昨日のこのニュースをご覧になった方も多いでしょう。
そして、疑問を持たれた方も多いかもしれません。
Q1.県職員は、何をしに川原へ行こうとしたの?
Q2.川原の人たちは、なぜそれを阻止しようとしたの?
と。
当然の疑問ですよね。
それは、こういうことなんです。
A1.県職員は、川原住民と話し合うために向かっていました。
建設予定地に造られた「石木ダム生活相談所」のドアには、
「地権者の皆様のお気持ちをぜひ伺わせていただきたい」ので、
毎週木曜日にここでお待ちしますとの張り紙がしてあります。
県議会や佐世保市議会でも、知事や市長は、
私たちはこのように住民の理解を得ようと誠心誠意努力しています
といつも主張しています。
A2.それをなぜ住民が阻止するのかというと、それがポーズだからです。
アリバイ作りだからです。
「皆さまのお気持ちを聞きたい」と言いながら、住民の疑問には一切答えません。
県庁まで訊きに行っても知事は会うことすらしないし、対応する職員も
「お答えは差し控えます」と言うばかりです。
県にとって、疑問は「皆さまのお気持ち」には当たらないのでしょう。
県が考える「お気持ち」は「私の土地はいくらで買ってもらえますか?」
「土地を売ったら仕事ができなくなるので、仕事の世話をしてもらえますか?」
そんなことのようです。
ふざけるんじゃない!
そんな話は、売る決心がついた後の話でしょう。
ダムの必要性の説明もせずに、その説得の努力もせずに、
ただただ補償交渉の話しかしません!という一方的なやり方です。
そして、〇〇回足を運んだが、どうしても住民は話し合いに応じなかった。
県としては最大限の努力をしたが理解が得られなかった。
だから強制収用に踏み切ります。その裁決申請の手続きに入ります。
そういう流れにもっていくためのアリバイ作りなのです。
それがわかっているから、住民は職員が「相談所」に着く前に阻止したのです。
今月から2期目に入った中村法道知事は、4日の県議会で、
「これまで以上に『県民主役』の県政を推進する」と決意表明しました。
よくそんなことが言えますね〜
恥ずかしくないのかな〜
川原住民(=県民)の疑問に何一つ答えずに、県の方針を押し付け、
ダム建設を強行しようとしている、それが今の長崎県政です。
どこが『県民主役』なのでしょう???
いま中村知事がやっていることは『県民無視』の県政ではないでしょうか。
だからこのような阻止行動がおきるのです。
矢面に立たされる職員の方もお気の毒です。
言葉だけでなく、本当の『県民主役』の政治を目指してください!
その通りですよね。
県も佐世保市も、こういうやり方が地権者のみなさんの気持ちを逆なでするということをいいかげん理解して欲しいですよね。事業認定されたことを錦の御旗にするけれど、第三者委員会(社会資本整備審議会)では、ダムに懐疑的な意見しか出ていなかったではありませんか。だからこそダムの必要性から話し合うべきなのに、お金の交渉にすりかえてしまう長崎県と佐世保市。そして、それに応じないことで強制収用するぞと脅すのです。県民であり市民である私は、恥ずかしいばかりです。
hotaruさん、シェアさせてもらいます〜。
本音と建前の違いの証明です
今日の長崎県の行動は、本音と建前の話の様です。
県議会で言っていることと、やっていることは、隔たりがあり、信用出来ない、と感じました。
言わなくても解かっていらっしゃると思いますが、法道の名前の説明は、法とは、ほとけの教えです。
道とは、仏の教えの道、と言うことです。
つまり、仏の教えとは、慈悲のこころを持つことです。
しかし、残念ながら、長崎県知事の行動は、それに反している、と感じました。
人を泣く目に会わせて、自分の責任ではない、と言った責任転嫁した汚い心は、人の道から外れています。
やはり、石木ダム地権者と直接会って、話し合いをすべき、と思います。
逃げています。
将来、こういうことが、石木ダム建設反対地権者の声、つまり天の声が末代幼稚まで、その本人、家族にトラウマになり、頭がおかしくなり、悩み苦しむことがない様に、願うだけです。
必ず、しっぺ返しがあります。それが因果応報です。
曹洞宗の道元禅師は、「善因善果 悪因悪果」と言っていますし、法華経の経文に「還着於本人」と教えています。
やはり、「五濁悪世」の末法の時代を象徴している、と感じます。
こころは、赤子の様に、清浄でなければいけない、とお釈迦様は説いているのに、まだ、解からない人たちが多すぎます。
人の道から外れれば、良いことはありません。
ニュースだけではわかりにくいから
どうぞ、シェアしてください。
川原住民の真意を多くの県民に理解してもらうためにも、伝えることが大事ですよね〜