もう10日ほど前のことになりますが、県内にお住いの方からメールをいただきました。
「石木のタブノキ」読ませていただきました。現場にいてこその迫力とタブノキへの想いがひしひしと伝わってきました。 応援に駆け付けることが出来ない私のもどかしい思いを詩にしました。 氏名は明記していただいて結構です。
と書かれていました。とても嬉しく思いました。私たちがつい忘れがちになること、現場に来なくても、来れなくても、私たちと同じ思いの仲間は沢山いるのだということ、それを思い出させていただきました。
大好きな金子みすゞの詩にもありましたっけ。見えぬけれどもあるんだよって。
星とたんぽぽ
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
話が横道にそれてしまいましたね。では、あらためて、中里さんの詩をご紹介します。
ススキの叫び
中里和彦
パイプ椅子を並べ
婆ちゃんたちは座っている
何を言うでもなく
ただ、じっと前を見つめ
座っている
胸のゼッケンには
何かが書かれているが
人々に読まれることもなく
たまに読み上げる婆ちゃんたちの声を
人々が聞くこともない
パイプ椅子を並べ
婆ちゃんたちは座っている
行き交うトラックの
巻き上げる砂ぼこりに顔を伏せ
座っている
トラックの行先では
草は刈り取られ
木々は切り倒され
大きな重機が
大地をはぎ取っている
パイプ椅子を並べ
婆ちゃんたちは座っている
たまに、その視線は傷ついた大地に行き
思い出を胸に
座っている
座っている婆ちゃんたちの前を
行き交うトラック
風圧に一本のススキが巻き込まれ
タイヤの圧倒的な重圧に姿を失い
踏みしだかれたススキは
無数の綿のような種をはじき出し、叫ぶ
『コウバルに、来年も咲く!』