右手で握手、左手にナイフ

5月24日の記者会見で知事が語った石木ダム事前協議について、注目が集まっています。



5月25日の長崎新聞の記事によると、


https://this.kiji.is/769761664957038592

県は、反対住民との対話に向けた事前協議の場を設けたいとして、6月上旬の協議開催を提案する文書を今月21日付で住民に送付した。それに対して住民は「住民間で話し合って協議に応じるかどうか回答したい」と述べつつも、


https://this.kiji.is/769736767273385984

「これまでの県の姿勢はとても対話を望んでいるように見えない。文書は単なるポーズではないか」「知事は対話を望んでいるそうだが、現場では嫌がらせのようなことばかりする。話し合うつもりはなく、さらに事業を進めるためのアリバイ作りでは」「こちらの条件はすでに提示している。工事を進めておきながら、条件を話し合おうというのはおかしい」などの本音も語られている。

実際、今週になって、現場ではどんどん工事が強行されています。


26日、石木川には新たな橋ができていました。


土嚢で円管を固定し、その上を土で固めただけ?

橋の向こうの青い屋根は、簡易テント。あそこで男性陣が監視を続けています。

その向こうの白い建物がダム小屋です。長い間監視小屋として使われ、近年はおばあちゃんたちのサロンとして使われていました。つい最近サカエさんが亡くなってマツさん一人になってしまったけれど、それでも時々マツさんは一人でここにやってきて一人で座っています。こうばるを守るために。

それはそうと、この橋は何のために造られたのでしょう?

ある人が県の河川課に電話で問い合わせたら、「ダム堤敷(ダムの基礎岩盤部分に接している所)の地質調査(ボーリング調査)のための機材等を渡すため」と答えたそうです。

しかし、その話を伝えても、
・ボーリング調査なんてこの近くではやらないだろう。
・これは転流工に繋がるのでは?そうなると一気に本体工事に向かうかもしれない。
などなど様々な意見や憶測が飛び交います。

それは、県が住民の皆さんに、これから始める工事内容について、きちんと説明しないからです。なぜ県は住民の方にきちんと説明しないのでしょう。たぶん、工事内容を事前に説明すると工事を阻止される・・と恐れてのことでしょう。

しかし、仮にそうであっても、県は説明すべきです。それが事業者としての義務です。説明もせずに、いきなり始めるから、闇討ちにあったようで、よけいに反発が大きくなるのです。

振り返れば、今の石木ダム建設事務所長の前の前の所長(古川所長)も、住民の方との攻防は幾度となく繰り返してきましたが、それでも責任者として伝えるべきことは伝え、やるべきことはやり、耳を傾けるべき時は傾け・・・だから、住民の皆さんは、県とは対立しながらも、古川所長の言動を疑うことはありませんでした。

しかし、それ以降の所長のやり方は違います。夜討ち朝駆けで、住民の方を疲弊させ、拡幅のための道路工事と説明しながら、いきなり道路わきに工事用詰め所を作ったり、夜中に土手を壊して工事用車両を通す道を作ったり・・・その手法は、隠す、騙す、欺くことが当たり前のようになってきました。

それは所長自身の方針なのか、上司(河川課長・土木部長・知事)の方針が変わったのか定かではありませんが。

これでは住民の不信感は増すばかりです。いくら話し合いをしましょうと右手を差し出しても、後ろの左手にはナイフを隠しているのではないかと疑われてもしかたありません。



知事が本当に話し合いたいのならば、なぜ今、石木川に工事用の橋を作ったのか?

なぜ今、抗議行動の場所に土砂を入れ、前後から押し寄せることをするのか?


理解できません。

やはり、皆さんが言うようにポーズだけ?アリバイ作り?知事は話し合いを求め事前協議の提案もしたけれど、住民はそれも蹴ってしまった。仕方ないので、土地収用法に沿って次の段階へ進むしかなかった・・と自分や県民を納得させるため?

そんなにしてまで石木ダムを造りたいのはなぜでしょう?
住民への手紙には、


話し合いの目的は、「知事の事業推進にかける想い、生活再建の在り方、工事の進め方などについて話を聞いてほしい」と書かれています。

結局造ることが前提の話し合い。自分たちの言い分だけを伝えたい、聞いてほしいと言っている。それは話し合いじゃない。説明会ですよね。話し合いは意見交換することなのに。

あなた方のお考えも伺いますので、私たちの話も聞いて下さい、という想いがここには全くない。絶対造ります。それ以外の選択肢はありませんという本音が透けて見えます。

石木ダムという呪縛から逃れられない知事。

コロナの感染拡大が続いても、五輪という呪縛から逃れられず突き進んでいる菅総理と、どこか似ている・・・

スタンディングでハプニング

今日は第2月曜日。市役所前スタンディングの日です。

まずは、市役所南の信号傍のスペースで、幟と横断幕でアピールします。


ここに立っていたUさんの感想:みんなけっこうこちらを見てくれていた。会釈をしてくれる人なども今までより多くて、嬉しかった。

その角を右に行くと市役所の正面玄関へ、

左に行くと、

市役所の通用口や、佐世保川の向こうの合同庁舎方面へ。

ここから市役所正面玄関に向かう人もいるので、ここでもアピール。

こちらが通用口。階段を降りていくと市役所食堂や喫茶店、売店へ。

その少し先で写真入りのボードを持っているのは市議のOさん。いろんな人が声をかけて行きます。さすが!立ってるだけで存在感がありますね~

こちらは市営高砂駐車場。市役所や水道局、保健センターなどに来る人が使用している立体駐車場。その前でも静かに立って、幟とボードで訴え。

佐世保川にかかる橋の袂で小さなボードを掲げ続けるYさん。

私は彼女の斜め前に立っていましたが、庁舎への通勤者だけでなく、川沿いを散歩する人の姿もチラホラ。

その中のお1人(男性)が、つかつかと私の方へ。

ん?何かお叱りでも受けるのか?
こんなところに立ってたら散歩の邪魔だ!とか、
水は足りとらん!ダムは必要!とか言われるのか・・と思いきや、
「ご苦労さん。これ」と言って、1000円札を差し出された。

え?あ!とんでもない!けっこうです。
予想外のことに、私は思わず後ずさり。

「よか!気持ちたい!」と言って、また差し出され、
その瞳の奥に信念のような強い圧を感じ、
「わかりました。ありがとうございます!」
と、受け取ってしまった。

スタンディングにカンパとは予想外のハプニングだが、正直嬉しかった。

わずか10人ほどのスタンディングだけれど、私たちだけじゃない。一緒に立つことはできなくても、同じ思いの市民はあちこちにいる。まだまだ頑張ろう~男性の後姿に頭を下げながら、急に元気が湧いてきた。(我ながら単純!)

スタンディング終了後は、いつものようにこうばるへ。
いつもの場所に車を置いて、石木川を渡り、


今日も石木川は澄んでいて、川底の小石がくっきり!


対岸の草むらには、ハクチョウゲの花がいっぱい咲いていた。



白鳥ではなく白丁花と書くそうな。白い丁字型の花という意味。

花言葉は「純愛」。

こうばるには故郷への純愛が溢れている。

さっきの男性も、きっとそれを感じていたのだろう・・・。

 

追悼 岩永サカエさん

着信音が鳴りスマホを見ると、昨年11月「こうばる」を訪れたT・Kさんだった。
何だろう?

「ご無沙汰してます。朝日のオンライン版で岩永サカエさんのことを知って・・」

岩永サカエさんとは、この家の主で、先月突然他界された。
Tさんが見た朝日新聞の記事はこちら。
https://digital.asahi.com/articles/ASP516TSXP4WTOLB001.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

原口記者が心を込めて書いた追悼記事。
写真もたくさん掲載されている。
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20210501002284.html?iref=pc_photo_gallery_next_arrow

11月にTさんをを団結小屋に案内したときは、サカエさんは入院中で会えなかった。
マツさんが一人ポツンと座っていた。
「もうすぐ退院してくると思うので」と心待ちにしているようだった。

「あのサカエさんが亡くなられたのですね?私は会えなかったけど、なぜか居ても立っても居られなくなって・・・つい電話してしまいました。突然すみません」と詫びられた。

会ったこともない人の死にこんなに突き動かされたのは、原口記者のペンの力だけでなく、彼女自身が、離れていても心の中でいつもこうばるの人々に寄り添ってくれていたからだと思う。

嬉しかった。
同様の連絡が数本あった。
彼女たちに伝えたのは、サカエさんの明るさと強さ。

掲載記事のとおり、サカエさんは、いつも明るく笑っていた。
暗いニュースも笑い飛ばしていた。

「来るなら来い。何も怖くない」
「どうしてもダムを造りたいなら、うったちば殺してから造れ」
「こうばるは皆きょうだい。みんな家族みたいなもん」

それが口癖だったサカエさん。
ただ、一度、不安を口にしたことがあった。
2015年8月、初めて畑を強制収用された時。
それは、13世帯の中の4世帯の田畑だけだった。
工事の都合からか、住民の分断を狙ってのことか、その両方か、理由は定かではないが、その4世帯の1つがサカエさんだった。

「権力って強かね・・」
記者の取材にそのように答え、怒りと不安に震えていたそうだ。
当時は、あのサカエさんが?と一瞬ショックだったが、
それは事実だし、事実はありのままに受け止めねばならない。
しっかり受け止めた上で、どう行動するか、それが大切なのだと改めて教えられた気がした。

その教えを忘れないよう、パソコンに残っているサカエさんの写真を拾い集めてみた。
(残念ながら、ごくわずかしか残っていないが)

県が初めて付け替え道路工事に着手した2010年3月。
工事現場ゲート前で、地面に座布団を敷いて抗議の座り込み。
写真左がサカエさん。
その背には「長崎県知事は強制収用をやめろ」と書かれたゼッケン。

2014年7月の阻止行動。(左端がサカエさん)
この頃は団結小屋に集うおばあちゃんたちも阻止行動に参加。
皆さんお元気だったし、小屋からゲート前まで近かったから。
それでも猛暑の中の座り込みはキツかったと思う。
こうばるを守りたい!という一心か・・

珍しくお出かけ姿のサカエさん。(同じく2014年夏)
見違えちゃった!

2016年3月、団結大会の後の記念撮影。
川原公民館横の石段に集合して、みんなで「エイエイオー!」と叫んでいるところ。
右隣はいつも一緒だったマツさん。

2017年に完成した映画「ほたるの川のまもりびと」のワンシーン。
パンフレットにも掲載されたのでサカエさんは、「こがん足ば投げ出しとるところば・・」と恥ずかしがっていたが、自然体でとてもいい。

同じく足を投げ出しているが、笑顔が最高!
私が一番好きなサカエさんの写真。
少々凹む出来事があっても、この写真を見たら誰もが元気になれそう。
村山カメラマンだからこそ撮れた写真だと思う。

サカエさん、あなたの魂は、いつまでも、この大地に在り、

こうばるの人々を励まし見守り続けることでしょう。