工事差止訴訟 第12回口頭弁論~尋問

いよいよ大詰め!
この日は丸一日かけて本人尋問が行われました。
本人尋問とは、原告本人に対する尋問で、当事者尋問ともいいます。

午前中は、ダム問題に詳しい嶋津暉之氏(水源開発問題全国連絡会共同代表)への尋問。2時間かけて治水面に関する問題点が指摘されました。

嶋津暉之氏(報告集会での写真)
その骨子はこちらです。
http://suigenren.jp/wp-content/uploads/2019/07/6aa2ace98148ef838cb0d3a3c97c9d96-1.pdf

簡単にまとめると、

1. 石木ダムができても、その効果が及ぶのは、川棚川流域のわずか8.8%に過ぎない。

2. 最も危険な最下流域は港湾管理者の管理区間で、整備計画もなく放置されている。

3. 川棚町市街地の下水道計画では、10年に1度(1/10)の大雨にしか対応できないので、石木ダム計画で採用している100年に1度(1/100)の大雨が降れば、当然内水氾濫が起きてしまう。

4. 川棚川の下流域(石木川との合流地点より下流)の治水計画の規模を、1/100にしたのは間違いであり、恣意的。
5. その理由の第1は、氾濫計算を行うための項目の1つである河道状況が、現在のデータではなく、原始河道(昭和50年当時)が使われていること。現況で計算すれば1/50となり、石木ダムは不要となる。

6. 理由の第2は、その原始河道のデータも川幅を実際よりもかなり小さくしていた。(当時の航空写真から算出すると実際の川幅は、1.5倍~2倍もあった)

7. 治水目標流量の計算に使われた過去の雨量データも間違っている。当時、川棚川流域に雨量観測所がなかったので佐世保観測所のデータの0.94倍で算出されているが、実際にはもっと小さかった。昭和23年洪水の正しい推定値は0.57倍であった。

8. 県が算出した1/100の雨が降っても、川棚川が溢れるわけではない。石木ダムを造って余裕高を確保しようとしているだけ。

9. 石木ダムの費用便益比は1.25と県は言うが、治水目的である川棚川の便益比はわずか0.12しかない。石木ダムが洪水対策というのは全く理由にならない。

10.  便益の大半は不特定利水の便益であるが、その値はダム完成前から計上するという有り得ない手法が取られている。まともにダム完成後の便益で計算すれば、石木ダムの便益比は0.66にしかならず、不要という結論になる。

スライドを見せながら、石木ダム計画の問題点を次々に暴いていく嶋津氏の説明に、多くの傍聴者が「目から鱗」だったのではないでしょうか?裁判官たちもそうであったと思いたいのですが…。

続いて県側代理人による反対尋問です。
どんな尋問が飛び出すかと興味津々で聴き耳を立てていたのですが…

1人目の弁護士は、長崎地裁の判決(事業認定取消訴訟第一審)で示された「県の主張は不合理とは言えない」という判断を示すことによって反論しようとしましたが、嶋津氏はその結果についてことごとく「知りません」とかわしました。

バトンタッチしたもう1人の弁護士は、「あなたの主張はあくまでもシミュレーションであり、予測ですね」と言い、嶋津氏だけでなく誰もがあきれたのでしょう。傍聴席がざわついてしまいました。

嶋津氏:私の資料は県のデータに基づき計算したものであり、予測などといういい加減なものではありません!
県側弁護士:でも、ダムができてみないと、どのくらいの効果があるのかわからないでしょう?だから予測だと言っているんですが。
傍聴席:でたらめな)予測でダムを造ろうとしてるのは県じゃないか!
裁判長:尋問中です。静かにしてください。

その後も2~3意地悪な質問が出ましたが、嶋津氏は毅然として答え、午前の尋問が終わりました。

昼休みをはさんで、午後1時半からは住民ら6人への尋問が始まりました。
地権者、地権者家族、佐世保市民の順でおこなわれました。
主尋問に沿って語られた証言で印象的だった部分と、反対尋問を記します。

岩本宏さん(地権者)
(報告集会での写真)
結核を患って働けなかった父に代わって、私は子どものころから母を助けて、田畑を耕し牛の世話をして農作業で生計を立てていた。子どものころの遊びといっても、山や川でただ遊ぶのではなく、木の実を採ったり、小鳥やウナギを捕まえたり、食材確保を兼ねていた。
中学卒業後は弟妹の教育費を稼ぐために定時制高校で働きながら学び、卒業後は町役場に就職して、休日には農業に精を出していた。
結婚後は妻と3人の子どもと両親の7人家族の大黒柱としてさらに頑張り、家も新築した。その家を奪ってまで造ろうとしている石木ダムの必要性に納得がいかない。
石木ダムを多目的ダムとしたのは、「国から補助金をもらうために治水目的を付け足した」という県の説明を、私は昭和46年の説明会ではっきり聞いている。
また、水没予定地となったために町からの補助が得られず、道路の拡幅工事も、水田の区画整備も全て自分たちのお金と労力を費やしてやってきた。
どんなにお金を積まれても、ここを出ていく気はない。

反対尋問(県):県が何度も説明会を行ったのは知っているか?平成26年に知事や佐世保市長がこうばるに説明に来たのは知っているか?
岩本:知っている。
反対尋問(市):石木ダムに反対する最大の理由は何か?認める余地はないのか?
岩本:最後まで頑張ります!

石丸勇(地権者)
(報告集会での写真)
こうばるは自然が豊かなだけでなく、暮らし(近所付き合い)も豊か。老人会や婦人会、サクオレやサナボリなど農作業に関する行事、お寺関係の勉強会など様々な集まりや催しがあり、みんなで協力してやってきた。しかし、ダム反対運動に追われ、だんだん消滅していった。ほたる祭りだけは今でも地域総出でやっているが。
妻も今では反対運動を一生懸命やっているが、以前は、「あなたと結婚したばっかりに、こんな苦労をせんといかん。あなたと結婚してなかったら、違った人生もあったのに」 と時々愚痴を言っていた。今でも「本当にすまなかったなぁ」と思っている。
(最後に言いたいことを聞かれ、)石木ダムは大変な人権侵害である。利水でも治水でも必要性は全くない。これは嘘で固めたダム計画である。

反対尋問は県からも佐世保市からもありませんでした。

岩下すみ子(地権者の家族)
(報告集会での写真)
平成4年に新築した家は夫が設計したもので、使われている木材は全て岩下家の山から伐り出したもの。その木はお義姉さんたちが苗から植えたヒノキであり、そこに住んでいることに安らぎを感じる。
32回目を迎えた今年のほたる祭りにもたくさんのお客さんがきてくれた。数週間前から山菜取りなど食材の準備は始まり、前日も当日もとても大変だが、他所で暮らしている子や孫、支援者の方々と一緒になって作業するひと時は貴重だ。終わった後の達成感や飛び交うホタルの美しさに癒され、また来年も頑張ろうと思う。
もしも石木ダムができたら、この祭りを含むすべての暮らしが奪われる。(涙声)
(家が壊される場面をイメージしたことはあるかと問われ)イメージしたこともないし、考えたくもない、何があってもここに住み続ける。私たち13世帯はこうばるに住むことが一番の幸せ。その幸せを力尽くで奪わないでほしい!

反対尋問(県):あなたにとって納得のいく説明とは?納得のいく説明があれば石木ダムに賛成するのか?
岩下:議論すれば必要性はなくなります。

松本好央(地権者の家族)
(報告集会での写真)
松本家がこうばるに移り住んだのは昭和51年のこと。ダム建設計画に反対だった祖父が、こうばるの地を守りたいと考えての決断だった。その祖父が建てた家に、今も4世代9人で暮らしている。
自宅の隣には父親が経営する鉄工所があり、母や自分もそこで働き生計を立てている。長男もいずれ後を継ぐべく、今は他県で溶接の修行中である。
小学2年のとき強制測量があり、機動隊員が大勢やって来て怖い思いをしたが、その時から自分の中にも、この土地を守りたいという思いが芽生えたようだ。
今は、こうばるの暮らしを描いた映画の上映会に参加したり、田植えや稲刈り体験会を開催して、多くの方にこうばるの暮らしと石木ダム問題について伝える活動をしている。
裁判官の方にも是非こうばるに来て頂きたい!
今朝もばあちゃんが作ったトマトを食べてきたが、「92歳にもなって、今からどこに行かんばとか?」と言っていた。

反対尋問(県):(見ざる・言わざる・聞かざるの大きな看板の写真を指差して)これはどういう意味なのですか?(あなた方は県が説明不足だと言うけれど、県職員の話には耳を塞いで聞こうとしないではないか、と言いたかったのでしょう)
松本:僕はその頃子どもだったので知りません。

石丸穂澄(地権者の家族)
(報告集会での写真)
高校卒業後、名古屋にある美大進学系の予備校に入学したが、わずか10日で断念。体調を崩してこうばるに戻る。自宅療養を続け快方に向かったので、再度長崎市内で一人暮らしを始めたが、再び悪化し入院。精神科の病気はなかなか周りから理解してもらえないが、環境がものすごく大事で療養するためにはこうばるという場所が不可欠である。
自分にできるのは絵を描くことなので、「ダムのツボ」や「こうばる通信」を発行したり、絵ハガキや缶バッジなどで石木ダム問題を伝える活動をしている。ツイッターやブログなどでも発信している。
(県や佐世保市に言いたいことは?と問われ)、私たちの税金を使ってデマを広報で流さないでほしい。

反対尋問(県):そのデマとはどういうことか?
石丸:嘘を言っているということ。

松本美智恵(佐世保市民)
(報告集会での写真)
2008年に移り住んで初めて石木ダム問題に出会った。佐世保市の水道用水確保のために川棚町のこうばる地区の人々が苦しんでいるのを知って、本当に必要なダムなのか知りたいと思い、7回に及ぶ学習会に参加。その結果、石木ダムは不要と確信。石木川まもり隊を立ち上げ、様々な活動(学習会・ホームページやSNSで情報発信・議会への請願・イベントや現地案内等)に取り組んでいる。
石木ダムが不要と考える主な理由は3つ。
1.水需要予測の誤り。
2.漏水対策こそ最優先課題だから。佐世保市の漏水量は1日平均約1万トンであり、それは佐世保市民5万人分の生活用水である。
3.ダム関連事業費の負担が大きく水道料金のさらなる値上げや漏水対策の遅れに繋がる。
(最も問題だと思うことは?と問われ)行政は現実を直視していない。水需要の減少や水道施設の老朽化を直視すれば、新たなダム建設という選択肢はあり得ない。建設してしまえば、その維持管理費は私たちの子や孫が背負っていかねばならない。目先のことだけ考えて物事を決めればどうなるか、年金問題をみれば明らか。今ならまだ間に合う。佐世保市はダム有りきの政策を止め、市民の声に耳を傾けてほしい。

反対尋問(市):あなたは佐世保市が漏水対策に力を入れていないといいますが、過去44年間に225億円も使っている。この数字はご存知ですね?
松本:知っています。だから私たちは、その費目ごとの内訳を尋ねました。例えば平成30年度予算案で漏水調査費は600万円と書かれていましたが、長崎市の漏水調査費は数千万円で、桁違いです。毎年どのくらいの調査費を使っているか知りたくて。でも、費目ごとの整理はしていないとのことで、何にどのくらい使われているのか、教えてもらえませんでした。

以上で全ての尋問が終わりました。
裁判官からの質問は一切ありませんでした。

次回、11月18日(月)を結審とすることが決まり、閉廷となりました。

その後、いつもの中部地区公民館で報告集会が行われました。


平山弁護士:事業認定取消訴訟でも提出した伊藤先生と富樫先生による意見書を提出したが、証拠調べも証人尋問もしないとして、次回が結審となりました。

続いて、尋問を受けた方々からのコメントです。

嶋津さん:これなら勝てるという意見書をまとめたつもりです。しかし、それをどれだけ裁判官が認めてくれるかはわからない。実は昨日も私が関わっている東京のスーパー堤防の判決が出ました。審理の中では十分勝てる内容だったし、裁判長もいい人だったが、それでも勝てなかった。残念ながら、そういう司法の現状があります。今日の反対尋問は、私に対し「反対派」というレッテル貼りをしようとしたり、私の主張を単なる予測として片付けようとしたり…もう少し質の高いものを期待していたのですが、残念でした。

岩本さん:あの場では言えませんでしたが、治水が付け足しであるという根拠は他にもいろいろありますし、佐世保の慢性的水不足というのも全く出鱈目。県民は騙されていると思います。

石丸勇さん:私の時だけ反対尋問がなかったですねぇ。(笑い)それが何を意味しているのか?ホッとしたような、もっと言いたかったような…。ここで言っても裁判官には伝わらないので終わります。

岩下すみ子さん:陳述が進むにつれて、本当にこうばるという土地が大切だなーと感じて、つい涙が溢れてしまいました。とにかく、13軒が住み続ければ絶対に勝ちます。ガンバロー!

松本好央さん:私はこうばるに住んでいるだけでなく、そこに鉄工所があって生業としていることを主に話しました。「ほたるの川のまもりびと」の上映会の話をしたのは、いろんな世代が頑張っていることを伝えたかったから。最後にばあちゃんの話もできて、それがよかったと思います。

石丸穂澄さん:だいたい言いたいことは言えたと思います。病気に対する闘い、病気に対する偏見との闘い、そしてダム問題との闘いについて伝えたつもりです。ただ、それを聞いていた裁判官たちが偏見を持っていたら伝わらないと思いますが。

松本美智恵:先ほどすみ子さんは話しているうちに涙が溢れてきたとおっしゃいましたが、私は話しているうちに怒りが湧いてきて…(笑い)でも、私も言いたいことは言えたので良かったです。

高橋弁護士:今日の尋問を聞いていて、皆さんそれぞれの話が非常に良かった。嶋津さんの原始河道の話など新しい発見もあったし、説明がわかりやすかった。住民の皆さんの思いもよく伝わってきたし、佐世保市民にとっても石木ダムは不要だということが確信持てました。確信を持つことが大事です。一緒に頑張っていきましょう。

八木弁護士:岩下すみ子さんの担当をしました。電話で数回、事前の打ち合わせをやったのですが、その度に最後は泣かれました。考えれば考えるほど、思えば思うほど、こうばるへの愛着が湧いてくるのだと感じましたし、これこそが裁判官にイメージしてもらわなければならないことだと思いました。この裁判で問われている人格権、石木ダムができたら失われるものは何か、人と人との関係性であったり、積み上げてきた時間であったり、尋問の準備をする中で、私にもそれがはっきりわかってきました、これからも頑張ります。

鍋島弁護士:私も尋問を担当しましたが、他の方の尋問を聞けてとても良かったです。それぞれの原告の方が全く別の視点からこうばるの素晴らしさを伝えていましたし、石木ダムが要らないんだということがよくわかりました。裁判官がどんな判決を書こうとも、確信をもって「要らないんです!」と、言い続けていこうと思います。

弁護団の話を聞きながら、なぜかふと、あの言葉が思い出されました。

世の中に、正しいことぐらい強いものはありません

そう。戦争放棄について子どもたちに説明した「あたらしい憲法のはなし」です。

これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

戦争と石木ダムは何の関係もないのですが、なぜかこの一節が浮かんできたのです。
それは、初めてこの本に出会ったとき、「世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」という言葉がとても新鮮で、当時の私を支えたからでしょう。

あまりにも理不尽なことが多い昨今では、すっかり忘れていましたが、今日の尋問と、その後の集会の中で、私は私たちの主張の正しさを確信しました。その確信が、記憶の底から、あの一節を呼び寄せたのだと思います。

そして、それはまさに、こうばるに住む皆さんの強さの理由だと気づきました。