そのダムいったい誰のため?

ずいぶん放送から時間が経過しているのですが、皆さんにぜひお知らせしたいのでご紹介します。

ジャーナリストの笹島さんが長崎県の石木ダム問題について、リモートでお話ししてくださっています。
東京FMでの生放送でした。

こちらのページにて、その時のお話しが書き起こされております。
ぜひチェックしてみてください。

https://park.gsj.mobi/news/show/66822?fbclid=IwAR1FmrTXyEZs2QjxsJR_B7hvfqYBmvjcjOirZjt79z3n5mFXAiwPqyOXJBk

放送では去年11月の水源連の全国集会での松本好央さんのスピーチも流されました。
ご本人が、初めてのラジオ出演ということで大変緊張されたそうです。
思ったように話すことができず、言いたいこと言う前にパーソナリティーの方に切られてしまったのだとか…

いや、もうね、ラジオ生出演って本当に緊張しますよね!
無理もないですよ!
よく頑張ってくださったと思います。

あ、笹島さんはですね、以前、ヤフーニュースで大きな石木ダムの記事「ここが沈むとは思ってない」 を出してくださった記者さんです。



リンクを貼っておきますので、みんな改めて読み直してみてね〜!

「ここが沈むとは思ってない」 長崎県・石木ダム計画の問い
https://news.yahoo.co.jp/feature/1023

自然の「ことば」描く 石木ダム反対住民ら展覧会

https://digital.asahi.com/articles/ASN666JD8N65TOLB00Q.html  朝日新聞 6月7日

長崎県内を拠点にイラストや鉛筆画で創作活動をしている3人の絵画展「しぜんのことば」が7日から、長与町で開かれる。石木ダム(川棚町)の水没予定地に暮らす石丸穂澄(ほずみ)さん(37)は、ふるさとの豊かな自然に息づく生き物を描いた新たな作品を出展する。入場無料で13日まで。

石丸さんは水没予定地の同町川原(こうばる)地区で、移転を拒んで暮らす13世帯の住民の1人。得意のイラストで地区の出来事を伝える「こうばる通信」を発行したり、住民の活動資金に充てるポストカードに、ふるさとの暮らしを描いたりしてきた。

昨年5月、県収用委員会が土地の明け渡しを命じてから緊迫の日々が続き、石丸さんは心身の不調から思うように絵筆を取れなかった。

今年に入って絵画展の話が決まると、約3カ月間でウナギやアユ、サワガニなど石木川などの生き物を水彩で次々と描き、一気に25点を仕上げた。石丸さんは「県がダムで沈めようとする土地には貴重な生き物がいることを可視化したかった」と話す。

佐世保市の和田沙織さん(38)は、実際に目にした鳥や花、果物を緻密(ちみつ)な色鉛筆画で描いた21点を出品。東彼杵町の松島理恵子さん(38)は、「風」をモチーフに、言葉では表現し尽くせない感情を抽象画に落とし込んだ色鉛筆画20点を出品する。松島さんは「それぞれ自然に寄り添った作品。絵の中に込められた絵描きにとっての『ことば』を感じてほしい」と話す。

長与町まなび野2丁目の「風の森まなびの」内のイベントギャラリーで開催。新型コロナウイルス対策で同時入場は2組までとし、鑑賞時間を制限する。問い合わせは松島さんのメールアドレス(comicpluto248@yahoo.co.jp)へ。(小川直樹)

コロナ禍でも石木ダム工事着々

コロナ禍でも石木ダム工事着々 反対派も抗議継続

朝日新聞 2020年6月6日 9時00分
https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20200605004567.html

長崎県川棚町の石木ダムの建設予定地では、新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言下でも連日、工事が続いた。これに対し、反対住民らも「3密」回避に苦慮しながら抗議の座り込みを続けてきた。一帯では、昨年の土地・家屋の強制収用手続き後、初となる田植えも始まる。

ダム予定地では、県が本体工事に先立ち、水没する県道の付け替え道路建設を進める。この工事に抗議して2016年夏から続く座り込みが連続850日(土日などを除く)となった4日。石木川に架かる新たな橋がほぼ姿を現した。県道との合流地点に位置し、ここが付け替え道路の起点となる。

大型連休以降、工事は一気に進んだ。この日も、各所でショベルカーがアームを上げ下げし、ダンプカー数台が砂煙を巻き上げ行き交っていた。左岸の高台では、マスク姿の住民ら約30人が、付け替え道路建設のための運搬路をふさぐ。

「コロナで工事をやめるぐらいなら、県はとっくに我々と向き合っているでしょう」「県がいう話し合いは、ダムの必要性の議論ではなく、補償交渉だ」。そんなあきらめに似た言葉も聞かれる。「コロナ対策で予算の組み替えが必要になるほどの事態なのに石木ダムは特別枠ですか? これほど不要論もあるのに……」と、工事を続ける県の姿勢を問う人もいた。

水没予定地・川原(こうばる)地区の宅地や農地は昨年、国に強制収用され、所有権はすべて国に移った。それでも5月末から田植えの準備が始まっている。座り込みの合間を縫って田に水を張り、土を細かく砕く代(しろ)かきの作業をしてきた。今週末、親族の手も借りての田植えがピークを迎える。(原口晋也)

まるでゾンビ、45年間本体未着工のダム計画

まるでゾンビ、45年間本体未着工のダム計画 徹底抗戦13世帯、長崎県「実力行使も選択肢」

(全国新聞ネット 2020/06/01 07:00) https://bit.ly/30dlAYF

45年前に建設が決まったが、いまだに本体の着工すらしていないダム計画が長崎県で生き続けている。まるでゾンビのような公共事業は、石木ダム計画だ。県と佐世保市が川棚町の石木川流域に予定。ダム建設に伴う移転対象の約8割に当たる54世帯が既に転居した一方、水没予定地の13世帯約60人が残り「死んでもふるさとを離れない」と徹底抗戦の構えだ。住民は見直しを含めた対話を求めるが、県側は住民や家屋を撤去して強制的に土地を取り上げる〝実力行使〟の行政代執行を「選択肢の一つ」と言い放つ。両者の深い溝は埋まりそうにもない。(共同通信・石川陽一)

 

強制測量の記憶

生い茂る木々の間から響く鳥の声。透き通るような清流には、夏になると無数の蛍が舞う。そんな集落にダム建設が決まったのは、1975年のことだった。「こんなに美しい場所は他にないよ」と笑う松本好央さん(45)は、その年に生まれた。水没予定地の川棚町川原(こうばる)地区で鉄工所を営む。仕事後に自宅の窓から田園風景を眺め、一杯やるのが最高の楽しみだ。

82年5月、小学2年生だった松本さんは初めてダム問題を意識することになる。県が県警機動隊を動員し、建設予定地の強制測量に踏み切ったのだ。学校を休んで大人や近所の子どもたちとともに座り込み、迫る隊員に「帰れ!」と叫んで抵抗したが、あえなく排除された。「本当に家を奪われてしまうのだと思った。今でもあの時の恐怖は忘れられない」

この出来事が、住民と県側との決裂を決定的なものとした。「見ざる、言わざる、聞かざる」をスローガンに、住民はダム計画が存在していないかのように「徹底無視」を貫く。ダムの話題はタブーだ。住民は玄関に「県職員訪問お断り」と書かれたシールを貼り付け、用地買収の交渉は一切受け付けない。感情面の対立が激しさを増した。

 

洪水と大渇水

強制測量後、県側は動きを控える。「ダムのことは忘れて日常生活を送っていた」(松本さん)という92年7月、豪雨で石木川の本流の川棚川が氾濫し、町中が浸水。94年8月から95年4月にかけては、佐世保市で最大43時間連続断水、給水制限264日に及ぶ大渇水が起こった。

石木ダムは佐世保市への給水と川棚町の治水対策が目的だ。県関係者は「ダムがあれば氾濫は防げたし、渇水の被害も緩和できた。行政としては痛恨の出来事だった」。建設計画は息を吹き返す。当初は反対で一致団結していた住民側からも用地買収に応じる人が出始め、97~2004年度に計54世帯が立ち退きに同意した。

反対運動も再び活発化した。10年3月に水没予定道路の付け替え工事が始まると、反対住民は抗議して連日、重機の周辺に座り込んだ。「命を懸けた」行動で一時は工事を中断させ、中村法道知事と4回面談したが、決裂。両者が歩み寄ることは無かった。13年9月、国がダム建設に「お墨付き」を与える事業認定を告示し、翌年から県は土地の強制収用に向けた手続きに入った。19年9月、ついに県側は全予定地の権利を取得し、松本さんら残る13世帯は、法的には「国有地を不法占拠する元地権者」となった。

 

人口減でも需要増

県側が石木ダム建設の根拠とするのは大きく2点。一つは、佐世保市の水需要がこれから緩やかに増加していくという市水道局の予測だ。今から18年後の38年には、最大で1日当たり約10万6500トンの水需要を見込み、予備の10%を加味した約11万7000トンが必要と推計。佐世保市が保有する年間355日以上水を供給できる「安定水源」は、1日当たり約7万7000トンにとどまるため、ダムで残りの約4万トンを補うつもりだ。

市水道局によると、09~18年の1日最大給水量の実績値は約10万7600トン。この年は寒波で家庭用の配管が破裂する事故が起きており、残りの年は約7万7000~約8万2000トン。安定水源の供給量を超えた場合は、天候によっては取水できない「不安定水源」の約3万トンや民間の農業用水などを組み合わせて対処しているという。水道局の担当者は「水道事業者は常に水を安定供給できる施設の整備を水道法で義務付けられている。需要予測は必要最小限にとどめており、石木ダムを造ればギリギリ足りるという状況だ」と説明する。

ただ、佐世保市の人口は減少傾向にある。20年5月1日時点で約24万人が住んでいるが、国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、今から20年後の40年には約21万人に落ち込む見通し。生活用水や工業用水の使用量の増加は見込めないとして、反対派は水需要予測を誤りだと主張している。

 

100年に1回の大雨

県側の2点目の論拠は、川棚町の治水対策でダム建設が最も費用対効果が高いとの試算だ。県河川課が19年に作成した資料によると、堤防のかさ上げや河道の掘削など7種の方法を検討した結果、ダム中止に伴って発生する費用約62億円を含めて210億~433億円程度かかる。このままダムを造れば、治水面に限ると今後50年の維持管理費を含めて約77億円で済むという。

反対派は石木川にダムを建設しても川棚川の流域面積の約8・8%しかカバーできず、上流部分での氾濫は防げないと主張。県が治水面で想定している「100年に1回レベルの大雨」という基準も過大評価で、他の対策の費用試算も誤りだとしている。川棚川と石木川を河川改修すれば対応できるとしており、双方の主張は平行線をたどっている。

19年9月、約5年ぶりに中村知事が県庁内で住民との面会に応じた。参加者は住民約50人に限定し、場所は当日まで明らかにせず、入り口にバリケードを設けるなどの「厳戒態勢」だった。住民は代わる代わるふるさとへの思いを口にし、涙を流した。最後には立ち上がり「どうか事業の見直しをお願いします」と全員で頭を下げた。知事はうつむき、視線を合わせなかった。その場で「継続して対話する機会を設けたい」と述べたが、以降、両者の話し合いは一度も開かれていない。

 

ふるさと愛は悪か

知事との面会には、松本さんの長女で高校生の晏奈(はるな)さん(18)の姿もあった。「帰る場所がなくなるのは嫌だ。思い出が詰まったふるさとを奪わないでください。どうか私たちの思いを受け止めてください」と語りかけた。

松本さんは、強制収用によって、子どもたちにかつて自身が感じた以上の恐怖を味わわせることは許せないと感じる。年老いた祖母や両親にも、ここで最期を迎えさせてあげたい。「ふるさとを愛することは悪なのか。もう弱い者いじめはやめてほしい。水の確保や治水は何か他の方法が絶対にあるはず。県や佐世保市はまず対話に応じてほしい」

13世帯の土地の明け渡し期限を迎えた19年11月18日、住民約40人が県庁を訪れた。「石木ダムは県政の最重要課題の一つ」と公言する中村知事は節目のこの日、別の公務で出張のため留守だった。代わりに対応した平田研副知事は「ダムで恩恵を受ける人たちは大切な県民だ。行政代執行は選択肢から外さない」と告げた。私たちは県民じゃないのか―。会場の会議室には住民の怒号が飛び交った。

 

フラットな対話の場を

「隣町の水道水を確保するためにあなたの実家をダムに沈めても良いか」と問われたら、どう答えるだろうか。筆者なら嫌だ。「大勢のために少数の犠牲が必要」という考えは強権的で、民主主義社会にそぐわない。

確かに新たな水源や治水対策は必要なのかもしれない。でも、ふるさとに住み続けたいと願う人が居るなら、それを守るのも行政の仕事だ。県側と住民側をそれぞれ取材していると、お互いに感情的な対立が極まってしまっていると感じた。現状では何も解決しない。フラットな状態で対話できる場を設けてほしい。

もし13世帯を実力で排除し、立ち退きを強制することになれば、前代未聞の出来事だ。禍根は世代を超えて残り続け、関わった人間全員の背中に決して消えない十字架を刻むことになるだろう。

【石木ダム】長崎県と佐世保市が川棚町の石木川に計画する多目的ダム。計画では総貯水量約548万トンで、事業費は約285億円。当初の完成目標は1979年度だったが、今もダム本体は着工しておらず、現在の目標は2025年度。県は14年に強制収用の手続きを開始。水没予定地の13世帯は19年9月に土地の権利を失い、県側は全予定地の用地取得を終えた。現在、知事の判断で行政代執行し、住民や家屋を強制的に排除できる。国の事業認定取り消しを求めた訴訟は一審、二審で住民側が敗訴し、上告中。工事差し止めを求めた訴訟も一審は住民側が敗訴し、福岡高裁で係争中。

 

ダム予定地に生まれて

告知です!

録画必須!!

テレビで30分の長崎県・石木ダム問題の報道特集です。

九州地区内での放送です。

九州のみなさん、よろしくお願いします。


長崎県内(NBC放送局)では放送時間が変更になっていますのでご注意ください!
26日(日)の25時45分〜(深夜1時45分〜)と表記されていましたが、
正しくは25時20分〜(深夜1時20分〜)に変更になりました。



JNN九州沖縄ドキュメント・ムーブ「MOVE」の告知ページはこちらです。
https://rkb.jp/move/move_next.htm





ダム予定地に生まれて

2020年第8回

制作:NBC長崎放送

ディレクター:山口 仁

春は桜や菜の花が咲き誇り、夏はホタルが乱舞するなど里山の原風景を残す長崎県川棚町川原地区。集落を流れる石木川にダム計画が持ち上がったのは半世紀前のこと。
以来、住民の根強い反対運動が続いている。
転機となったのは1982年に行われた「強制測量」。
警察にガードされた県職員が測量調査のため現地に入り、進入を拒む住民らと激しく衝突。
子供も老人も容赦なく機動隊に排除された。
当時小学校2年生だった松本好夫さん(45)は泣き叫びながら機動隊と対峙した。
高校卒業後、父が経営する鉄工所で働き地元に暮らしながら若者世代のリーダー格として反対運動を続けている。
子供を運動に巻き込みたくないと思っていたが、大きな局面となった去年の県庁行動で初めて娘・息子を矢面に立たせてしまい忸怩たる思いもある。
一方、県は着々とダム建設の準備を進め、去年9月土地収用法に基き、松本さんらの土地や家屋は強制的に収用されてしまった。
川原地区には今も13世帯・約50人が住んでいるが立ち退きを迫られていて、行政代執行により家屋の取り壊しも可能な状況となっている。
年配の住民は今も毎日ダム関連の工事現場に行き抗議の座り込みを続けている。
人生の大半を「ダム問題」に費やさざるを得なかった、松本さんらダム反対住民の苦悩の半生を描く





いいですか、みなさん、録画ですよ!

絶対録画!録画!

岐路に立つ石木ダム 

正確には「現場へ!岐路に立つ長崎・石木ダム」というタイトルで、朝日新聞の夕刊に5日間(4月6日~10日)連載されました。(長崎では、コロナの影響で、8日~12日の朝刊)

全国版です。だから「長崎・石木ダム」です。
まだ影も形も無い無名のダムですから。
万一できたとしても、日本列島の西の端の小さなダムです。
昨年完成したばかりで、何かと話題になった八ッ場ダムの1/20の貯水量。
かなり昔、映画にもなり日本中を感動させた黒部ダムの1/36です。
そして貯水量日本1と言われる徳山ダムに比べると、なんと、わずか1/120という小ささ!

そんな石木ダムが何故、全国版に掲載されたのか?
もちろん、私たちはもっと早く取り上げてほしかった。
全国の人に知ってほしい。
他県民にとっても決して無関係ではない、全国共通の重大な問題を孕んでいると言い続けてきました。
が、それが大手メディアにはなかなか通じないまま時が過ぎ・・・

ようやく、ようやく、実現しました。
何故いま実現したのか?
この連載で、原口記者は何を伝えようとしたのか?

この記事に出会えなかった人たちのためにも、ここに転載させていただきます。
すでに読まれた方も、もう一度いっしょに目を通してみませんか。

初日の記事は、こちらです。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14431993.html?iref=pc_rensai_article_long_401_prev

最後の一文「60年近く前の計画が推し進められようとしているいま、住民の闘いの意味を改めて考えたい」が、まさにこの連載記事の趣旨であり、目的なのだと思います。

そして、何故60年も闘いが続いているのか?
そこには「金銭に代えられないものの価値」が存在し、その大切さを知ってる人たちだけが残っているからでしょうか。

また、彼らは「戦後の民主教育を受けた世代」であり、「酒食」にも「12億円」という大金にもなびかない強さがあったからでしょう。

とは言え、全国のダム建設予定地にも、彼らのような正義感と行動力を持った団塊世代はたくさんいたはず。何故こうばるの人々だけが信念を貫き通せたのか・・との疑問は残ります。
その謎は、2回目に明かされます。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14433431.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

「土地は命。二度も取られるわけにはいかん」それが石木ダム建設予定地こうばるの特異性だったのですね。

戦時中、有無を言わさず軍に接収された豊かな農地は、カチンカチンのコンクリートに覆われて戻ってきた。それを元の水田に戻すまでどれほどの時間と労力が費やされたか・・そんな汗と愛がいっぱい詰まった大切な田畑を、今度は水に沈めると言う・・・「わかりました」と出て行けるわけがない!

土地への愛着などまるでなかった私(田畑を耕したこともなく、生まれてこのかた引っ越し回数は10回を超え今の住まいは12軒目)でも、こうばるの歴史を知れば、皆さんの想いは十分理解できます。

マツさんが「国に2度も土地を取られるとは、どこで目をつけられたもんか」と嘆いておられますが、そんなマツさん自身、一歩も引く気はありません。とても小柄で、いつも優しい笑顔のマツさんですが、10年前に工事が始まった頃は、県職員に「そんなにダムば造りたかなら、ウチば殺してから造りんさい!」と迫っていました。

そんな住民に、県はどう対応してきたのでしょう。
その答えは第3回に書かれています。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14434939.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

動かぬ住民に対し県がまず行ったのは力による北風政策。機動隊を導入し、力尽くで強制測量。測量そのものはできたが、マスコミや県民の反感を買ってしまった。石木ダム推進派にも「あの強制測量は失敗だった」と批判する人はたくさんいます。

それに懲りたのか、今度は太陽政策。移転受け入れ者には懇親会という名の接待に、視察という名の観光旅行。そして現金。

童話の通り、北風には負けない住民も太陽には弱いようです。飴の誘惑には勝てないのが普通かもしれません。

田村さんが明かしているように、推進派の会は住民から生まれたものではなく、県に頼まれて作ったもの。ダム推進が本心ではないようです。だから、新聞の投稿欄に載るのは、いつも反対派の声ばかり。ダムのお金で3人の子どもを大学に進学させられたと感謝する人でも、「反対住民を力で追い出すなんてしてほしくない」とおっしゃったそうで・・それが本心だろうと思います。きっと以前は仲の良かった住民同士だったのでしょう。ダム建設という公共事業は住民を幸せにするよりも、住民を分断し、苦しめ、悲しませることの方が大きいようです。

しかし、行政は、そのような横軸=隣人の分断はできても、縦軸=歴史の分断はできません。
その意味は第4回へ。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14436226.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

炭谷猛さんちの歴史は、こうばるに根を下ろしてから266年になるという。猛さんは紛れもなく祖先の命を引き継いできた。先祖を分断すれば猛さんの存在はない。だから縦軸の分断はできない。それは炭谷家だけでなく、13世帯みんな同じ思いで、こうばるというコミュニティそのものにもそのような魂を感じます。

だからこそ、お寺の住職も、全国のダムに沈む村を見つめてきたカメラマンも、13世帯を応援したくなるのでしょう。それは「仏の教えにかなう道」であり、「千年単位で続いてきた暮らしや笑顔」を永遠に水に沈めてしまってはいけないという確信からでしょう。

そして、こうばるを応援する人たちは、もっともっと、あちこちにいます。どんどん増えています。
その話は第5回で。



https://digital.asahi.com/articles/DA3S14437585.html?iref=pc_rensai_article_long_401_next

ここに登場したこうばるサポーターの皆さんの言葉は、どれも深くて大きい。

いとうせいこうさん:代々、土地の文化を受け継ぎ、誇りをもって生きてきた、まさに日本人。その倫理でダムに反対している。彼らを“切る”ことは『日本人』を“切る”こと」「戦後日本が抱える、ある種のでたらめさが、石木ではよく見えます。水俣・成田(空港)・福島・石木。石木を転換できれば、日本にもまだ光明がある

山田英治監督:長年のダム闘争でも失われていない住民の笑顔とユーモアに接して心が震えた」「『ダム反対』映画ではなく『里山の豊かな暮らし賛成』映画なら撮れる

前パタゴニア日本支社長辻井隆行さん:みんなが『勝つ』方法を考えたい。例えば河川改修中心に治水対策を転換すれば地元で受注でき、住民も住み続けられる可能性が広がる」「石木ダムのあり方を問うことは、民主主義を問い直すこと

「現場へ!」向かった原口記者は、いつしか現場から飛び出し、いろんな人に会いに行きました。そのインタビューから見えてきたものは、やはり、石木ダム問題は、長崎だけの問題ではないということ。公共事業のあり方はもちろん、日本の政治のあり方、民主主義の意味と現状などなど様々な課題と繋がっていることが、よーくわかりました。

皆さんは、どのように思われましたか?

石木川の最後のまもり人

大変嬉しいニュースです!

長崎県の石木ダム問題が、英語圏のみなさんに届くようにと外国人ジャーナリストのロジャー・オングさんがニュースとして取り上げてくれました!

ネット媒体での発信です、こちらから拝読いただけます。
「Zenbird」というサイトです。
https://zenbird.media/the-last-protectors-of-ishiki-river/

そのまま自動翻訳でも読むことができますが、こちらの石木川まもり隊ブログでは、さらに読みやすいよう正式な翻訳をプロに依頼いたしました。

以下、日本語訳を掲載いたしますので、みなさんご一読ください。

そして、英語圏のお知り合いがおられる方にはぜひ、Zenbirdの記事のシェア・拡散をよろしくお願い申し上げます。



石木川の最後のまもり人
ロジャー・オング

 長崎県佐世保市からわずか1時間の場所に、こうばるの田舎はある。生き生きとした野生動物と田んぼが美しい谷間(たにあい)の郷だ。その中を、澄みきった水に多種の川魚が泳ぐ、小さな石木川が流れる。

 だが、この美しさの影に、13世帯50人の故郷を守る、40年にも渡る長い闘いが隠れている。それは、ここに何世代にも渡って住み続ける人々を潤してきた豊かな環境を守る闘いでもある。2019年11月18日から、住民はダムのために立ち退くよう命令が下ったからだ。



<写真キャプション:遠くからも見える巨大なサイン。“ダム(建設)絶対反対”(写真:ロジャー・オング)>

 石木ダムの建設は、石木ダム上流を水没させ、自然環境を破壊し、この地域を居住不可能にする。ダム建設の理由は不十分で、専門家たちは必要性を疑問視し、住民たちは決して建設に同意してこなかったにもかかわらず、長崎県はダム建設に邁進している。

 住民に対する立ち退き命令とともに、(訳注:長崎県から受注した)建設業者はすでにこの地域での建設作業を開始している。実際、長崎県当局はダム建設計画を継続することを決めたのみならず、建設を加速させると発表した。

 「石木川まもり隊」のメンバーにガイドしていただいて、筆者はこうばるの郷を訪れ、現在の状況を確かめるとともに、この集落を包む雰囲気がどんなものか確かめてみた。



<写真キャプション:穏やかなこうばるの景色をバックに。石木川まもり隊・創設者の松本美智恵さん(白いジャケット)とメンバーの牛島万紀子さん>

■石木ダムの必要性の主張

 石木ダム建設事業はまず、1972年に長崎県知事によって提案された。当局関係者によれば、背景には主に2つの理由があるという。

1. 川棚川(石木川は川棚川の支流である)の氾濫防止 と
2. 佐世保市に供給する(訳注:水道原水として)必要最低限のを貯める必要性

で、灌漑や発電は含まれていない。

・氾濫制御

 ダム建設がゴリ押しされる最大の理由は、氾濫制御である。これは、川棚川流域住民のリアルな関心ごとだ。長崎県は、降り続く雨が越水し川棚町に氾濫する危険性を主張している。



<「日本の年間降水量偏差」グラフキャプション:緑の棒グラフは平均を超えた年間降水量(単位:ミリメートル)。長崎県は、降雨量の増加だけでなく、減少にも直面していると予測する(出典:気象庁)>



<「川棚川流域」図キャプション:縮尺が正確ではないが、川棚川とその支流の地図。黒い印が石木川に建設を予定しているダムの地点。赤い地域は川棚川の流域面積の11%にあたる(図:石木ダム債務問題を説明するパンフレット)>

 しかしながら、問題は降雨量の増加だけではない。「石木川まもり隊」の松本さんはこう説明する。「破局的洪水は100年に1度起こる(しかし、専門家の間でこれは1,000年に一度の確率であると指摘されている)とされています(直近の発生は1990年)。その脅威は、特に河口付近の住民にとってはリアルなものです。河口付近の岸を見てみれば、家がいかにギリギリまで建っているかがわかります」。高い防壁があってしかるべき川縁を見てみると、豪雨がいかに川縁に新しく建てられた家を脅かすかが分かる。



<写真キャプション:川棚川河口の住宅。堤防のある100m上流とは違い、川岸にあるこれらの新しい住宅を守る氾濫制御の方策は取られていないように見える>

・上水道供給の増加

 将来不足する水需要(訳注:という佐世保市の主張)が、ダムを正当化するもうひとつの理由だ。佐世保市の11の水源のうちの1つが川棚川に由来する。当局によると、佐世保市は水不足に直面している。人口減少にもかかわらず、佐世保市における水需要は大幅に増加すると推計している。水不足は以前にも起こっており、ダムによってより多くの水を供給することを期待しているのだ。



<写真キャプション:川棚川。対岸の青色のポンプ場は、佐世保市に1日最大20,000トンの水を供給している。(写真:ロジャー・オング)>

■たったひとつのダムがいかにして複合的な社会的・環境的課題をもたらすか

 しかしながら、こうばるの住民たちやNPOなどは、行政の主張を不十分だと指摘する。事実、時を経るごとに、ダム推進の主張に対するおかしさを指摘する日本人はどんどん増えている。それで、石木ダムが本当に必要なのか、疑問が呈されてきたのだ。

・佐世保市民による実際の水利用

 佐世保市の人口は減り続けている。この10年間で17,898人も減少し、今年1月1日時点で246,567人だ。だが、水源開発問題全国連絡会(水源連)による調査によれば、佐世保市において水需要の増加の兆候は見当たらない。(水源連は、ダム建設に批判的なメンバー間のネットワークで、日本におけるより有効な水資源開発を目指している。)



<「生活用水」折れ線グラフのキャプション:市民1人当たりの水の1日使用量の年平均値。●印でつながった青い折れ線は平均値を表し、◇印でつながった折れ線が最大値、□印でつながった折れ線が最小値を表す。オレンジの折れ線は佐世保市の楽観的推計。(出典:水源連)>

 ダム建設をめぐる、当初から現在に至る疑問は、佐世保市当局の推計が何に基づいているかだ。市民の1日あたりの水使用量は減り続け、人口も減っているにもかかわらず、ダムは古い推計のまま建設されようとしている。同じように異常な推計は工場用水使用量でも見られ、2024年までに6倍増加すると推計している。(参照1)

・市民は350億円の借金を背負う

 石木ダムとそれに関連する事業には、538億円(約4.9億USドル)の税金が必要とされている。このうち、353億円(約3億2100万USドル)が、佐世保市民の借金となる。

 いうまでもなく、これほど莫大な額の投資に対しては、金銭的及び非金銭的なコストを、享受する利益がはるかに上回らねばならない。さらに、その決定は、生活にも環境にもより小さな影響で済む他の選択肢が絶対にないと明言できるほど厳格な監視のもとに行われなければならない。

 しかし、石木川まもり隊や専門家たちは、石木ダムはそうなっていない、他の選択肢がきちんと議論されていないと主張する。ダムの時代遅れの必要性や環境に与える悪影響に関する専門家たちの抗弁に対しては、当局は耳を閉ざしたままである(デジャブを覚えた人?)



<写真キャプション:ブロックパターンが石木ダムの位置を示す。事前工事はすでに進められており、緑が土と金属に取って代わられている>

・ダムは単純に環境に悪い

 ダムを建設することは、本質的に、都市化のために自然(訳注:そこに居住する人間も含む)の一部を犠牲にすることである。そのため、ダム建設は絶対的必要性が求められるべきである。

 ダム建設は、そこに住むあらゆる生き物の生息地を破壊することである。それは、魚たちの産卵地や、エコシステムを成り立たせる食物資源を強制的に奪うことだ。ダムはまた、川の流れを澱ませ、魚の回遊失調を引き起こす。特に、石木川に生息する10種類以上の歴史的に重要な魚類に影響を与えるといわれる。希少な魚類であるヤマトシマドジョウもここで観察できる。





<イメージキャプション:これらの魚たちは、ドイツの分類学者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、日本の鎖国時代に長崎で活動していた時に初めて出会ったものである。彼が石木川で発見した(訳注:とされる)15種のうち、希少なヤマトシマドジョウを含む12種は石木川に生息している>

 その上、川の下流の維持に重要な砂利や岩などの川の堆積物はダムに阻まれ、ダム底に沈む既存のエコシステムを喪失させる。

 それゆえに、当局は、環境を犠牲にし、人類及び人類以外双方の、そこに住むすべての「住民」を立ち退かせるほどの必要性があると証明する責任があるのだ。

・氾濫制御に対案はないのか?

 川棚川河口を見ていると心配になる。川の越水を防ぐための堤防は、河口の手前数百メートルのところで終わる。河口付近の住民を洪水から守る他の手段は見当たらない。どうやら川の二ヶ所(訳注:ダムに沈めようとする上流と、洪水に脆弱に見える下流)の違いは、(訳注:管轄する)官僚組織の違いに起因している。



<写真キャプション:河口付近にて。氾濫危険区域について住民はどれくらい知らされているのだろうか?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、ダムが「怠惰な」策であるかもしれないことをほのめかしている。つまり、「造って終わり」というわけだ。しかしながら、ダムはベストの解決策ではない。

 京都の東に位置する滋賀県も、多くの川が琵琶湖に流れ込み、似たような洪水問題に直面している。滋賀は氾濫制御に関して多層構造の戦略を採っている。持続可能性とメンテナンスに重きを置き、インフラ整備は数多ある対応策のひとつに過ぎず、都市計画や水の封じ込め、市民のアクションが同様の重要性を持つ。これらの情報が市民に公開されることで、自治体行政当局と住民双方が洪水のリスクを軽減したり管理したりするために協働することが推進される。

 それに比べ、ダムを作るという長崎県の計画は川棚川流域の11%を制御するのみで、問題は下流に移るだけだ。これが、住民が「本当にダムは必要なのか?」と問うもうひとつの理由だ。

・こうばるの文化の喪失

 こうばるは田舎だといわれるが、実際は活発な集落だ。こうばるでは毎年ほたる祭りが開かれ、その度に500人以上が訪れる。毎年5月に開催され、みんなのお目当てはこうばるを有名にした蛍たちだ。実際、ついに訪問者数は1000人を超え、駐車場が足りなくなる有様である。



<写真キャプション:食べ物はこうばるほたる祭りのいちばんのお楽しみだ。(写真:石丸穂澄提供)>

 住民たちは訪問者を呼び寄せることにも関心を持っている。それは、日本における国を挙げた地域活性化策を反映している。こうばるはまた、WTK(“Witness To Kohbaru in Autumn”、つまり「秋のこうばるの目撃者」の略)という音楽フェスティバルの美しい舞台となった。これはこうばるの美しさを広めるものでもあり、小林武史、Caravan、Salyu、東田トモヒロなど大勢のアーティストが参加した。



<写真キャプション:音楽フェスは夜まで続いた。パタゴニアがイベント開催をサポートするなど大きなスポンサーとなった(写真提供:石丸穂澄)>

 加えてこうばるは、いかに自然と共生していくかについて、私たちに教えてくれる場所でもある。こうばるは、環境への影響を最小限にとどめつつ自給自足する農的コミュニティだ。この集落は、訪問者に自然環境の魅力を伝えるテコにもなりうる。

 少なくとも、こうばるは持続可能な方法論、実験、研究のたたき台となる可能性を秘めている。たとえば、持続可能な観光。持続可能なコミュニティ。しかしながら、そういった可能性はまもなく消えようとしている。



<写真キャプション:“石木川のほとりにて”写真提供:村山嘉昭>

■古い官僚主義と持続可能性を求める現代のムーブメントの間に横たわる隔たり

 では、いかにして故郷と自然環境をめぐる闘いは半世紀も続いたのだろうか?事態の展開は奇妙なものだった。1974年、久保勘一・長崎県知事(当時)は地質調査を実行したが、住民の許可なしにはダムを作らないと約束した。こうばるの住民は認めなかったにもかかわらず、計画は前に進められた。地元の反対をよそに、ダムは実現可能なものだという結論が出され、久保知事はダム建設計画を提出したのである。



<写真キャプション:1982年、土地収用法に基づく強制測量に対する抗議の写真。老いも若きも参加したが、140人の警察官が彼らを力づくで排除した(写真提供:こうばる公民館)>

 石木ダム問題は4人の知事に跨って続いたが、どの知事もこのプロジェクトを「決定事項」だとみなした。つまり、たとえ住民たちとあったとしてもそれは(訳注:知事側の、建設推進を前提とした)一方的なもので、こうばるの住民とのさらなる話し合いを避けようとし続けたのだ。住民たちによる適切な話し合いの要求に対して、40年間耳を塞ぎ続けてきたのだ。

 2013年、ついにこうばるに掲示板が掲げられた。そこには土地収用法の文言が刻まれ、当局(訳注:起業者である長崎県・佐世保市)は適切な補償と引き換えに、私有地を公共目的で収用できることが記されている。最後通帳が突きつけられたのだ。



<写真キャプション:この間に合わせの掘ったて小屋は、ダム建設反対の強烈なシンボルであり、まさにダムサイトが建設される予定地のど真ん中に建っている。左側の看板には「故郷を守る反対同盟」と書いてある(写真:ロジャー・オング)>

 こうばるの住民たちは、臆することなくダムの必要性に疑問を投げかけ続けている。だが、現知事である中村法道氏は、住民との話し合いの基軸はあくまで(水没予定地居住者の)移転問題という前提で話を進めている。両者のギャップが皆にフラストレーションをもたらし、住民たちの故郷を守る不屈の決意の火に油を注いでいる。



<写真キャプション:佐世保市内の通りに掲げられた看板のひとつ。「石木ダム建設は佐世保市民の願い」と書かれてある。佐世保市民をターゲットとしながら、佐世保市民の願いであるとはいかに?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、埋めるべき唯一のギャップではない。政治家の短い任期における優先順位と、長期間にわたる環境的ニーズの間にある食い違いもそうだ。ダム建設の決定は、持続可能性という概念がまだしっかりと世に根を張っていなかった時代に下されたものだった。だが、長崎県が政策の中でSDGsを採用した後ですら、40年前の一方的な決定にこだわり続け、SGDsという政策目標を裏切っている。

・次は誰だ?子どもたちに約束する未来のための闘い



<写真キャプション:住民たちは今日まで、自身をバリケードとして建設を阻止することで抗議を続けている。雨が降ろうが雪が降ろうが、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず、こうばる住民の40年揺るがない強さを表す一コマ。(写真:ロジャー・オング)>

「自分たちだけで闘っているように感じることもある」。岩下和雄さんは心痛を帯びた声色でそう語る。青春時代から40年間も、自分の家の喪失に立ち向かって闘ってきた気持ちを真に理解するのはそう簡単ではない。岩下さんの言葉が不意を突いたのはそのためだ。

 石木ダム問題は単にこうばるの住民と行政の間の紛争にとどまらない。長崎県内の他地域の市民からも批判の声が上がっている。メディアもこうばる住民のポジティブな面に光を当てることなく、その結果、むしろお上にたてつくトラブルメーカーという印象をしばしば与えてきた。松本さんはしかしながら、「その雰囲気も少しずつ変わってきています。石木ダムの問題に対する人びとの理解も高まってきています。長崎県外のメディアも、TV朝日がこうばるのとっておきのエピソードを流したように、報道を始めています。パタゴニアも、ダム反対を支援してくれています」

 にもかかわらず、住民たちは孤独感を覚えている。石木ダム問題は彼らにとって、行政という大きな潮流に自力のみで抗っているようにも感じられるのだ。他に誰もいない土地に立ち、自然の支配者然とした建設会社に対峙しているのである。

 しかしながら、彼らの闘いは彼らだけのものではない。こうばるの住民たちは先例を作ろうとしている。もしダムが建設されたら、石木川を囲む自然環境は失われる。もしまた都市化の必要性が叫ばれたら、当局は次に、特に近隣地域にどんなことをするだろうか。次に犠牲になるのは誰なのだろうか?



<写真キャプション:住民たちの結束を呼びかける、抵抗のシンボル。(写真:ロジャー・オング)>



<写真キャプション:「測量禁止」長い闘争の歴史を物語る、消えかかった文字。(写真:ロジャー・オング)>

■持続可能な将来に向かって動きさえすれば、未来はある

 こうばるの住民たちは、この40年に渡って「ダムは必要なのか?」と問い続けてきた。こうばるを直接見た筆者も、その必要性に疑問を感じた。確かに、こうばるは「死ぬまでに一度は訪れるべき」というほどの場所ではない。しかしながら、こうばるを実際に訪れる以前には思いつかなかった言葉が、筆者の口をついて出てくるのだ--汚れなき地という言葉が。



<写真キャプション:目を見張るほど素晴らしい旅行先というわけではないが、比類なき静寂な平和に包まれている。冬の間でさえ、訪れたいと思うような魅力がある>

 こうばるは、不必要な外的影響に侵されていない。そう、道も、電気インフラも、街に通うための乗り物も、至ってシンプルだ。だが、土地は豊かで満ち足りている。したがって、都市部でしばしば見られるように、過剰に束縛されることもない。この景色は何世紀も続いてきたものであり、こうばるに住み続けてきた何世代にもわたる人びとの営みは尊いものであるというのは、決して過言ではない。こうばるは、周囲の自然環境と共生してきた、自立的で持続可能なコミュニティでもある。農地、自由に歩き回る野生動物たち、石木川の夜を光の波の舞踏場へと変える蛍。ここには、将来世代へ手渡せる智恵がある。



<写真キャプション:「こうばるの四季いいところどり!」。住民が自分の故郷に捧げる一枚。(イラスト:石丸穂澄)>

 ダムを建設し、こうばるを消し去ることで、長崎県はどんな価値を生み出したいのか?住民とその子どもたちにどんな将来を創りたいのか?ダム問題は、佐世保市や長崎県がSDGsに真剣に取り組んでいるかどうかの問題である。すでに世の中に存在する、共生と循環経済による解決策を見据える代わりに、2020年においては意味をなさない、時代遅れの経済成長を優先している。もっといい方法があるはずだ。それは探さねばならないものであり、必ず見つかるものなのだ。

【参照1:石木ダム建設を断念させる全国集会における調査データ】
【ウェブサイト】いしきをかえよう
【ウェブサイト】石木川まもり隊
【その他参照】パタゴニア提供映画「ダムネーション」



翻訳:足立力也(コスタリカ研究家)

委員会答申 茶番の石木ダム継続



2月28日、佐世保市上下水道事業経営検討委員会は、石木ダム再評価についての3回目の委員会で答申書をとりまとめ、その場で、佐世保市水道局長へ提出しました。



事務局案を全て「概ね妥当」と評価して、事業継続とする方針を認めました。



「概ね妥当」ということは、「完全に妥当」ではないということ。では、どこがひっかかるのかというと、需要予測が過大?ではなく、その逆で、もっと多く見積もって、4万㌧以上の新たな水源確保をしてほしかったな~ということ。「必要最小限」の開発では不安だな~ということ。

このグラフを見てほしい。現在よりも37%も増えるという赤線の予測の、どこが「必要最小限」か!?



ホッとしてる?またまた御冗談を。石木ダム促進を謳った水道ビジョンを一緒に策定したお仲間じゃないですか!その委員の方々が石木ダム中止なんて言うわけないでしょ?筋書き通りの茶番劇でした。

そして、



年度内にも国へ提出?というと、3月末を目途にしているように聞こえますが…

前回は、3月14日に答申を受け取り、その翌日には県を通して国へ提出してますからね~

私たちは、こんな結論有りきの再評価は認められません!国に提出する前に、やり直しを求めたいと思っています。急がなくっちゃ・・・

佐世保市民の怒り



先日の委員会を傍聴した市民からの投稿です。

私たちも全く同じ思いでした。
悲しいですね。
市が市民を愚弄するなんて・・・
そうではないと思いたい。
職員お一人お一人は、皆さん、誠実な方ばかりです。

かつて(ほんの数年前まで)の佐世保市水道局は、こうではなかった。
石木ダム問題について、立場は違えど、真摯で率直な話し合いができたのに。
今は全く変わってしまった・・・

水道局長さん、佐世保市長さん、
市民にこんな投書をさせて、恥ずかしくありませんか?
職員に申し訳ないと思いませんか?

農協新聞も大きく取り上げた「はるなの故郷」



数日前、このTVドキュメンタリーについての記者レビューを紹介したところ、「見たかったなぁー」「再放送やらないの?」との問い合わせが…。

私に言われても困るので、テレビ朝日さんに言ってくださいネ。
長崎県内の方は、ぜひ、NCCさんへ!

ただ、ネット上では見られますよ。dailymotion で。



URLはこちら→ https://www.dailymotion.com/video/x7p7onc

そして、この作品を見て、小松康信さん(農協新聞で「小松泰信・地方の眼力」を担当)という方が、「埋没しない、させない、諦めない」というタイトルで素晴らしい記事を書かれています。

https://www.jacom.or.jp/column/2019/12/191211-39879.php

私は特に以下の部分に勇気づけられました。

◆埋没費用に埋没するな

専門家がここまでその必要性を否定するのに、建設を進めようとするのはなぜかその答えのヒントは、中村知事の「これまで用地の提供等で協力いただいた多くの方もいらっしゃるわけで」と、言うところにある。ダムを建設しないと、これまで投入した資金や労力、あるいは地元住民に強いてきた犠牲、そして半世紀にも及ぶ年月等々が無駄になる。それらを無駄にしないために、とにかく完成させるそのためには、新たな資金や労力、そして犠牲はやむを得ない、ということである。
経済学では、「事業や行為に投下した資金・労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止をしても戻って来ない資金や労力のこと」を「埋没費用(sunk cost)」と言う。ダム建設のように、初期投資が大きく他に転用ができない事業ほど埋没費用は大きくなる。だから、やめる決断ができないダムに限らず「止まらない大規模公共事業」の一因はこの費用にある。
「これだけ費用をかけた。8割の住民に地元を離れてもらった。あと2割が出て行ってくれたら……」と考えて、不要なダム建設に向かうのは、埋没費用を増加させるだけではなく、何物にも代えがたい自然と、そこを故郷として平穏に生活している人々の幸せな生活までをもダム底に埋没させるという、取り返しのつかない大罪を犯すこと。
埋没費用に埋没しない、埋没させないためには、回収不能な費用であることを潔く認め、勇気をもって撤退することである。
辺野古基地建設も原発も同じ構造。事業をすこしずつでも進めるのは、既成事実を積み重ね、当該費用を大きくし、反対しづらい世論を形成していくためである。このことを見抜き、世論操作には乗らぬこと。深傷を負うだけである。
なぜ、こんなことができるのか? それは、税金だから。何のためにやるのか? 政治家と役人のメンツを守るために。
このような状況は石木ダムに限ったことではない。全国でこれまでにも起こったこと、そしてこれからも起こること。我々にできることは、埋没費用に埋没させられぬよう、事業等の是非を見抜く眼力と、だめなものにはだめと言い続ける胆力を鍛えること。
反対住民らが、国に事業認定取り消しを求めた訴訟において、11月29日に福岡高裁は、「事業による公共の利益は原告らの失われる利益を優越している」と、理解しがたい判断により住民側の請求を棄却した。しかし、住民側は10日、判決を不服として上告した。決して、諦めてはいない。

(青字や赤字は私の編集によるものです)