逃げ回る知事

今日、地権者の5人と弁護団、そして支援者など約40名で県庁を訪れました。

強制収用に抗議し、

付け替え道路工事の中止を求め、

そして何より、知事との直接対話を求めてのことでした。

しかし、今回も知事の姿はありません。

対応したのは、河川課企画監他1名のみ。

企画監は、

ダム検証で結果は出ている。

公開質問状には文書で答えてきた。

と答えるばかり。

馬奈木弁護団長は、

イサハヤでは、確定判決にも従わずゼロベースでの話し合いを求める知事が、

裁判所の判断も示されていないイシキでは、なぜ話し合いを拒否して逃げ回るのか?

と迫り、

地権者も、

知事は去年の7月、これからも話合いは続ける。私の出席が必要な時には参加すると言った。

しかし、その後1度も出てこない。

いま我々は知事の最終判断を問うている。

今が知事の出席が必要な時ではないのか?

なぜ出てこない!

と繰り返しましたが、

企画監は、そのナゼには答えず「私が県として答えている」と言いました。

 

地権者:では、県は、石木ダム問題の終着点をどのようにしようと思っているのか?

企画監:それは、その時点で考える。

地権者:そうか。それまでに事故があったらどうする?

    暗闇に大型車を入れて重機を搬入しようとしたが、こっちは必死だ。

    止めようとして轢かれてしまうかもしれない。

    死者がでたらどうする?あなたが責任を取るんだな?

    地権者の中には首をくくって死にたいと言ってる者もいる。

    その時はどう責任を取るんだ?

企画監:・・・・・・。そのようなお話があったことは伝えます。

 

約1時間に及ぶ不毛のやり取りを終え、終了後、地権者と弁護団は記者会見をし、

国の事業認定取り消しを求める行政訴訟を長崎地裁に起こすことを明らかにしました。

また、民事訴訟についても検討中です。

 

私たちは知っています。

行政訴訟の難しさを。

行政裁判で勝つことは、針の穴にらくだを通すように難しいと言われています。

それでも、強制収用が始まってしまった今、私たちは私たちの権利を行使し、

正義を求めて闘わざるを得ません。

 

皆様のご支援を心からお願いします。m(__)m

 

石木川は「シーボルトの川」 

石木川が川のままであり続けることの大切さ、

そのことに気づかせる新たな視点が、魚類生態写真家によって指摘されました。

 

江戸時代、シーボルトが世界に紹介した日本の淡水魚の採集地が石木川だったらしい・・・

それらの魚は貴重な標本として、いまもオランダの博物館に保存されているそうです。

標本魚たちの産地である川が失われたら、生物学の研究にも大きな損失をもたらすだろう。

 

石木ダム計画に反対して半世紀も闘い続けている住民が守ってきたものは、

自分たちの暮らしだけではない。

日本の原風景であり、日本の生態系であり、日本の自然そのもの!

と新村さんは断言しています。

 

それに、シーボルトもきっと悲しむだろうな〜 

 

 

 

高専の教師と生徒たちも川原へ

3日前、こんな声が長崎新聞「みんなのひろば」に掲載されました。

投稿したのは高専の先生。

高専=工業高等専門学校があるのは、県内では佐世保市のみです。

佐世保にある学校の先生が、石木ダム建設予定地を生徒と共に歩いた  

 

学生たちにここで営まれている人々の暮らしや、ダム建設で水没する予定の地域を見てもらい、

 感じ、考えてほしいという意図があった」と言う。

 

「基本的人権」と「公共の福祉」をどう秤に掛けるか。

財産権を法の力で侵害してまで建設を進めなければならない大義があるのか。

 

現地を見てこの疑問は大きく膨らんだ。

「佐世保の水道水は、土地を強制収用された人々の苦しみを背負っているのだ」

と伝えなければならない事態は避けたい。

 

と結ばれていました。

生徒さんたちはどう感じたのでしょう?

それが一番知りたかった・・

でも大丈夫。きっと。

この先生の生徒さんなら、自分の目で見た光景をまっすぐに受け止め、

自分の頭で考えてくれるでしょう。

 

 

無垢なるものを壊すな

田中優さんのメルマガに登録しました。

つい最近のNo.470の記事にこんなことが書かれていました。

 

無垢なるもの、穢れなきものを人間が壊してしまっている。

福ちゃんは、それが残念で仕方ないのだ。   

科学的に言えば、これは上流のダムや堰で水を止めてしまうせいだろう。

水は流れていなければ腐る。腐るというのは微生物が大量に発生することだ。

その微生物は瀬(流れの早い浅いところ)では暮らせないが、

少しでも水が緩やかになればそこに棲みつく。それが石のぬめりを作るのだろう。

今よりたくさんの人が住んでいても、かつての川は無垢なる流れを続けていたのだ。

 

無垢なるものを壊すな、これが優さんの願いです。

とても素敵なメッセージだったので、全文を転載させて頂きます。

あ、心配ご無用。

優さんのメルマガは「転送転載、大歓迎」なのです。

心の広〜い方なのです。

 

                優さんメルマガ 第470号  2015.9.28発行

 

『原点ってなんだろう?』   

   

■生き物の居場所   

 

ふと思った。ぼくの活動の動機は何なのだろうと。

 

理不尽なことがまかり通るのは許せない。そうした正義感はある。でもそれは正義感で

あって環境を守ろうとする活動の動機とは直接つながらない。    

 

なんでなのか、考えていくと自分の過去に遡っていく感じがする。ほんの幼い頃に味わ

った、不思議な匂いのする記憶だ。春先の森の中、なんだかうずうずするような匂い…

夏の森の甘ったるい匂いアゲハチョウの幼虫の発するいやな匂い…。それらが混然一体

となった記憶だ。   

 

ぼくはそこに生命を感じていた。だから自分が弱ってしまった時には森や川、山に入る

ことで自分の生命力を回復していた。

 

 

そこにいれば自分があるがままにいられる気がした。何が起ころうと自分はたった一つ

の生命に過ぎないし、だから自分のままで生きればいいと。観光地の写真になったよう

な風景は嫌いだ。看板通りで自由のない場所には生命を感じられないからかもしれない。

 

 

それとは逆に、誰も目を向けない風景に美しさを感じる。特に生き物たちの視点に立つ

と、その小さな場所に永遠を感じるほどの豊かさが見える。川の瀬と淵にはそれぞれ異

なった魚が集まり、石の下には小さなざざ虫たちが棲んでいる。森の木々は光を奪い合

い、より強い光を求めたり、弱い光に順応したりする。    

 

 

あるとき大人たちの釣りにつきあって川に行った。大人たちはちっとも釣れず、その日

最大の魚を採ったのはぼくの網だった。 「この子は魚の居場所がわかるんだな」と言わ

れた。当たり前のことなのに。

 

 

■色とりどりの石    

 

ぼくの生命は自然の一部だ。そう感じるから静かでいられる。   

 

それなのにその自然を壊そうとする人たちがたくさんいることがよくわからない。

大きくなってやっとおカネのためなのだと知った。

でも未だに自分の足元を掘り崩してしまうような行為を繰り返して平然としていられる

理由がわからない。もしかしたらそうした人たちは、自然の一部という感覚を持たない

のかもしれないなとは思う。    

 

 

でもなんでそうした人たちは生き続けられるのだろう。

意味のない生命になってしまうと危惧するのだ。     

 

 

今年も出かけた岐阜の板取川上流の川浦(かおれ)渓谷で、友人の福ちゃんが沢登りの

途中で言った。  

 

 

「キャンプ場のあるあたりだと、石はみんな苔がついてしまって茶色しとるやろ。

昔はこの沢みたいにみんな色とりどりで、

その中の白い石を拾って淵(深くなっているところ)に投げて、

潜水して拾って競ったんや。そうやって泳ぎを覚えたんや。

ここの石は全部色とりどりだけど、これが下流までずっとそうだったんや」    

 

 

その言葉は気持ちに突き刺さるようだった。無垢なるもの、穢れなきものを人間が壊し

てしまっている。福ちゃんは、それが残念で仕方ないのだ。   

 

科学的に言えば、これは上流のダムや堰で水を止めてしまうせいだろう。水は流れてい

なければ腐る。腐るというのは微生物が大量に発生することだ。その微生物は瀬(流れ

の早い浅いところ)では暮らせないが、少しでも水が緩やかになればそこに棲みつく。

それが石のぬめりを作るのだろう。今よりたくさんの人が住んでいても、かつての川は

無垢なる流れを続けていたのだ。

 

 

 

■無垢なるものを壊すな    

 

 

ぼくが活動する原点はここにあるのだと思う。無垢なるものを汚したり壊したりするの

が嫌なのだ。そうだとすると、この感触を味わったことのある人でなければ、この破壊

を止めようとはしないだろう。それに慄然とする。     

 

 

もう手遅れかもしれないからだ。

無垢なるものに対する畏敬の念がなければ、自分の生命が自然と一体化する感触がなけ

れば、自然はただのでくのぼうで、邪魔者に過ぎなくなってしまうかもしれない。そこ

に生きている生物たちの側から見なければ、全体でひとつになる生態系の美しさは知る

ことができない。   

 

「この子は魚の居場所がわかるんだな」と言った大人たちは、もしかしたら知らないの

かもしれない。生命がびっしり詰まった曼荼羅のようなこの世界を。

 

 

経済なんて意味がない。ましてカネなんか使い方次第で悪の根源になる。どんなにカネ

が儲かろうが、経済的利益があろうが、人間には壊してはいけないものがある。

 

ぼくにとって自然エネルギーの進展や省エネ技術の発展に期待する理由は、その問題を

解決できる方法のひとつだからだ。ぼくらがもう一度慎ましく生きれば、かつてたくさ

んの人が住んでいた地域なのに川も山も壊さずに生きられた時代に戻れるかもしれない。    

 

 

板取の山は一見豊かに見えるが、奥地以外の森は一度は壊された森で、戦後の拡大造林

計画で植林されたものばかりだ。植林以前をイメージしてみると、森はひどく破壊され

ていた時期があることがわかる。   

 

その証拠に森の中のマツが枯れ始めている。マツは火山噴火のあとのような荒れ地に真っ

先に生えてくる。そして豊かな土になって他の木が育つようになると枯れていくのだ。

そのマツの寿命は長くないし、育ち具合から見ても百年と経たないように見えるから、

その時期に荒れ地になった時期があったのだと思う。    

 

 

それは二つのことを教えてくれる。  

 

ひとつは敗戦からわずか70年で森はかなり回復するということだ。それなら今からでも

自然を回復させることはできるかもしれない。   

 

そしてもうひとつは、資源浪費の最たるものこそが戦争だったということだ。

戦時中にはマツからヤニを採取して、飛行機の燃料にしようとした時期すらあった。

実際には成功しなかったようだが、各地のマツにはマツヤニが採取された跡が残されて

いる。 

 

戦争は人にとって有害なだけでないのだ。 生命そのものを支える自然を、これ以上壊

さないでほしい。

 

この思いがぼくの原点にある。原点に忠実に生きたいと思う。    

それがぼくが生かされている理由でもあると思うからだ。

 

 

優さんが私たちを応援して下さる理由がわかりますね!

反対地権者と支援者の団結の勝利

昨夜のNBCニュースです。

ご覧になった方も多いでしょうか?

9月30日未明、というか真夜中の午前2時、県は付替え道路工事のための重機をこっそり搬入。

帰ろうとしたところを地権者と、一報を聞いて駆け付けた支援者に寄って阻止されました。

 

詳細は今朝の長崎新聞に掲載されています。

一つ訂正するなら、「騒音に気づいた反対地権者ら」というところ。

気づいたのは地権者ではありません。

地権者の皆さんの家は、工事現場入口より少し上流の離れたところにありますので気づきようがありません。

気づいたのは、現場より下流にお住いの石木ダム反対支援者の方。

夜中にトイレに起きた際、妙な地響きを感じ外を見ると、大型トレーラーが上流に向かっている。

もしやと思い、後を追いかけ、搬入の現場を目撃、即、地権者のIさん宅に通報されたというわけです。

Iさんはすぐに現場に駆け付け県に抗議、その間、奥さんが地権者や支援者の家に電話連絡。

あっという間に40人もの仲間が駆けつけたというのですから、すごいですね。

 

石木ダム建設の古川所長も、まさかこんな時間帯にバレるとは思わなかったことでしょう。

皆の気迫に圧倒されたのか、一旦降ろした機材の全てを再び車両5台に積み込んで帰ったそうです。

地権者と支援者の団結力の勝利でした。

と同時に、積み込むことを指示した所長の判断にも拍手を送りたい。

ここで強行突破したら、どのような事態になっていたか。

不意打ちをかけられると誰もが冷静ではいられなくなります。

真夜中の大乱闘に発展したかも・・・

 

地権者の皆さんにとっては、自分たちの財産が奪われようとしているのです。

すでに一部の農地が奪われました。

そして、まもなく、一部の家屋も奪うための手続きが始まります。

家屋が収用されるということは、住む家を失うということです。

生活が破壊されるということです。

どうして冷静でいられるでしょう。。

 

現地では今日も抗議行動が続いています。

佐世保市民の皆さん、この現実を直視しましょう。

長崎県民の皆さん、この事実に関心を持ってください。

県の圧政を止められるのは私たちの民意しかありません。

 

魚類生態写真家も来訪

今日も石木川には、遠くから素晴らしいお客様が・・・

新村安雄さんという魚類生態写真家という難し気な肩書ですが、ご本人はとても気さくな雰囲気の方。

現在、東京新聞と中京新聞に、「川に生きる」という記事を連載されています。

 

昨日こちらに来られて、石木川のヤマトシマドジョウを撮りたかったけど、撮れなかったとか。

残念がっておられました。

石木川のヤマトシマドジョウに興味を持たれたのは、なんとこちらのブログに出会ったからだとか!

http://blog.goo.ne.jp/michie39/e/bfc2656a678821ce24e7a50ba0c0cb4e

当事者としては嬉しくなって話がはずみました〜

今度の日曜日、10月4日の東京新聞と中京新聞に、石木川と石木ダム反対運動の記事が掲載されるはずなので、

ご購読なさっている方は、ぜひ楽しみになさってくださいね〜

 

午後からは佐賀県の城原川へ移動されたので、

私は、裏川内に行ってみました。

ここは、付替え道路工事現場に通じる道。

反対地権者の皆さんは、メインゲートだけでなく、ここでも阻止をしています。

この細い道を進み開けたところで左を見ると、

1台の車両が。業者の車のようです。

中には誰もいなくて、工事用車両が1台ポツンと。

遠くには、山を削り続けている採石場。

青空が眩しすぎる・・・

 

案内してくれたSさんが、帰りに「ほら」と言って渡してくれたのは、

アケビ?

「これはウベだよ」と言う人もいて、どちらだか私にはさっぱりわかりませんが・・

 

持ち帰ったものの、食べるには、とても勇気を要しました。

でも、確かに、ほんのり甘い。

変な味ではない。

でも・・何かを連想して、どうしても2口目に手が出ない。

そうだ!と、中身を小皿に取りだし、目を閉じてスプーンで掬って食べると、

あら!けっこう美味しい! 

完食しました。

ご馳走様でした!

 

 

石木ダムの再評価を求める請願 委員会で不採択

昨日、佐世保市議会石木ダム建設促進特別委員会が開かれ、私たちが提出した石木ダム事業の再評価を求める請願がいつものように全会一致で否決されました。

そのことが今朝の新聞各紙で報道されています。

 

ここに書かれてある通り、私たちが請願したのは、「石木ダム事業の再評価」。

なぜ再評価を求めるのかというと、

石木ダムの工期延長を決めるには、石木ダム事業の再評価をするというルールがあるからです。

このルールに則って、県は公共事業評価監視委員会に石木ダム事業の再評価を諮問しました。

知事も記者団にこのように答え、工期変更のためには再評価が必要との認識を示しています。

しかし、県がおこなった再評価は治水事業の部分だけでした。

確かに利水の部分は佐世保市の問題なので佐世保市の責任において再評価するべきですが、

このように市長は「必要ない」と言い、水道局長は「考えてない」と言う。

なんという無責任…

社会情勢が変化したわけでもない?

市長は再評価の実施要領をご存知ないようです。

ここに書かれているように「工期の大幅な延長」が「社会経済情勢の急激な変化」にあたるのですが…

しかも水道局長は厚労省の実施要領に基づいて再評価をやったんだと胸を張っているのですから、

今回もその要領に基づいて再評価すべきですよね。

行政当局をチェックすべき議員の皆さんも当然そう思われるでしょう?

などと資料を提示しながら説明したことが1つ。

 

2つ目は、9月14日の本会議で明らかになったことですが、

山下千秋議員の質問「県の工期変更(6年延長案)について佐世保市も同意したのか?」に対し、

谷本水道局長が「全面的に長崎県に委託しているので、当然同意している」と答えたことです。

県においては、公共事業評価監視委員会の意見が示された後、県議会の承認を求める手順になっていますが、

佐世保市は議会に説明もなく、議会の意見も聞かず、県に「同意している」というのです。

あまりにも議会軽視と言わざるを得ません。

県が右と言えば右、左と言えば左、佐世保市政は市民の方を向かず県の方ばかりを向いているようです。

(国会に提案する前にアメリカ議会で安保法案の成立を約束してしまった現政権のよう…)

議会、中でも石木ダム問題を扱うこの特別委員会の皆さんこそ、当局に説明を求め、

当局の考えを確認する必要があるのではないでしょうか?

と訴えました。

 

3つ目は、その考え=対応策についてです。

水道局長は平成24年度の再評価は国のお墨付きを得た正当なものだと自信満々でした。

本当に正しければ、来年度(平成28年度)の水需要は最大で100,500㌧に達し、

水源としては112,000㌧必要で、現状では77,000㌧しかないから35,000㌧も不足する。

だから石木ダムが必要!喫緊の課題!だったんですよね。

でも、来年度にはできないことがわかった、完成は6年も延びる?

6年間も、35,000㌧以上の水不足が続く?

その予測通りであれば、確実に断水の危機に瀕し、工場用水も営業用水も不足し、

経済活動に支障をきたす恐れが十分にあります。

「水源を確保することは、市民の安全・安心を担保するため、議会としても責任を負う必要がある」

と言って、水需要予測見直しの請願(今年3月)に反対された皆様ですから、

6年もの延長を無条件に受け入れることはできませんよね?

どうか、今回の工期変更案について、当局に説明と再評価を求めてください!

とお願いした次第です。

 

しかし、結果は、新聞に書かれているように不採択。

委員全員が請願に反対。

またか・・・   

どうして・・・  

 

その理由は、

現時点では公共事業評価監視委員会からの答申も出されていないし、

県からの報告も無いので市に(説明を)求めるのは難しい。

というものでした。

 

14日の本会議で水道局長は県の方針に「同意している」と言ったんですよ。

最終報告を待ってからでは遅いんですよ。

説明を求めるのは「今でしょ!」と心の中で叫び、

その後で気づきました。

「現時点では難しい、できない」ってことですね?

 

公共事業評価監視委員会の答申が出たら、

県議会も承認して、県から市に正式な報告がきたら、そうしたら、

水道局を呼んで説明を求めるってことですよね?

再評価をするよう求めるってことですよね?

 

その時の委員会の対応を、皆さん、一緒にチェックしてくださいね。

県からの報告が市に届いたら、

佐世保市議会は、市当局に対してどのような対応をするでしょう?

同議会の公正さが問われます。

しっかり注目していきましょう〜

 

 

他紙の記事も貼付します。 

 

 

 

 

石木ダムを問う2つの記事

今日は金曜日。

『週刊金曜日』今週号に、まさのあつこさんの記事が掲載されています。

http://www.kinyobi.co.jp/tokushu/docs/1056.pdf

先月、取材した滋賀県職員や嘉田さんの話をもとに
長崎県がいかに馬鹿馬鹿しい河川行政を推し進めているか書きました。

とのこと。

楽しみにしていたので本屋さんに走ったのですが、そこには置いてなく、がっかり。

それを知った友人がメール添付で送ってくれました。

治水に対する考え方、滋賀県と長崎県のレベルの差をあらためて知らされました。

明日は別の本屋さんでゲットするつもりです。

関心のある方は是非お買い求めくださいね。

 

もう1つ届いた記事をご紹介します。

こちらは元県議の後援会報です。

もともと支持者の多くは石木ダム建設容認派が多かったようですが、にもかかわらず、

県議時代から石木ダム反対を訴え続けていた末次さんの姿勢はりっぱだと思っていました。

議員でなくなった今も、石木ダム問題を注視して、周りの市民に伝え続けています。

 

新聞、雑誌、会報、情報誌、メディアの大小にかかわらず、

いろんなところで石木ダムについて発信されるといいなぁ。

その記事が多くの市民の目に止まり、多くの人がダム問題を考えるようになるといいなぁ。

 

作業お休みで岩屋権現へ

今朝は業者も同行せず、少人数の職員と共にやって来た石木ダム建設事務所の古川所長。

「今日は雨になるので作業はしません」と言い、すぐに帰って行きました。

「え?」東京からの視察団だけでなく、いつもの行動メンバーもびっくり。

いま雨降ってないのに?

いつもは少々の雨でもやってるのに?

 

もしかしたら、これのせいかな?と誰かが教えてくれました。

昨夜の、いとうせいこうさんのつぶやき。
https://twitter.com/seikoito/status/643807046593175555

長崎の石木ダム建設の是非に興味があって来てみた。
ここがダムで水没する境界。13世帯がまだ暮らしている。
美しい日本の里山である。

私はTwitterをやってないので知らなかったけれど、

フォロワーが約30万人もいるせいこうさんのつぶやきは、きっと長崎県内にも広がっているはず。

県の職員も、今日は逃げるが勝ちと判断したのかな?

今日のつぶやきは https://twitter.com/seikoito/status/643968084999454720

半世紀前の石木ダム計画に反対し続けているおばちゃん、おじさん、おばあちゃんの土地は
今年に入って強制収容され始め、四ヶ月ずっと見張りを立てて工事を阻止。
数十年前の写真の中も、辺野古も国会前もつながってた。

でした。

 

時間が空いたので視察団を岩屋権現にご案内。

山が大好きな皆さん、急に生き生きとした表情に・・・

ズンズン進むこの方は、

せいこうさんでした。

199の石段を登り着き、さらに坂道を登ったところに岩でできた神殿があります。

さらに岩をくりぬいた小さな穴を這って進み、

やっと祭殿に到達。

それぞれの世界で第一線で活躍中のかっこいい男たちの訪問に、毘沙門天もビックリしたかな?

 

神社仏閣には関心の無い私ですが、天然の岩をくりぬいて造られたこのような社には、

やはり畏敬の念を感じます。

ここに祭られている毘沙門天(武運の神)に、そっと手を合わせました。

麓に住む民の、長年にわたる権力者との闘いをそろそろ勝利に導いてくださいませ…と。 

 

作家とトビムシとカメラマン来訪

ダム小屋の前で熱心に写真を撮っているカメラマンも、

車を降りて棚田に見とれているお二人も、

辻井さんの話を聞いて、「こうばる」を見てみたいな〜

「こうばる」の皆さんと話してみたいな〜と好奇心を掻き立てられ、

超ご多忙な中、川棚町を訪ねてくださったようです。

いつものように川原のお母さんたちの手作り料理でお腹いっぱいになった皆さんは、

すっかりくつろいで、話し込んでいます。

まるで自分の田舎に帰ったように・・・

あれ?真ん中の笑顔が素敵な方はどこかで見たような・・・?と感じている方も多いでしょう。

そう。中央に見えるブルーのサイン。いとうせいこうさんです。

作詞家、お笑いタレントとしても有名な方だそうですが、私は全然知らなくて・・

小説『想像ラジオ』の作者と聞いてびっくり!

最近友人から送られてくる東京新聞の「平和の俳句」の選者?批評家?としてのコメントにも

魅せられていました。

そんな方がなぜ川原へ?

今回の訪問で何を感じて下さったのか、何を発信して下さるのか、楽しみです。

 

左上に「あきらめない!」と書いて下さったのは、竹本吉輝さん。

トビムシの代表。森を知り尽くした、森の使いのような方!

知る人ぞ知る賢人です!

こちらを見て頂ければ納得!だと思います。http://www.tobimushi.co.jp/

 

そして、もう一人のカメラマンの方は、

「母なる大地を守りたい!!」と記された井島さん。

今日、井島さんの目には川原の大地がどんなふうに焼き付いたのでしょう?

井島さんのカメラには石木川流域の風景がどんなふうに切り取られているのでしょう?

写真…とても楽しみです。