昨日、石木ダム建設に反対する5団体は、県に抗議の申し入れをおこないました。
何に対する抗議かと言うと、石木ダム事業認定に関する県からの回答に対する抗議です。
抗議の理由
1.私たちは知事の回答を求めたのに、河川課長からの返事だった
2.回答が出されたのも期限を大幅に過ぎていたし、
それに対する反論書を送り、会って申し入れしたいと頼んでも、忙しいからと先延ばしにされ、
やっと実現したのが12月19日。公開質問書を提出してから70日ほど経過している。
地権者の理解が得たいと本当に思うなら、なぜ、このような不誠実な対応をするのか?
3.地権者は決して話し合いを拒んではいない。事業認定を取り下げたらいつでも応じる。
それは何度も伝えているのに、なぜ取り下げないのか?
昨日も、知事どころか、土木部長も河川課長も来ず、企画官が対応。
私たちの扱いは、その程度のものなのです。いつものように。
そして、河川課の回答もいつものように版で押したような決まり文句ばかり。
得られた回答は、
1.この文書は知事に必ず渡すが、知事名で返事を出すか、いつ出すかは確認しないと何とも言えない。
2.地権者の理解は得たいと思っている。是非、直接会って話す機会がほしい。
3.しかし、事業認定申請を取り下げるつもりはない。その手続きの中で話はできる。
こうして、昨日も虚しさだけを残して終わろうとしたとき、一人の男性がツカツカと進み出て、
県の職員に向かって叫びにも似た声で、訴え始めました。
子ども時代を川原で暮らしていた男性の言葉には、深く心打つモノがありました。
ここに、そのメモをまとめて、ご紹介します。
岩屋、川原、木場は、これまで山津波も水害もほとんど会うてない
俺は15歳まで川原におった
だからこそ、このふるさとに住みたいという住民の願いがわかる
今まで50年、住民は行政から苦しめられてきたんだ
あんたらはあそこの歴史を知っとるか?
うちの本家は石木小学校の発祥の地、郷土史にそう書いてある
岩屋や木場から川原に集まって、寺子屋みたいなのを造って、
そこでみんなが勉強していた
何百年の歴史のある、よか棚田もあるとやけん、
地主たちは初めみんな反対だった
それをあんたたちが家庭訪問して、どがんことば言うて切り崩したか、
知っとうね?
どういう形で切り崩したか?
8割が崩れたからあんたたちも出て行け?
それはね、強盗の論理!行政の強盗!
あんたたちはあそこを実際に見て、知っとろうが
もったいなかと思わんとか、あいば水に沈めて
基本的なことはそこぞ
佐世保の水が足らんて、病人が出た?死人が出た?
佐世保が水不足になったからって、なんで川原が責任とらんといかんか!
なんで川原の民衆に責任がある?
30年、40年、あんたたちは理屈ばっかり言ってきた
もう理屈は超えとっと
住民の気持ちになったことがあっとか?
初めはみんな反対やったとよ
町長が崩れ、議会が崩れ、
そして最初に崩れたのはボロい家に住んどる人たち
そういう人たちがコロコロ転んでいった
よか家ば造ってやるよと言われて
この際ね、住民の気持ちに百分の一でもなってみんかい!
300年間、百姓しながらあれだけのふるさとを築き上げとっとぞ!
出直してこい!