石木ダム問題の今

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いとうせいこうさん、ラジオで石木ダムを語る

大竹まことゴールデンラジオ 2015年10月8日 

 

昨日せいこうさんが「大竹まことゴールデンラジオ」という番組で、石木ダムのことを語っていました!

川原を訪れた前後、ツイッターで発信されたツブヤキだけでも感激でしたが、

今回は川原と石木ダムのことをしっかり伝えて下さいました。

 

55:18頃から始まります。

是非、お聴きください!

長崎県に大村湾という湖みたいな湾があるんですよ」という話から始まって、

大村湾と川棚川と石木川の関係、石木ダム計画の歴史とそこに住んでいる住民の想いと闘う姿、

川原の豊かな自然と元気な人々、ダムの目的や様々な疑問など、わずか12分ほどの間に内容は盛り沢山。

大竹さんをはじめ出演者が驚いていたのは、

・50年前も前からの計画をやっと2年前に認定?!

・小川?石木川ってそんなに小さいの?

・そこに50メートルもの高さのダムを造って全て水に沈める?

・その理由の1つがこれ?佐世保の水の使用量が急にうなぎ上りに上がる?なんで?

・川棚川の氾濫を止めたいんであれば、ダムは川棚川本流の方に造るべきじゃない?

 

結局、皆さんの結論は

・造る前によく考えるべきだね。

・よく話し合って、必要なものならば納得して造りましょ、不要なものなら止めましょう〜

・少なくとも議論の前提として、正しいデータから始めることが大事!

そして最後に「石木ダム。覚えててくださいね」と、爽やかにせいこうさん。

「石木ダムですね。覚えておきましょう」と、大竹さん。

 

大竹さんにも、ぜひ一度訪ねてほしいナ〜

皆で首を長ーくして待っています!

                

県議会まで逃げるのか!

7日の長崎新聞の記事をご覧ください。

県議会は6日で9月定例会を終えましたが、石木ダム工期延長について、「議論は全くなかった」そうです。

何故でしょう?

初の強制収用が実施されたばかりで、さらに家屋を含む収用手続きに入っているこの重大な時期に、議会が無関心とは・・・。

 

9月には公共事業評価監視委員会の意見書が提出され、それを受けて県議会に報告、承認を得て工期延長が決定と言われていました。

しかし、何故か、まだ意見書が出ていない。(誰かが何かの目的で遅らせているのか?)

出ていないから県議会に報告できない。(誰かが何かの目的で報告せずに済むようしたのか?)

報告がないから、県議会として議論しないということのようですが、

これでは議会のチェック機能が働かなかったと言わざるを得ない」(緒方記者)

全くです。何のための議会でしょう?

チェックどころか、行政がやりやすいように協力している感さえあります。

そして、知事と市長の連携に見習い、佐世保市議会と県議会も助け合ってるのでしょうか?

 

工期延長に伴う事業の再評価を佐世保市民が求めている。

佐世保市議会は「県議会にも説明されていないので、市に求めるのは難しい」として請願を退けたが、

県議会にかけられ、報告承認されれば、佐世保市議会もそうせざるを得なくなる。

市議会にかければ、県が再評価したのに市が再評価しないのを認めるのは難しい…

再評価すれば、石木ダムの必要性が立証できなくなる…

だから、市を困らせたくない市議会を困らせないよう、県議会も知らんふりを決め込んだというわけ?

それはあくまでも私の勝手な想像ですが(限りなく事実に近い想像だと思っていますが)、

だとしたら、今後、行政も議会も、どのように進めていくつもりなのでしょう。

 

県議に対し個別に方針を説明済み」って、どーゆーこと?

個別に説明して議員の承認は得た、それで6年延長決定とする?

知事に倣って、県議会も逃げるのですか?

その後、佐世保市議会議員にも個別に説明し承認を得て、市議会も認めたということにするわけ?

市議会も逃げようと?

いくらなんでも、そこまで陰でコソコソすることは許されないでしょう。

腐っても議会なのですから。

コソコソ策を弄するのは行政の得意技ですが、議会はそれを表に出し、正々堂々と議論するのが役目なのに・・

 

今定例会でその機会が失われたのは、残念でならない」と私も思いますが、

私たちは、公共事業評価監視委員会の意見書提出を待ちます。

それを受けて県がどう動くか、県議会がどう動くか、見つめています。

そして、それをメディアがどう報道するか。どんな記事が書かれるか、注視しています。

それが今後の議会の動向に少なからぬ影響を与えるはずですから… 

 

 

 

地権者の怒りと覚悟を伝えるマスコミ

ここ数日間のマスコミ報道をまとめて貼付します。

5日の県庁行動や7日の収用委員会阻止行動を伝報じるものです。

県に対する地権者の怒りと、訴訟に向かう覚悟が伝えられました。

(オンライン記事は水源連MLからの転載です)

 

石木ダム地権者 訴訟の構え

(NHK 2015年10月05日 22時06分)http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5035389231.html?t=1444065428199

 川棚町に計画されている石木ダムをめぐり、県が土地の強制的な収容に踏み切ったことから、建設に反対する地権者などが、5日、県庁を訪れ、知事との協議の場を設けるよう要請しました。

また、地権者側は、事業の取り消しを求める訴訟を検討していることも明らかにしました。

県と佐世保市が川棚町に計画している石木ダムをめぐっては、一部の地権者との用地交渉が難航したことから、県は、法律に基づいて強制的に土地を収用する手続きを進めています。

これを受けて、石木ダムの建設に反対する市民グループらが「石木ダム建設絶対反対」と書かれた横断幕を掲げて県庁を訪れ、河川課の担当者に対し、「地権者の同意も得ないまま土地や家屋を強制的に収用することは断じて許すことはできない」として、知事と地権者が議論する協議の場を設けるよう要請しました。

これに対し、河川課の担当者は、「知事に伝えます」と答えていました。

この後、地権者を支援する弁護士らが記者会見し、▼石木ダムの事業そのものの認定取り消しを求める訴訟や、▼現在行われている工事の差し止めを求める仮処分の申し立てを検討していることを明らかにしました。

市民グループに参加する地権者の男性は「本当にダムが必要なのかこれまでの県の説明では納得できない。故郷を守っていくために、闘っていきたい」と話していました。

 

9月6日 長崎新聞

朝日新聞

 

石木ダム、知事説明拒否に怒り 地権者側は訴訟辞さず [長崎県]

( 西日本新聞2015年10月06日) http://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/199404
 
中村法道知事との面談を求めて県の担当者と交渉する石木ダム事業に反対する地権者と弁護団ら

(写真)中村法道知事との面談を求めて県の担当者と交渉する石木ダム事業に反対する地権者と弁護団ら

 県と佐世保市が川棚町に計画する石木ダム事業で、反対する地権者らは5日、中村法道知事の直接説明を拒み続ける県の対応を「逃げ回ってばかりいる」と批判。

県側に話し合う姿勢がないとして、国の事業認定取り消しを求める行政訴訟を起こす方針を明らかにした。土地収用法に基づく強制収用手続きを進める県に対し、地権者らの怒りは頂点に達している。

 「石木ダムは必要な事業じゃない」「県民にきちんと説明しなさい」。長崎市であった県の担当者との交渉には、反対地権者と弁護団ら約50人が参加。関連工事を中断しない理由の説明などを求めた。

県の担当者は「白紙に戻しての話し合いには応じられない」と繰り返した。

 反対地権者の岩下和雄さん(68)は「収用手続きは始まっている。家を取り壊されてもプレハブを作ってでも抵抗する」と憤った。

ほかの男性地権者も「知事の対応は誠意がない。訴訟も命を懸けてやっていく」と語った。

弁護団によると、ダム建設に関連する工事中止を求める仮処分の申し立ても検討するという。

 

石木ダム 反対地権者ら国提訴へ 事業認定取り消し求める

 

 県と佐世保市が川棚町に計画している石木ダム建設事業で、反対派の地権者らは5日、県庁で記者会見を開き、国に事業認定の取り消しを求める行政訴訟を長崎地裁に起こす方針を発表した。

原告は地権者13世帯約60人を含む関係者約160人の予定。国の事業採択から40年余がたち、ダム建設はついにその是非を巡って法廷で争われることになった。

地権者らは、中村知事あてに事業の白紙撤回を求める要望書を提出していたが、5日、県側から「県民にとって必要な事業。これまでも説明してきた」として要望には応じないとする回答を受けたため、提訴に踏み切ることにしたという。

 訴訟を担当する弁護団によると、国土交通相は2013年9月6日、県と佐世保市の申請を受けてダム事業を認定したが、地権者らは「(利水を目的とした)ダム事業は不要で、事業認定は違法だ」と主張する方針。

また、建設事業に伴う付け替え道路の工事についても、県と佐世保市に工事中止を求める仮処分を同地裁佐世保支部に申し立てる。原告規模は地権者ら約200人を見込んでいる。いずれも11月中に行う予定。

 地権者の岩下和雄さんは「県の強制的なやり方には納得できない。ふるさとを守る方法の一つとして、裁判で闘い抜きたい」と語った。

 県河川課の川内俊英課長は「現在の段階では、コメントはできない。実際に裁判になった場合は訴状を精査し、対応を検討する」と話した。(南佳子)

  

 

 

石木ダム 収用委は審理開けず

(NHK 2015年10月07日 18時41分)http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5035256781.html?t=1444256943749

 川棚町で進められている石木ダムの建設をめぐり、県の収用委員会は7日、本体工事に必要となる土地の補償額などを決めるため現地で視察と審理を行うことにしていましたが、地権者らの強固な反対にあい、中止になりました


石木ダムの建設をめぐり、長崎県の収用委員会は県が強制的な収用に向けて手続きを申請した本体工事などに必要となる2万1千平方メートルあまりの土地と住宅について7日、川棚町で視察と審理を行うことにしていました。

しかし、県が説明会場にしていた公民館の廊下にはダム建設に反対する地権者などおよそ30人が立ちふさがって、「収用委員会は中立の組織ではない」、「私たちの生活を壊すな」などと抗議しながら強固に阻止しようとしたため、収用委員会は7日の予定をすべて中止しました。

地権者の岩下秀男さん(68歳)は「土地を売るつもりは全くない。

土地収用の是非以前にダムが不要だという私たちの主張を、県にはきちんと聞いてほしい」と話していました。

土地収用法では補償額や明け渡しの時期などについての審理を原則、公開の場で行うことを定めており、今後日時を改めて審理が設定されることになります。

しかし計画に反対する地権者たちはこれまでに別の土地の収用を認める裁決を出している収用委員会に反発を強めていて、円滑な審理の開催には困難も予想されています。

 

10月8日 長崎新聞

 

長崎)県収用委、石木ダムの審理見送り 地権者の抗議で

(朝日新聞長崎版2015年10月8日03時00分)http://digital.asahi.com/articles/ASHB75G7WHB7TOLB00S.html?rm=332

 県と佐世保市が計画する石木ダム事業をめぐり、弁護士や不動産鑑定士らでつくる県収用委員会は7日、未買収の土地の収用に向けた現地調査と審理を建設予定地の川棚町でしようとしたが、明け渡しを拒む地権者らの抗議を受け、見送った。9日にも調査と審理が予定されている。

 審理は、県と地権者の双方から意見を聞く手続き。7日は、県が7月に裁決申請した家屋を含む4世帯の約3万平方メートルのうち、2世帯の約2万1千平方メートルが対象だった。

 県収用委はすでに、別の農地約5500平方メートルについて収用を認める裁決を出し、8月に強制的に収用された。このため、この日は反対地権者や支援団体のメンバーが横断幕などを掲げて審理の開催を拒否。会場の町中央公民館で県側と押し問答となった。

 地権者の一人は「人間味のある審理を期待して我々の気持ちを前回訴えたが、結局、土地を取り上げられた。収用委員会はもっと大局的に判断すべきではないか」と憤った。県収用委の戸田久嗣会長は「我々の権限は限られており、事業認定を判断する裁量はない」と話した。

 県によると、県収用委はこの日中止した審理をやり直すため、日程を調整する。9日は予定通り行うとしている。

 

石木ダム建設現地調査中止 収用委、阻止受け

  • 県収用委員会事務局の担当者(左)に詰め寄る反対派の地権者ら
    (写真)県収用委員会事務局の担当者(左)に詰め寄る反対派の地権者ら
  •  

 県と佐世保市が川棚町に計画する石木ダム建設事業で、県収用委員会(戸田久嗣会長、7人)は7日、県と市が裁決申請した土地の審理と現地調査を実施しようとしたが、ダム建設に反対する地権者らの阻止行動を受けて中止した。収用委は改めて審理の日程を決める方針。

 対象となっているのは、ダム本体工事の予定地で、反対地権者4世帯の家屋4棟を含む土地約3万平方メートル。県と市が7月、土地収用法に基づいて収用委に裁決申請したのを受け、収用委はこの日、うち2世帯の土地と家屋について審理と現地調査を行う予定だった。

 しかし、委員らが審理会場の川棚町中央公民館に入ろうとした際、地権者らが立ちふさがり、「ダムは必要ない」「土地を奪うのか」などと抗議したことから中止を決めた。

 同法では、裁決申請があった場合、収用委が原則、公開の場で審理することが定められている。残りの2世帯の土地と家屋についても、9日に審理と現地調査を予定している。

 自宅の土地や建物が審理対象になっている岩下秀男さん(68)は「家を明け渡すつもりはない。自分たちの意見が通らないなら阻止するしかない」と話した。

 

収用委員会阻止 その心は

今日は川棚町公民館で、石木ダム収用委員会が開かれ、審理が行われる予定でした。

しかし、地権者や支援者は審理を拒否し、開会を阻止しました。

なぜ地権者は阻止したいと思ったのか。

なぜ支援者はそれを応援したのか。

それをお伝えしたいと思います。

 

昨年9月の第1次収用裁決申請を受けて、

昨年12月と今年2月、2回にわたり審理がおこなわれました。

その時は地権者も弁護団も出席して意見を述べました。

しかし、今年6月に出された結論は、起業者(県)の意向通りの裁決でした。

NBCニュースでも解説していたように、この裁決によって、

すでに今年8月、4世帯の農地が強制収用されてしまったのです。

 

そして、地権者の皆さんは悟ったのです。

収用委員に期待した私たちが甘かったと。

真実を伝え、正義を訴えれば、この事業に公益性のないことがわかってもらえるかも…

公益性の無い事業のために強制収用する補償額など決められず、

裁決申請の却下という選択も有り得るのではないか・・・と。

 

そんな期待を嘲笑うかのように、第2次裁決申請が今年7月に出されました。

今回は4世帯の家屋が含まれているのです。

今そこに家族そろって暮らしているのです。

その家を奪おうとする収用委員会を、どうして見過ごすことができるでしょう?

委員会の審理を止め、裁決を阻みたいと思うのは、地権者として当然の願いです。

このように訴える地権者に対し、収用委員会の事務局である用地課の担当者は、

と述べました。

収用委員会とはダムの必要性を論じる場ではないんですよ、

補償金の額などを判断する場なんですよ、と。

収用委員会の戸田会長も同じことを言われました。

おっしゃる通りです。

土地収用法の手続きの中ではそのように定められています。

この法律に則って皆さんはその任務を果たされているわけで、委員の方を責めるつもりはないのです。

 

しかし、では、なぜ県は必要性について説明責任を果たそうとしないのか?

どうして話し合いに応じないのか?

地権者はどこに話し合いの場を求めればいいのか?

この理不尽さ、不誠実さ、無責任さに地権者は怒っているのです。

それをわかってもらうために、委員会審理を阻止せざるを得なかったのです。

 

今日、この部屋は、結局無用となりました。

次回、10月9日に予定されている収用委員会はどうなるのか・・・

また無用になるとわかっていても帳面消しのため、準備するのでしょうか?

委員の皆さんも県職員の皆さんも貴重な時間を浪費させられて、お気の毒です。

 

もっとも、長崎県には浪費という概念は無いのかも・・・

石木ダムのような無駄な事業に莫大な税金を投入しても平気なのですから。

そして、その無駄な事業のために貴重な自然を壊しても平気。

そのために住民の家とふる里を犠牲にしても平気。

 

あまりにも鈍感になっている。

県も議会も県民も。

その鈍感さが地権者の皆さんを追いつめているのです。

もう少し、私たちは、想像力を働かせて考えてみることが必要です。

私がもし地権者だったら、

無駄なダム建設予定地に住む地権者だったら、私に何ができるだろう?

どうすれば、家や田畑を守れるのだろう?と。

 

そうしたら、きっと、

地権者の怒りが、少しだけ伝わってくるのではないでしょうか。

 

設置しました!石木川まもり隊看板

石木ダム建設事務所の皆様、昨日は朝から工事でお騒がせして、申し訳ございませんでした。

いえ、朝からと言っても9時過ぎですから、午前2時の重機搬入に比べたら遅すぎますね〜

また工事と言っても、ちいさな看板設置ですから、たいした作業ではなく・・

アスファルトを掘り返した時に、少し大きな音がしたかもしれませんが、

それくらいはお許しを・・

何やってんだろう?

って気になっておられたのでしょうね。

工事終了後、わざわざ写真を撮りに職員の方がお見えになりました。

はい。どうぞご覧くださいまし。

残念ながら逆光で、色が冴えませんが、デザインはまあまあでしょ?

まもり隊が誇るプロのデザイナーのMさんによるものです。

キャッチコピーは皆で考えましたよ。

そして、こちらもご覧くださいまし。

はい。2枚看板になっております。

黒い斜めの線はデザインではありません。

そばにある電線の影が映っているだけ。

こちらもなかなかでしょ?

なんて自画自賛しちゃいけませんね。

 

推進派の皆様がお造りになった看板には、負けてます。

大きさで。

デッカイですよね〜、そちらの看板は。

 

どちらの看板も、町民の方に気づいてほしいですよね。

そして考えて頂きたいですね。石木ダム問題を。

 

私たちの小さな看板も、その一助になればと願っています。

 

どうして怒っているのか!どうしたら伝えられるの?

昨日のブログを見て、川原の女性(若いお母さん)からメールが届きました。

了解を得て、転載します。

 

おはようございます。
また知事は会おうとしなかったのですね。

知事は職員やその家族の生活や命を預かっているという責任も、
県民の当たり前の生活も守れない。
自分の置かれている立場がどんどん悪くなっているのに
自分の事も守れない、かわいそうな人なのですね。

隠れることしかできない、
人に嫌なことを押し付けて…。
人として心が痛まないのでしょうか?

人の心を捨てたのでしょうか?

ダムはやめるといえば、私達は知事を罰することもしないのに…。
どうして?
どうして?私達が悪人?
知事をいじめてる?

世間の皆さんにはどう映っているのでしょう?

子どもたちはニュースをみて
和雄さん怖かった〜と言いました。
(わかっているけどそこだけ見たらやっぱり…。)

どうして怒っているのか!どうしたら伝えられるの?
難しいことばかりですね。

私達には守るもの、守るべきものがたくさんあります。

なにが起きているのか目をそむけず見てほしい。
怖いと感じる人もいるでしょう。

でも、私達や支援者の方は、怖いなんて言ってられない!
怖くても戦わないといけないのだから…。

この思い、受け止めてほしい。

あなたの心に、届いてほしい。

そして、知事にも・・・。 

 

逃げ回る知事

今日、地権者の5人と弁護団、そして支援者など約40名で県庁を訪れました。

強制収用に抗議し、

付け替え道路工事の中止を求め、

そして何より、知事との直接対話を求めてのことでした。

しかし、今回も知事の姿はありません。

対応したのは、河川課企画監他1名のみ。

企画監は、

ダム検証で結果は出ている。

公開質問状には文書で答えてきた。

と答えるばかり。

馬奈木弁護団長は、

イサハヤでは、確定判決にも従わずゼロベースでの話し合いを求める知事が、

裁判所の判断も示されていないイシキでは、なぜ話し合いを拒否して逃げ回るのか?

と迫り、

地権者も、

知事は去年の7月、これからも話合いは続ける。私の出席が必要な時には参加すると言った。

しかし、その後1度も出てこない。

いま我々は知事の最終判断を問うている。

今が知事の出席が必要な時ではないのか?

なぜ出てこない!

と繰り返しましたが、

企画監は、そのナゼには答えず「私が県として答えている」と言いました。

 

地権者:では、県は、石木ダム問題の終着点をどのようにしようと思っているのか?

企画監:それは、その時点で考える。

地権者:そうか。それまでに事故があったらどうする?

    暗闇に大型車を入れて重機を搬入しようとしたが、こっちは必死だ。

    止めようとして轢かれてしまうかもしれない。

    死者がでたらどうする?あなたが責任を取るんだな?

    地権者の中には首をくくって死にたいと言ってる者もいる。

    その時はどう責任を取るんだ?

企画監:・・・・・・。そのようなお話があったことは伝えます。

 

約1時間に及ぶ不毛のやり取りを終え、終了後、地権者と弁護団は記者会見をし、

国の事業認定取り消しを求める行政訴訟を長崎地裁に起こすことを明らかにしました。

また、民事訴訟についても検討中です。

 

私たちは知っています。

行政訴訟の難しさを。

行政裁判で勝つことは、針の穴にらくだを通すように難しいと言われています。

それでも、強制収用が始まってしまった今、私たちは私たちの権利を行使し、

正義を求めて闘わざるを得ません。

 

皆様のご支援を心からお願いします。m(__)m

 

石木川は「シーボルトの川」 

石木川が川のままであり続けることの大切さ、

そのことに気づかせる新たな視点が、魚類生態写真家によって指摘されました。

 

江戸時代、シーボルトが世界に紹介した日本の淡水魚の採集地が石木川だったらしい・・・

それらの魚は貴重な標本として、いまもオランダの博物館に保存されているそうです。

標本魚たちの産地である川が失われたら、生物学の研究にも大きな損失をもたらすだろう。

 

石木ダム計画に反対して半世紀も闘い続けている住民が守ってきたものは、

自分たちの暮らしだけではない。

日本の原風景であり、日本の生態系であり、日本の自然そのもの!

と新村さんは断言しています。

 

それに、シーボルトもきっと悲しむだろうな〜 

 

 

 

高専の教師と生徒たちも川原へ

3日前、こんな声が長崎新聞「みんなのひろば」に掲載されました。

投稿したのは高専の先生。

高専=工業高等専門学校があるのは、県内では佐世保市のみです。

佐世保にある学校の先生が、石木ダム建設予定地を生徒と共に歩いた  

 

学生たちにここで営まれている人々の暮らしや、ダム建設で水没する予定の地域を見てもらい、

 感じ、考えてほしいという意図があった」と言う。

 

「基本的人権」と「公共の福祉」をどう秤に掛けるか。

財産権を法の力で侵害してまで建設を進めなければならない大義があるのか。

 

現地を見てこの疑問は大きく膨らんだ。

「佐世保の水道水は、土地を強制収用された人々の苦しみを背負っているのだ」

と伝えなければならない事態は避けたい。

 

と結ばれていました。

生徒さんたちはどう感じたのでしょう?

それが一番知りたかった・・

でも大丈夫。きっと。

この先生の生徒さんなら、自分の目で見た光景をまっすぐに受け止め、

自分の頭で考えてくれるでしょう。

 

 

無垢なるものを壊すな

田中優さんのメルマガに登録しました。

つい最近のNo.470の記事にこんなことが書かれていました。

 

無垢なるもの、穢れなきものを人間が壊してしまっている。

福ちゃんは、それが残念で仕方ないのだ。   

科学的に言えば、これは上流のダムや堰で水を止めてしまうせいだろう。

水は流れていなければ腐る。腐るというのは微生物が大量に発生することだ。

その微生物は瀬(流れの早い浅いところ)では暮らせないが、

少しでも水が緩やかになればそこに棲みつく。それが石のぬめりを作るのだろう。

今よりたくさんの人が住んでいても、かつての川は無垢なる流れを続けていたのだ。

 

無垢なるものを壊すな、これが優さんの願いです。

とても素敵なメッセージだったので、全文を転載させて頂きます。

あ、心配ご無用。

優さんのメルマガは「転送転載、大歓迎」なのです。

心の広〜い方なのです。

 

                優さんメルマガ 第470号  2015.9.28発行

 

『原点ってなんだろう?』   

   

■生き物の居場所   

 

ふと思った。ぼくの活動の動機は何なのだろうと。

 

理不尽なことがまかり通るのは許せない。そうした正義感はある。でもそれは正義感で

あって環境を守ろうとする活動の動機とは直接つながらない。    

 

なんでなのか、考えていくと自分の過去に遡っていく感じがする。ほんの幼い頃に味わ

った、不思議な匂いのする記憶だ。春先の森の中、なんだかうずうずするような匂い…

夏の森の甘ったるい匂いアゲハチョウの幼虫の発するいやな匂い…。それらが混然一体

となった記憶だ。   

 

ぼくはそこに生命を感じていた。だから自分が弱ってしまった時には森や川、山に入る

ことで自分の生命力を回復していた。

 

 

そこにいれば自分があるがままにいられる気がした。何が起ころうと自分はたった一つ

の生命に過ぎないし、だから自分のままで生きればいいと。観光地の写真になったよう

な風景は嫌いだ。看板通りで自由のない場所には生命を感じられないからかもしれない。

 

 

それとは逆に、誰も目を向けない風景に美しさを感じる。特に生き物たちの視点に立つ

と、その小さな場所に永遠を感じるほどの豊かさが見える。川の瀬と淵にはそれぞれ異

なった魚が集まり、石の下には小さなざざ虫たちが棲んでいる。森の木々は光を奪い合

い、より強い光を求めたり、弱い光に順応したりする。    

 

 

あるとき大人たちの釣りにつきあって川に行った。大人たちはちっとも釣れず、その日

最大の魚を採ったのはぼくの網だった。 「この子は魚の居場所がわかるんだな」と言わ

れた。当たり前のことなのに。

 

 

■色とりどりの石    

 

ぼくの生命は自然の一部だ。そう感じるから静かでいられる。   

 

それなのにその自然を壊そうとする人たちがたくさんいることがよくわからない。

大きくなってやっとおカネのためなのだと知った。

でも未だに自分の足元を掘り崩してしまうような行為を繰り返して平然としていられる

理由がわからない。もしかしたらそうした人たちは、自然の一部という感覚を持たない

のかもしれないなとは思う。    

 

 

でもなんでそうした人たちは生き続けられるのだろう。

意味のない生命になってしまうと危惧するのだ。     

 

 

今年も出かけた岐阜の板取川上流の川浦(かおれ)渓谷で、友人の福ちゃんが沢登りの

途中で言った。  

 

 

「キャンプ場のあるあたりだと、石はみんな苔がついてしまって茶色しとるやろ。

昔はこの沢みたいにみんな色とりどりで、

その中の白い石を拾って淵(深くなっているところ)に投げて、

潜水して拾って競ったんや。そうやって泳ぎを覚えたんや。

ここの石は全部色とりどりだけど、これが下流までずっとそうだったんや」    

 

 

その言葉は気持ちに突き刺さるようだった。無垢なるもの、穢れなきものを人間が壊し

てしまっている。福ちゃんは、それが残念で仕方ないのだ。   

 

科学的に言えば、これは上流のダムや堰で水を止めてしまうせいだろう。水は流れてい

なければ腐る。腐るというのは微生物が大量に発生することだ。その微生物は瀬(流れ

の早い浅いところ)では暮らせないが、少しでも水が緩やかになればそこに棲みつく。

それが石のぬめりを作るのだろう。今よりたくさんの人が住んでいても、かつての川は

無垢なる流れを続けていたのだ。

 

 

 

■無垢なるものを壊すな    

 

 

ぼくが活動する原点はここにあるのだと思う。無垢なるものを汚したり壊したりするの

が嫌なのだ。そうだとすると、この感触を味わったことのある人でなければ、この破壊

を止めようとはしないだろう。それに慄然とする。     

 

 

もう手遅れかもしれないからだ。

無垢なるものに対する畏敬の念がなければ、自分の生命が自然と一体化する感触がなけ

れば、自然はただのでくのぼうで、邪魔者に過ぎなくなってしまうかもしれない。そこ

に生きている生物たちの側から見なければ、全体でひとつになる生態系の美しさは知る

ことができない。   

 

「この子は魚の居場所がわかるんだな」と言った大人たちは、もしかしたら知らないの

かもしれない。生命がびっしり詰まった曼荼羅のようなこの世界を。

 

 

経済なんて意味がない。ましてカネなんか使い方次第で悪の根源になる。どんなにカネ

が儲かろうが、経済的利益があろうが、人間には壊してはいけないものがある。

 

ぼくにとって自然エネルギーの進展や省エネ技術の発展に期待する理由は、その問題を

解決できる方法のひとつだからだ。ぼくらがもう一度慎ましく生きれば、かつてたくさ

んの人が住んでいた地域なのに川も山も壊さずに生きられた時代に戻れるかもしれない。    

 

 

板取の山は一見豊かに見えるが、奥地以外の森は一度は壊された森で、戦後の拡大造林

計画で植林されたものばかりだ。植林以前をイメージしてみると、森はひどく破壊され

ていた時期があることがわかる。   

 

その証拠に森の中のマツが枯れ始めている。マツは火山噴火のあとのような荒れ地に真っ

先に生えてくる。そして豊かな土になって他の木が育つようになると枯れていくのだ。

そのマツの寿命は長くないし、育ち具合から見ても百年と経たないように見えるから、

その時期に荒れ地になった時期があったのだと思う。    

 

 

それは二つのことを教えてくれる。  

 

ひとつは敗戦からわずか70年で森はかなり回復するということだ。それなら今からでも

自然を回復させることはできるかもしれない。   

 

そしてもうひとつは、資源浪費の最たるものこそが戦争だったということだ。

戦時中にはマツからヤニを採取して、飛行機の燃料にしようとした時期すらあった。

実際には成功しなかったようだが、各地のマツにはマツヤニが採取された跡が残されて

いる。 

 

戦争は人にとって有害なだけでないのだ。 生命そのものを支える自然を、これ以上壊

さないでほしい。

 

この思いがぼくの原点にある。原点に忠実に生きたいと思う。    

それがぼくが生かされている理由でもあると思うからだ。

 

 

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