知事の訪問に住民が応じない理由

「地元住民の声を聞こうともしない知事と会って話すことなどありません」
この張り紙は、こうばる住民が抗議の座り込みをしているテントに張られたもので、知事へのメッセージです。

「大石知事が11ヶ月ぶりに現地訪問」「住民側が拒否」「面会実現せず」
このような文言をテレビや新聞で目にした県民の皆さんは、どのように思われたでしょう。

・せっかく知事が訪問しているのになぜ拒否するの?
・張り紙には「住民の声を聞こうともしない知事」と書かれているけど、知事は声を聞きに来たのではないの?聞こうとしているんだから応じればいいのに…
・どちらも話し合いを求めているみたいだけど、どちらも相手が応じないと言っていて、さっぱりわからない。

こんなふうに感じた人も少なくなかったのではないでしょうか。
これまでの経緯をよく知らない方がそう思うのは当然かもしれません。
この機会に、これまでの経緯について、ぜひ関心を持ってください。事実を知れば、なぜこのような事態に至っているのか、ご理解いただけると思います。

昨年3月長崎県知事に就任した大石賢吾知事は、対話を重視する姿勢を示し、4月には住民と共にこうばるを散策し、「ふるさとは尊い」と語りました。
そのような知事に希望を感じた住民の皆さんは、8月と9月の2回、知事との話し合いに応じました。応じたと言うより、それは住民の皆さん自身の希望でもあったのです。

前知事中村知事には住民の方から何度も話し合いを求めていましたが、実現しませんでした。今度の知事ならちゃんと話を聴いてくれ、意見交換ができそうだ、そんな期待感が芽生えていました。

しかし、実際の話し合いは、これまでと同じで、県は県の論理で石木ダムの必要性を説明するだけで、住民の本当の疑問には答えようとしなかったのです。

例えば、治水面で言えば、県が想定する100年に1回の大雨が降ったとき、川棚川の山道橋付近では毎秒1400㎥/秒の水が押し寄せてくる。そうすると堤防から水が溢れ流域の家は浸水被害を被る。それを回避するためには、上流の野々川ダムで80㎥/秒、石木ダムで220㎥/秒の流量を減らす必要がある。

と県は説明するのですが、そもそも100年に1回の大雨というのが、降水量だけでなく、雨の降り方に様々なパターン(短時間でドバーッと降るとか、1日中満遍なく降り続くとか)があり、本当に1400㎥/秒の流量となるのか?これは過大すぎるという専門家の見解もあるのです。治水計画の基本となる数値が間違っていたら、ダムの必要性そのものが揺らぎかねないので、根拠が示されるまでは納得できませんよね。

また、利水面でも疑問はたくさんあって、住民側から多くの質問が出されたのですが、その話し合いの場に佐世保市が参加することはなく、県の職員が佐世保市の主張を代読するというごく形式的なものに終りました。

これでは話し合いの意味が無い。県や市の一方的な主張だけでなく、治水や利水の専門家も交えて公開の場でしっかりと議論したい、意見交換をしたいと住民の皆さんは求め続けているのですが、県はそれにはどうしても応じません。

それどころか、先日(12月5日)の県議会では、「我々としましては、今この時点においてダムの必要性を議論する段階ではないと考えております」との知事の答弁を聞き、住民の方はがっかりされました。

知事(=県)が求めている話し合いは、生活再建のこと。つまりダム建設が前提の話し合いであり、ダムの必要性について話し合いたいとの住民の要望は全く無視しています。
だから、「地元住民の声を聞こうともしない」と書かれてしまったのです。

知事、佐世保市長、あなた方には説明責任があります。
もう何回も説明したと言われるでしょうが、形だけの説明を何度やっても責任を果たしたことにはなりません。ダムのために犠牲を強いられる立場の住民側が納得する形の説明が必要です。
それは、公開の場で、地元住民だけでなく専門家も交えた、公正な議論の中で行なわれる説明です。

県も市も二言目には「ダムの必要性については司法の判断が出ている」と責任転嫁しますが、あれは「石木ダムの事業認定を取り消さなくてもよい」「石木ダム工事を差し止めなくてもよい」という判断に過ぎません。行政自らが改めて事業評価を行ない、石木ダム建設の是非を決めることに何ら問題はありません。

事業の見直しに遅すぎるということはありません。
大石知事と宮島市長の勇気ある行動を待っています。