workers brought heavy machinery to the construction site. Since then, confrontations along the site fence have been resumed with renewed vigour. At the same time, authorities have kept pushing expropriation efforts: for the past three years, a commission has been working on assessing the value of the remaining residents’ land to determine compensation payments.

反対者はこの件を裁判所へと上げたが、2016年12月、建設を止めるための彼らの訴訟は棄却された。そのたった数週間後の1月、女性たちが唯一集まらない日である日曜の早朝、作業者らは重機を建設現場へと運び込んだ。それ以来、新たな心持ちで現場のフェンス沿いでの攻防が再開された。それと同時に、行政は収容に向けた動きを推し進め続けてきた:この3年間、委員会は賠償支払い金額の算定のために、残りの住宅地の価値査定を進めている。

Despite the image of the protesters as being of advanced age, there are also many young people living in Kobaru. One man, 43-year-old Shinya Kawahara, dressed in a striped T-shirt and beige pants, sat in the local community house, its walls decorated with black-and-white photos from protests, handwritten posters and banners from supporters from all over Japan. Born and raised in Kobaru, Kawahara, a shift worker at a local ceramic parts factory, said he could not imagine living elsewhere. He loved playing with his teenage daughters at the river, observing fireflies in early summer, watching birds or collecting bugs. “This is the only home we have. I think it is natural for us to want to protect it.”

 

反対者は年齢の高い人だという印象があるが、川原には多くの若者も住んでいる。その一人がストライプのTシャツとベージュのパンツを着た43歳のかわはらしんやさんは、抗議活動の白黒写真、日本全国の支援者からの手書きのポスターやバナーの貼られた公民館に座っていた。川原で生まれ育ったかわはらさんは、地元の陶器パーツの工場でシフト勤務をしており、ここ以外に住むことが想像できないという。川で10代の娘と遊んだり、夏の初めには蛍を観察したり、鳥を眺めたり虫を集めることが好きだと言う。「私たちの家はここにしかありません。それを守ろうと思うのは自然なことです。」

He saw policemen lifting grandmothers who were sitting on the ground and hauling them away.

彼は警察が地面に座る祖母たちを持ち上げ、引きずっていくのを見た

He was witness to an event that marked the beginning of this long-running battle of wills. He was 11 in 1982, when he watched officials come to the valley to measure the land in preparation for the dam, accompanied by riot police. He saw policemen lifting grandmothers who were sitting on the ground and hauling them away. Crying children were carried off or thrown to the side, he remembered. Kawahara himself tried to punch a policeman in the stomach, but the man was wearing a metal plate under his shirt.

彼はこの長く続くことになる意思の戦いの始まりとなった出来事の証人でもある。1982年、彼が11歳のとき、ダムの準備に向けた土地の測量のために役人たちが機動隊を連れて来たのを見た。彼は警察が地面に座る祖母たちを持ち上げ、引きずっていくのを見た。泣いている子供たちは連れていかれるか、脇に投げられたのも覚えている。かわはらさんも警察官の腹を殴ろうとしたが、シャツの下には金属のプレートを着込んでいた。

THE REMAINING RESIDENTS POINT to the brutal police operation in 1982 as the reason they lost trust in the prefectural administration. In fact, the authority itself acknowledges that the incident inflicted “deep wounds to the hearts of the residents,” and the governor at the time attempted to make amends by sending apology letters and trying to meet with Kobaru residents.

今も残る住人たちは、1982年のこの残虐な警察の動きを、県政への信頼を失った理由としてあげる。実際、県行政自身がその事件により「住人の心に深い傷」を残したと認めている。また当時の知事は謝罪の手紙を送り、川原の住人に会おうとするなど傷を埋めようと試みている。

However, four kanji – 面会拒否 – on a sign at the door of 66-year-old Isamu Ishimaru’s house are a token of the failure of those attempts of reconciliation. They read menkai kyohi or “refusal to meet,” and they refer to his deep disappointment in politicians, including the former governor, who broke his promise not to build the dam if just one person was against it.

しかし、石丸勇さん(66歳)の家のドアに貼られた4文字の漢字、面会拒否こそが、和解の試みの失敗の証である。この4文字には、ひとりでも反対の人がいればダムは建設しないと約束した前知事を含む政治家に対する深い失望が現れている。

Although Ishimaru only arrived in 1978 from the nearby Amakusa islands with his parents, he considers the little Kobaru Valley home. “This is where traditional Japanese society still remains intact,” he said. Ishimaru walked slowly on a small road leading up to his house where he lives with his wife and daughter, gazing across the light-green rice fields. Dragonflies were flitting through the air. Between the rice plants one could hear frogs croak.

石丸さんは両親とともに近隣の天草諸島から1978年に川原に来たのだが、川原の里を故郷と考えている。「ここは伝統的な日本社会がまだしっかりと残っているところ。」と石丸さんは妻と娘と住む自宅に向かう小道をゆっくりと歩きながら、時折薄い緑色の田んぼに目をやりながら語った。トンボが空を切る。稲の苗の間からは、かえるの合唱が聞こえる。

Isamu Ishimaru
Sumiko Iwashita

“If we start talking, we only get worked up.”

「口を開いたら、熱くなってしまう。」

 

Isshin Taguchi
Shinya Kawahara

 

Ishimaru talked about his defiance while pointing to a small street skirting some of his rice fields. That would be where the new main road would to go through, he explained, as the current one would be submerged. Some of his fields were already expropriated on paper, but he continued to plant rice on them anyway. The former public servant considers the expropriation a violation of the Japanese Constitution, which guarantees the right to life, freedom and pursuit of happiness.

石丸さんは、自身の田んぼに向かう小道を指差しながら果敢な抵抗について語った。もし今の道が水の底に沈むことになれば、その道が通り抜けるメインの道になると彼は説明した。彼の田んぼの一部は、書類上ではすでに収容されたことになっている。しかし彼はそこでの稲作を続けている。元公務員の彼は、収容は生きる権利、自由と幸福の追求を保証する日本国憲法の侵害と考えている。

But there are those who have accepted the government’s plans and moved out. Over the past decades, more than 50 households have given up and left. A new housing estate for those who left the valley stands in nearby Kawatana, the village of 14,000 people of which Kobaru is a part. Although it’s only a few kilometers down the road, the emotional distance is enormous; the people who moved here from Kobaru, especially the elderly generation in their sixties, do not speak with their former neighbors anymore. Both sides feel betrayed.

県の計画を受け入れ、家を出たものもいる。過去数十年の間に、50世帯以上があきらめ、この地を去った。川原を去った人の家屋は今、近隣の川棚という川原も含む人口14,000人の町に建っている。その距離は数キロしかないものの、感情的な距離は非常に遠く、川原から川棚に引っ越した人々、とくに60代の年配の世代は元ご近所さんとは話すこともない。どちらもが、裏切られたと感じている・・・

While there is some support from outside the valley, it seems that most of their immediate neighbors do not feel like getting involved in the struggle. The family of Isshin Taguchi has been living in Kawatana village, downstream from the dam and therefore unaffected by the project, for over a hundred years. In fact, the unaffiliated, conservative local politician and former ministerial bureaucrat who heads up the dam construction committee argues that the dam is important as a measure to prevent floods. In the nineties, part of Kawatana was severely damaged by flooding after strong rainfall. “I am not exactly eager for the dam to be built – but it is just necessary,” he says. Nagasaki Prefecture emphasizes that the Ishiki Dam would protect the area from severe floods that occur with a statistical frequency of once in a hundred years.

川原ではない場所から支援もいくらかあるものの、すぐ近くの隣人たちはこの争いに関りを感じていないように見える。田口一信の家族は川棚町に100年以上住み続けており、ダム下流にあるためダム計画の影響は受けていない。無所属、保守的な地元出身の政治家であり元省職員でダム建設委員会を率いる田口さんは、ダムは洪水を防ぐための大事な方策だと語る。90年代、川棚の一部は強い雨の後の洪水により多大な被害を受けた。「ダムの建設に熱心というわけではない。」と彼は言う。統計的には100年に1度の頻度でおこる重大な洪水から、石木ダムはこの地区を守ることになる、と県は強調する。

 

Thanks to young, dedicated residents like Shinya Kawahara, there seems to be little chance of the resistance in Kobaru fading.

カワハラシンヤのような若く熱心な住民のおかげで、川原の抵抗行動が尻すぼみになる可能性は小さい

 

Despite all of the setbacks the Kobaru residents try to stay positive. What encourages them is that the authorities still have not managed to move the project visibly forward. In fact, there are many major construction projects throughout the country, from dams to nuclear power plants, which have been stalled or prevented by local resistance. There was also the local resistance to the Arase Dam in Kumamoto Prefecture that led to its being completely torn down, in the only such case in Japan. Thanks to young, dedicated residents like Shinya Kawahara, who feel called to continue the protest, there seems to be little chance of the resistance in Kobaru fading.

さまざまな障害がありながらも、川原の住民は前向きでいようと心がけている。行政がこのプロジェクトを目に見える形で前進させることができていないことが、彼らを勇気付けている。実際、日本全国にはダムから原子力発電所といった大きな建築計画があるが、地元の抵抗により行き詰まり、回避されたものが多くある。熊本県の荒瀬ダムでも地元の抵抗があり、その結果完全に撤去されることとなった。これは日本で唯一のケースである。若く熱心で、抗議を続けようと声をかけ続けるカワハラシンヤのような住民のおかげで、川原の抵抗行動が尻すぼみになっていく可能性は小さい。

 

At the protest site, the soft-spoken yet feisty Iwashita revealed how she managed to keep her balance and persevere through the exhausting fight: She did not think ahead much, she said. To relax she likes to rip out weeds in her garden. She emphasized that the women tried to keep up their good spirits by enjoying delicious food and by laughing together a lot, “because you cannot fight if you are depressed.”

反対活動の現場で、口調は柔らかだが気骨のある岩下さんが、疲れる闘いの中どのようにバランスをとりのりこえているのかを話してくれた。あまり先のことは考えないのだ、と彼女は言った。リラックスするのに、庭の雑草を抜くのが好きだと。女性たちの気持ちを明るく保つには、おいしいものを一緒に楽しみ、一緒に笑うことだ、と彼女は強調する。「沈んでいたら闘えないからね。」

Kawahara, the local-born ceramic maker employee, said he suppressed thoughts about the fact that he might have to move away some day. “I will get old in Kobaru,” he stated decisively. ❶

Sonja Blaschke is a freelance East Asia and Australasia correspondent for German print media and a TV producer. She divides her time between Japan and Australia.

地元生まれで陶器メーカー社員のカワハラは、いつかここから引っ越さなければならないかもしれないという思いにふたをしているという。「私は、川原で年をとるのだ」と彼は断固とした口調で語った。

 

ソニア・ブラシュケはドイツの印刷メディアの東アジア・オーストララジア特派員でTVプロデューサー。日本とオーストラリアの半々で暮らしている。

 

ひだまり

昨夜は久しぶりにライブを楽しみました。

ご存知ですか?東田トモヒロさん

昨年10月末、こうばるで開催された音楽イベント『WTK』に出演されたアーティスト。あの時は、裏方の手伝いで、ほとんど演奏を聴く余裕はありませんでした。今日初めて、しかも間近でじっくり聴かせて頂きました。

なんて優しい声!ライブの前に上映された『ほたるの川のまもりびと』の映像と、トモヒロさんの柔らかい歌声が絶妙にコラボします。

みんな良かったけれど、私は特に「ひだまり」が好きでした。

もとには戻れないかもしれない
奇跡はおこらないかもしれない
だけど心の小さな光を 信じて歩いて行く
そして私は今日もここにいる
あのひだまりのように
あのひだまりのように

楽しい時間はあっという間に終わり、トモヒロさんやお店の方に促されて、
石木川まもり隊の話を少しだけさせて頂きました。
私たちがなぜ、石木川を守りたいと思っているのか…など。

素敵な場を提供して下さった「波の上」の皆さん、https://www.facebook.com/namisasebo/

素晴らしいイベントを企画準備して下さったパタゴニア福岡の皆さん、
https://www.facebook.com/PatagoniaFukuokaStore

ほんとうにありがとうございました!

そしてこちらは、
そのパタゴニア福岡ストアの店内一角にある『環境コーナー』。

ダム問題や石木川、こうばるに関する情報やグッズが置かれています。

その隅っこに、さりげなく置かれている「カンパBOX」。

つい最近、こちらに茶封筒に入ったカンパが寄せられました。

封筒の表にはメッセージも添えられていました。

石木川まもり隊 様
ご苦労様です。
何もできませんので、寄付だけさせて下さい 29.5.14

個人の方から頂くにはとても高額でした。せめてお礼の気持ちを伝えたいと思ったのですが、その方は、お店のスタッフにも気づかれないよう、そっと入れてあったので、お名前もご住所もわからないそうです。

その方が、このブログを見て下さっている可能性は少ないかもしれませんが、ゼロではないと思うので、この場を借りて、お礼申し上げます。

  福岡の足長おじさんへ
  いつも温かいご支援をありがとうございます。
  新たなグッズの制作費や、活動費(勉強会開催など)に
  使わせていただきます。
  いつかきっと、石木川のほとりで会いましょう。
  ゲンジボタルやサンショウウオも待っていますよ。

ダムを活用した地域おこし?

行ってきました。話題の講演会。
石木ダム建設事務所主催の、ダムマニア宮島咲氏による講演会。
テーマは「ダムを活用した地域おこし」。

宮島氏の本業は日本料理屋だそうですが、ある日ドライブの途中で、群馬県の奈良俣ダムに出会い、その美しさに心奪われ、ダムに魅せられダム巡りをするうちにマニアになってしまったそうです。

そして、ふと思った。ダムって何のためにあるの?と。
その答えはこちら。

そして、そんなダムが全国に約2700基、九州だけで464基もあるそうです。特に長崎県はダム密集地帯!
そのわけは…地形が急峻で川の水がすぐに海に流れ出るから。

また、こんな数字も示して下さいました。

え?平均すると、1つのダムに1日330人も訪れている!?

信じられない!思わず心の中で叫んでしまいました。
というのも、8年前のゴールデンウィークに県内のダム巡りをしたのですが、伊佐ノ浦ダム以外、ほとんど人影はありませんでしたから。

でも、よく聞くと、この数字、国営ダムの話なんですねー
石木ダムとは規模の違う、でっかいダムばかり。

こんなふうに放流の時は、ダムマニアや観光客ががたくさん訪れるそうです。

そんなダムを活用して地域おこしをしましょう!というのが講演のテーマですが、宮島氏の考える「地域おこし」とは、「地域の収益を増やす活動」のことだそうです。

例えば、八ツ場ダムの場合、平成9年度から26年度まで比較すると、18年度までは客数も消費額も減少傾向だったけど、工事が進むにつれてどんどん増加。
26年度には、客数は9年度まで回復していないけれど、消費額は9年度より大幅(1.4倍くらい)アップしているとのこと。

でも、これって、本当に純粋な観光客なのかな~?
平成16年頃から八ッ場ダム反対の声が広がり、裁判も始まり、21年度には民主党政権が誕生して中止の方針が打ち出されたりして、八ッ場への関心が大きくなりましたよね。
全国のダム反対派や専門家が視察に訪れたり、まもなく吾妻渓谷が無くなるかもしれないと、その自然を惜しむ人たちが、店仕舞セールの時のように押し寄せていたのかもしれない。
ダム目当ての観光客と決めつけるのはどうかな~?

いずれにしても、宮島氏によると、ダムは収益をもたらす。その最たるものが「ダムカード」と「ダムカレー」だそうです。

ダムカードは全国の600ほどのダムで配布しており、例えば八ツ場ダムの場合、ネットオークションで3万円ほどで取引されている。高いのでは10万円くらいのもある。だからマニアは、このカードをもらおうと必死になって現地にやってくる。

また、ダムカレーもブームになっていて、現在全国で110種類のダムカレーがある。ダム好きのほとんどが食べるし、これを食べるためにやってくる人もいる。

などなど、宮島氏のお話を聞いていると、ダムカードとダムカレーを造れば地域おこしができると錯覚し、そのためにダムが必要!なんて勘違いする人も出て来そうで、ちょっと不安です。

さらに新しい集客案も紹介。

建設中の足羽川ダムの堤体壁面をクライミングコースとして活用する案が国交省から提案されたそうですが、その足羽川ダムについて、こんなことをおっしゃっていました。

ここの工事は難航しましてね、反対派がうるさかったんですよ。
「ダムは要らない!」「この川は洪水は絶対起きない!」と言って。ところが10年位前ですか、福井豪雨がおき、この川が氾濫してしまいました。建設反対と言ってた所が水浸しになったんですよ。だから言ったでしょうって感じですよね。備えあれば憂い無しなのにね。

最後に、私たちにはお馴染みの石木ダムのイメージ画像を映して、

正直に言って、このダムはつまんなさ過ぎます。ここら辺ののり面(右側の緑のところ)は棚田にしてください、それを分譲するんです

それから、ここ(コンクリートの壁の部分)はクライミングコースにする。有料で500円くらいで

このダムは小さいので1年ぐらいでできるかもしれない。動き出せばね
ただね、この地にね、まだこれだけの人たちが住んでいます
と言って、最後に映し出されたのは、ほーちゃんが描いたこうばるの人々の似顔絵。
これは水没予定地にお住いのイラストレーターの石丸穂澄さんのイラストでございます。ここ(会場)にいらっしゃる皆さま、そしてここ(水没予定地)にお住いの皆様が平和で楽しく暮らせますようお祈りして、地域の発展を願いまして、講演を終了させていただきます
と締めくくられました。
                                  私は思います。
地域おこしなら、ダムがなくてもできる。
八代市では荒瀬ダムを撤去したことにより、釣り客や潮干狩り客が増えました。

大川村のように早明浦ダムのおかげで人口が10分の1になってしまったところもあります。
地域おこしどころか、ダムは地域潰しの可能性も大きいと。

私は願います。川棚町民の方が、ダムに頼らない地域おこしを目指してくださることを。
なぜなら、仮に、ダムにより収益がアップしたとしても、それは、一時的なこと。ダムによる自然破壊のツケは、後に、地域に多くの不利益、衰退をもたらします。水質汚染、悪臭、漁業被害etc.

私が見てきたダムはこんな感じのところばかりでした。

どちらも草ぼうぼうでした。

ダムが出来た当初は、さぞかし素敵な公園だったことでしょう。
数年後にはこの通り。
焼き物のレリーフ作品がまるで墓石のよう…

撮影日=2009年5月5日。快晴。グールデンウィーク最終日。