ナルトサワギク

ようやく県が重い腰を上げました。
ナルトサワギク対策のことです。
石木ダム建設工事現場には最近こんな看板が立てられています。
ナルトサワギクとは、こんな花。
沢沿いに分布する在来種のサワギク(沢菊)とよく似ていますが、1976年に徳島県鳴門市の埋立地で発見された外来種です。毒性の強いアルカロイドを含み(オーストラリアでは家畜の中毒死が多く報告されている)、繁殖力がきわめて強いので在来植物を駆逐する危険性が大きいことから特定外来生物に指定されています。

そのナルトサワギクが石木ダム工事現場のいたるところに見られることに私たちが気づいたのはこの春の3月のことです。(以下は4月5日に撮影)

こちらは4月14日撮影

そこで6月4日、「石木ダム建設に反対する川棚町民の会」を中心に、私たち8団体はナルトサワギク防除の申し入れを正式におこないました。
ナルトサワギク防除の申し入れ書
しかし、申し入れ書への回答は全く無く、同会は7月1日と20日にも県庁を訪れ抗議しました。

ところが、翌21日、県は土壌汚染対策法の手続きが67%も無届けだったことを公表し、県民に陳謝したのです。土対法が指定する有害物質とナルトサワギクは関係ありませんが、法律で義務付けられた調査や届け出を怠っていた事例が3分の2以上もあったということに、やはり・・という想いが湧いてきます。
というのは、長崎県はやると決めた事業は何が何でもやる、必要性や安全性に対する客観的な裏付けを軽視する傾向があると感じていたからです。

土対法違反の反省からなのか、石木ダム工事現場では急にナルトサワギクの対策作業が始まりました。
道路の上にシートを広げ
シートの端に木片を巻き付け、
こんなふうに法面を覆っていました。

作業員の方に、
「ナルトサワギクを引っこ抜いてから覆っているんですか?」
と聞いたら、
「いや。何もせず、ただ上から覆っているだけです」
との答えが返ってきました。

それで大丈夫なのかな?
駆除方法としては「根ごと抜きとる手法が望ましい」と書かれているけれど。(広報かわたな8月号)
おそらく抜き取る時間がないと判断したのでしょう。
なぜなら法面に近づいてみると、
こんなふうにたくさん繁茂していて、
黄色い花の間に見える白い花は綿毛です。
ナルトサワギクの種を飛ばすための綿毛がびっしり。
既に半分ほど飛ばされてしまったものもあります。
これ以上飛ばないように=これ以上繁茂域が広がらないように、シートで被うことを県は優先したのでしょう。

急がば回れと言いますが、本当にそうですね。
工事を急ぐあまり県民の忠告に耳を貸そうともしなかった県ですが、もう少し真摯に耳を傾けていたら、こんなに繁茂する前に対策を打つことができたでしょう。

石木ダムも同じです。
事業着手の前に、しっかり住民の声に耳を傾け必要性について徹底的な議論をしておくべきでした。
それを先送りしてきた結果が今の混乱を招いています。

まだ本体工事には着手していない今こそ最後のチャンスです。
石木ダムの必要性について、科学的客観的なデータのもとに、しっかり議論すべきです。
県民の多くがそれを望んでいます。

『話し合い』の重さ

7月27日、こうばるの皆さんは「話し合い」について二度目の記者会見を行いました。

それは、7月19日付の土木部からの文書に対する回答の真意を丁寧に説明し、理解してもらうためです。

土木部から届いた4回目(19日付)の文書はこちら。

要点は以下の7つほど。
1.話し合いの期間=今年の8月31日まで。
2.工事について=中断するのは話し合い当日だけ。新たな工事には着手しない。
3.参加者=13世帯の皆様だけ。
4.司会進行=県。(静穏な環境を確保するため)
5.報道機関への公開=冒頭のみ。
6.会場=川棚町中央公民館(コロナ対策のため)
7.日時=皆様の条件に基づき調整する。

それに対する同盟の回答はこちら。

今回の文書は回答と言うより、19日付の土木部からの文書の前文への抗議であり、知事に事実を知ってほしいという訴えです。
1.話し合いの条件(工事の中断と文書での正式依頼)は、1月時点に課長に伝えていたが、土木部から初めて文書が届いたのは5月21日付で、その後も工事は強行された。
2.「半年にわたり本体工事の着工を見合わせていた」など私たちは知らなかった。何の説明も無いし、この半年、夜間や早朝など工事が強行されていた。
3.「石木ダム建設は住民の皆様方の安全安心に直結する重要な事業」とあるが、私たちにはそこが理解できない。私たちの納得のいく説明をすべき。
4.「静穏な環境のもとで」とあるが、当日限りの工事中断では静穏な話し合いはできない。
5.今からでも遅くない。話し合いのできる環境を作ってほしい。

以上の内容について、岩下和雄さんを中心に、こうばるの皆さんから丁寧な補足説明が行われました。県と私たちの主張のどこがどのように違っているのか、それは何故なのか、理解した上で報道してほしいとの願いからでした。

記者団から出された主な質問と川原の皆さんの答えの要約は以下の通り。


Q:7月19日付の土木部から出されている条件の中で受け入れられるものと受け入れられないものについて確認したい。

A:会場と日時については問題ないが、話し合いの期限を切ったり、工事の中断は話し合いの当日だけなどあり得ない。

Q:最も受け入れがたいのは、工事の中断は話し合いの当日だけということか?

A:そうだ。みんな炎天下で毎日座り込みをしている。心身共に余裕はない。そんな中で静穏な話し合いができるはずがない。それがなぜ理解できないのか私たちにはわからない。

Q:話し合いを県が8月31日までと期限を切っているのはアリバイ作りとみているのか?

A1:そうだ。明日回答を送ってすぐに県が対応したとしても8月はお盆もあり、実際に話し合いができるのは1回か2回だろう。そんな少ない回数で納得のできる話し合いになるはずがない。事業認定の時も話し合いは形だけだったし、事業再検証の時は検討の場に私たちが参加することも許されなかった。
A2:先日の新聞投書欄に出ていたが、長崎空港建設の用地交渉の際には、当時の久保知事が自ら出かけ、住民が納得するまで話し合いを求めた。中村知事も人間らしい心を持った政治を行ってほしい。

Q:返事はあくまでも知事宛に送るのか?

A1:そうだ。私たちが話し合う相手は知事だから。
A2:私たちは知事宛に送っている。知事の名前で返事が送られてくるべきだ。
A3:2019年9月県庁での知事との面談の後、知事の名前で公印も押された文書が届いたが、それ以降は一切無い。

Q:今回で4回目となるが、皆さんは毎回言葉を尽くして同じような趣旨のことを書かれているが、県に伝わっていないのは何故か?この現状をどう見ているか?

A:知事がこのやり取りを見ているのかも私たちにはわからない。誰かが握りつぶしている可能性もある。

などの質疑応答を終え、最後に岩下さんは、このように締めくくりました。

私たちは決して話し合いを拒んでいるわけではない。
話し合いのできる環境を作ってほしいと言い続けてきた。
その上で、知事と話し合いがしたい。
時間が無いというが、これは50年も前からの問題。
私たちも歳をとったが、まだまだ元気。
私たちが死んでも、次の世代が反対を続ける。
仮にダムができても禍根を残す。
全国の人々が見守っている。
時間をかけて話し合うべきだ。

約1時間の記者会見でしたが、記者の皆さんはどのように受け止められたでしょう?
多くの方がきっと理解を深められたことと思いますが、私もあらためて気づいたことがあります。

それは「話し合い」の意味と、その重さの違いです。
県職員(土木部)の皆さんは、まさにアリバイ作りのように、2~3回やればいいんじゃないの?と思っていたかもしれません。
私たち県民の多くも、期間は1ヶ月もあれば十分じゃないの?と感じていたかもしれません。

しかし、こうばるの皆さんが求めているのは、そんな軽い「話し合い」ではありません。
遥かに重くて深い・・49年前に交わされた覚書の延長としての「話し合い」です。

調査の結果、(ダム)建設の必要が生じた時は、あらためて協議の上、書面による同意を受けた後(事業に)着手する」と約束したはずの協議が未だにきちんとなされていない。
それなのに土地も家も強制収用され、工事は強行されている。いつになったら協議するのか?という半世紀も待ち続けてきた「話し合い」です。

中村知事だけのせいではありませんが、長崎県政が先送りしてきた不誠実な政治の償いをするチャンスです。

「今からでも遅くない」と言う川原の皆さんに、どうか応えてほしい。
それができないと言うなら、知事にとっては、「本当に必要で、どうしても造りたいダム」ではなさそうですね。

4度目の正直?なるか

知事と住民の話し合いが実現するか?
心ある県民が注目する中、県土木部から3度目の文書が届き、それを受けて住民からも3度目の文書が提出されました。

2度目までのやり取り、つまり両者が互いに郵送した2通、計4通の文書については、6月22日の当ブログに掲載済みです。https://ishikigawa.jp/blog/cat05/7287/

今日は、3回目のやり取りについて考えてみたいと思います。

県土木部からの3度目の文書は6月30日付でした。
その要点は、以下の3点。
・対面での条件協議に応じるなら、協議当日に限り工事は全て止める。
・対面での条件協議に応じないなら、工事中断の具体的な条件等を示してほしい。
・その期限は7月12日(月)までで、文書での回答を求める。

それを受けて、住民からの3度目の知事宛の文書は7月12日に送付されました。
その要点は、以下の4点。
・話し合いの期間中は工事を中断し新たな工事にも着手しない。
・場所は川原公民館。
・日時は日曜日の午後か平日の19時以降。
・知事がダムの必要性について説明する。

今回初めて、住民側は場所や日時の希望を具体的に示しました。
その上で「知事の都合のつく日をお知らせください。お待ちしています」と記しています。知事との対話を求める住民の本気度が伝わってきます。

一方、県土木部からの3度目の文書にはそれが感じられません。
「協議当日に限り工事中断」とか「条件協議に応じないなら工事中断の具体的な条件を」など、工事のことしか眼中になさそうです。知事と住民の話し合いの実現や、その成功を願うより、とにかく工事を進行したい、やむを得ず中断するにしても、できるだけ早く再開したいとの思いが見え見えです。

住民の願い(ダムの必要性について知事の口から納得のいく説明が聞きたい。私たちの疑問や意見にも耳を傾けてほしい)を少しでも理解していれば、このような文書にはならないと思います。

いずれにしても、ボールは再び県に返されました。
県からの4度目の文書で、話し合いが実現するかどうか、いよいよ決まりそうです。

4度目の正直となりますように・・・!

石木ダムレポート by長崎大学生


【Aさんのレポート】
私は去る4月24日に、市民街頭運動「長崎県の3大悪政をSTOP!」を見学してきた。この市民運動はタイトルにもある通り長崎県の3つの悪政といわれる「石木ダム建設」と「諫早湾の干拓事業」、「ハウステンボスへのカジノの誘致」について反対の意思を示し、署名を集め、県民により知ってもらうための運動であった。
私自身このような政治に関する市民運動は正直なところ煙たがっている部分があった。なぜなら、県政に異を唱える人々の話が主観的すぎると思い込んでしまっていたからだ。しかし、今回の街頭集会を見て、実際にそこで活動する方々にお話を伺ってみて、この人たちは自分たちが住むこの長崎県をよりよい場所にしたい一心で活動しているのだと思い知らされた。
私が特に興味を持ったのは石木ダムの建設についてだ。そもそもダム建設には広大な土地が必要であり、住める場所が少ないこの長崎にとって居住可能な場所を減らされてしまうのはとても手痛い問題だと思う。街頭集会に参加していた県議会の女性に話を伺ったところによると、ハウステンボスの建設などが始まり、一時的に労働力が必要となって人口が増え、水の需要が大きくなったことは確かにあったという。しかし現在では長崎県の人口は水の需要が高かった当時より減少し、ダム建設の必要がなくなったということだ。
私はその街頭集会において手渡された資料の中に具体的なデータが載っていないことに少し疑問を感じることはあったが、この問題の中に日本の政治の欠点を垣間見た気がした。
日本でダム建設のような巨大な事業を執り行うには膨大な手続きと金と時間がかかる。その間に問題が解決してしまった場合の柔軟な対処とでもいうべきものがこの国には足りないと感じた。
今回の経験を通して国の意見、県民の意見を聞き、自分の頭で考えていくことができたので、これからも様々な問題に対して自分で情報を集め、自分で悩み続けていきたいと思った。

Aさんのように、「市民運動をやる人たちの話は主観的すぎる」という先入観を持っている若者は少なくないのではないかと思います。

私たち世代からすると、なぜそのように見られるのか・・悲しいと言うよりも不思議な気がします。今の若い人たちは、今の暮らしや社会に全て満足しているのだろうか?このままでいいと思っているのだろうか?と。

でも、Aさんは実際に活動している人の話を直接聴いて、その考えが変わったという。
そこが大事ですね。じっくり耳を傾けてみるとか、対話してみるとか。1歩近づいてみると印象が変わったり、実像が見えてきたりするものです。互いに、思い込みを横に置いて、まずは話してみる、その大切さを改めて感じました。

また、Aさんは、特に興味を持ったという石木ダム問題については、こう述べています。

この問題の中に日本の政治の欠点を垣間見た気がした」それは、「ダム建設のような巨大な事業を執り行うには膨大な手続きと金と時間がかかる。その間に問題が解決してしまった場合の柔軟な対処とでもいうべきものがこの国には足りない」と。(同感!)
そして最後には「これからも様々な問題に対して自分で情報を集め、自分で悩み続けていきたいと思った」と結ばれていました。

最後の言葉に感銘を受けながら、他の学生さんたちはどうなんだろう?Aさんのような考え方は少数派なのか?それともけっこう多いのか?興味が湧いてきました。

実は、石木ダム問題について学び、レポートを提出した学生さんはAさんだけでないのです。
そのレポート集がこちら。石木ダムレポート
石木ダム問題に対する長大生104人のレポートが詰まっています。

「氏名その他の情報は一切伏せ、本文だけならネット上でも公開OK!」として送られてきた貴重な資料。感謝を込めて公開させていただきます。

ファイルを開いて読まれた皆さん、どうでしたか?
予想通り?意外?それぞれの感想を持たれたことでしょう。

私が感じたのは、意外にも世代間のギャップを感じなかったということ。

多くの学生が、利水面でも治水面でも、石木ダムの必要性に疑問を感じ、人権を無視した県の強権的なやり方を批判していますが、中にはダム必要論を説く学生ももちろんいます。それでも、対話が必要であり、説明を尽くすべきという観点では一致しています。例えば・・

【Bさんのレポート】
 石木ダムで一番の問題は、1882年の県が県警機動隊を導入し、住民を排除しつつ強制測量を行ったことだと思う。「地元の了解なしではダムを作らない」とする覚書を無視している上、強制的に排除されたことにより、住民に心の傷を負わせたこの行動は正当化できないと思う。県は、行動に移す前に住民が反対している理由を考えるべきではないか。私は、住民が反対する大きな理由として石木ダムの必要性があると言えないことがあげられると考えている。まず、石木ダムの建設の目的の一つである佐世保市の水の確保だが、県がその根拠としている将来水需要の過大予測は、実績は全体的に見ると減少しているのに、予測は急激に増加していることから、明らかに不自然な予測であると言える。実際、予測は外れ、佐世保市の水の需要は、急激な増加はなく、減少しているため、この目的は石木ダムの建設の目的として納得することはできない。また、川棚川の洪水の防止という目的だが、石木ダムの建設予定地は、川棚川の中で、狭い範囲しかせき止めることができないため、洪水対策ができるかというと厳しいという判断できるので、この目的もまた石木ダムの建設の目的として納得することはできない。このような納得できない目的で作られる石木ダムの建設費の538億円は、税金の使い道として、はたして適しているのだろうか。県は考え直すべきではないか。覚書にも記載されている通り、住民を、県民を、納得させる目的を提示しない限り、県は石木ダムの建設を進めるべきではない。 

【Cさんのレポート】
石木ダム問題が未だに解決しないのは行政と住民との対話が不十分であるからだと思った。ダム建設は公共の利益のためにそこに住む人々の居住地だけでなく、地域のつながりや思い出などを奪う原因にもなる。しかし、国家規模で考えると、犠牲を出してでもダムを建設する必要があるのだと思う。ビデオの中で、住民の方々が雨の日も毎日バリケードを形成しているのを見て、自分の故郷を奪われるということは耐え難いものであるということを想起させられた。しかし、石木ダム問題はいつか解決しなければならず、住民と行政の間でうまく折り合いをつけなければならないのであろうが、私自身その方法を考え付くことができず、非常に難しい問題であるように感じた。

【Dさんのレポート】
ダムを作ろうとすること自体は悪いとは思わない。しかし、住民からこれだけの反対意見が出ている以上耳を傾ける必要は大いにあるだろう。そもそもこの計画が立てられてからかなり多くの年数が経過しているため、それをそのまま実行しようとするのは技術的な面などもあわせて現実的ではない。技術的面での見直し、地域住民への理解、そもそもの計画の必要性の検討しなおしが必要だと思われる。

若者だろうが高齢者だろうが、石木ダムについてきちんと学んだ人の考えは、1点において共通しています。ダムの賛否にかかわらず、「住民の声に耳を傾けよ」「対話を尽くせ」ということです。

そう言えば、去年こうばるに社会科見学に来た小学生たちの感想文も同じ内容でした!

ということは・・・

石木ダムはとにかく造るべし!
対話も説明ももう要らない。
決められた通り前に進めるべし!

と言っているのは、石木ダムのことをきちんと勉強していない人たち?
ってことになりそうですね~
でも、それって、佐世保市長の議会答弁とよく似ていますが・・・

・石木ダムの必要性については既に説明を尽くしている。
・最高裁の判断も示されている。
・情にとらわれることなく、法のルールに従って執行していくことが法治国家としての行政の務めである。

(2021年6月24日:佐世保市議会本会議で小田市議の一般質問に対する答弁要旨)