石木川の最後のまもり人

大変嬉しいニュースです!

長崎県の石木ダム問題が、英語圏のみなさんに届くようにと外国人ジャーナリストのロジャー・オングさんがニュースとして取り上げてくれました!

ネット媒体での発信です、こちらから拝読いただけます。
「Zenbird」というサイトです。
https://zenbird.media/the-last-protectors-of-ishiki-river/

そのまま自動翻訳でも読むことができますが、こちらの石木川まもり隊ブログでは、さらに読みやすいよう正式な翻訳をプロに依頼いたしました。

以下、日本語訳を掲載いたしますので、みなさんご一読ください。

そして、英語圏のお知り合いがおられる方にはぜひ、Zenbirdの記事のシェア・拡散をよろしくお願い申し上げます。

石木川の最後のまもり人
ロジャー・オング

 長崎県佐世保市からわずか1時間の場所に、こうばるの田舎はある。生き生きとした野生動物と田んぼが美しい谷間(たにあい)の郷だ。その中を、澄みきった水に多種の川魚が泳ぐ、小さな石木川が流れる。

 だが、この美しさの影に、13世帯50人の故郷を守る、40年にも渡る長い闘いが隠れている。それは、ここに何世代にも渡って住み続ける人々を潤してきた豊かな環境を守る闘いでもある。2019年11月18日から、住民はダムのために立ち退くよう命令が下ったからだ。

<写真キャプション:遠くからも見える巨大なサイン。“ダム(建設)絶対反対”(写真:ロジャー・オング)>

 石木ダムの建設は、石木ダム上流を水没させ、自然環境を破壊し、この地域を居住不可能にする。ダム建設の理由は不十分で、専門家たちは必要性を疑問視し、住民たちは決して建設に同意してこなかったにもかかわらず、長崎県はダム建設に邁進している。

 住民に対する立ち退き命令とともに、(訳注:長崎県から受注した)建設業者はすでにこの地域での建設作業を開始している。実際、長崎県当局はダム建設計画を継続することを決めたのみならず、建設を加速させると発表した。

 「石木川まもり隊」のメンバーにガイドしていただいて、筆者はこうばるの郷を訪れ、現在の状況を確かめるとともに、この集落を包む雰囲気がどんなものか確かめてみた。

<写真キャプション:穏やかなこうばるの景色をバックに。石木川まもり隊・創設者の松本美智恵さん(白いジャケット)とメンバーの牛島万紀子さん>

■石木ダムの必要性の主張

 石木ダム建設事業はまず、1972年に長崎県知事によって提案された。当局関係者によれば、背景には主に2つの理由があるという。

1. 川棚川(石木川は川棚川の支流である)の氾濫防止 と
2. 佐世保市に供給する(訳注:水道原水として)必要最低限のを貯める必要性

で、灌漑や発電は含まれていない。

・氾濫制御

 ダム建設がゴリ押しされる最大の理由は、氾濫制御である。これは、川棚川流域住民のリアルな関心ごとだ。長崎県は、降り続く雨が越水し川棚町に氾濫する危険性を主張している。

<「日本の年間降水量偏差」グラフキャプション:緑の棒グラフは平均を超えた年間降水量(単位:ミリメートル)。長崎県は、降雨量の増加だけでなく、減少にも直面していると予測する(出典:気象庁)>

<「川棚川流域」図キャプション:縮尺が正確ではないが、川棚川とその支流の地図。黒い印が石木川に建設を予定しているダムの地点。赤い地域は川棚川の流域面積の11%にあたる(図:石木ダム債務問題を説明するパンフレット)>

 しかしながら、問題は降雨量の増加だけではない。「石木川まもり隊」の松本さんはこう説明する。「破局的洪水は100年に1度起こる(しかし、専門家の間でこれは1,000年に一度の確率であると指摘されている)とされています(直近の発生は1990年)。その脅威は、特に河口付近の住民にとってはリアルなものです。河口付近の岸を見てみれば、家がいかにギリギリまで建っているかがわかります」。高い防壁があってしかるべき川縁を見てみると、豪雨がいかに川縁に新しく建てられた家を脅かすかが分かる。

<写真キャプション:川棚川河口の住宅。堤防のある100m上流とは違い、川岸にあるこれらの新しい住宅を守る氾濫制御の方策は取られていないように見える>

・上水道供給の増加

 将来不足する水需要(訳注:という佐世保市の主張)が、ダムを正当化するもうひとつの理由だ。佐世保市の11の水源のうちの1つが川棚川に由来する。当局によると、佐世保市は水不足に直面している。人口減少にもかかわらず、佐世保市における水需要は大幅に増加すると推計している。水不足は以前にも起こっており、ダムによってより多くの水を供給することを期待しているのだ。

<写真キャプション:川棚川。対岸の青色のポンプ場は、佐世保市に1日最大20,000トンの水を供給している。(写真:ロジャー・オング)>

■たったひとつのダムがいかにして複合的な社会的・環境的課題をもたらすか

 しかしながら、こうばるの住民たちやNPOなどは、行政の主張を不十分だと指摘する。事実、時を経るごとに、ダム推進の主張に対するおかしさを指摘する日本人はどんどん増えている。それで、石木ダムが本当に必要なのか、疑問が呈されてきたのだ。

・佐世保市民による実際の水利用

 佐世保市の人口は減り続けている。この10年間で17,898人も減少し、今年1月1日時点で246,567人だ。だが、水源開発問題全国連絡会(水源連)による調査によれば、佐世保市において水需要の増加の兆候は見当たらない。(水源連は、ダム建設に批判的なメンバー間のネットワークで、日本におけるより有効な水資源開発を目指している。)

<「生活用水」折れ線グラフのキャプション:市民1人当たりの水の1日使用量の年平均値。●印でつながった青い折れ線は平均値を表し、◇印でつながった折れ線が最大値、□印でつながった折れ線が最小値を表す。オレンジの折れ線は佐世保市の楽観的推計。(出典:水源連)>

 ダム建設をめぐる、当初から現在に至る疑問は、佐世保市当局の推計が何に基づいているかだ。市民の1日あたりの水使用量は減り続け、人口も減っているにもかかわらず、ダムは古い推計のまま建設されようとしている。同じように異常な推計は工場用水使用量でも見られ、2024年までに6倍増加すると推計している。(参照1)

・市民は350億円の借金を背負う

 石木ダムとそれに関連する事業には、538億円(約4.9億USドル)の税金が必要とされている。このうち、353億円(約3億2100万USドル)が、佐世保市民の借金となる。

 いうまでもなく、これほど莫大な額の投資に対しては、金銭的及び非金銭的なコストを、享受する利益がはるかに上回らねばならない。さらに、その決定は、生活にも環境にもより小さな影響で済む他の選択肢が絶対にないと明言できるほど厳格な監視のもとに行われなければならない。

 しかし、石木川まもり隊や専門家たちは、石木ダムはそうなっていない、他の選択肢がきちんと議論されていないと主張する。ダムの時代遅れの必要性や環境に与える悪影響に関する専門家たちの抗弁に対しては、当局は耳を閉ざしたままである(デジャブを覚えた人?)

<写真キャプション:ブロックパターンが石木ダムの位置を示す。事前工事はすでに進められており、緑が土と金属に取って代わられている>

・ダムは単純に環境に悪い

 ダムを建設することは、本質的に、都市化のために自然(訳注:そこに居住する人間も含む)の一部を犠牲にすることである。そのため、ダム建設は絶対的必要性が求められるべきである。

 ダム建設は、そこに住むあらゆる生き物の生息地を破壊することである。それは、魚たちの産卵地や、エコシステムを成り立たせる食物資源を強制的に奪うことだ。ダムはまた、川の流れを澱ませ、魚の回遊失調を引き起こす。特に、石木川に生息する10種類以上の歴史的に重要な魚類に影響を与えるといわれる。希少な魚類であるヤマトシマドジョウもここで観察できる。



<イメージキャプション:これらの魚たちは、ドイツの分類学者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが、日本の鎖国時代に長崎で活動していた時に初めて出会ったものである。彼が石木川で発見した(訳注:とされる)15種のうち、希少なヤマトシマドジョウを含む12種は石木川に生息している>

 その上、川の下流の維持に重要な砂利や岩などの川の堆積物はダムに阻まれ、ダム底に沈む既存のエコシステムを喪失させる。

 それゆえに、当局は、環境を犠牲にし、人類及び人類以外双方の、そこに住むすべての「住民」を立ち退かせるほどの必要性があると証明する責任があるのだ。

・氾濫制御に対案はないのか?

 川棚川河口を見ていると心配になる。川の越水を防ぐための堤防は、河口の手前数百メートルのところで終わる。河口付近の住民を洪水から守る他の手段は見当たらない。どうやら川の二ヶ所(訳注:ダムに沈めようとする上流と、洪水に脆弱に見える下流)の違いは、(訳注:管轄する)官僚組織の違いに起因している。

<写真キャプション:河口付近にて。氾濫危険区域について住民はどれくらい知らされているのだろうか?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、ダムが「怠惰な」策であるかもしれないことをほのめかしている。つまり、「造って終わり」というわけだ。しかしながら、ダムはベストの解決策ではない。

 京都の東に位置する滋賀県も、多くの川が琵琶湖に流れ込み、似たような洪水問題に直面している。滋賀は氾濫制御に関して多層構造の戦略を採っている。持続可能性とメンテナンスに重きを置き、インフラ整備は数多ある対応策のひとつに過ぎず、都市計画や水の封じ込め、市民のアクションが同様の重要性を持つ。これらの情報が市民に公開されることで、自治体行政当局と住民双方が洪水のリスクを軽減したり管理したりするために協働することが推進される。

 それに比べ、ダムを作るという長崎県の計画は川棚川流域の11%を制御するのみで、問題は下流に移るだけだ。これが、住民が「本当にダムは必要なのか?」と問うもうひとつの理由だ。

・こうばるの文化の喪失

 こうばるは田舎だといわれるが、実際は活発な集落だ。こうばるでは毎年ほたる祭りが開かれ、その度に500人以上が訪れる。毎年5月に開催され、みんなのお目当てはこうばるを有名にした蛍たちだ。実際、ついに訪問者数は1000人を超え、駐車場が足りなくなる有様である。

<写真キャプション:食べ物はこうばるほたる祭りのいちばんのお楽しみだ。(写真:石丸穂澄提供)>

 住民たちは訪問者を呼び寄せることにも関心を持っている。それは、日本における国を挙げた地域活性化策を反映している。こうばるはまた、WTK(“Witness To Kohbaru in Autumn”、つまり「秋のこうばるの目撃者」の略)という音楽フェスティバルの美しい舞台となった。これはこうばるの美しさを広めるものでもあり、小林武史、Caravan、Salyu、東田トモヒロなど大勢のアーティストが参加した。

<写真キャプション:音楽フェスは夜まで続いた。パタゴニアがイベント開催をサポートするなど大きなスポンサーとなった(写真提供:石丸穂澄)>

 加えてこうばるは、いかに自然と共生していくかについて、私たちに教えてくれる場所でもある。こうばるは、環境への影響を最小限にとどめつつ自給自足する農的コミュニティだ。この集落は、訪問者に自然環境の魅力を伝えるテコにもなりうる。

 少なくとも、こうばるは持続可能な方法論、実験、研究のたたき台となる可能性を秘めている。たとえば、持続可能な観光。持続可能なコミュニティ。しかしながら、そういった可能性はまもなく消えようとしている。

<写真キャプション:“石木川のほとりにて”写真提供:村山嘉昭>

■古い官僚主義と持続可能性を求める現代のムーブメントの間に横たわる隔たり

 では、いかにして故郷と自然環境をめぐる闘いは半世紀も続いたのだろうか?事態の展開は奇妙なものだった。1974年、久保勘一・長崎県知事(当時)は地質調査を実行したが、住民の許可なしにはダムを作らないと約束した。こうばるの住民は認めなかったにもかかわらず、計画は前に進められた。地元の反対をよそに、ダムは実現可能なものだという結論が出され、久保知事はダム建設計画を提出したのである。

<写真キャプション:1982年、土地収用法に基づく強制測量に対する抗議の写真。老いも若きも参加したが、140人の警察官が彼らを力づくで排除した(写真提供:こうばる公民館)>

 石木ダム問題は4人の知事に跨って続いたが、どの知事もこのプロジェクトを「決定事項」だとみなした。つまり、たとえ住民たちとあったとしてもそれは(訳注:知事側の、建設推進を前提とした)一方的なもので、こうばるの住民とのさらなる話し合いを避けようとし続けたのだ。住民たちによる適切な話し合いの要求に対して、40年間耳を塞ぎ続けてきたのだ。

 2013年、ついにこうばるに掲示板が掲げられた。そこには土地収用法の文言が刻まれ、当局(訳注:起業者である長崎県・佐世保市)は適切な補償と引き換えに、私有地を公共目的で収用できることが記されている。最後通帳が突きつけられたのだ。

<写真キャプション:この間に合わせの掘ったて小屋は、ダム建設反対の強烈なシンボルであり、まさにダムサイトが建設される予定地のど真ん中に建っている。左側の看板には「故郷を守る反対同盟」と書いてある(写真:ロジャー・オング)>

 こうばるの住民たちは、臆することなくダムの必要性に疑問を投げかけ続けている。だが、現知事である中村法道氏は、住民との話し合いの基軸はあくまで(水没予定地居住者の)移転問題という前提で話を進めている。両者のギャップが皆にフラストレーションをもたらし、住民たちの故郷を守る不屈の決意の火に油を注いでいる。

<写真キャプション:佐世保市内の通りに掲げられた看板のひとつ。「石木ダム建設は佐世保市民の願い」と書かれてある。佐世保市民をターゲットとしながら、佐世保市民の願いであるとはいかに?(写真:ロジャー・オング)>

 これは、埋めるべき唯一のギャップではない。政治家の短い任期における優先順位と、長期間にわたる環境的ニーズの間にある食い違いもそうだ。ダム建設の決定は、持続可能性という概念がまだしっかりと世に根を張っていなかった時代に下されたものだった。だが、長崎県が政策の中でSDGsを採用した後ですら、40年前の一方的な決定にこだわり続け、SGDsという政策目標を裏切っている。

・次は誰だ?子どもたちに約束する未来のための闘い

<写真キャプション:住民たちは今日まで、自身をバリケードとして建設を阻止することで抗議を続けている。雨が降ろうが雪が降ろうが、夏の暑さにも冬の寒さにも負けず、こうばる住民の40年揺るがない強さを表す一コマ。(写真:ロジャー・オング)>

「自分たちだけで闘っているように感じることもある」。岩下和雄さんは心痛を帯びた声色でそう語る。青春時代から40年間も、自分の家の喪失に立ち向かって闘ってきた気持ちを真に理解するのはそう簡単ではない。岩下さんの言葉が不意を突いたのはそのためだ。

 石木ダム問題は単にこうばるの住民と行政の間の紛争にとどまらない。長崎県内の他地域の市民からも批判の声が上がっている。メディアもこうばる住民のポジティブな面に光を当てることなく、その結果、むしろお上にたてつくトラブルメーカーという印象をしばしば与えてきた。松本さんはしかしながら、「その雰囲気も少しずつ変わってきています。石木ダムの問題に対する人びとの理解も高まってきています。長崎県外のメディアも、TV朝日がこうばるのとっておきのエピソードを流したように、報道を始めています。パタゴニアも、ダム反対を支援してくれています」

 にもかかわらず、住民たちは孤独感を覚えている。石木ダム問題は彼らにとって、行政という大きな潮流に自力のみで抗っているようにも感じられるのだ。他に誰もいない土地に立ち、自然の支配者然とした建設会社に対峙しているのである。

 しかしながら、彼らの闘いは彼らだけのものではない。こうばるの住民たちは先例を作ろうとしている。もしダムが建設されたら、石木川を囲む自然環境は失われる。もしまた都市化の必要性が叫ばれたら、当局は次に、特に近隣地域にどんなことをするだろうか。次に犠牲になるのは誰なのだろうか?

<写真キャプション:住民たちの結束を呼びかける、抵抗のシンボル。(写真:ロジャー・オング)>

<写真キャプション:「測量禁止」長い闘争の歴史を物語る、消えかかった文字。(写真:ロジャー・オング)>

■持続可能な将来に向かって動きさえすれば、未来はある

 こうばるの住民たちは、この40年に渡って「ダムは必要なのか?」と問い続けてきた。こうばるを直接見た筆者も、その必要性に疑問を感じた。確かに、こうばるは「死ぬまでに一度は訪れるべき」というほどの場所ではない。しかしながら、こうばるを実際に訪れる以前には思いつかなかった言葉が、筆者の口をついて出てくるのだ--汚れなき地という言葉が。

<写真キャプション:目を見張るほど素晴らしい旅行先というわけではないが、比類なき静寂な平和に包まれている。冬の間でさえ、訪れたいと思うような魅力がある>

 こうばるは、不必要な外的影響に侵されていない。そう、道も、電気インフラも、街に通うための乗り物も、至ってシンプルだ。だが、土地は豊かで満ち足りている。したがって、都市部でしばしば見られるように、過剰に束縛されることもない。この景色は何世紀も続いてきたものであり、こうばるに住み続けてきた何世代にもわたる人びとの営みは尊いものであるというのは、決して過言ではない。こうばるは、周囲の自然環境と共生してきた、自立的で持続可能なコミュニティでもある。農地、自由に歩き回る野生動物たち、石木川の夜を光の波の舞踏場へと変える蛍。ここには、将来世代へ手渡せる智恵がある。

<写真キャプション:「こうばるの四季いいところどり!」。住民が自分の故郷に捧げる一枚。(イラスト:石丸穂澄)>

 ダムを建設し、こうばるを消し去ることで、長崎県はどんな価値を生み出したいのか?住民とその子どもたちにどんな将来を創りたいのか?ダム問題は、佐世保市や長崎県がSDGsに真剣に取り組んでいるかどうかの問題である。すでに世の中に存在する、共生と循環経済による解決策を見据える代わりに、2020年においては意味をなさない、時代遅れの経済成長を優先している。もっといい方法があるはずだ。それは探さねばならないものであり、必ず見つかるものなのだ。

【参照1:石木ダム建設を断念させる全国集会における調査データ】
【ウェブサイト】いしきをかえよう
【ウェブサイト】石木川まもり隊
【その他参照】パタゴニア提供映画「ダムネーション」

翻訳:足立力也(コスタリカ研究家)

委員会答申 茶番の石木ダム継続

2月28日、佐世保市上下水道事業経営検討委員会は、石木ダム再評価についての3回目の委員会で答申書をとりまとめ、その場で、佐世保市水道局長へ提出しました。

事務局案を全て「概ね妥当」と評価して、事業継続とする方針を認めました。

「概ね妥当」ということは、「完全に妥当」ではないということ。では、どこがひっかかるのかというと、需要予測が過大?ではなく、その逆で、もっと多く見積もって、4万㌧以上の新たな水源確保をしてほしかったな~ということ。「必要最小限」の開発では不安だな~ということ。

このグラフを見てほしい。現在よりも37%も増えるという赤線の予測の、どこが「必要最小限」か!?

ホッとしてる?またまた御冗談を。石木ダム促進を謳った水道ビジョンを一緒に策定したお仲間じゃないですか!その委員の方々が石木ダム中止なんて言うわけないでしょ?筋書き通りの茶番劇でした。

そして、

年度内にも国へ提出?というと、3月末を目途にしているように聞こえますが…

前回は、3月14日に答申を受け取り、その翌日には県を通して国へ提出してますからね~

私たちは、こんな結論有りきの再評価は認められません!国に提出する前に、やり直しを求めたいと思っています。急がなくっちゃ・・・

佐世保市民の怒り

先日の委員会を傍聴した市民からの投稿です。

私たちも全く同じ思いでした。
悲しいですね。
市が市民を愚弄するなんて・・・
そうではないと思いたい。
職員お一人お一人は、皆さん、誠実な方ばかりです。

かつて(ほんの数年前まで)の佐世保市水道局は、こうではなかった。
石木ダム問題について、立場は違えど、真摯で率直な話し合いができたのに。
今は全く変わってしまった・・・

水道局長さん、佐世保市長さん、
市民にこんな投書をさせて、恥ずかしくありませんか?
職員に申し訳ないと思いませんか?

農協新聞も大きく取り上げた「はるなの故郷」

数日前、このTVドキュメンタリーについての記者レビューを紹介したところ、「見たかったなぁー」「再放送やらないの?」との問い合わせが…。

私に言われても困るので、テレビ朝日さんに言ってくださいネ。
長崎県内の方は、ぜひ、NCCさんへ!

ただ、ネット上では見られますよ。dailymotion で。

URLはこちら→ https://www.dailymotion.com/video/x7p7onc

そして、この作品を見て、小松康信さん(農協新聞で「小松泰信・地方の眼力」を担当)という方が、「埋没しない、させない、諦めない」というタイトルで素晴らしい記事を書かれています。

https://www.jacom.or.jp/column/2019/12/191211-39879.php

私は特に以下の部分に勇気づけられました。

◆埋没費用に埋没するな

専門家がここまでその必要性を否定するのに、建設を進めようとするのはなぜかその答えのヒントは、中村知事の「これまで用地の提供等で協力いただいた多くの方もいらっしゃるわけで」と、言うところにある。ダムを建設しないと、これまで投入した資金や労力、あるいは地元住民に強いてきた犠牲、そして半世紀にも及ぶ年月等々が無駄になる。それらを無駄にしないために、とにかく完成させるそのためには、新たな資金や労力、そして犠牲はやむを得ない、ということである。
経済学では、「事業や行為に投下した資金・労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止をしても戻って来ない資金や労力のこと」を「埋没費用(sunk cost)」と言う。ダム建設のように、初期投資が大きく他に転用ができない事業ほど埋没費用は大きくなる。だから、やめる決断ができないダムに限らず「止まらない大規模公共事業」の一因はこの費用にある。
「これだけ費用をかけた。8割の住民に地元を離れてもらった。あと2割が出て行ってくれたら……」と考えて、不要なダム建設に向かうのは、埋没費用を増加させるだけではなく、何物にも代えがたい自然と、そこを故郷として平穏に生活している人々の幸せな生活までをもダム底に埋没させるという、取り返しのつかない大罪を犯すこと。
埋没費用に埋没しない、埋没させないためには、回収不能な費用であることを潔く認め、勇気をもって撤退することである。
辺野古基地建設も原発も同じ構造。事業をすこしずつでも進めるのは、既成事実を積み重ね、当該費用を大きくし、反対しづらい世論を形成していくためである。このことを見抜き、世論操作には乗らぬこと。深傷を負うだけである。
なぜ、こんなことができるのか? それは、税金だから。何のためにやるのか? 政治家と役人のメンツを守るために。
このような状況は石木ダムに限ったことではない。全国でこれまでにも起こったこと、そしてこれからも起こること。我々にできることは、埋没費用に埋没させられぬよう、事業等の是非を見抜く眼力と、だめなものにはだめと言い続ける胆力を鍛えること。
反対住民らが、国に事業認定取り消しを求めた訴訟において、11月29日に福岡高裁は、「事業による公共の利益は原告らの失われる利益を優越している」と、理解しがたい判断により住民側の請求を棄却した。しかし、住民側は10日、判決を不服として上告した。決して、諦めてはいない。

(青字や赤字は私の編集によるものです)

はるなの故郷~ダムの里に生まれて~

やっと石木ダム問題がテレビで、全国放送されました!

地元長崎では、12月7日(土)の早朝6:00~でした。
首都圏や北海道、北陸、関西などは、翌日8日(日)の4:30~、
すぐお隣の佐賀や福岡では火曜日の深夜、熊本では水曜日の深夜…というように放映日時は違いますが、この1週間で日本中に配信されたのです。

多くの人が驚き、あるいは怒り、あるいは悲しみ、はるちゃんの心の痛みを感じたことでしょう。

そして、レビューを書いた記者の言葉のように、「地元局の継続取材に期待」する人は、きっと日本中にたくさんいるはず。

NCCさん、頑張って!
また、次回!
きっと続きを見せてくださいね!

事業認定取消訴訟、最高裁へ上告

福岡高裁の不当判決言い渡しから11目の12月10日、事業認定取消訴訟の原告団102名は、ついに最高裁に上告しました。

長崎地裁や福岡高裁がどんなに不当な判決を出そうとも、「憲法の番人」と言われる最高裁なら、上告人の人権を守ってくれるはず、土地収用法運用の違法性を見抜いてくれるはず…と信じて。

(‘◇’)ゞ

 

実施決定!利水についての再評価

佐世保市がようやく、石木ダム事業の再評価実施を決めました。


12月4日、佐世保市議会石木ダム建設促進特別委員会での説明を傍聴しましたが、ただ、やると決めただけで、具体的な内容やタイムスケジュールは何も決まっていないとのこと。

やっぱり・・・。

数人の委員から内容やスケジュールについていくつか質問がありましたが、

川野水源対策企画課長は、
「内容は水需要予測や代替案や費用対効果など、厚労省が定めたルールに沿って行う」
今年度末(来年3月末)までに結果を出すことを目標にしているが、まだ、いつ、何をするかは明言できる段階ではない」と説明し、

谷本水道局長は、
「中身について固まった時点で、何らかの方法でお知らせしたい」と述べました。

これで終わりかと思ったとき、最後に佐藤委員(石特委員会では唯一の女性議員)が手を上げました。

佐藤委員:再評価する方たちは、どういう方たちですか?

川野課長:再評価するのは我々水道局だが、厚労省が定めた実施要領では第三者の意見も聞くようにと書かれている。その第三者については、まだ何もきまっていない。

佐藤委員:第三者の意見は重要だと思うので、(委員の選出については)しっかり吟味してもらいたい。

水道局長:そのようにする所存です。

そこのところを私たちも知りたかったので、佐藤市議には感謝!です。
佐藤市議も言われたように「第三者の意見は重要」であり、「第三者委員会の委員の選出はしっかり吟味」してもらわねばなりません。
ということは、とても今年度中に再評価を終えることは難しいはずです。
今年度中に結果報告をしなければならないというルールは無いので、(水道局の担当者に確認済み)、あえて短い期限を決めて、手抜き再評価にならないことを強く願います。

今年度中に慎重な人選の元に再評価委員会を設置し、十分なデータや資料も用意し、来年度から再評価委員会の開催を目指すべきです。

その理由の1つは、今年度の給水量の変化です。
今年度に入って、かなり減少しています。

例えば、先月11月の給水量を前年度と比較してみると、
平均値で3.2%減、最大値で4.3%も減少しています。

人口は(11月1日時点で)前年度比1.1%の減少なので、
人口以外の要因が大きく作用していると思われます。
(私は勝手に漏水対策が功を奏してきたのか?と思っていて、水道局の努力を大いに評価したいと思っているのですが)

いずれにしても今年度末までのデータをしっかり分析して、それを元に水需要の予測をするべきです。

ちなみに、先月の一日平均給水量=66,502㎥/日
        一日最大給水量=69、301㎥/日 でした。

水道局の言う「安定水源だけでも十分」ですネ!

 

再評価する方向で始動!

今日の長崎新聞です。

ようやく昨日、県から佐世保市へ、工期の3年延長を正式決定したとの連絡が入ったそうです。

それを受け佐世保市水道局は、局内で調整に入ったとのことで、

具体的には、

本年度内に再評価を始める(とみられる)

●水需要予測のほか、代替案や費用対効果などをあらためて分析する。

だそうです。

12日に私たちが提出した「再評価についての要望書」に対する回答は、期限とした26日を過ぎても届きませんでした。理由は「県からの報告がないので」とのことでしたが、ようやく届いたので、近々お答えを頂けることでしょう。

新聞記事で知る限りでは、私たちの要望のうちの半分は叶えて頂けそうで、期待をしています。

再評価の実施と再評価委員会の設置です。

「本年度内に再評価を始める」ということは、来年3月31日までに始めるということですから、付け焼刃的ではなくじっくりと準備するということであり、再評価のための委員会を設置して頂けるに違いないと期待しています。

どのような委員会に諮問するか、そのメンバー、構成が大事です。

前回のようなデタラメな水需要予測(たった2年間で工場用水が2.8倍になるとか、人口減少は止まらないのに全体の給水量は急増するとか)を認めるような委員会では、諮問しない方がマシです。

今日は、こんな記事もありました。

明日の控訴審でどのような判決が出るか…と。

一審でも二審でも私たち原告側は、ダムの必要性を問い続けてきました。それに対して国側は真っ向勝負することなく、証人を拒否したり、意見書を認めなかったり、どう見ても逃げているとしか思えないような負け戦を演じていたのに、一審判決では私たちの負け。

長崎地裁は県の計画は「合理性を欠くとは言えない」とし、「事業認定した国の判断は適法」と認めたのです。司法の場では裁判官の資質で結果は左右されますが、同様に行政が委ねる第三者委員会も、委員の資質次第で、行政に忖度した、お墨付き委員会になってしまうのです。

佐世保市水道局が、水道事業者としての誇りを持って仕事をするなら、本当に再評価の役に立つ人材を集め、佐世保市民にとって納得のいく再評価をやっていただくよう願いますし、そのような回答が届くことを首を長くして待っています。

 

県、石木ダム完成3年延期、決定

石木ダム完成 県が3年延期決定

川棚町に建設が進められている石木ダムについて、長崎県は県から諮問を受けた「県公共事業評価監視委員会」の意見書を踏まえ、ダムの完成時期を3年延期し、令和7年度に見直す方針を正式に決定しました。

長崎県と佐世保市が川棚町で建設を進めている石木ダムをめぐっては、建設に反対する住民らによる座り込みの影響などで、ダムに水没する県道の付け替え工事に遅れが出ています。

このため、県はダムの完成時期を3年延期し、令和7年度に見直す方針を有識者らによる「県公共事業評価監視委員会」で説明し、治水の面から事業の再評価を行った結果、「継続すべき」とした対応方針案を示しました。

これに対し、委員会は今月13日、この方針案を認める意見書を中村知事に手渡しています。

そして、県は27日、この意見書の内容を踏まえてダムの完成時期を3年延期し、令和7年度に見直す方針を正式に決定しました。

これについて、県河川課は「近年、災害が甚大化している。事業推進を目指すためにも、地元住民の理解を得る努力を続けたい」と話しています。

石木ダムをめぐっては、県の収用委員会がダム建設に必要なすべての用地を強制的に収用できるようにする裁決を下し、すでに明け渡し期限を過ぎていて、県は、強制的な家屋の撤去などを伴う行政代執行の手続きに入れるようになっています。

公平公正な再評価委員会を!

昨日、佐世保市民6人で、水道局へ要望書を提出してきました。提出したのは、「石木川まもり隊」と「佐世保の水と石木ダムを考える市民の会」の2団体です。

長崎新聞は写真入りで大きく伝えていました。

読売新聞や西日本新聞も記事を掲載していましたが、両新聞の見出しを見て、びっくり!

早期の再評価要望」「再評価早期に」と書かれていますが、これは誤解です!

要望書をごらんください。2019.11.12 石木ダム事業再評価についての要望書

最後に4つの要望事項を掲げています。その1と2を確認してください。

1.長崎県から工期を3年延長するという正式な報告が届いたら、佐世保市は利水面での再評価を行うという決定を速やかにおこなうこと

2.再評価のための委員会は新たに設置し、人選に際しては、石木ダム推進派の意見も反対派の意見も聞けるよう、偏りのない構成を目指すこと。例えば、水問題に詳しい識者を選ぶ場合は、石木ダム賛成反対双方の立場の人を選ぶこと。

(提出した要望書は全て黒字。説明をわかりやすくするため、ここでは赤字で表示)

私たちが求めているのは「再評価をするという決断は早くしてほしい」が、「再評価の準備は時間をかけてじっくりおこなってほしい」ということです。

新たな委員会を設置するには時間がかかるのですが、何故それを望むのか説明します。

佐世保市は過去何回も石木ダム事業の再評価をおこなっていますが、私が知っているものだけでも4回あります。1999年度、2004年度、2007年度、2012年度の4回です。

1999、2004、2007年度の3回は、全て再評価のための第三者委員会を設置してそこで議論されましたので、結果は「事業継続」となっても、議論の過程では様々な疑問や異論も出てきました。

2007年度の意見書には「…場合によっては、(ダム以外の)別の道を探る必要があるとの意見も一部委員にあるので、重要な意見として特に付記する」と書かれていました。

2004年度の議事録には、提示される資料について、「資料自体は事業者側からすべて出て、それで判断しろということになっている。異論を唱えようとすれば、出された資料を否定するような資料を自分で作らなければならない。だから、(事務局の原案に沿った)結論にしかならない。このような再評価委員会のあり方というのはどうなのか。いろいろなデータは公開し伝えてほしい」との委員長の発言が記録されていました。

これらは重要な意見であり指摘です。このような委員の方々の意見を取り入れて、より充実した再評価を目指すべきだと思うのですが…

直近、つまり前回、2012年度の再評価は、再評価のための委員会は設置せず、常設の『佐世保市上下水道事業経営検討委員会』に諮問したので、答申書の中身は、いつも水道局長が議会で述べていることとほとんど同じ内容でした。

考えてみれば、それは当然の結果です。『佐世保市上下水道事業経営検討委員会』というのは、水道局の経営のあり方について検討したり、上下水道ビジョンの策定に関わったりするのが任務なので、予算時、決算時、その他において度々当局と意見を交わし佐世保市水道事業に関わっているのですから、身内とまではいかなくても、かなり近い関係にあります。

しかし、この再評価を義務付けている厚生労働省の実施要領によると、評価にあたっては、「学識経験者等の第三者から意見を聴取する」とあります。また、その学識経験者とは、「評価対象事業の特性や社会経済等について高い見識や実践的知識等を有する」識者ということです。

『佐世保市上下水道事業経営検討委員会』には、社会経済についての高い見識をお持ちの方はおられるかもしれませんが、ダム事業についての見識や実践的知識をお持ちの方は名簿からはお見受けできません。

そういう観点からも、石木ダム事業についてしっかりとした見識を持っている専門家に加わって頂きたいし、また、その専門家が賛成反対のどちらかの方だけでなく、両方の参加が必要です。

ということになれば、再評価委員会の委員探しも簡単ではないでしょう。多くの時間を要するかもしれませんが、それはやむを得ないことです。

公平公正な再評価委員会設置のためには、委員の選定や資料作成には十分な時間をかけて準備していただきたい。それが私たちの要望です。

そして、その準備に時間がかかることがわかっているからこそ、再評価をするという決断は、なるべく早く示してほしいということが言いたかったのです。要望書が分かりにくかったのか、記者会見での私たちの説明が下手だったのかもしれませんが、この誤解は解いておきたくて、ここに記しました。

なぜ、この誤解に拘るのかというと、水道局がこの報道のように「市民は早期の再評価を望んでいる」と受け止め、「早くするには常設の委員会に諮問するしかない」と結論付けられては困るからです。

ご理解頂けたでしょうか・・・(+_+)