石木ダム問題に関わるパタゴニアの想い、そして人

今日の朝日新聞の記事をご紹介します!

石木ダム問題に関わるパタゴニアの人と想いを伝える記事です。

地方面ですが、かなり大きな記事でこのスペースからははみ出しちゃう…

で、2つに切って貼り付けます。

自然が好き、山が大好きなたまちゃん(石津さんのことを私たちはそう呼んでいます)は、

その山のように大きな心で、いつも私たちを陰ながら見守り支えています。

思えば、たまちゃんはキューピッドでもあるのです。

 

去年の8月、「11月に開催のパタゴニアツール会議にぜひご参加ください」

という有難いご招待を日本支社の環境部から頂いたのに、その時は辞退しました。

ツール会議の内容もよくわからなかったし、まもなく収用裁決申請が出されるかもしれないという、

「それどころじゃない」切迫した時期で、3ヶ月も先のことなど考える余裕がなかったのです。

 

たまちゃんに断ったことを伝えると、「そうですよね・・残念だけど」と、その時はすっと引き、

しかしその後も折に触れ、

「ツール会議ってすごいんですよ。行けば絶対に得るものは大きいと思うんですけどね…」

「パタゴニアの社員でも選ばれた人しか参加できないんですよー。私も行きたかったけど…」

なんて、それとなく翻意を促すサインを送り続け・・

他の方の勧めもあり、結局10月末になって「やっぱり参加させて頂きます」ってことになり、

ほーちゃんと二人、清里にて3泊4日のハードな合宿を体験させて頂きました。

たまちゃんの言う通り、ツール会議で得たもの、出会った人は全て宝ものとなりました。

 

その中に辻井社長もいらして、石木ダム問題に特別の関心を持たれたようです。

そして、翌年1月、佐世保での「今こそ考えよう石木ダム」集会&ダムネーション上映会に参加。

前日には建設予定地「川原」を視察。

ここで初めて、辻井社長と石木ダム問題の赤い糸がしっかりと結ばれたのだと思います。

 

事業を正当に止めることができる、そんな状況をつくることが大事。

それこそが「誰もが納得できる計画撤回案」。

どこかにある!

私たちもそれを信じて活動を続けます。

 

工期延長は「やむを得ない」?

昨日の市議会の一般質問で、山下議員が石木ダム工期延長について質しました。

あれだけ「石木ダムは喫緊の課題」と言い続けてきた水道局長が、

ダム完成が6年も先送りされることについてやむを得ないと言いました。

そして「過去7回の工程変更を繰り返してきた」と。

 

そうです。

ここに書かれているように事業採択当時は1979年度に完成のはずでした。

当初からすると43年も工期延長になったということです。

 

その都度、当時の市長や水道局長は「やむを得ない」と言ってきたのでしょうか?

やむを得ないで済むなら、「要らない」ということです。

どうしても必要なものなら、「やむを得ない」と言えるのはせいぜい3回でしょう。

「仏の顔も三度まで」と言いますから。

4回も5回も、7回も8回も言えるということは、10回も20回も、永遠に言えるということです。

そんな非常識に付き合わされる市民はたまったものじゃありません。

その間、無駄なお金が垂れ流され続けます。漏水ならぬ漏金!

3回目くらいで勇気ある撤退をしていれば、水道料金も今ほど高くはなっていないはず。

県民の税金ももっと有効に使われたはず。

そして、何よりも、地権者の皆さんはこんなに苦しまずに済んだはず。。

 

「やむを得ない」なんて軽々しく言ってほしくない!

 

誕生

生まれたばかりのなつきちゃんを愛おしそうにだっこしているのは、さおちゃん。

お姉ちゃんになった嬉しさと自覚が、混じり合ったような可憐な笑顔。

その横で不思議なポーズをしてるのは、お兄ちゃんのえいじ君。

撮影したのはカメラマンの村山嘉昭さん。

 

この子たちが住んでいるのは、石木ダム建設予定地「川原=こうばる」

なつきちゃんが生まれた日も、川原のオジサンやオバサンたちは猛暑の中、座り込みを続けていた。

この子たちに、この豊かな地「川原」を残したくて。

この素晴らしいふる里「川原」を水の底に沈めないために。

 

この子たちのおじいちゃんは、ダム建設を推し進める県と40年以上闘ってきた。

この子たちのお父さんは、その父の後ろ姿を見ながら育ってきた。

先日の県による立ち入り測量調査の時は仕事を休んで阻止行動に参加した。

この子たちの未来を守るために。

 

この子たちのお母さんは、出産の1ヵ月ほど前、大きなお腹を抱えて佐世保の繁華街に立っていた。

石木ダム建設のための強制収用反対!の署名活動に参加するために。

なぜだろう?

土地を売って出ていけば、もっと便利な場所で暮らせるのに。

病院や学校やスーパーが近くにあって、若い夫婦が働く場や保育園もあって、

子どもたちの友達もたくさんできる・・・そんな暮らしを若い親たちは選択しそうな気がするのだけれど。

他所から嫁いできたのに。ここは彼女のふる里でもないのに。

 

でも、彼女だけではない。

川原で、川原を守るために今、先頭になって闘っているのは女たち。

彼女にとってはお姑さん世代。元お嫁さんたち。

自分の生まれ育った場所でもないのに、必死になって守っている。

 

女には2つのふる里があるのかもしれない。

自分が生まれ育った場所と、子どもを産み育てた場所と。

いのちを産み出す苦しみ、いのちを育てる楽しみ、それを知っている女たちはやがて気づいていく。

そこがいのちをはぐくむのに相応しい場所かどうか。

そして川原の女たちは「認定」した。

川原こそ、その場所だと。

川原の自然はゆりかごそのもの。

ここで子育てをしたい!

 

そう直観したら、女たちは強い。

怯まない。迷わない。自分の命に代えても守ろうとする。

だから、川原のおばあちゃんたちはいつも言う。

「そんなにダムが造りたかったら、うちたちば殺してから造れ!」と。

 

中村知事、朝長市長、もう諦めてください。

川原に、また一つ大きな守るべきいのちが増えたのですから。

13世帯のみんなの宝です。

みんなの希望です。

 

近所に住むはるちゃんも、自分の妹のように、しっかりと抱きしめています。

 

この子らが育ちゆくはずの場所を、どうか奪わないでください!

この子らのふる里を、水に沈めないでください! 

 

 

生まれ育ったこの地で眠りたい

昨日で県の立入調査も終わりました。

何も調査できずに終わりました。

阻止行動の圧勝です。初日から地権者の怒りのオーラが県職員を圧倒しました。

それでも、県はなんら困らない。

既存の資料を使い調書は作成し、収用裁決申請も明渡し申立書も提出できるから・・・

そうやって、農地に続き、家をも奪おうとしている。

その上、お墓までも!

 

川原さんの言葉が胸に刺さります。

2歳で亡くなった兄も、病に倒れた父母もこの墓で眠っている。

私もまたこの地で生き、死にたいだけだ。

 

こうばるには、あまり知られていませんが、こんな歌もあるのです。

 

 

      ふるさと 川原(こうばる)

 

サケが川を上るように ツルが北に渡るように

人は ふるさと目指します

もしもその時ふるさとが 水の底に沈んでいたら

私のこどもたちは どこに帰ればいいのだろう

ここはこうばる あなたのふるさと

守り抜きます 私のふるさと

 

サケが川を上るように ツルが北に渡るように

人は ふるさと思います

先祖の眠るふるさとを 水の底に沈めたら

私の父母(ちちはは)は どこに眠ればいいのだろう

ここはこうばる 私のふるさと

守り抜きます あなたのふるさと

 

 

毎日新聞「佐世保発!」に拍手!

今朝の毎日新聞です。

佐世保支局長によるコラムです。

ご自身も子どもの頃住んでいた福岡市で大渇水を経験なさっていたようです。

だから、佐世保市民の平成6年大渇水の苦労も想像できるし、市民の不安も理解できる。

でも、福岡市と佐世保市は少し違うところがある。

福岡市は、その後様々な対策を講じてきたが、佐世保市は石木ダムに固執してしまった。

そのことを率直に指摘なさっています。

 

もちろん、福岡と佐世保では都市の規模や財政事情も大きく異なっていますから、

単純に真似することはできないけれどが、

でも、ダムだけに頼っていていいのか?と自問自答した読者もいるでしょう。

 

ダム建設に伴う市民の負担金は決して小さなものではなく、水道料金の値上げに繋がります。

市民にとって「石木ダムはいらない」との選択肢もあるべきです。

との結びに、大きな拍手を送りたい。  

 

新聞はジャーナリズムの代表だけれど、最近はその精神が失われているように感じることも多い。

ただ出来事を伝えるだけであったり、賛成反対双方の主張をただ羅列するだけで論評が欠けていたり・・。

新井直之氏によると、ジャーナリズムとは、こういうことらしい。

「いま言うべきことを、いま、言う」ことである。「いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。『伝える』とは、いわば報道の活動であり、『言う』とは、論評の活動である。それだけが、おそらくジャーナリズムのほとんど唯一の責務である。

 

強制収用が現在進行形で進んでいるいま、新聞各紙は、ぜひペンで語ってほしい。

いま言うべきことを。

いま伝えなければならないことを。

いま!

 

今からでも遅くない!

雑誌の2ページにまたがる風景の写真。

野花が咲き乱れ、見慣れた看板「売って泣くより笑って団結 WE LOVE KOBARU」。

もちろん、ここは川原ですが、あらためて川原の美しさを実感しますねー

野の草花の生き生きとした姿に、見ているだけで元気をもらえそうです。

何を隠そう、この写真、私が撮ったのですゾー!

エヘン、エヘン。

アーサーさんのエッセイの挿絵に使って頂けるなんて・・・写真も私も幸せです。

この記事が掲載されている雑誌はこちら。

日々の暮らしの中にある季節感、祭や行事など、その土地ならではの風土や文化、伝統、

地域の人々が大切に伝えてきた知恵や技、かけがえのない自然…

そんな、大切に守り伝えたい「いいもの・いいこころ」を広島から発信する雑誌なんだそうです。

素敵ですね。

 

その雑誌に、7月下旬に川原にやってきたアーサー・ビナードさんが、

石木ダム問題のことをエッセイ風に、アーサーさんらしい言の葉で書き綴ってくださいました。

「今からでも遅くない」というタイトルで。

何が遅くないのか?

それはダムを止めること。

石木ダムを止めること。

この豊かな里山の生きものたちや人々の暮らしを葬り去ることの過ちにみんなが気付いて、

「とめなきゃ!」と本気で思えば止められる。今からでも遅くない。

 

70年前の原爆は止められなかった。

その歴史はどんなに悔やんでも、後から止めることはできない。

でも、石木ダムは、まだ何もできていない。

そう。これからでも遅くないんですよね!

そのことに、アーサーさんが気づかせてくれました。。

 

とってもわかりやすい「ダムはムダ」論

あの田中優さんが、Facebookで、石木ダムのことを大きく取り上げてくださいました!

https://www.facebook.com/tanakayupage/posts/935152703208050

「石木ダム・現地の人たちからSOS!」の見出しで、

先日の強制収用をしようとしている長崎県・石木ダム、現地の人たちからのSOSがあります。

ごめんなさい、出かけられなくて。

下の「石木川まもりたい」のブログに、不必要な理由が示されています。

と書かれ、私たちが発信している現地案内チラシも貼付されていました。

びっくりするやら、嬉しいやら・・・で、

どうして?どうして?と情報通の友人たちにメールすると、

「優さんはダムのこと詳しいのよ、しかもお話がすごくわかりやすくて・・」

と紹介してくれたのが、こちらの動画。

www.youtube.com/watch?v=5F09Zg9oKGQ

 

「ダムはムダ」編 未来バンク事業組合理事長 田中 優 氏ダイジェスト版

 

ほんとにわかりやすい、これまでダムに関心の無かった人にはきっと目から鱗のお話だと思います。

皆さん、ぜひ拡散して、たくさんの人に知ってもらえるよう、ご協力をお願いします! 

 

*田中優さんを知らない方のために、Wikipediaから抜粋。

田中 優(たなか ゆう、1957年- )は反原発の立場で活動を続ける文筆家。主な肩書きとして未来バンク事業組合理事長、天然住宅バンク理事長、非営利組織「ap bank」監事、一般社団天然住宅共同代表。その他、日本国際ボランティアセンター理事、足元から地球温暖化を考える市民ネット理事等、肩書き多数。 坂本龍一や桜井和寿ら、環境問題に取り組む音楽家との交流も多い。 立教大学大学院非常勤講師、和光大学非常勤講師。

1957年東京生まれ。長年、反原発運動に関わり、多数の著書を出版。その論ずる範囲は原発問題に留まらず、平和運動にも深く関わっている。例えば、『どうして郵貯がいけないの』では、「郵政民営化以前の郵便貯金に集められた資金が、回り回ってアメリカの軍事費に利用されている」という主張を行った。『非戦』(音楽家・坂本龍一との共著)では、同時多発テロを受けてブッシュ大統領(当時)の強硬政策を批判した。また、映画『ZERO:9/11の虚構』(陰謀論との批判もある作品)への寄稿を行ったこともある。
近年では六ヶ所村核燃料再処理施設の稼働反対運動に注力しており、各地で講演を行っている。

 

土下座

私たちの土地を奪わないでください!

お願いします!

そう叫んで突然すみ子さんが土下座しました。

 

測量調査阻止行動3日目。

いつもの時間(9時半)に県職員がゾロゾロとやってきて、

「皆さん、お願いします。道を開けてください。測量をさせてください」と言い、

反対地権者や支援者との不毛なやり取りを続けていた時のことでした。

 

一瞬静寂が訪れました。

私たち支援者はもちろん、地権者の皆さんも驚きの余り体が固まってしまったようです。

カメラのシャッター音だけが響きました。

私もカメラを向けながら、熱いものがこみあげてきました。

しばらくしてダム事務所の古川所長が手を添えて立ち上がらせましたが、すみ子さんはまだ訴え続けました。

 

「私たちはここに住み続けたいだけなんです! 石木ダムは断念してください。

 (断念してもらうには)どがんしたらいいですか? どういう方法があるんですか?教えて下さい!」

 

他の地権者も言いました。

「40年も50年も前にできた計画をなぜ押し付けようとするのか?おかしいじゃないか!」

「佐世保の水はもう足りている。治水対策はダムよりも河川改修の方がよっぽどいい!」

 

所長「必要性の話を皆さんとすると、どうしても平行線になるんですよね」

地権者「当たり前だ。県が考えを変えようとしないからそうなるんですよ」

支援者「現実から目を背けないで下さい。佐世保市の実態を見てください。勝手に数字合わせをしないで下さい」

支援者「ここ数年ずっと佐世保のダムの貯水率は90パーセントを切っていないんですよ。ご存知ですよね?」

支援者「無駄なお金を使わないでください!」

地権者「もう帰ってください。午後からも来ないでください」

所長「申し訳ないけど、申し訳ないけど、あと二日間来ます」

所長さんも辛い立場だと思います。

どんなに罵倒されても、あるいは地権者に同情の念が湧いたとしても、上司の命令には逆らえない。。

立入調査として予定された期間は、業者を引き連れ、お願いに行かなければならない。

測量などできないことはわかりきっているのに。

このプラカードを毎日目の前に突き付けられているのに、見えないはずはない。

読めないはずはない。

理解できないはずはない。

 

それでも、毎日ゾロゾロとやって来る。

4日間で320人態勢だそうです。

その人件費だけでもいくらかかるか?

聞いても答えてはくれないでしょうから、皆さん、勝手に推測しましょうー

 

そのお金は結局私たち県民の税金!

この理不尽な県政につける薬はないものか・・・


 

立入調査2日目 怒りの底にあるものは…

立入調査2日目。

今日も、午前と午後1回ずつ県職員はやってきました。

「調査をさせて下さい。お願いします」と。

その答えは地権者が手にしたプラカードに書かれています。はっきりと。

我々は、土地も家も売らない。

家屋調査や土地測量、必要なし。

 

それでも帰ろうとしない県職員に向かって、地権者の言葉は荒くなります。

丁寧にお願いする県と怒鳴り返す地権者の構図は、第三者が見れば一瞬誤解を招くかもしれません。

地権者の人たちって強引で横暴な人たちなの?と。

 

そうではありません。

どんなに礼儀正しくお願いしても、法律に則っていても、自分の家や田畑を奪いに来る人は、

地権者にとっては「強盗」と同じです。

 

ここはじいちゃん、ばあちゃん、オヤジ、オフクロから受け継いだ大事な田んぼ。

ここは俺が生まれ育った、たった一つのふる里。かけがえのないふる里。

ここは私が嫁いだ場所。子どもを産み育て、私も育てられた第二のふる里。

家族の幸せがいっぱい詰まった我が家。私の生きる場所。

どうして俺たちが追い出されるんだ?

どうして私たちが犠牲にさせられるの?

私たちにも自分の財産を守る権利はあるはず!

どうして今ダムが必要なんだ?

どうしてここでなくちゃいけないの?

誰か説明してくれ!

私たちにわかるように説明して!

 

既に説明済みです。事業認定という国のお墨付きも頂いています。

もうこの畑は国のものですよ。この野菜は処分して下さいよ。

二度とここに植えてはなりませんよ。

次は宅地です。家は取り壊します。

その補償額を計算するために測量調査が必要です。

さあさあ、邪魔をしないで調査をさせてください。

 

と慇懃無礼に迫ってくる者に、どうして応じることができるでしょうか。

土地収用法という為政者にとって都合のいい法律を武器に、どんどん攻めてくる県。

それに対して素手で立ち向かっている地権者。

あまりにも力の差があり過ぎる。

その悔しさ、悲しさ、理不尽さ。。

その心理を新聞記者は見つめ、伝えています。

 

立入調査に地権者の怒り爆発

昨年7月、今年1月に続き、3回目の立入調査です。

強制収用のための調査ですから、地権者の皆さんが許すはずはありません。

支援者も朝からたくさん集まって、県職員を待ちかまえました。

午前も午後も地権者の、怒りがほとばしるような抗議の声に立ち尽くし、返す言葉も無い県職員。

最後は「帰れ!」コールに送られて、去っていきました。

 

夕方のNHKニュースでは、このように報じました。

石木ダムで県が測量調査できず

川棚町に計画している石木ダムの建設を進めるため、県は、ダムで水没する9軒の家屋を含む約9万平方メートルの土地の強制的な収用に向けて2日、現地で土地や建物の補償額を決めるための調査を行おうとしましたが、地権者らの反対にあい、2日は調査ができませんでした。
石木ダムをめぐっては、建設に反対する一部の地権者と県との用地交渉が難航していて、県は法律に基づいてすべての土地を強制的に収用する手続きを、工事の内容に応じ3つの時期に分けて進めています。
今回は、ダムで水没する9軒の家屋を含むおよそ9万平方メートルの土地が対象で、強制的に収用する「裁決申請」に向けた手続きを進める上で必要な土地や家屋の測量調査を行おうと2日、県の職員や測量業者などおよそ30人が午前9時半前に集まりました。
しかし、調査を行う土地に通じる道路には反対する地権者やその支援者など30人あまりが集まり、道路を塞ぐように横断幕を持って激しい抗議活動を行いました。
県の担当者が「きょうから4日間調査をします。道をあけてください」と調査への協力を求めましたが、地権者側は「土地を取り上げるやつらは帰れ」などと声を荒げ、押し問答となりました。
押し問答は、およそ10分ほど続きましたが、結局、県は午前中の立ち入り調査を断念し、引き上げました。
県は午後も現地を訪れましたが、地権者側の反対にあい、2日は調査ができませんでした。
県は、3日も現地を訪れ、地権者に対し測量調査への協力を要請することにしています。
石木ダム計画に反対し、今回の測量調査の対象になる地権者の岩下和雄さんは「地権者の同意を得ずに土地を取り上げるという行為が間違っている。これからも断固阻止する」と話していました。
一方、県の石木ダム建設事務所の古川章所長は「調査をやめるつもりはない。また改めてお願いに来る」と話していました。

 

皆が集まったのは、おばあちゃんたちのサロン「団結小屋」の前。

今日までふる里をダムから守った真の功労者は、このおばあちゃんたち。

そして、そのそばを流れる石木川は、

歌うように、笑うように、今日も楽しそうに流れていました。。。