大石知事「しっかり聞く」

4月20日、住民と共に川原(こうばる)を歩いた大石知事は、「ふるさとは尊いと認識した。今後は、住民の工事中断への思いを含めてしっかりと話を聞く機会を設けたい」と述べましたが、未だにその機会は実現していないし、そのような気配もありません。

3日前の長崎新聞には、石木ダム事業について、「しっかり住民の考えを聞くことが第一歩。できるだけ早くそういう場を設けたい。一方で事業推進を求める人たちの意見を聞く機会もつくりたい」と答えていました。

正論だと思います。まずはそこに住んでいる人たちの考えをしっかり聞く。しかし一方では推進派の意見も聞く。両方の言い分を聞いた上で知事として判断する。という意味だと思うし、そのように理解したい。

でも、本当にそうなのか?という疑念も湧いてきます。 5月27日には、佐世保市の朝長市長や田中副市長に対し、こう述べています。

「石木ダムは必要不可欠。完成のためには住民の理解を得ることが重要」

これが本心なら、知事の「聞く」とは、住民の「想いや意見を理解するために耳を傾けること」(listen)ではなく、ただ住民の「発言を聞く(hear)だけ」ということ?

つまり、結論はもう出ていて、それを変える気はない。ただ、その結論を言う前に、住民との話し合いは必要。住民の言い分も聞いて、こちらの言い分も伝えて、その上で判断したという形にしなければならないから。

もしそうなら、大石知事もこれまでの知事と何ら変わらない。住民を欺き誤魔化すことになります。

そうではないと言うなら、5月19日の動きについてはどう解釈すればいいのでしょうか?

この日、いつものように座り込みの監視に来た県職員が引き上げてまもなく、大きな重機が近づいて来て、座り込みのテントに向かう赤道の途中に土砂を搬入して道を塞ごうとしたのです。
住民の皆さんは重機の近くに集まって業者の現場責任者と交渉、この場所を守り抜くために抗う意思を示しました。そして、「知事は私たちと石木ダムの必要性について話し合うことを約束した。その話し合いをしないうちに工事を強行するのはおかしい」と訴えました。

しばらくして、業者の2名は重機を残したまま引き上げていきました。知事が4月に住民伝えた言葉が本心なら、まずそれを実行するべきです。住民の皆さんは、この言葉を信じ、その機会を待っています。その想いを裏切らないでください。

歴代の知事のように、住民を騙し打ちにするようなことは、決してしないでください。

「持続可能な地域社会に」するには、知事の政治姿勢こそ重要です。

誰よりもその地域社会をよく知り、その存続を願っている住民の声に、本気でしっかり耳を傾ける、その声を政策に反映する、そんな県政を私たちは望んでいます。

 

 

 

 

 

 

ご先祖様もびっくり!

手を合わせているのは大石知事。
そこは長崎県川棚町川原地区にある墓地の前。
そこに眠っているのは、川原地区(石木ダム建設予定地)13世帯のご先祖様。

ダム建設のことでご苦労をおかけしてきたことを心苦しく思っている、お線香をあげたかった・・・と。

4月20日、大石知事は石木ダム建設予定地を再訪し、住民の案内で川原地区を歩きました。それは、知事就任間もない3月10日、挨拶に訪れた際に住民側から「こうばるを歩いてほしい。私たちが守ろうとしているものを見てほしい」と言われていたからです。

案内人の1人岩下すみ子さんは「それが実現するとは思わなかった。びっくりした」と、インタビューに嬉しそうに答えていました。

すみ子さんは限られた時間を有効に使おうと、事前にコースを考えたり、写真や資料を準備してこの日に臨みました。ところが、予定外のことが・・・

川原を一望できる場所で説明した後は石木川の方へ下る予定だったのですが、知事の方から「この近くに皆さんのご先祖のお墓があるそうですね。お参りしたいのですが」と言われ、案内することになったそうです。

その映像をニュースで見た人の中からは、「そこまでやる?」「あざといね」「パフォーマンスに騙されるな!」等々の声も聞こえてきましたが、すみ子さんたちは本当に感動したそうです。

歴代の知事に何度も騙され欺かれてきた住民の皆さんが、こんなに素直に喜んでくれていることを、知事も背中にずしりと感じたことでしょう。この日はちょうど岩永サカエさんの一周忌。「権力って恐ろしかね~」「でも、うったちは死ぬまでここを離れんよ」「死んでもここを守っていくさ~」と語っていたサカエさん。

そのお墓の前で知事が手を合わせてくれたのですから、同行した娘のMさんもどんなに嬉しかったことでしょう。

サカエさん自身はどう思ったかな?「よく来たね。あんたは今までの知事とはちょっと違うごたるね。こうばるはあんたに託すからね。しっかり守ってくださいよ」とささやいたかな?それとも「娘たちは騙せても、私たち死者は騙されんよ。あの世からしっかり見てるからね。変なことをしたら化けて出るよ」と脅したかな?

きっと前者でしょうね。

知事は訪問終了後、記者団からのインタビューに答えて「ふるさとは尊いと認識した」と語りました。

もちろん「この尊いふるさとを残すために石木ダムは中止します」なんて、そんなに簡単に話が進むはずはないでしょう。

しかし、知事は「今後は、住民の工事中断への思いを含めてしっかりと話を聞く機会を設けたい」と述べ、住民からダム建設に関する考えを直接聞く場を設けたいという意向を示しました。

その言葉を住民の皆さんは嬉しく受け止め、信じています。

私たちも同じ想いです。「こうばるを歩いてみます」との約束を果たしてくれた知事なので、「石木ダムに関する住民の考えをしっかり聴く機会を設けたい」という言葉も実現してくれると信じています。

大石知事、住民の皆さんも私たちも、そして、お墓の中のご先祖様も次の来訪を心からお待ちしていますよ。

大石知事こうばるへ!

今月2日に長崎県知事に就任した大石賢吾氏が初めて石木ダム建設予定地「こうばる」を訪れ、住民の皆さんと面会しました。

面会場所は、こうばるの男性たちがいつも座り込みをしているテントそば。
大勢の報道陣に囲まれながら、知事は住民のもとに小走りに歩み寄りました。

大石知事:ダム建設で皆さんに大変な思いをさせてしまっていることを、知事として心苦しく思っています。

岩下和雄さん:このダムは計画から60年以上経っている。今までの知事はしっかりとした話し合いをしようとしなかった。工事を一時止めて、話し合っていただきたい。私たちはいつでも応じます。

大石知事:しっかり調整していきたい。

岩下すみ子さん:こうばるを歩いてみて欲しい。とてもいいところです。私たちがなぜ頑張っているのか感じてほしい。

大石知事:そうしたい。今日は挨拶だけになってしまいますが、皆様にいち早くお会いしたいと思って足を運ばせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

全員:よろしくお願いします。

帰ろうとする知事を記者たちが囲み、「感想を一言お願いします!」

知事:故郷を思う気持ちが伝わってきました。ここを歩いてみてくださいと言われたが、それは私もそうしたいと思っていたので、時間を作ってまた訪れたい。今回はまずご挨拶だけでしたが、また来てくださいと言われ嬉しかった。

記者:住民の方からは工事の一時中断を求める声がありましたが、それについては?

知事:どういった形で話し合いができるかしっかりと調整をした上でさせていただきたい。

住民の方の感想はこちらです。

岩下すみ子さん:住民を苦しめる県政は止めてほしい。私たちはここで暮らしたい。普通の生活をしたい。ただそれだけです。私たちの話を聞いてくれそうな知事でホッとした。これから話し合いを重ねていくと言われたので、それを信じていくしかないですね。

岩本宏之さん:早期完成じゃなくて早期解決ということで話をしてもらいたい

岩本さんの発言は、大石知事が知事選で「石木ダムの早期完成」を公約に掲げていたことに絡めて、釘を刺されたのだと思います。

話し合いの中身が「石木ダム早期完成のための住民説得」ではなく、「県にとっても住民にとっても納得できる解決策を見出すための話し合い」となるよう希望されたのです。

中村前知事は就任直後に水没する県道の付け替え道路工事に踏み切りましたし、その前の前の高田知事は、やはり就任直後に強制測量をやっています。半世紀もの闘いの中で行政への不信感や警戒感は、住民の誰もが感じているところです。

その一方で、大石知事への期待感も大きいものがあります。
全国最年少の若い知事であり、人の命を守る医師でもあります。

いつの時代も社会を変えるのは若者の力です。

また、医師=科学者の視点から、事実を直視し、データに基づいた分析ができる方に違いない。その分析結果に基づいて、科学者の良心に基づいて、政策を変える勇気も持っている方かも・・

そして、医師というのは弱者に寄り添う存在であり、こうばるの皆さんの苦悩を理解し受け止める温かい心を持っておられるはず・・

などなど、あの場に居合わせた多くの人が、住民も支援者もマスコミの皆さんも、大石知事を信じたい気持ちに包まれました。

大石知事と住民の皆さんの、本当の話し合いが実現することを、私たちは心から祈っています。

この面会の一部始終はYouTube「石木川まもり隊報道部」で公開しています。https://www.youtube.com/watch?v=JNpz5zWCLPU

 

ゆびきりげんまん

一昨日は毎月定例の石木ダム勉強会でした。
今月のお題は『覚書』。

10月21日の福岡高裁の判決書で改めて注目を集めた石木ダムに関係する覚書。この問題について、あらためて皆さんと情報を共有し、意見交換しました。

今から49年前に、川棚町の3つの郷の住民が、自治体トップと交わした2つの覚書。

このように、関係者の署名・捺印もしっかり揃っています。
いったいどんなことが書かれていたのでしょう。

1.住民と知事との覚書。
注目すべきは第4条。
「乙が調査の結果,建設の必要が生じたときは,改めて甲と協議の上,書面による同意を受けた後着手するものとする」

つまり、「石木ダム建設の必要が生じたときは、県は3郷の住民と協議し、書面による同意を得た上でないと建設には着手しません」と約束しています。

2.住民と町長との覚書。
注目すべきは第1条。
「石木川の河川調査に関して甲と長崎県知事との間に取り交わされた覚書はあくまで甲(地元民)の理解の上に作業が進められることを基調にするものであるから,若し長崎県が覚書の精神に反し独断専行或は強制執行等の行為に出た場合は乙は総力を挙げて反対し作業を阻止する行動をとることを約束する」

つまり、「県が覚書に反し、独断的or強制的に事業を進めようとした場合は、川棚町長は全力で反対し県の作業を阻止する」と約束しています。

ところが、実際はどうなったか。
県は、覚書の2年後(1974年)には石木ダム事業計画を国に提出し、
10年後(1982年)には機動隊を入れて強制測量を実施し、
37年後(2009年)には強制収用に道を開く事業認定申請を行い、
47年後(2019年)には住民の全ての土地を強制収用し、
いま事業は粛々と、強制的に進められています。

この現状について県は、「覚書?あれは紳士協定であって、法的拘束力はありません」と居直ってきましたし、なぜかそれが司法の場でもまかり通ってきたのです。

しかし、先々月の工事差止訴訟控訴審判決において、福岡高裁の裁判官は3郷は長崎県知事を信頼し、川棚町長の協力を確信して、本件覚書に調印することを約束した・・・そうであるにもかかわらず、未だ、本件事業につき地元関係者の理解が得られるには至っていない・・・県を始めとする本件事業の起業者には、今後も、本件事業につき地元関係者の理解を得るよう努力することが求められると、起業者へ苦言を呈しました。

やっと、私たちの主張が少しだけ理解してもらえた!この当たり前のこと(約束は守る!)が通用しない世の中は、やはりおかしい。

この問題を多くの県民と共有するためには、私たち自身がもっとよく勉強しなければ・・との思いが湧いてきました。

そこで、覚書とは何ぞや?紳士協定や契約書とはどう違うのか?調べてみました。

ウィキペディア(Wikipedia)によると、
紳士協定=いわゆる不文律(暗黙の了解)の1つで、国家や団体、および個人間における取り決めのうち、公式の手続きや文書によらず、互いに相手が約束を履行することを信用して結ぶもの。

契約情報メディア「契約ウォッチ」によると、
https://keiyaku-watch.jp/media/kisochishiki/oboegaki
契約書=意思表示の合致(=合意内容)を書面にして証明するもの。
覚書=忘れないように書き留めておくこと、その文書、メモ、備忘録など。
しかし、タイトルに「覚書」とあっても、当該書面の内容が「当事者同士の意思表示の合致」を証明するものであれば、契約書であることには変わりません。法的拘束力は通常の契約書と変わらないことには注意が必要です。
と書かれていました。

石木ダム覚書は、
① 甲・乙という2つの立場が明記され
② 約束事が条文化され、
③ 日付が記され、
④ 署名・捺印がある
ので、内容的にはこれはもうりっぱな契約書の一種だと言えるでしょう。
つまり、法的拘束力はあるということです。

実は、この覚書について、日本弁護士連合会(日弁連)による貴重な記述があります。
これは2013年12月長崎県に提出された「石木ダム事業の中止を求める意見書」の中の一部分ですが、その内容は傾聴に値するもので、ぜひ多くの人に読んで頂きたいと願っています。https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2013/opinion_131219_4.pdf

以下、覚書の効力の部分を抜粋し転載します。

② 覚書の効力

ア 長崎県は,本件覚書の一部(第4条)について,紳士協定であると説
明しているが,本件覚書は,地元3部落の住民を代表する各総代を甲と
し,長崎県知事を乙として,甲と乙との対立する意思表示の合致したも
のであり,契約であることは明らかである。また,前記①の本件覚書作
成の経緯及びその記載内容の具体性からして,本件覚書は,地元3部落
の代表と長崎県の代表機関である知事が,地元3部落と長崎県との間で,
法的に拘束力を持たせる意思をもって締結した契約と見るべきである。
本件覚書による契約成立により,長崎県は,調査等開始,地質調査の公
表説明の時期の事前明示をすること,一定の場合に中間調査概況の公表説
明をすること,ダム建設着手のためには地元住民らと協議しその書面によ
る同意を受けることという債務を負担した。

イ 覚書第4条では,「ダム建設の必要が生じたときは,改めて,甲と協議
の上,書面による同意を受け」た後着手されることとされている。
本件覚書の署名者は,長崎県の代表者である知事と「川原郷」「岩屋郷」
「木場郷」の各総代である。「川原郷」「岩屋郷」「木場郷」は,石木ダム
水没地域にある地元3部落の通称である(川棚町においてはこれを行政地
区としている。)。地元部落では,全ての住民がダム建設に反対していたこ
とから,地元部落住民全員が署名する代わりに,地元各部落の代表である
総代がそれぞれ署名をしたのである。
したがって,長崎県が石木ダム建設に着手するには,地元3部落の住民
全員の書面による同意を得なければならない。

しかし,現在,川原郷には13世帯が居住しており,その全住民が石木
ダム事業に反対して同意しておらず,長崎県は,川原郷住民全員の書面の
同意,少なくとも現在居住する住民全員を代表し全員に代わって意思表示
をする総代の書面の同意を得ていない。岩屋郷,木場郷の水没区域の住民
は地元から転出しているが,このことは覚書第4条の効力を失わせない。
ウ 以上のとおり,長崎県が川原郷住民の書面による同意なしに石木ダム
計画を進めることは本件覚書に違反する契約違反行為である。

転載は以上です。
このように、長崎県による県民への契約違反は半世紀にわたって続いており、その上で事業を無理やり強行しています。このような公共事業の進め方や県政のあり方は、石木ダム関係者だけでなく、県民全体を愚弄するものではないでしょうか。

この事実を多くの県民に知ってほしい、考えてほしい。

そして知事が一日も早く川原住民との約束を果たすよう声をあげてほしい。

それは覚書に書かれているように、ダムの必要性について住民と協議し、書面による同意を受けてほしいということ。
それが実現するまでは工事を進めないでほしいということです。(*_*)

タブノキの咆哮

これは何?
自分で撮影しておきながら、一瞬、映画ゴジラを連想してしまった。

人間が行った水爆実験の影響で生まれてしまったゴジラは、結局、人間によって滅ぼされた・・・身勝手な人間への断末魔の咆哮を思い出していた。

これはタブノキ。
石木ダム関連工事のために頭や手を、重機でもぎ取られ、引っこ抜かれ、投げ捨てられたタブノキ。

ほんの半月前までは、このように大きく枝を伸ばしていた。
猛暑の頃は、この優しい木陰にどれほど助けられたことだろう。
この木の向こうには手作りの休憩所があって、
真夏や雨の日はそこでお弁当を食べていたので、
誰が名付けたか『森のレストラン』と呼ばれていた。

タブノキは『森のレストラン』の日除け、風除け、雨除け・・まさにガードマンであった。

9月8日、森のレストランのすぐ傍に作業員がやってきて、重機でまわりの草木を伐採し始めた。
この位置から撮った写真では草に覆われて見えないけれど、作業員のいるところは草原ではなく、細い砂利道である。

この道は、赤道(あかみち)と呼ばれる公図上には記されていない里道で、登り切ったところに、こうばる住民の先祖が眠るお墓がある。
住民や支援者は、そのお墓の近くに車を停め、赤道を下って抗議行動の現場に向かう。

翌9月9日、森のレストランの周りの草木は引っこ抜かれてしまった。
そして、あの大きなタブノキが・・・
まるで生きたまま処刑されたかのよう・・・

翌週来てみると、
赤道の途中から両側の草木は削り取られ、
道幅は何倍にも広くなっていた。

そして、あのタブノキは、ついに根こそぎ引っこ抜かれ、横たわっていた。
幹の何倍もの太さで大地に根を張り、あの巨木を抱えていたのか・・
タブノキは古くから樹霊信仰の対象とされていたようで、日本各地に巨木が残っており、「鎮守の森」によく見られるそうだ。

たまたま、友人がこんな絵本を貸してくれた。
村の人たちから敬い慕われてきた大きなタブノキ。
でも、ダム計画のため水の底に沈んでしまうと知った子どもたちが、タブノキを助けて!と村長に手紙を出した。こどもたちの願いが大人を動かし、ダム湖の傍にできる公園に移植することになり…難しい移植も皆の努力で成功し、翌年の春には新しい葉っぱが…。

そんな心温まる話。こうばるのタブノキとは大違いのハッピーな運命。子どもの声にもしっかり耳を傾ける村長さんや村議会の大人たちの優しさが大樹の命を救ったのか…

と思っていたら、思わぬどんでん返し。
幸せな?タブノキは数ヶ月後、台風がやって来て、根こそぎ倒れてしまった。根を切り詰められたため、踏ん張ることができなかった、と書かれていた。

やはり…小手先の対策では問題は解決しない。
人間の都合で大地を支えている大きな木を切ったりしてはいけないことが、子どもにも伝わってくるだろう。

ましてや、無残に倒され放置されたこうばるのタブノキは、長崎県政の象徴であり、子どもたちには見せたくない光景だ。

でも、知事と佐世保市長には、是非こうばるのタブノキを見に来てもらいたい。

骸となったタブノキがきっと何かを教えてくれるだろう。

工事再開

これが何だか分かりますか?もちろん木です。雷に打たれたわけではありません。見るも無残にへし折られています。

まるで、腕を返せと叫んでいるよう・・

その後ろに見えるのは、私たちが「森のレストラン」と呼んでいる休憩所です。
ブルーシートの屋根と、周りの緑に覆われて、真夏でもひんやり涼しい空間で、昨年の夏は、お昼のお弁当はここで食べていました。

それが、今日来てみたら、この有り様。

かろうじて、背後の木々は残っていますが、右も左も前も、木々は全て伐採、草も引っこ抜いてしまったようです。

一昨日まではこのように、緑に覆われ、森のレストランは下からは、ほとんど見えなかったのです。

そして、この道にもご注目ください。大小様々な石がゴロゴロのデコボコ道です。8月中旬の大雨でこうなりました。

降った雨が川のように、いえ、滝のように道を流れ、こんなに大きな石まで押し流してしまったのでしょう。しかし、両脇の土の壁はビクともしていません。草木が根を張っていたからです。

私たちは水流の威力と共に、草木の底力も実感したばかりでした。

それを、こんなに裸んぼにしてしまって・・・

いま大雨が降ったら、この崖はイチコロ。土砂崩れが発生することでしょう。ここには家も田畑も無いからお構いなし?

唯一残っている後ろの木々。そのはるか後方から重機の音が聞こえていました。昨日から始まった「本体工事」の掘削をやっているのでしょう。

小さな林をかき分け音のする方へ進みますが、野バラの棘や立ち入り禁止のネット、その傍に立っている県職員に阻まれ、なかなか現場は見えません。

かなり離れたところから望遠で撮ってみると・・

こんな感じ。この掘削を対岸から見てみると、

てっぺん付近で動いている重機が見えますか?白い雲を背景に空色のユンボが、ほら・・

写真を撮っていたら、傍のダム小屋(団結小屋)から、マツさんが出てきました。これから帰るところだとのこと。

この春、仲良しのサカエさんが亡くなって、一人ぼっちになってしまった団結小屋の主、94歳です。

強制測量の頃、県の動きを監視する見張り小屋として建てられた団結小屋に、マツさん世代の女性はその後もずっと通い続けました。しかし、その仲間たちも、1人、2人となくなっていき、今はマツさんだけ。

団結する相手もいないのに、週に3日、お弁当持参でここに来るのは何故だろう?

きっと、今まで通りの生活を続けることがマツさんにとっての抗議行動であり、ここに来ると、亡くなった仲間の気配を感じるのかもしれない。だから寂しくない。だからマツさんも闘い続けられるのだろう。

「マツさん、ここにいると重機の音が聞こえるでしょう?」

「そうね、聞きたくないね。木が倒されていくのは見たくもないね。

みんな要らんて言よらすとに、なんでここにダム・・なんかね?」

 

県からの最後通牒

9月2日、長崎県土木部から川原住民に届いた6回目の文書はこちら。


意訳すると、こんな感じ。

8月6日に5回目の文書を送ったのに、そっちは返事もよこさない。
これまでのやり取りで、条件が整う見込みなどないことがよくわかった。
もう待てない!こっちは工事を再開する。
今後は本体工事への着工や、新たな工事の発注なども進める。
ただし、生活再建等の相談にはのるから、遠慮なく言ってきな。
だって、家が無くなるんだから不安だろ?

県から届いた5回目の文書とはこちら。
2021.8.6 土木部から住民へ5

これまでの経緯(言い訳)が長々と記され、
とにかく9月以降は工事を再開したいので、早く話し合いをやろうよ。ただし、司会進行はこっちでやるよ、また、13世帯以外の参加は認めないよ」という内容でした。

ダムの必要性について、しっかり話し合いたい。科学的根拠や客観的データなどに基づき、納得のいく議論がしたい。そのためには第三者(専門家等)の参加も求め、公開の場で行うのが望ましいと思っていた川原の皆さんにとっては、呆れた内容でした。

県の言う話し合いとは、やはり、これまで通り中身のない、たんなる手続きの一つ、帳面消しであり、話し合いをやったよというパフォーマンスでしかない。

そう痛感した皆さんは、もう返信する気力も失ってしまったのです。
そこへ、追い打ちをかけるように、この最後通牒が届いたのです。

しかも、最後の一文に県の本音が明示されています。

「家屋がなくなることへのご不安など・・・おありであろうと思っておりますので・・・今後とも皆様との話し合いの機会をいただき、生活再建等に誠意をもって取り組んでまいりたい・・・」

つまり、「話し合いをしても、ダム建設は遂行する。その方針は変えない。だから皆さんには出て行ってもらう。新しい住まいなど生活再建の話し合いなら、いつでも応じますよ」ということ。彼らの本音と「話し合い」の正体はこれでした。

受け取ったこうばる住民のお一人は、こう呟きました。

行政代執行をするかどうかも決まっていないのに、なぜ「家屋がなくなる」と言えるのか。まるで脅迫状だ。

ナルトサワギク

ようやく県が重い腰を上げました。
ナルトサワギク対策のことです。
石木ダム建設工事現場には最近こんな看板が立てられています。
ナルトサワギクとは、こんな花。
沢沿いに分布する在来種のサワギク(沢菊)とよく似ていますが、1976年に徳島県鳴門市の埋立地で発見された外来種です。毒性の強いアルカロイドを含み(オーストラリアでは家畜の中毒死が多く報告されている)、繁殖力がきわめて強いので在来植物を駆逐する危険性が大きいことから特定外来生物に指定されています。

そのナルトサワギクが石木ダム工事現場のいたるところに見られることに私たちが気づいたのはこの春の3月のことです。(以下は4月5日に撮影)

こちらは4月14日撮影

そこで6月4日、「石木ダム建設に反対する川棚町民の会」を中心に、私たち8団体はナルトサワギク防除の申し入れを正式におこないました。
ナルトサワギク防除の申し入れ書
しかし、申し入れ書への回答は全く無く、同会は7月1日と20日にも県庁を訪れ抗議しました。

ところが、翌21日、県は土壌汚染対策法の手続きが67%も無届けだったことを公表し、県民に陳謝したのです。土対法が指定する有害物質とナルトサワギクは関係ありませんが、法律で義務付けられた調査や届け出を怠っていた事例が3分の2以上もあったということに、やはり・・という想いが湧いてきます。
というのは、長崎県はやると決めた事業は何が何でもやる、必要性や安全性に対する客観的な裏付けを軽視する傾向があると感じていたからです。

土対法違反の反省からなのか、石木ダム工事現場では急にナルトサワギクの対策作業が始まりました。
道路の上にシートを広げ
シートの端に木片を巻き付け、
こんなふうに法面を覆っていました。

作業員の方に、
「ナルトサワギクを引っこ抜いてから覆っているんですか?」
と聞いたら、
「いや。何もせず、ただ上から覆っているだけです」
との答えが返ってきました。

それで大丈夫なのかな?
駆除方法としては「根ごと抜きとる手法が望ましい」と書かれているけれど。(広報かわたな8月号)
おそらく抜き取る時間がないと判断したのでしょう。
なぜなら法面に近づいてみると、
こんなふうにたくさん繁茂していて、
黄色い花の間に見える白い花は綿毛です。
ナルトサワギクの種を飛ばすための綿毛がびっしり。
既に半分ほど飛ばされてしまったものもあります。
これ以上飛ばないように=これ以上繁茂域が広がらないように、シートで被うことを県は優先したのでしょう。

急がば回れと言いますが、本当にそうですね。
工事を急ぐあまり県民の忠告に耳を貸そうともしなかった県ですが、もう少し真摯に耳を傾けていたら、こんなに繁茂する前に対策を打つことができたでしょう。

石木ダムも同じです。
事業着手の前に、しっかり住民の声に耳を傾け必要性について徹底的な議論をしておくべきでした。
それを先送りしてきた結果が今の混乱を招いています。

まだ本体工事には着手していない今こそ最後のチャンスです。
石木ダムの必要性について、科学的客観的なデータのもとに、しっかり議論すべきです。
県民の多くがそれを望んでいます。

『話し合い』の重さ

7月27日、こうばるの皆さんは「話し合い」について二度目の記者会見を行いました。

それは、7月19日付の土木部からの文書に対する回答の真意を丁寧に説明し、理解してもらうためです。

土木部から届いた4回目(19日付)の文書はこちら。

要点は以下の7つほど。
1.話し合いの期間=今年の8月31日まで。
2.工事について=中断するのは話し合い当日だけ。新たな工事には着手しない。
3.参加者=13世帯の皆様だけ。
4.司会進行=県。(静穏な環境を確保するため)
5.報道機関への公開=冒頭のみ。
6.会場=川棚町中央公民館(コロナ対策のため)
7.日時=皆様の条件に基づき調整する。

それに対する同盟の回答はこちら。

今回の文書は回答と言うより、19日付の土木部からの文書の前文への抗議であり、知事に事実を知ってほしいという訴えです。
1.話し合いの条件(工事の中断と文書での正式依頼)は、1月時点に課長に伝えていたが、土木部から初めて文書が届いたのは5月21日付で、その後も工事は強行された。
2.「半年にわたり本体工事の着工を見合わせていた」など私たちは知らなかった。何の説明も無いし、この半年、夜間や早朝など工事が強行されていた。
3.「石木ダム建設は住民の皆様方の安全安心に直結する重要な事業」とあるが、私たちにはそこが理解できない。私たちの納得のいく説明をすべき。
4.「静穏な環境のもとで」とあるが、当日限りの工事中断では静穏な話し合いはできない。
5.今からでも遅くない。話し合いのできる環境を作ってほしい。

以上の内容について、岩下和雄さんを中心に、こうばるの皆さんから丁寧な補足説明が行われました。県と私たちの主張のどこがどのように違っているのか、それは何故なのか、理解した上で報道してほしいとの願いからでした。

記者団から出された主な質問と川原の皆さんの答えの要約は以下の通り。


Q:7月19日付の土木部から出されている条件の中で受け入れられるものと受け入れられないものについて確認したい。

A:会場と日時については問題ないが、話し合いの期限を切ったり、工事の中断は話し合いの当日だけなどあり得ない。

Q:最も受け入れがたいのは、工事の中断は話し合いの当日だけということか?

A:そうだ。みんな炎天下で毎日座り込みをしている。心身共に余裕はない。そんな中で静穏な話し合いができるはずがない。それがなぜ理解できないのか私たちにはわからない。

Q:話し合いを県が8月31日までと期限を切っているのはアリバイ作りとみているのか?

A1:そうだ。明日回答を送ってすぐに県が対応したとしても8月はお盆もあり、実際に話し合いができるのは1回か2回だろう。そんな少ない回数で納得のできる話し合いになるはずがない。事業認定の時も話し合いは形だけだったし、事業再検証の時は検討の場に私たちが参加することも許されなかった。
A2:先日の新聞投書欄に出ていたが、長崎空港建設の用地交渉の際には、当時の久保知事が自ら出かけ、住民が納得するまで話し合いを求めた。中村知事も人間らしい心を持った政治を行ってほしい。

Q:返事はあくまでも知事宛に送るのか?

A1:そうだ。私たちが話し合う相手は知事だから。
A2:私たちは知事宛に送っている。知事の名前で返事が送られてくるべきだ。
A3:2019年9月県庁での知事との面談の後、知事の名前で公印も押された文書が届いたが、それ以降は一切無い。

Q:今回で4回目となるが、皆さんは毎回言葉を尽くして同じような趣旨のことを書かれているが、県に伝わっていないのは何故か?この現状をどう見ているか?

A:知事がこのやり取りを見ているのかも私たちにはわからない。誰かが握りつぶしている可能性もある。

などの質疑応答を終え、最後に岩下さんは、このように締めくくりました。

私たちは決して話し合いを拒んでいるわけではない。
話し合いのできる環境を作ってほしいと言い続けてきた。
その上で、知事と話し合いがしたい。
時間が無いというが、これは50年も前からの問題。
私たちも歳をとったが、まだまだ元気。
私たちが死んでも、次の世代が反対を続ける。
仮にダムができても禍根を残す。
全国の人々が見守っている。
時間をかけて話し合うべきだ。

約1時間の記者会見でしたが、記者の皆さんはどのように受け止められたでしょう?
多くの方がきっと理解を深められたことと思いますが、私もあらためて気づいたことがあります。

それは「話し合い」の意味と、その重さの違いです。
県職員(土木部)の皆さんは、まさにアリバイ作りのように、2~3回やればいいんじゃないの?と思っていたかもしれません。
私たち県民の多くも、期間は1ヶ月もあれば十分じゃないの?と感じていたかもしれません。

しかし、こうばるの皆さんが求めているのは、そんな軽い「話し合い」ではありません。
遥かに重くて深い・・49年前に交わされた覚書の延長としての「話し合い」です。

調査の結果、(ダム)建設の必要が生じた時は、あらためて協議の上、書面による同意を受けた後(事業に)着手する」と約束したはずの協議が未だにきちんとなされていない。
それなのに土地も家も強制収用され、工事は強行されている。いつになったら協議するのか?という半世紀も待ち続けてきた「話し合い」です。

中村知事だけのせいではありませんが、長崎県政が先送りしてきた不誠実な政治の償いをするチャンスです。

「今からでも遅くない」と言う川原の皆さんに、どうか応えてほしい。
それができないと言うなら、知事にとっては、「本当に必要で、どうしても造りたいダム」ではなさそうですね。

4度目の正直?なるか

知事と住民の話し合いが実現するか?
心ある県民が注目する中、県土木部から3度目の文書が届き、それを受けて住民からも3度目の文書が提出されました。

2度目までのやり取り、つまり両者が互いに郵送した2通、計4通の文書については、6月22日の当ブログに掲載済みです。https://ishikigawa.jp/blog/cat05/7287/

今日は、3回目のやり取りについて考えてみたいと思います。

県土木部からの3度目の文書は6月30日付でした。
その要点は、以下の3点。
・対面での条件協議に応じるなら、協議当日に限り工事は全て止める。
・対面での条件協議に応じないなら、工事中断の具体的な条件等を示してほしい。
・その期限は7月12日(月)までで、文書での回答を求める。

それを受けて、住民からの3度目の知事宛の文書は7月12日に送付されました。
その要点は、以下の4点。
・話し合いの期間中は工事を中断し新たな工事にも着手しない。
・場所は川原公民館。
・日時は日曜日の午後か平日の19時以降。
・知事がダムの必要性について説明する。

今回初めて、住民側は場所や日時の希望を具体的に示しました。
その上で「知事の都合のつく日をお知らせください。お待ちしています」と記しています。知事との対話を求める住民の本気度が伝わってきます。

一方、県土木部からの3度目の文書にはそれが感じられません。
「協議当日に限り工事中断」とか「条件協議に応じないなら工事中断の具体的な条件を」など、工事のことしか眼中になさそうです。知事と住民の話し合いの実現や、その成功を願うより、とにかく工事を進行したい、やむを得ず中断するにしても、できるだけ早く再開したいとの思いが見え見えです。

住民の願い(ダムの必要性について知事の口から納得のいく説明が聞きたい。私たちの疑問や意見にも耳を傾けてほしい)を少しでも理解していれば、このような文書にはならないと思います。

いずれにしても、ボールは再び県に返されました。
県からの4度目の文書で、話し合いが実現するかどうか、いよいよ決まりそうです。

4度目の正直となりますように・・・!