言い換えれば、県は今こうばるで何をやっているのか、ということ。
この事実を多くの県民に知ってほしい。そして考えてほしい。
これが許されることなのかどうか。
田への水路破壊(上:水が流れている 下:石や土で水路を埋めてしまった)
3月22日午後、長崎県は川原(こうばる)住民3世帯の方の田んぼに、重機でいきなり土砂を搬入し、イノシシ除けの防護柵を撤去し、用水路まで破壊しました。「来週は田植えのための田起をしようと思っていた矢先だったのに…」と皆さんは肩を落とし、他の住民の方々と共に、県に抗議しました。
・強制収用した土地だからといって、予告無しに何をやってもいいのか?
・田畑を破壊するのは生活基盤の破壊だ。
・私たちに「耕作するな」と言うのは「生活するな」と言うのと同じだ。
・防護柵はイノシシ除けに私たちが設置したもので私たちの所有物。無断撤去はできないはず。
しかし、県は謝罪するどころか反論しました。
・皆さんには2月の時点で既に「事業用地内での耕作など」しないよう求めた文書を送付済みである。
・我々は県民の安心安全のため石木ダム工事を工程通り進める必要がある。
県や佐世保市など起業者(行政)の主張はいつもそうです。
・石木ダムは県民の安心安全のために必要であり、早く完成させねばならない。
・我々は土地収用法などの法に則って手続きを進めている。
法に則っていれば全てOKなのでしょうか?
法律の中には古くて時代に合わなくなったものもあるし、時の権力者によって都合良く解釈されたり、改悪された法律もあります。
法律は絶対ではありません。
全ての国民にとって則るべき最高法規は憲法です。
長崎県のやり方は憲法に照らしてどうなのでしょう?
憲法29条は「財産権は、これを侵してはならない」と明記した後で、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」とも規定しています。
石木ダムの場合がまさにそうだ。川原の方の私有地が石木ダムという公共事業のために必要だ。だから正当な保証金を支払って収用したのだから憲法にも沿っている。と、長崎県や佐世保市は主張しています。
が、その主張が正当なものであるとは、どうしても思えません。
理由その1.
石木ダムは本当に「公共のため」と言えるのか、そこに大きな疑問があるからです。もし現時点において公共性の低いものであれば、当然見直しが必要であり、そこを住民の方は問い続けているのに、行政側はそれに応じません。「司法の判断が出ている」とか「議論する段階は過ぎた」とか、第三者から見ればまるで検証することから逃げているかのです。
その2.
「公共事業は法に叶い、理に叶い、情に叶うものでなければならない」(下筌ダム反対運動の室原知幸氏の言葉)は、今や国交省のお役人が大切にしている言葉のようですが、長崎県のやり方は情を逆撫でしてばかりです。
当初の久保知事は覚書(住民の了解無しにはダム建設は行わない)を無視したまま事業に着手し、次の高田知事は機動隊を導入して強制的に測量し、その次の金子知事は話し合いをするためだと県民を欺き事業認定申請を行いました。
だからこそ石木ダム工事差止控訴審の判決文の中には「地元関係者の理解が得られるよう努力することが求められる」と書かれていました。(2021年10月:福岡高裁)
半世紀前に計画された石木ダムは今や必要性が欠如した賞味期限切れ事業なのですが、仮に石木ダムが本当に公共の役に立つ事業であったとしても、川原住民にとってはかけがえのない故郷、家や田畑、コミュニティを奪われるのですから、犠牲を強いられることへの反発があっても当然です。その認識があれば、起業者(県)は住民の理解が得られるまで何度でも話し合い、真摯に対応し続けるはずです。
しかし、長崎県の対応はそうではない。予告もなく水路を破壊したり田畑へ土砂を投入したり…そんな乱暴なやり方では、理解を得る可能性はますます失われるばかりです。
その3.
本当に法に則っているのか?ここにも疑問があります。
確かに県は川原住民の土地を強制収用し、明け渡し期限から既に3年が過ぎています。住民が明け渡さない場合は行政代執行して工事をすることができます。しかし、その行政代執行法によると、その手続きは次のように規定されています。
第3条第1項「代執行をなすには、相当の履行期限を定め、その期限までに履行がなされないときは、代執行をなすべき旨を、予め文書で戒告しなければならない」第2項「義務者が、前項の戒告を受けてもその義務を履行しないときは、当該行政庁は、代執行令書をもつて、代執行をなすべき時期、代執行のために派遣する執行責任者の氏名及び代執行に要する費用の概算による見積額を義務者に通知する」と。
今回の場合、そのような戒告文書も代執行令書も何も届けられずに、いきなりでした。代執行法違反の代執行だったのではないでしょうか?
また、行政代執行の実務(金沢河川国道事務所 用地第二課)によると、「戒告がなく,又は戒告が効力を生じていないにも関わらず代執行令書を発行しても,それは無効であり,代執行そのものも無効となる」と書かれています。用水路や田畑、イノシシ防護柵など全て元通りに戻すべきではないでしょうか。
また、『土地収用法の解説と運用Q&A』のQ463に対する回答欄には「たとえ占有者が無権原で収用地の占有を継続しているのであっても、無断で工事施工することはできない」と書かれています。
つまり長崎県は、土地収用法にも行政代執行法にも違反して強引に工事を進めているようです。
このような横暴な県のやり方を許しているのは私たち県民の無関心です。新聞やテレビが報じても、自分には直接関係ないことだからとスルーしてしまいがちですよね。それでいいのでしょうか?
昨日、長与町議の八木さんがツイッターで呟いておられました。
私の石木ダム反対活動に「長与町議は長与のことだけやれ」と言った人がいましたが、県税国税も投入されていて誰にも無関係ではない事業だし、何より長崎県が行っている以上、県内どの市町で同じ強制排除が起きても不思議ではなく、他町だからと許す人は自分の身に起きた時にも文句言えないですよ。
ホントにその通りだと思います。
他者への人権侵害を見て見ぬふりしていたら、いつか自分にもそのようなことが起きるかもしれない。自分だけでなく、家族や友人たちにも。そんなの困る!イヤだ!と思うか、自分の周りでは起こらないさと思うか、そこが要です。後者が多い現状では圧政も許されてしまいます。
もし自分が大切にしているものを権力によっていきなり壊されたり奪われたりしたら?そのとき自分一人で何ができるだろうと考えてみる。そんな想像力の有無が未来のあり方を左右するのではないでしょうか。
だから、私はこの問題に無関心ではいられないのです。
先月、佐世保で開催されたシンポジウムで斉藤幸平さん(哲学者で『人新世の資本論』)は語っていました。「いつも犠牲になるのは少数派の弱者で、それを放置し続けた結果、公害や貧困、人種差別、気候変動等々さまざまな社会問題が山積してしまっている。これをなんとかするには、一人でも多くの人が共事者(当事者にはなれないけれど、関心を持って共に考える人)になることが必要だ」と。
忖度や同調圧力が蔓延し、自分の意見が持てなくなったり声があげにくくなったり…そんな時代だからこそ、少しだけ勇気を出して、佐世保市民にとって身近な公共事業『石木ダム問題』について、それぞれが関心を持ち、考えてみませんか。
そして、考えるためには、現場に足を運ぶことが一番です。
自分の目で見て感じてほしい。
いま川原で何が起こっているのか。
まずはそこから。