こんにちは。
長崎県石木ダム水没予定地住民の石丸穂澄です。
12/19の石木ダムの事業認定取消訴訟控訴審第一回口頭弁論に集まってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
昨日はクリスマス、私は初めてクリスマスケーキを買いませんでした。
大人になったのでしょうか?
実は家に食べ物があふれており、賞味期限の切れたお菓子に囲まれています。
今日は他のダムのことを書きます。
11/28にFacebookで前滋賀県知事の嘉田由紀子さんがこんな投稿をされました。
滋賀県の県営、芹谷(せりたに)ダム。
水没予定地の場所は、滋賀県犬上郡多賀町水谷(すいだに)地区。
滋賀県の一級河川、芹川の支流水谷川に建設が予定されていた治水専用の穴あきダム。
山腹に導水トンネルを建設して芹川の洪水を流し込む計画だったそうです。
総事業費は約398億円ですって。
ちなみに、我が石木ダムは関連事業費を入れると総事業費(今の所)538億円です。
(でも実際に作っちゃうと倍以上になりますよ!)
芹谷ダムの場合も最初は小さく見積もってたはずですですから、作っていたらどうなっていたか…
結果的に、芹谷ダムは中止になりました。
嘉田さんが知事の時に止めてくれました。
実のところ、よかったですよ、中止になって。
結局のところ、私たちの税金で作るんだから!
県営ダムでも国からの補助金が出ますから!(石木ダムも同じですよ!)
私の払った税金=芹谷ダムにならなくてよかった。
中止が決定した直後、ダム問題に振り回されてきた地元の人たちはいろいろと複雑な心境であったと思います。
2007年には「風の記憶」というタイトルで、水没する前提での写真集が発行されていました。
この大変貴重な写真集を嘉田さんより送っていただき、今、私の手元にあります。
私は、芹谷ダムの現地に入ったことがありません。
ですので、あくまでも写真集を眺めながら感じたことを同じくダム問題に日々悩まされている石木ダム水没予定地住民の立場として書かせていただきます。
そこには、ここ長崎県石木ダム水没予定地と同じように故郷での慎ましい暮らしの記録がありました。
ダムは中止になったので、今も暮らしは続いています。
芹谷の水没予定地の方が、石木よりもうちょっと奥深い里山のようです。
石木よりも古い歴史を感じる建物や文化が残っているようですね。
住民の皆さんの家族写真が…
24戸、住民の数は47人とあります。
ちなみに石木は、13世帯約60人。
集落の規模は双方そんなに大きく違いはないのかなと。
ただ、写真集を見ているとやはり石木より高齢化が進んでいるなと感じました。
石木はまだ若い世代もいますので、そこが違うところと思います。
1月10日付け朝日新聞電子版を転載していた市民運動ネットワーク滋賀の滋賀市民運動ニュース&ダイジェスト
(芹谷ダム)ダムにほんろう半世紀:予定地の多賀町水谷地区
を読むと、ダムは止まったものの、高齢化が進んだ地元には大変厳しい現実が突きつけられていることもわかります。
八ッ場あしたの会の2010年08月26日朝日新聞滋賀版より転載記事ーこじれる補償金問題/建設中止の芹谷ダムーからもそれは感じ取れます。
そうなんです、地元は時が止まっているどころか置いてけぼりにされています。
50年全くと言っていいほど、公共投資はなされていませんしね。
石木もそうですよ。
個人の人生プランもめちゃくちゃになったし、現地の人がそれなりの補償を要求することは本当は全くおかしくないんですよ、みなさん。
土地を去っても(条件賛成の人)補償金目当てと陰口を叩かれ、残っていても(こうばるの13世帯の人)後々で迷惑料などを含む補償金を狙っているんだろ!と陰口を叩かれ…
水没予定地住民のほーちゃんから言わせれば、
「お金もらえるんでしょ?たくさん、いいなぁ〜」っていう感覚はまさに「他人事」の証で、
人の幸せ=お金さえあればいい、じゃないんですよ。
地域の人たちには本当に失礼な話です。
皆さんも、胸に手を当てて考えてみてほしい。
「補償金をたくさんもらえるんだからいいんじゃないか」と一瞬でも頭をよぎったそこのあなた…!
あなた!
多分、あなたは
筋斗雲(きんとうん)には乗れません!
↑
筋斗雲(きんとうん)には、汚れた心を持つ人間は乗ることができないそうです。
私も乗れないと思いますが…
「ドラゴンボール」のお話の中では、そもそも「人間」(チチ意外)は乗れないんですよね。
この問いは人の心の透明度を図る目安になると思います。
みなさんの心の透明度はいかほどでしょうか。
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写真集を見ながら…
水谷地区には寺や神社があるのですね。
羨ましいです。
(石木にも歴史ある岩屋権現=神社がありますが、無人です)
実は、この写真集をいただいてからすぐに石木ダムの付替道路工事の抗議行動現場に持って行ってもらいました。
みなさんにも座り込みの最中に見て頂きたかったので。
写真に写っているお寺の名前は、浄願寺(上水谷)というそうで、おばちゃんたちはすかさずネット検索で宗派などを調べたようです。
ただ、滋賀県には同じ名前のお寺が3つあるみたいで、お寺の名前についてはよくある名前みたいですね。
石木の住民も多くは仏教徒で、というか、水没予定地にかかわらず川棚町の東部地区にはお寺さんにお世話になっている家が多いのです。
町の中心部にお住いの町民と比較しても真面目にお寺参りしたり、仏壇を守っている人が多いように思います。
そういうこともあって、石木の住民が写真集で一番気になったのが「浄願寺」の存在だったのでしょう。
石木の住民がお世話になっている福浄寺の本堂も大変立派ですが、水谷の浄願寺は歴史が古くて納められている御本尊にしても掛け軸にしても…骨董品を通り越して立派な文化財、史跡?
井伊直孝の娘がお輿入れの時に使ったとされる駕籠が…寺にあるんです、すごくないですか!?
ダムに沈む場所って、だいたいどこも本当にいいところですよね。
寺もあるし、神社もある。
気になったのは八幡神社(上水谷)のこの「のぼり」の写った写真。
昭和7年って書いてあります。
古いのにこの布がよく残っているなぁと。
上水谷と下水谷とどちらにも古くから八幡神社があったようですが、明治時代に上水谷八幡神社一つになったようです。
明治時代ですよ?神社の歴史はさらに遡って相当に古いんでしょうね。
神社の祭りの写真もあり、今でも続いているでしょうか、
石木の岩屋権現でも私が生まれる前は祭りをやっていたそうで、今は途絶えてしまっているということもあり、
寺も神社もよく守ってきたなと、きっと住民には当たり前のことなんだろうけど…
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こちらのページは、水没予定地の秋から初冬にかけての写真が並んでいるのですが。
これが気になった、
畑のイノシシよけに熊の皮を切り株に巻き付けてあるとか、お隣の写真もきっとその類でしょう、獣の皮を鳥獣被害対策に使うんですね!
熊を捕れる人がいる、さばける人がいる、いいなぁ…
・
元鍛冶屋さんの仕事再現の様子も。
すごいね、
「作業場はいつでも使える状態にあり」と書いてあって、
ただ、都会の人は簡単にこれを維持できると思うかもしれないが(寺にしても神社にしても)…後を継ぐとかこれで生計を立てるとか、そう簡単なことではないのです。
私も、自分の田んぼと畑をどうやって維持するのか…考えると大変です。
都会の人が、農業に関して言えば無農薬や天日干しについてどうも簡単に思っている節があるので、言うのは簡単だけど、あんまり作る側に寄り添う気持ちがない(現実を知らなさすぎる)とみんな離れていっちゃうから都会の人もそこのところは注意したほうがいいよ。。
実は、たまに「周りの人(支援者)に文句を言ったらダメだよ」と忠告する人(大抵は深く関わりのない通りすがりの支援者の人)もいるのですが、現実の厳しさ、難しさは当事者にしかわからない。
ダムは止まったものの、水谷の人々の苦労や模索は当然ながら今も続いているだろうし、水谷の苦労が石木の私たちの苦労と全て同じということもないし…
あと、水谷の人たちもそうだろうけど、公共事業に振り回されている私たち地元の人たちの中に、無関心層が想像しているような「活動家」を目指してる人はいないんじゃないのかな?
この「風の記憶」に収められている写真からも、そんな雰囲気は一切ないです。
水谷も、昔は石木ダムと同じようにみんな反対していて頑張っていたんだろうし。
自分たちの生活を維持しているとそれがなぜか「国家との闘い」になってしまうんです。
ダムを作ることで莫大な富を得る一部の人たちを筆頭にして、現地に住む人たちを疎ましく思っている取り巻きの人たちがそれを利用しない手はない。
あの人たちは社会主義者だとか反体制派だと宣伝したりして、わざと市民の分断を煽ります。
日本人の過半数が多分無関心層と思いますので、その過半数がその風の噂を聞いてなんとな〜く問題から距離を置くようになる。
ひょっとして、これを読んでいるあなたもこれらの難しい問題からなんとな〜く距離を置いていませんか?
でも、その姿勢がひょっとしたら延々と問題が解決しない「問題の一部」になっているのかもしれないよ?
ダムに限らず原発とか基地もそうですが、地味ですけど解決するには想像をはるかに超える苦労があります。
問題の複雑さを全部知ったら本当に具合が悪くなりますよ。
それでも、何はともあれ芹谷ダムは止まった。
とりあえずは白黒がはっきりしたわけだし、嘉田さんによれば地元の人たちもダムが中止になったことを結果的には「よかった」と受け止めてくれているようだし。
沈みさえしなければ、なんとかなる部分も多いのです。
ああ、
いいなぁ〜…
水谷の人たち…
石木ダムもさっさと中止してほしい。