詩「石木のタブノキ」

『北方(HOPPOH)』という文芸誌の185号(2021.10.31発行)に、「石木のタブノキ」という詩が掲載されました。

そう、あのタブノキ。石木ダム付け替え道路工事現場にあった大きなタブノキ。引き千切られ、引っこ抜かれて、打ち捨てられたあのタブノキを悼む詩です。
作者は石木川まもり隊のU・Mさん。

座り込み現場に集う私たちの想いを詩ってくれました。
ぜひ、じっくり読んでみてください。

 

石木のタブノキ

石木の人々の通い路に、タブノキが二本寄り添って大きくなりました。
大きなタブノキとそれより小ぶりのタブノキは、
数百年の風雪に耐えて、大きく枝葉を伸ばし、巨樹となりました。
夏には大きな葉を茂らせて人々に憩いの木陰を作り、
さまざまな草花や鳥や昆虫たちは、
タブノキと共に生命を育くんできました。
炎天下での座り込みの日々、
涼を求める人々を木陰に誘い、
涼しい薫風で私たちを慰め一息つかせてくれたタブノキよ。

無用で無駄な石木ダム建設という目的のために、
タブノキと共に営んできた動植物の生命サイクルはまた断ち切られました。
凄まじい暴力。
大きく豊かに茂っていたタブノキの枝葉、そして3メートルを超える幹は、
ユンボで無残に打ち砕かれて身ぐるみはがされました。

それでも大きく根を張っていたタブノキはびくともしませんでした。
でも、
二百年以上、大地に踏ん張っていたタブノキは、

再び力任せのユンボで大地からはぎとられ、傍らに打ち捨てられました。

バーミヤンの仏像がタリバンによって破壊された時、
タリバンは世界中の人々から野蛮なイスラム教条主義者として糾弾されました。
バーミヤンの仏像を毀棄したタリバンと
タブノキをねじり伐り倒した人々と何が違うのでしょうか

タブノキの精霊が嘆き哀しんでいます。
タブノキは告発しています。
断ち切られた生命連鎖の報復を受けるまで気づかないのかと。

工事差止訴訟 270人が上告

川原住民の皆さんと支援者計270人は、10月21日の石木ダム工事差止控訴審判決を不服として、最高裁に上告しました。

正確には10月29日(金)付の上告申立書が11月1日(月)に福岡高裁へ届いたということで、最高裁に届くのはまだまだ先のことです。

一審、二審と負け続け、最高裁がその判決をひっくり返してくれる可能性はかなり小さいだろうという現実は受け止めながら、それでも私たちは上告しました。

それは、泣き寝入りしたくないから。憲法に保障された私たちの人権を守るためには、人権侵害されている当事者と、それを間近で感じている者が声をあげ訴え続けなければ、人権侵害が許されてしまうから。

また、諦めたくないから。もう1つの石木ダム訴訟(事業認定取消訴訟)のように今回も最高裁は上告を退けるかもしれない。それでも、最高裁が受理する可能性がゼロではない以上、私たちは諦めない。最後まで可能性を追い続けます。

諦めないことの大切さを控訴審判決が教えてくれたました。

法廷の内外で私たちは、覚書について声をあげてきました。その声が判決文の中で活かされていたのです。今日は、その声をご紹介します。

その1.
2021年6月18日、石木ダム工事差止控訴審で地元の石丸勇さんが意見陳述。その中で石丸さんはこう述べています。

「思えば、石木ダム建設計画は、長崎県が当初から県民と住民をだまし続けながら進めて来た事業だったのです。それは石木ダムの歴史からも明らかです。
事の始まりは、1962年に地元や川棚町に無断で現地調査と測量を行いました。
1972年にはダム建設のための予備調査を地元に依頼し、「予備調査はダム建設に直接つながらない」と説明しながら、地元住民が不安と不満を表すと「地元の了解なしではダムは造らない」「一人でも反対があるとダムは造らない」などと言葉巧みに住民をなだめました。「予備調査の結果、建設の必要が生じたときは、改めて書面による同意を受けた後着手する」旨の「覚書」を交わして住民を信用させ地元を予備調査に同意させたのです。時の権力者は長崎県知事久保勘一、住民説得に自信があったのでしょう。「覚書」の精神は守られるはずでした。」

しかし、その後の経緯は、次の通り。
1982年 県警機動隊を導入しての強制測量。(高田勇知事)
2009年 強制収用に道を開く事業認定申請。(金子原二郎知事)
2015年 4世帯の農地を強制収用。(中村法道知事)
2019年 川原住民の全ての土地と家屋を強制収用(同上)

49年前の久保知事が住民と交わした覚書は、本人を含む4人の知事全てが無視をして、事業計画を強引に前に進めてきたのです。
長崎県政には、「約束を守る」というごく当たり前のモラルが欠如しているようです。

その2.
10月の控訴審判決に向けて、私たちは8月からハガキ運動に取り組みました。

何千通というハガキが福岡高裁に届いたはずです。中には、ひとこと欄にこんなことを書きましたよ!と知らせてくださる方もいました。
その中のお1人、福岡市のOさんは一言欄にこう書いて送ったそうです。

「こうばるの皆さんのふるさとと暮らしを守ってください。住民との覚書を反故にして工事を強行する長崎県の姿勢は、決して許されるものではありません。一刻も早い工事差止を切に願います。」

佐世保市のMさんも、こう書いて投函したそうです。

「県営の石木ダムは県民のために造られるはずです。住民=県民の信頼を裏切り、覚書違反のまま建設を進めるなら、それは公共事業とは言えません。まずは約束を守り住民と話し合う、そのためにも工事の差止が必要です」

その3.
ハガキは個人によるメッセージですが、公正な判決を求める声は各団体からもあがりました。その数72団体。要請書送付団体
その中には、やはり、覚書について言及している要請文もありました。
要請書(石木川の清流とホタルを守る市民の会)

「…という覚書を締結しています。しかし、今日においても、長崎県はこの覚書を無視し、約束を守っていない。さらに、中村長崎県知事は、このまま工事を進め家屋等の行政代執行も排除しないと明言していますが、現憲法下において、家族が居住する土地・家屋を行政代執行した例はありません。これを実行するとなると…」

このように、いろんな人が、覚書を無視し続ける県のやり方は許せないという想いを声に出し始めました。それがきっと裁判官に届いたのだと思います。

司法にしろ行政にしろ、弱き者の声はなかなか届きにくい。
その現実に慣らされた私たちは諦めがちになりますが、やはり、諦めてはいけない。

「約束は守りなさい」という当たり前のことを、言い続けていいんだ、言い続けるべきなんだと、今回の判決文を読んで感じました。

そして、覚書には触れていませんが、裁判官の良心に響いたであろうと思われるメッセージもいくつもありました。
裁判官だけでなく、私たち自身の心にも沁みました。その一部をご紹介します。

要請書(長崎高等学校教職員組合)
要請書(言論の自由と知る権利を守る長崎市民の会)
要請書(よみがえれ長良川実行委員会30団体)
要請書(八ッ場あしたの会)
要請書(ラムサール・ネットワーク日本)
要請書(水源開発問題全国連絡会)

ぜひご一読ください。

これらのメッセージに私たちは大きな勇気をいただきました。

今回の上告人は270人ですが、その後ろから沢山のエールが聞こえてくるようです。

私たちは皆さんとともに、最高裁へも公正な判断を求め続けます。

石木ダムレポート by長崎大学生


【Aさんのレポート】
私は去る4月24日に、市民街頭運動「長崎県の3大悪政をSTOP!」を見学してきた。この市民運動はタイトルにもある通り長崎県の3つの悪政といわれる「石木ダム建設」と「諫早湾の干拓事業」、「ハウステンボスへのカジノの誘致」について反対の意思を示し、署名を集め、県民により知ってもらうための運動であった。
私自身このような政治に関する市民運動は正直なところ煙たがっている部分があった。なぜなら、県政に異を唱える人々の話が主観的すぎると思い込んでしまっていたからだ。しかし、今回の街頭集会を見て、実際にそこで活動する方々にお話を伺ってみて、この人たちは自分たちが住むこの長崎県をよりよい場所にしたい一心で活動しているのだと思い知らされた。
私が特に興味を持ったのは石木ダムの建設についてだ。そもそもダム建設には広大な土地が必要であり、住める場所が少ないこの長崎にとって居住可能な場所を減らされてしまうのはとても手痛い問題だと思う。街頭集会に参加していた県議会の女性に話を伺ったところによると、ハウステンボスの建設などが始まり、一時的に労働力が必要となって人口が増え、水の需要が大きくなったことは確かにあったという。しかし現在では長崎県の人口は水の需要が高かった当時より減少し、ダム建設の必要がなくなったということだ。
私はその街頭集会において手渡された資料の中に具体的なデータが載っていないことに少し疑問を感じることはあったが、この問題の中に日本の政治の欠点を垣間見た気がした。
日本でダム建設のような巨大な事業を執り行うには膨大な手続きと金と時間がかかる。その間に問題が解決してしまった場合の柔軟な対処とでもいうべきものがこの国には足りないと感じた。
今回の経験を通して国の意見、県民の意見を聞き、自分の頭で考えていくことができたので、これからも様々な問題に対して自分で情報を集め、自分で悩み続けていきたいと思った。

Aさんのように、「市民運動をやる人たちの話は主観的すぎる」という先入観を持っている若者は少なくないのではないかと思います。

私たち世代からすると、なぜそのように見られるのか・・悲しいと言うよりも不思議な気がします。今の若い人たちは、今の暮らしや社会に全て満足しているのだろうか?このままでいいと思っているのだろうか?と。

でも、Aさんは実際に活動している人の話を直接聴いて、その考えが変わったという。
そこが大事ですね。じっくり耳を傾けてみるとか、対話してみるとか。1歩近づいてみると印象が変わったり、実像が見えてきたりするものです。互いに、思い込みを横に置いて、まずは話してみる、その大切さを改めて感じました。

また、Aさんは、特に興味を持ったという石木ダム問題については、こう述べています。

この問題の中に日本の政治の欠点を垣間見た気がした」それは、「ダム建設のような巨大な事業を執り行うには膨大な手続きと金と時間がかかる。その間に問題が解決してしまった場合の柔軟な対処とでもいうべきものがこの国には足りない」と。(同感!)
そして最後には「これからも様々な問題に対して自分で情報を集め、自分で悩み続けていきたいと思った」と結ばれていました。

最後の言葉に感銘を受けながら、他の学生さんたちはどうなんだろう?Aさんのような考え方は少数派なのか?それともけっこう多いのか?興味が湧いてきました。

実は、石木ダム問題について学び、レポートを提出した学生さんはAさんだけでないのです。
そのレポート集がこちら。石木ダムレポート
石木ダム問題に対する長大生104人のレポートが詰まっています。

「氏名その他の情報は一切伏せ、本文だけならネット上でも公開OK!」として送られてきた貴重な資料。感謝を込めて公開させていただきます。

ファイルを開いて読まれた皆さん、どうでしたか?
予想通り?意外?それぞれの感想を持たれたことでしょう。

私が感じたのは、意外にも世代間のギャップを感じなかったということ。

多くの学生が、利水面でも治水面でも、石木ダムの必要性に疑問を感じ、人権を無視した県の強権的なやり方を批判していますが、中にはダム必要論を説く学生ももちろんいます。それでも、対話が必要であり、説明を尽くすべきという観点では一致しています。例えば・・

【Bさんのレポート】
 石木ダムで一番の問題は、1882年の県が県警機動隊を導入し、住民を排除しつつ強制測量を行ったことだと思う。「地元の了解なしではダムを作らない」とする覚書を無視している上、強制的に排除されたことにより、住民に心の傷を負わせたこの行動は正当化できないと思う。県は、行動に移す前に住民が反対している理由を考えるべきではないか。私は、住民が反対する大きな理由として石木ダムの必要性があると言えないことがあげられると考えている。まず、石木ダムの建設の目的の一つである佐世保市の水の確保だが、県がその根拠としている将来水需要の過大予測は、実績は全体的に見ると減少しているのに、予測は急激に増加していることから、明らかに不自然な予測であると言える。実際、予測は外れ、佐世保市の水の需要は、急激な増加はなく、減少しているため、この目的は石木ダムの建設の目的として納得することはできない。また、川棚川の洪水の防止という目的だが、石木ダムの建設予定地は、川棚川の中で、狭い範囲しかせき止めることができないため、洪水対策ができるかというと厳しいという判断できるので、この目的もまた石木ダムの建設の目的として納得することはできない。このような納得できない目的で作られる石木ダムの建設費の538億円は、税金の使い道として、はたして適しているのだろうか。県は考え直すべきではないか。覚書にも記載されている通り、住民を、県民を、納得させる目的を提示しない限り、県は石木ダムの建設を進めるべきではない。 

【Cさんのレポート】
石木ダム問題が未だに解決しないのは行政と住民との対話が不十分であるからだと思った。ダム建設は公共の利益のためにそこに住む人々の居住地だけでなく、地域のつながりや思い出などを奪う原因にもなる。しかし、国家規模で考えると、犠牲を出してでもダムを建設する必要があるのだと思う。ビデオの中で、住民の方々が雨の日も毎日バリケードを形成しているのを見て、自分の故郷を奪われるということは耐え難いものであるということを想起させられた。しかし、石木ダム問題はいつか解決しなければならず、住民と行政の間でうまく折り合いをつけなければならないのであろうが、私自身その方法を考え付くことができず、非常に難しい問題であるように感じた。

【Dさんのレポート】
ダムを作ろうとすること自体は悪いとは思わない。しかし、住民からこれだけの反対意見が出ている以上耳を傾ける必要は大いにあるだろう。そもそもこの計画が立てられてからかなり多くの年数が経過しているため、それをそのまま実行しようとするのは技術的な面などもあわせて現実的ではない。技術的面での見直し、地域住民への理解、そもそもの計画の必要性の検討しなおしが必要だと思われる。

若者だろうが高齢者だろうが、石木ダムについてきちんと学んだ人の考えは、1点において共通しています。ダムの賛否にかかわらず、「住民の声に耳を傾けよ」「対話を尽くせ」ということです。

そう言えば、去年こうばるに社会科見学に来た小学生たちの感想文も同じ内容でした!

ということは・・・

石木ダムはとにかく造るべし!
対話も説明ももう要らない。
決められた通り前に進めるべし!

と言っているのは、石木ダムのことをきちんと勉強していない人たち?
ってことになりそうですね~
でも、それって、佐世保市長の議会答弁とよく似ていますが・・・

・石木ダムの必要性については既に説明を尽くしている。
・最高裁の判断も示されている。
・情にとらわれることなく、法のルールに従って執行していくことが法治国家としての行政の務めである。

(2021年6月24日:佐世保市議会本会議で小田市議の一般質問に対する答弁要旨)

回答は全てコピペ?

佐世保市民のSさん(女性)が、最近知事宛にメールで意見を送ったところ、
こんな返信が届きましたよ~と転送してくださいました。

これがSさんの意見への返信?
全然返事になっていないし、内容がズレている。
しかも、何か見覚えがある文面だなぁ・・と思い、探してみると、
それは、Mさん(男性)が、4月に知事宛に送ったメールへの返信と全く同じものでした。

4月Mさんが送った意見の内容は、こちらです。
1.強硬なやり方の工事はストップすべきだ。
2.時代錯誤な非民主的な工事を行っても、国内外から長崎県が非難されるだけだ。
3.ダムに頼らない治水、利水の方策を考えてほしい。

6月Sさんが送った意見の内容は、こちらです。
1.川原の皆さんは、県が工事を中断した上で、知事と話し合いたいと望まれている。
2.知事は長崎県の代表として、キチンと話し合いをしてほしい。
3.川原の皆さんが長い間大変ない思いをされているのを理解すべきだ。

2つの意見の趣旨は明らかに異なっています。
Mさんは、県の強権的なやり方を批判し、政策の見直しを求めていて、
Sさんは、知事と川原住民との話し合いの実現を求めています。

その趣旨の異なる意見書(メ―ル)に届いた同一の返信はこちらです。

—–Original Message—–

〇〇 様

県政の推進について、日頃から格別のご理解とご協力をいただきお礼申し
上げます。
この度は、「石木ダム建設事業」に関するご提案をお寄せいただきありがと
うございました。
ご提案については、以下のとおり担当課長から説明させていただきます。
これからも、県政に関するご提案をお寄せくださるようお願いいたします。

令和3年4月8日
長崎県知事 中村 法道

この度は、貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。
お問い合わせのありました「石木ダム建設事業」について、本県の考えを
説明させていただきます。
石木ダムは、川棚川の洪水被害の軽減と佐世保市の安定的な水源の確保を
目的として、昭和50年度から事業に着手しております。
川棚町は、戦後4回も大雨による洪水被害に見舞われており、このうち、
平成2年7月の梅雨前線豪雨では、床上・床下浸水合わせて384戸の甚大な
被害が発生しました。こうした状況を踏まえ、川棚川では、河川改修とダム
建設により、概ね100年に一度の雨による洪水に備える計画としております。
また、佐世保市は、安定して取水できる水源に乏しいことから、昭和50年
以降、断水や減圧給水を伴う給水制限を4度にわたり実施しているなど、渇
水の危機に瀕する事態が度々起こっており、渇水による市民生活等への大き
な影響が出ないようにするため、石木ダムの建設により日量4万トンの水源
を確保する計画となっております。
現在においても、移転対象となる家屋のうち約2割の皆さまには、ご協力
いただけておりませんが、一方で、約8割の皆さまには、ダム建設を前提に、
用地のご提供という形でご協力いただいております。
地形的な特徴から急流河川が多い本県は、過去に長崎大水害や諫早大水害
といった水害に見舞われてきた一方、昭和40年代の長崎砂漠とよばれた渇
水や平成6、7年の大渇水など、多くの自然災害を経験してきました。
こうした経験を持つ本県としては、地域にお住まいの皆さま方の安全・安
心の確保が行政の責務であると考え、石木ダムの早期完成に向け事業を進め
ているものでありますので、ご理解いただきますようお願いいたします。

長崎県河川課長 松本 憲明

お2人とも、
長崎県知事への提案窓口に投稿されました。
http://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/kenseijoho/goiken-gosodanmadoguchi/kocho/teian/

そこには、「人が輝き、集い、活気のある長崎県をつくるため、皆様お一人おひとりの思いを地域づくりに生かしていきたいと思っております」と書かれています。

でもそれは口先だけ。
実際は、知事が読むことはなく、
それどころか、河川課長さえ目を通すことはなく、
担当職員が単なる事務作業として、
投稿者に同じメールをコピペして返信しているのでしょうか・・

Sさんは佐世保市長にもメッセージを送ったそうですが、
窓口=佐世保市長への手紙
https://www.city.sasebo.lg.jp/soumu/hishok/tegami.html

佐世保市からは返信さえ届かないそうです。。

3つの『声』

これは6月18日付、長崎新聞『声』欄に掲載された投稿記事です。

石木ダム事業について、「容認派と反対派の専門家を公開で議論させ、県民の判断を求めてはどうか」と提言し、さらに、
そのためには「工事をいったん中止」することを県に提案しておられます。

投稿されたのは、京都大学名誉教授の今本博健氏。河川工学の専門家です。
今本先生は、この提案の前に、2つの投稿記事に対するご自身の見解を述べられています。その2つの記事とはこちらです。

5月21日付、石木ダム建設予定地のある川棚町にお住いの医師の方からの投稿です。

6月10日付、石木ダム建設事業者である長崎県の河川課長からの投稿(お答え)です。

私はどちらの記事も掲載された日に読んでいましたが、
河川課長の「お答え」を読んだ時は、なんだか国会における政府答弁を聞いているような、モヤモヤした気分になりました。

川棚町民として石木ダムに深い関心を持っている方の、素朴で的を射た疑問に対し、河川課長は肝心なことは答えず、石木ダムの必要性を強調しています。

羽田野氏の声
・石木川と川棚川の水量の差にびっくり!
・こんなに水量の少ない石木川にダムを造っても、川棚川の治水効果は小さいのでは?
・それなら川棚川の堤防を嵩上げした方が、治水効果も経済効果も大きいのでは?
・専門家のご意見を伺いたい

河川課長の声(お答え)
・計画以上の大雨が降ると、堤防の嵩上げした分、被害が大きくなる。
・大雨の時、ダムは川に流す水の量を調節できるので洪水被害を軽減する。
・川棚川の治水対策としては、石木ダムと河川改修の組み合わせが経済的にも有効。
・気候変動で自然災害が増えている。一日も早く石木ダムを完成させねば・・。

このように要点をまとめてみると、河川課長の「お答え」がいかに不誠実な答えであるかがよくわかります。

・羽田野氏の疑問(川棚川と石木川の水量の差、石木ダムの治水効果、堤防の嵩上げとの比較など)について、正面から答えていない。
・「計画以上の大雨」が降った場合の堤防嵩上げの被害を述べながら、ダムの場合は「大雨の時」のことしか述べていない。ダムも「計画以上の大雨」が降れば大きなリスクを伴う。ダムからの放流により何人もの命が奪われた事例さえあるのに。

そもそも羽田野氏は「専門家」の意見を聞きたいと書かれていました。
事業者である県に回答を求めていたわけではありません。
県の主張は、広報誌や石木ダム建設事務所が発行している「水のわ」で、川棚町民は熟知しておられるはずです。

そう思っていたところに、まさに専門家の方からの投稿が掲載され、びっくりしました。
投稿された今本先生は河川工学の専門家として有名な方です。

今本先生の声
・嵩上げは決壊した場合の被害が大きいが、補強すれば避けることができる。
・ダムは計画を超える雨には役に立たず、地域社会や自然環境を破壊する。
・川棚川水系の治水計画は30年に1度が妥当であり、ダムは不要。
・県は容認派と反対派の専門家を公開で議論させ、県民の判断を求めては?

ということで、今本先生も石木ダムは不要とのお考えですが、ここでは不要と決めつけるのではなく、議論することを提案されました。

それはとても大事なことだし、実現されることを私も願っています。

なぜなら、羽田野氏のように石木ダムについて、いろいろ疑問を持っている川棚町民、佐世保市民、長崎県民も多いはず。
事業費を負担する県民の理解は何より大切です。
地元住民はもちろん、それ以外の県民の理解も得るためにも、公開の場での専門家の議論は必要です。
専門家の方には、なるべく素人にもわかるような説明をお願いして・・・

政策は合意のもとに進められるべきものです。
公共事業とは名ばかりで、住民や県民が望まない公共事業なら、それは見直されるべきです。
そのような事業に税金を注ぎ込めるほど長崎県の財政は豊かではありません。

振り返ってみると、私たちは河川課の方からの説明(石木ダムの必要性)はたくさん聴いてきましたが、専門家による石木ダムの必要論を直接聴いたことがありません。
専門家といえば、不要論ばかりでした。
もしかしたら、私たちの情報も偏っているかもしれませんね。
石木ダムが必要という専門家の説明を聞けば納得できるかも?

ですから、県は県民の理解を得るために、ぜひ、専門家によるダムの必要性についての討論会を開いてください!

権利と義務

このウエブサイトにお立ち寄りいただいた方から、このようなメッセージをいただきました。

最高裁判決が出ているわけですが、上告する権利はもちろんあります。ただし、権利もあれば義務も当然ありますよね?判決が出ている以上、それに従う義務があるのではないかと。

これに関してのご意見を聞かせてください。あなた方は権利を主張する以上、義務も果たさなければならないと思いますよ?単なるわがままにしか聞こえません。

この方(Kさん)には直接メールで返信しましたが、このような見方(裁判に訴えた以上、その判決に従う義務がある)をされている方は、もちろんKさんだけではないし、むしろ少なくないかもしれない・・そう思い、このブログ上にもKさんへの返信をアップすることにしました。

私たちが何故、石木ダム建設にNO!と言い続け、裁判で闘い続けているのか、その理由をお伝えします。

石木川まもり隊MよりKさんへ

ご質問ありがとうございます。

「最高裁判決が出ているわけですが、・・・判決が出ている以上、それに従う義務があるのではないか」について、お答えします。

正確に言えば、最高裁の「判決」ではありません。
最高裁への上告を棄却されたのです。
いわば門前払いですね。

このような結果を見た時、多くの第三者は、「やはり行政側の言い分が正しかったのだ」と理解するでしょう。
裁判所の判決は正しいものだと。
少なくとも法律のプロが法に則って裁くものだから、正しい判断が示されているはずだと。

私も昔は、そのように思っていました。
でも、時には刑事事件で冤罪が明らかになることもあります。
民事では、原発関連訴訟のように、納得のいかない判決も度々みられます。
民事の中でも行政訴訟は、原告(住民)側が勝つのは、なかなか難しい(勝率は10%以下)と言われていますが、実際に関わってみて、それがよくわかりました。

現行の法律の中には「ざる法」とか「悪法」とか言われるものがいろいろあるようですが、『土地収用法』もその1つです。
詳しいことは省きますが、問題のある法律(行政側にとっては何の問題もなく都合のいい法律ですが)で裁かれ、それに誰もが異議を唱えなければ、その法律は、いつまでたっても改善されないままですよね。

例えば、いま話題の夫婦別姓問題。
過去いくつかの裁判で原告側は敗訴となっていますが、それは夫婦別姓を認めない日本の法律によって裁くからです。
が、そんな法律は世界的には稀なケースです。
敗訴になっても自分たちの信念を曲げず、別姓を貫き、世間に訴え続ける人たちの存在があるから、多くの国民もそのことに気づき始め、何で別姓ではダメなんだろう?と考えるようになってきたのではないでしょうか?

石木ダム問題で言えば、住民の皆さんは確かに「事業認定取消訴訟」において、敗訴が確定しました。
なので、土地収用法に則って国に奪われてしまった土地の所有権は戻ってきません。

しかし、「石木ダム工事差止訴訟」の方はまだ進行中です。
住民の皆さんは「必要性のないダムの為に、なぜ自分たちが故郷を追われ、犠牲にならなければいけないのか」という理不尽さに我慢できないのです。

憲法12条には「憲法が保障する自由や人権は、国民自らが不断の努力によって守らねばならない」とあります。
こうばるの皆さんは、まさに、その努力を続けておられるのだと思います。

私自身は受益地と呼ばれる佐世保市に住んでいますが、佐世保市民として石木ダムは必要ないと思っているので、住民の方と共に裁判を闘っています。

人口減少で、石木ダムがなくても断水にいたるような水不足は26年間もおきていません。
今後も人口減少は続きます。
節水機器の普及も進みます。
水需要はますます減っていくでしょう。
莫大な予算を必要とする石木ダムは私たち佐世保市民にとって決してプラスではありません。

私たちは、わがままでしょうか?

スタンディングでハプニング

今日は第2月曜日。市役所前スタンディングの日です。

まずは、市役所南の信号傍のスペースで、幟と横断幕でアピールします。


ここに立っていたUさんの感想:みんなけっこうこちらを見てくれていた。会釈をしてくれる人なども今までより多くて、嬉しかった。

その角を右に行くと市役所の正面玄関へ、

左に行くと、

市役所の通用口や、佐世保川の向こうの合同庁舎方面へ。

ここから市役所正面玄関に向かう人もいるので、ここでもアピール。

こちらが通用口。階段を降りていくと市役所食堂や喫茶店、売店へ。

その少し先で写真入りのボードを持っているのは市議のOさん。いろんな人が声をかけて行きます。さすが!立ってるだけで存在感がありますね~

こちらは市営高砂駐車場。市役所や水道局、保健センターなどに来る人が使用している立体駐車場。その前でも静かに立って、幟とボードで訴え。

佐世保川にかかる橋の袂で小さなボードを掲げ続けるYさん。

私は彼女の斜め前に立っていましたが、庁舎への通勤者だけでなく、川沿いを散歩する人の姿もチラホラ。

その中のお1人(男性)が、つかつかと私の方へ。

ん?何かお叱りでも受けるのか?
こんなところに立ってたら散歩の邪魔だ!とか、
水は足りとらん!ダムは必要!とか言われるのか・・と思いきや、
「ご苦労さん。これ」と言って、1000円札を差し出された。

え?あ!とんでもない!けっこうです。
予想外のことに、私は思わず後ずさり。

「よか!気持ちたい!」と言って、また差し出され、
その瞳の奥に信念のような強い圧を感じ、
「わかりました。ありがとうございます!」
と、受け取ってしまった。

スタンディングにカンパとは予想外のハプニングだが、正直嬉しかった。

わずか10人ほどのスタンディングだけれど、私たちだけじゃない。一緒に立つことはできなくても、同じ思いの市民はあちこちにいる。まだまだ頑張ろう~男性の後姿に頭を下げながら、急に元気が湧いてきた。(我ながら単純!)

スタンディング終了後は、いつものようにこうばるへ。
いつもの場所に車を置いて、石木川を渡り、


今日も石木川は澄んでいて、川底の小石がくっきり!

対岸の草むらには、ハクチョウゲの花がいっぱい咲いていた。

白鳥ではなく白丁花と書くそうな。白い丁字型の花という意味。

花言葉は「純愛」。

こうばるには故郷への純愛が溢れている。

さっきの男性も、きっとそれを感じていたのだろう・・・。

 

厚労省ヒアリング 石木ダム再評価

2021年1月26日、公共事業チェック議員の会事務局長大河原雅子衆議院議員による石木ダムに関する厚労省ヒアリングがおこなわれました。

ほぼ1年前にもヒアリングがおこなわれました。

2020年2月13日議員会館大会議室にて

この時も進行役は大河原議員でしたが、その他にもたくさんの議員や市民が参加しました。

同じく2020年2月13日のヒアリング時の写真

今回は、コロナの問題があり、厚労省水道課の担当職員2名と大河原議員、そして水源連の共同代表の嶋津氏と遠藤氏だけが参加。
地元こうばる住民の方、佐世保市民、石木ダム対策弁護団などはZOOMによるリモート参加となりました。

しかし、ZOOMは本当に便利ですね。
おかげで、昨年は遠くて参加できなかった佐世保支局のマスコミ記者の皆さんや、佐世保市議の方も傍聴することができ、そういう意味では良かったと思います。

さて、今回のテーマは、昨年3月、佐世保市水道局が厚労省に提出した石木ダム再評価についてです。
厚生労働省医薬・生活衛生局水道課への質問20200323と回答と再質問

水需要予測と実績値の乖離、その原因である予測値の算出方法の問題点(公式を無視した一日最大給水量の計算方法、実績も能力もある水源を保有水源として認めない理由、毎年250億円もの渇水被害が発生するという虚構に基づく費用便益比等)について、具体的に詳細に質問が提示されています。

しかし、この日、厚労省から届いた回答は紙切れ1枚!
20210126厚労省回答

唖然としました。これでは回答になっていません。まともに答える気はさらさら無いということでしょう。

それにもめげず、水源連のお2人は、再質問に沿って1つずつ丁寧に問い質していかれましたが、結果は同じ。

壊れたテープレコーダーのように、同じ言葉の繰り返し。

「一義的には・・・」
「事業主体において・・・」
「・・・に基づいて適切に」
「・・・と承知しています」
等の言葉を組み合わせて、何を聞かれても対応。

例えば、再評価を審議した検討委員会のメンバーの1人は、石木ダム建設促進市民の会の副会長であり、もう1人は石木ダム付け替え道路工事の入札に8回も参加している建設会社の社長ですが、そのような委員会で公正な再評価をできると思いますか?と質問すると

再評価実施要領には第三者の意見を聞くとなっていて、「佐世保市はそれに基づいて適切におこなったと承知しています」

応札者は石木ダムの利害関係者ですよ。そのような人を第三者委員会のメンバーとするのはおかしくないですか?

人選については、「事業主体において」定めることとされています。

では、その人選が偏っているとか、問題ありだとしても、国は関知しないということなのですね?

関知しないということではなく、「事業主体によって適切に」対応されるべきことと「承知しております」

といった繰り返しです。
話がかみ合わない。
まるで日本語が通じない外国人と話しているよう。
これがいわゆる官僚答弁というものなのでしょう。
テレビの国会中継で出てくるアレですねー
若くして本省の課長補佐になるような優秀な方は、上司の姿勢にしっかり学んでいらっしゃる!
お見事でした!

しかし、その結果、私たちの疑問は何1つ解明されず、超消化不良!
胃もたれ状況でムカムカしています!

今回の回答書の中で、厚労省は「事業主体において適切に対応されるべきものであり、各々の事業の進め方の詳細は、把握していません」と平気で宣っていますが、それで許されるのですか?

国民の税金ですよ。血税ですよ。
今はコロナ対策に、いくらお金をかけても足りない時ですよ。
市や県がどのような評価の仕方をしても国は把握しません。
申請されれば補助金は出します。
それでは、何のために再評価をやらせているのですか!

昨年11月長崎新聞のインタビュー記事の中で、佐世保市の水需要予測は「過大」との指摘もあるが、との記者の問いに対して、佐世保市長はこう答えています。

私たちは国の指針に基づいて予測し、国から事業の補助金をもらっている。国に認められた予測であり、市が独断で決めていない

つまり、この水需要予測、そこから生まれた再評価結果については国にも責任があると市長は言っています。
どちらの主張が正しいのでしょう?
互いに責任回避しているとしか思えません。

厚労省の新水道ビジョンには、こんなことも書かれています。

利用者に対する情報提供体制、利用者の意見を事業経営に取り入れる体制が整備されることとします。

しかし、佐世保市民の多くは石木ダムなど望んではいませんよ。
第一水不足だと思っていません。
そのことを知ってほしくて、今回、以下の資料を提示しました。

佐世保市まちづくり市民意識アンケート調査報告書
市が2~3年に1回おこなっているもので、その結果報告書は佐世保市のホームページから閲覧できます。直近の平成30年のものはこちらです。
https://www.city.sasebo.lg.jp/kikaku/seisak/documents/2018_houkokusyo.pdf

その14ページには「まちづくり」に大切な37の分野(医療、防災、雇用、公共交通、福祉等々)をあげ、それに対する市民の満足度が数値で示されています。
右下の赤丸で囲ったところには、「今回の調査における満足度の高い5項目」が提示されていて、「水の安定供給」は35.7%で、第4位でした。

「水の安定供給」についての満足度が非常に高いということは、ほとんどの市民は水不足を感じていないという証です。

続いてこちら106ページには、水の安定供給のための施策に関する重要度の回答結果が示されています。
市民が重要だと選んだのは「水道施設の更新・整備」であり、それは6割近くにも達しており、全分野においてもトップレベルでした。
一方、「水源確保」は4割にも達していません。
そうはいっても4割の人が水源確保を望んでいるのかなと思っていましたが・・・どうも、そうではなさそうです。

23ページの「水源確保」のところに書かれた自由意見をご覧ください。
・石木ダムは必要ないのではないか。
・HPにはダム建設のメリットのみ書かれていて・・・
・本当に必要なのか、説得力に欠ける。
など、否定的な声ばかりでした。

この調査は、市が無作為に抽出した16歳以上の市民3,500人に郵送されたアンケートで、信頼性は高いと思います。そして、その結果を集計分析したのも市であり、市民=市水道使用者の実感を一番よく分かっているのは佐世保市自身のはずです。

なぜ市は、それを無視して石木ダムに固執するのでしょうか?
また市水道局は、「利用者の意見を事業経営に取り入れるべき」との水道ビジョンをなぜ無視するのでしょう?
水道ビジョンはお飾りですか?

そんな思いをぶつけたところ、「このアンケートについては知らなかったので佐世保市の方に問い合わせます」とのことでした。

どうぞしっかり問い質してください。このアンケート結果を水道政策にどう生かしているのかと。よろしくお願いします。

おそらくまた、「佐世保市の説明によると・・・でした。事業主体である佐世保市が適切に対応されることと承知しております」なんて回答が返ってくるのでしょうが。(*_*;

佐世保アーケード街でチラシ配り

今日から霜月。とはいえ午後の昼下がり、佐世保のアーケード街は予想以上に温かく、少し汗をかきながらのチラシ配りとなりました。

そのチラシとはこちらです。

チラシ「佐世保市民の生の声が聞きたい」

実は2回目です。
1回目は10月26日早朝、市役所前で配布しました。
その時は参加者が21人もいたので、1時間で約1000人の方に手渡すことができました!

今日はその半分の11人です。
さあ、どのくらいの方が受け取ってくれるでしょうか。。

久しぶりのチラシ配り。以前よりも受け取る人の確率は下がったような気もしますが、それでも、受け取ってすぐ、チラシに目を通して下さる人も…

こちらも、

あちらも、

若い女性も、

年配の男性も…

用意したチラシ600枚は、1時間半ほどで無くなりました。

受け取った人の10人に1人でもいい。
じっくり読んで、考えて頂けたら…

100人に1人でもいい。
佐世保市民として生の声を行政に届けて頂けたら…

今日そこで私が聴けた生の声は、
・もう今さらダムは要らない。
・もっと大事なことにお金を使ってほしい。
・ダムが必要だとしても、それなら佐世保で造るべき。
などなどでした。

        (‘◇’)ゞ

石木ダムへの市民の「声」

きっかけはこちらの投稿記事。長崎新聞「声」の欄です。

2020年9月25日

それに答えて佐世保市民が投稿。2020年10月1日

今度は諫早市民の投稿。2020年10月8日

この投稿者は最近まで石木ダムに反対している住民のことを「多くの補償金を貰っておいて、いつまでごねているのだろう」と思っておられたそうです。

でも、自分が似たような立場に置かされて、初めて公共事業の実態に気づき、そのことを公表してくださいました。「知らない間に他人の土地の上に計画を立て」「その土地を売れ」と一方的に言われ「そこかしこに思い出の詰まった大事な土地を二束三文でどうして手放すことができるでしょう」と。

しかも、こうばるの皆さんは1円も受け取ってはいないのです。
このような誤解や思い込みも多いかもしれませんね。

どんな問題もそうですが、まずは事実を知ること、実態、実状を把握すること。
その上で自分自身で考える。

石木ダム問題で言えば、
こうばるの人々はなぜ石木ダムに反対しているのか?
川棚川の洪水対策は石木ダム以外に無いのか?
佐世保市は本当に水不足なのか?
そういう事実を知った上で、自分がこうばる住民なら?
自分が川棚町民なら?佐世保市民なら?どう考えるだろう?
もし知事だったらどのような判断をするだろう?

そういうふうに一人一人が自問自答してみることが大切ではないでしょうか?